翌朝。
神奈川県警本部の会議室には、三年前の事故現場の資料が広げられていた。
倉木怜央。
元違法バイクチーム、BLACK LANCEの主犯格。
五年前、萩原千速に追跡されながら逃走。
三年前、箱根方面へ向かう県道でバイク事故死。
そして今、その死をなぞるように、白バイ隊員が襲われている。
押村奏斗は、復元されたアクションカメラの映像を何度も見返していた。
夜の山道。
倉木のバイク。
前方を走る赤い小型車。
急減速。
道路脇に立つ黒いヘルメットの人物。
その手に掲げられた、白いヘルメット。
千速は腕を組み、モニターを睨んでいた。
「これ、やっぱり白バイ隊員に見せかけてるな」
押村は頷いた。
「はい。倉木はあなたに呼び出されたと思っていた。そこに白いヘルメットを持つ人物が現れた。動揺を誘うには十分です」
横溝重悟が低く唸る。
「で、前の赤い車が急減速。避けようとして転倒か」
「単独事故に見せかけた可能性があります」
村上が資料を差し出す。
「赤い小型車について分かりました。リアガラスのステッカーは、当時、横浜市内のさくら動物病院で配布されていたものです。該当する赤い小型車の登録を洗ったところ、一人、気になる人物が出ました」
大型モニターに、女性の顔写真が表示された。
藤崎茜。三十三歳。
村上が続ける。
「三年前、さくら動物病院の元勤務者です。現在は退職しています。赤のコンパクトカーを所有していましたが、倉木の事故の二週間後に廃車手続きをしています」
横溝の目が鋭くなる。
「怪しいな」
「さらに、藤崎茜には兄がいます。藤崎啓吾。三十七歳。元神奈川県警交通部所属」
千速の表情が変わった。
「交通部?」
押村が資料を見る。
「藤崎啓吾は元白バイ隊員。四年前に依願退職。退職理由は一身上の都合。ただし、その前年に追跡中の事故で処分歴があります」
横溝が眉をひそめる。
「追跡中の事故?」
村上は続けた。
「速度違反車両を追跡中、一般車両と接触。幸い死者は出ていませんが、相手側に重傷者が出ています。追跡判断に問題があったとして、内部で処分を受けています」
千速は資料を睨む。
「藤崎啓吾……聞いたことがある」
押村が問う。
「面識があるのか」
「直接の部下じゃない。でも交通部内では名前を聞いた。腕は良かったが、追跡が強引すぎるって噂だった」
横溝が低く言う。
「元白バイ隊員なら、白バイの動きも巡回の癖も分かる」
押村はホワイトボードに書いた。
藤崎啓吾:元白バイ隊員
藤崎茜:赤い小型車所有、事故後廃車
倉木事故現場に関与?
千速が口を開く。
「じゃあ、今回の黒バイクも藤崎啓吾か」
押村は少し考えた。
「可能性はあります。ただ、まだ矛盾があります」
「何だ」
「なぜ藤崎が倉木を殺した可能性があるのに、今になってBLACK LANCEのマークで白バイ隊員を襲うのか」
横溝が腕を組む。
「倉木の復讐に見せかけるためか」
「はい。しかし藤崎が三年前の事故に関与しているなら、倉木の死を掘り返されるのはむしろ不利です」
千速が目を細める。
「つまり、今回の犯人は藤崎じゃない?」
「断定はできません。ただ、今回の犯人は“倉木の死の真相”をこちらに見せようとしているようにも見えます」
横溝が舌打ちした。
「白バイ隊員を襲っておいて、真相を知らせたいだと? ふざけたやり方だな」
千速は低く言った。
「ふざけてるのは確かだ。でも、犯人が私に見せたいものがあるなら……三年前の事故か」
押村は千速を見た。
「犯人はあなたに、倉木の事故を見直させたい」
「そのために新井を襲ったのかよ」
千速の声に怒りが滲む。
押村は否定しなかった。
「はい」
千速は拳を握った。
「最低だな」
横溝が立ち上がる。
「藤崎兄妹を当たる。押村、千速、行くぞ」
千速は白いヘルメットを手に取った。
「もちろんだ」
藤崎啓吾の現在の勤務先は、横浜市郊外の配送会社だった。
だが、訪ねた時、彼はすでに退職していた。
退職日は三日前。
新井が襲われる前日だった。
横溝が舌打ちする。
「逃げたか」
事務所の責任者は、困った顔で答えた。
「急に辞めると言い出して。理由もはっきり言わずに」
押村が尋ねる。
「退職前に、何か変わった様子はありましたか」
「そうですね……ここ一週間くらい、誰かから何度も電話が来ていたようです。そのたびに外へ出ていました」
「相手は」
「分かりません。ただ、一度だけ大声で言っているのが聞こえました」
千速が問う。
「何て」
責任者は記憶を探る。
「“俺はもう降りた。あの件を掘り返すな”と」
横溝の目が鋭くなる。
「あの件、か」
押村は続けた。
「藤崎啓吾さんの連絡先は」
「携帯はつながりません。住所も、最近引っ越したと聞いています」
「引っ越し先は」
「確か、妹さんの近くに住むと言っていました」
千速が低く呟く。
「藤崎茜か」
藤崎茜の部屋は、古いマンションの三階にあった。
しかし、そこにも本人はいなかった。
部屋は荒らされてはいない。
だが、生活感が薄い。
数日前から戻っていないようだった。
村上が室内を確認しながら言う。
「冷蔵庫の中身、ほとんど処分されています。長期不在の準備にも見えます」
千速は机の上に置かれた写真立てを見つけた。
写っているのは、藤崎茜と兄の藤崎啓吾。
そして、もう一人。
黒いライダージャケットを着た若い男。
千速は写真を手に取る。
「こいつ……」
押村が隣に来る。
「知っているのか」
「倉木怜央だ」
写真の中の倉木は、笑っていた。
BLACK LANCEの主犯格。
白バイから逃げ続けた男。
三年前に死んだ男。
その倉木が、藤崎茜と親しげに写っている。
横溝が写真を見て顔をしかめる。
「藤崎茜と倉木は知り合いだったのか」
村上が端末を調べる。
「出ました。藤崎茜は、三年前まで倉木怜央と交際していた可能性があります」
千速の目が鋭くなる。
「交際?」
押村は静かに言った。
「なら、赤い車が事故現場にいた理由が変わります」
横溝が頷く。
「あいつを殺すためじゃなく、会うためにいた可能性もある」
千速は写真を見つめた。
藤崎茜。
倉木怜央の恋人。
藤崎啓吾。
元白バイ隊員で、茜の兄。
三年前、倉木は「白バイの女に会わせる」と呼び出された。
だが、その場には茜の赤い車がいた。
兄の藤崎啓吾は、白いヘルメットを持って道路脇に立っていた可能性がある。
「家族が絡んでるな」
千速は低く言った。
その時、押村が机の引き出しを見た。
半開きになった引き出しの奥に、封筒がある。
手袋をはめて取り出す。
黒い封筒。
白い交差線のマーク。
中には、写真が一枚。
三年前の事故現場で撮られたと思われる写真だった。
倒れた倉木のバイク。
路面に散らばる破片。
遠くに赤い車。
そして、写真の裏には文字があった。
あの夜、白いヘルメットを持っていたのは誰か。
三人目は、それを知っている。
横溝が顔を歪める。
「また予告か」
千速は写真を睨む。
「三人目は、それを知っている……」
押村は静かに言った。
「次に狙われる隊員は、三年前の事故に関する何かを知っている人物かもしれません」
千速が顔を上げる。
「第三交機の中に?」
「はい」
横溝はすぐに電話をかけた。
「第三交機の全隊員の三年前の配置を洗え。倉木怜央の事故当日、勤務していた者、非番だった者、現場付近にいた可能性のある者、全部だ」
千速は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
第三交機の中に、三年前の事故を知る者がいる。
そして犯人は、その人物を三人目として狙う。
押村は千速を見る。
「戻ろう」
千速は頷いた。
「ああ」
県警へ戻る途中、千速の無線が入った。
『小隊長!』
新井の声だった。
千速はすぐに応答する。
「新井? お前、病院だろ」
『すみません。今、第三交機に戻ってます』
「何で戻った!」
『佐伯さんが出ました』
千速の顔が変わる。
「佐伯?」
『はい。二人目として尾行された佐伯巡査部長です。急に一人で出て行って……止めたんですけど、“自分が狙われる理由が分かった”って』
押村が千速を見る。
横溝が運転席へ怒鳴る。
「急げ!」
千速は無線に向かって言った。
「佐伯の現在地は!」
『GPSは県道七十二号方面です。三年前、倉木の事故現場へ向かう道です!』
千速は奥歯を噛んだ。
「佐伯……!」
押村が低く言う。
「三人目は佐伯隊員です」
横溝が無線で指示を飛ばす。
「全車、県道七十二号へ向かえ! 黒い大型バイクの出現に警戒! 佐伯を単独で走らせるな!」
千速はヘルメットを掴んだ。
「奏斗、重悟。私は白バイで出る」
押村が即座に見る。
「一人では――」
「分かってる!」
千速は強い声で遮った。
「一人では行かねぇ。でも車じゃ間に合わない。佐伯が山道に入ったら、バイクじゃないと追いつけない」
横溝は一瞬だけ考えた。
そして頷いた。
「行け。ただし、無線を切るな。押村、俺たちは車で追う」
押村は千速を見る。
「千速」
「何だ」
「必ず合流する」
千速は短く笑った。
「遅れるなよ」
白バイのエンジンが唸った。
千速は夜の県道へ飛び出す。
赤色灯が回る。
サイレンが響く。
風が頬を打つ。
県道七十二号。
三年前、倉木怜央が死んだ道。
今、佐伯がそこへ向かっている。
そして黒いバイクも。
千速は無線を入れた。
「こちら萩原。県道七十二号へ向かう。佐伯の位置は」
『佐伯車両、事故現場まで約三キロ。速度上昇中!』
「何やってんだ、佐伯……!」
その時、前方の道路脇に黒い封筒が落ちているのが見えた。
千速は一瞬だけ視線を向ける。
白い交差線のマーク。
拾っている暇はない。
その先のカーブ。
赤いテールランプ。
佐伯の白バイだ。
「佐伯!」
千速が叫ぶ。
だが、そのさらに前方。
黒い大型バイクが現れた。
黒いフルフェイス。
黒いジャケット。
後部には白い交差線のマーク。
黒いバイクは佐伯の前へ出ると、まるで三年前の赤い車のように、急減速した。
佐伯の白バイが揺れる。
「佐伯、ブレーキ! 右へ逃げるな!」
千速の声が無線に飛ぶ。
だが、黒いバイクはさらに車体を寄せる。
佐伯は追い詰められる。
左は山肌。
右はガードレール。
その先は急カーブ。
三年前、倉木が死んだカーブ。
千速はアクセルを開けた。
白バイが加速する。
佐伯と黒いバイクの距離が縮まる。
黒いバイクのライダーが、ちらりと振り返った。
その瞬間、千速は見た。
ヘルメットのシールド越しに見えた目。
女だ。
「犯人は女……!」
千速は無線に叫ぶ。
「黒バイクのライダーは女性の可能性あり!」
押村の声が返る。
『千速、無理に詰めるな!』
「無理しなきゃ佐伯が落ちる!」
黒いバイクが佐伯の前で蛇行する。
佐伯の車体がさらに乱れる。
千速は歯を食いしばった。
「佐伯、私の声を聞け!」
『小隊長……!』
佐伯の声は震えていた。
「前を見るな、ラインを見ろ! 黒バイクを見るな! 白線の内側、私のライトを見ろ!」
千速は佐伯の右後方へ入り、白バイのライトを安定させる。
佐伯がその光を頼りに姿勢を戻す。
黒いバイクは苛立ったように再び幅寄せする。
千速はその瞬間を待っていた。
「今だ!」
佐伯が一瞬だけ減速する。
黒いバイクが前へ流れる。
千速は佐伯の横を抜け、黒いバイクの後ろについた。
「相手は私だ」
黒いライダーが振り返る。
千速は低く言った。
「来いよ」
黒いバイクが急加速した。
千速も追う。
山道の連続カーブ。
右、左、また右。
黒いバイクは速い。
だが、千速はそのラインを読んでいた。
相手は三年前の事故現場を知っている。
倉木がどう走ったかも知っている。
そして今、その道を再現しようとしている。
ならば、次の動きも読める。
千速は無線で言った。
「奏斗、重悟。黒バイクは旧展望台方面へ逃げてる」
押村の声が返る。
『旧展望台には廃道があります。車では塞ぎにくい。先回り可能な道を探しています』
横溝の声が割り込む。
『千速、絶対に一人で突っ込むな!』
「聞こえてる!」
黒いバイクが急に速度を落とした。
前方に旧展望台入口。
その横に、細い廃道。
バイク一台なら入れる。
千速は咄嗟に読んだ。
罠だ。
黒いバイクは千速を廃道へ誘い込もうとしている。
千速はブレーキをかけた。
白バイが路面を噛む。
黒いバイクだけが廃道へ入る。
ライダーが振り返った。
「逃げるのか、萩原千速!」
ヘルメット越しの声。
女の声だった。
千速は白バイを止め、距離を取った。
「逃げねぇよ。お前の誘いに乗らないだけだ」
黒いライダーは笑った。
「倉木を逃がした時と同じね」
千速の目が鋭くなる。
「お前、誰だ」
黒いライダーはシールドを上げた。
現れた顔に、千速は息を止めた。
藤崎茜。
倉木怜央の恋人。
赤い車の持ち主。
茜は歪んだ笑みを浮かべた。
「三年前、怜央はあなたに会いに行った。そして死んだ」
「私は呼んでない」
「知ってる」
千速の眉が動く。
「何?」
茜は低く笑った。
「呼んだのは兄よ。白バイ隊員だった兄が、あなたの名前を使った」
千速の背筋が冷たくなる。
「藤崎啓吾か」
「兄は怜央を脅していた。私と別れろ、違法レースをやめろ、警察に捕まる前に消えろって。でも怜央は聞かなかった」
茜の声が震え始める。
「だから兄は、あなたの名前を使った。怜央が一番意識していた白バイ隊員の名前を」
千速は低く言った。
「それで事故を起こしたのか」
「事故じゃない」
茜の目が憎しみで染まる。
「あれは兄が作った事故。赤い車を使ったのは私。でも私は、ただ怜央を止めたかっただけだった。死なせるつもりなんかなかった!」
千速は息を呑んだ。
赤い車を運転していたのは、藤崎茜本人。
兄の藤崎啓吾と共に、倉木を呼び出した。
だが結果として、倉木は死んだ。
茜は続けた。
「兄は全部私のせいにした。赤い車を廃車にして、黙っていろって。警察は何も調べなかった。単独事故で終わらせた」
「だから白バイ隊員を襲ったのか」
千速の声は低い。
「新井も、佐伯も関係ないだろ」
茜の顔が歪む。
「関係ある!」
「何がだ!」
「佐伯は見ていた!」
千速の目が変わる。
「佐伯が?」
「三年前、あの現場にいた。非番だった佐伯は、事故の直後に通りかかった。兄が白いヘルメットを隠すところを見た。でも黙った」
千速は無線に手を伸ばす。
「佐伯、聞こえてるか」
少し間があり、佐伯の震えた声が返る。
『……聞こえています』
千速は奥歯を噛んだ。
「お前、知ってたのか」
『全部ではありません。ただ、藤崎さんが現場にいたのは見ました。でも当時、藤崎さんは元白バイの先輩で……自分はまだ若くて……』
「黙ったんだな」
『……はい』
茜が笑った。
「だから三人目は佐伯。隊長の前で折れるべきだった」
千速の拳が震える。
「新井は?」
「新井?」
茜は少し首を傾げた。
「一人目は誰でもよかった。あなたの部下なら」
その一言で、千速の中の何かが切れかけた。
だが、押村の声が無線から届いた。
『千速。乗るな』
千速は息を吸う。
押村の声は静かだった。
『怒るのは当然だ。でも、彼女は君に怒らせたい。追わせたい。廃道へ入らせたい』
千速は廃道の奥を見る。
暗い。
路面状態も悪い。
誘い込まれれば危険だ。
千速はゆっくり息を吐いた。
「分かってる」
茜が苛立ったように言う。
「来ないの?」
「行かねぇ」
「怖いの?」
「違う」
千速は真っ直ぐ茜を見た。
「私は白バイ隊員だ。怒りで走るんじゃない。人を守るために走る」
茜の顔が歪む。
「綺麗事を……!」
その瞬間、廃道の奥から別のバイク音が響いた。
黒ではない。
青い大型バイク。
藤崎啓吾だった。
ヘルメットを被り、鋭い目で千速を見ている。
千速の背筋が緊張する。
「兄貴の方も来たか」
押村の声が飛ぶ。
『千速、位置を維持しろ。こちらも近い』
藤崎啓吾は茜へ怒鳴った。
「茜! 余計なことを喋るな!」
茜が振り向く。
「兄さん……」
啓吾は千速を見る。
「萩原。そこをどけ」
千速は白バイを少しだけ前へ出した。
「どかねぇよ」
「これは俺たちの問題だ」
「新井を襲って、佐伯を襲って、それでも自分たちだけの問題だって言うのか」
啓吾の顔が歪む。
「白バイはいつもそうだ。正義の顔で追い詰める。俺も、倉木も、茜も、全部潰された」
千速は低く言った。
「違う。お前らは自分で選んだ」
啓吾の目が怒りに染まる。
「黙れ!」
啓吾のバイクが急発進した。
茜の黒いバイクも動く。
二台が別方向へ散る。
千速は一瞬で判断した。
啓吾は廃道奥へ逃げる。
茜は県道側へ戻る。
どちらを追うべきか。
押村の声が入る。
『茜は県道側。こちらの車両で封鎖できます。千速は啓吾を見失わないでください。ただし深追いはしない』
千速は白バイのアクセルを開けた。
「了解」
廃道へ入る。
路面は荒れていた。
砂利。
落ち葉。
ひび割れた舗装。
白バイには厳しい道だ。
だが、千速は速度を殺しすぎず、車体を安定させる。
啓吾は速い。
元白バイ隊員だけあって、道の読みがうまい。
だが、千速は冷静だった。
怒りで追わない。
人を守るために走る。
啓吾が急カーブを抜ける。
その先は行き止まりの旧展望台。
逃げ場はない。
啓吾は展望台の広場へ飛び出し、急停止した。
千速も距離を取って止まる。
啓吾はヘルメットを脱ぎ捨てた。
「なぜ追ってきた」
「止めるためだ」
「俺を裁くのか」
「裁くのは法だ。私は捕まえる」
啓吾は笑った。
「倉木を死なせたのは俺だ。茜も共犯だ。佐伯も黙った。お前は何も知らずに白バイの隊長面か」
千速は静かに言った。
「知らなかった。だから今、知った」
「ならどうする」
「全員に話してもらう」
「綺麗事だな」
「それしかねぇだろ」
啓吾は懐から小さなナイフを出した。
千速の目が鋭くなる。
「やめろ」
「もう終わりだ」
「終わらせねぇ」
千速は白バイから降りた。
距離を測る。
啓吾は自暴自棄になっている。
ここで突っ込めば、危ない。
だが、時間を稼げば押村たちが来る。
千速は低く言った。
「藤崎。お前は元白バイなんだろ」
啓吾の動きが止まる。
「だったら分かるはずだ。走って逃げても、残るものは消えねぇ」
「黙れ」
「倉木を死なせた罪も、茜を黙らせた罪も、佐伯を脅した罪も、新井を襲わせた罪も」
啓吾が怒鳴る。
「新井を襲わせたのは茜だ!」
「止めなかったんだろ」
啓吾が黙る。
千速は一歩近づく。
「お前も同じだ。三年前も今も、止められる場所にいたのに止めなかった」
啓吾の手が震える。
遠くからサイレンが聞こえた。
押村たちが来る。
啓吾がそれに気づき、ナイフを自分の首元へ向けた。
「来るな!」
千速の体が動く。
「やめろ!」
その瞬間、啓吾の背後から別の声が響いた。
「兄さん!」
茜だった。
横溝たちに追い詰められながらも、展望台まで来ていた。
「もうやめて……怜央は戻らない!」
啓吾の顔が崩れる。
「茜……」
千速はその隙を逃さなかった。
一気に距離を詰め、啓吾の手首を叩く。
ナイフが地面に落ちる。
啓吾が抵抗しようとするが、千速は腕を捻り上げ、地面へ押さえた。
「動くな」
押村と横溝が駆けつける。
横溝が手錠を取り出した。
「藤崎啓吾、殺人、殺人教唆、証拠隠滅、傷害その他で逮捕だ」
啓吾は地面に伏せたまま、力を失った。
少し離れた場所で、藤崎茜も捜査員に確保された。
千速は立ち上がり、荒い息を整えた。
押村がすぐ隣に来る。
「怪我は」
「ない」
「本当か」
「本当だ」
押村は千速の手を見る。
手の甲が少し赤い。
「啓吾の手首を叩いた時に」
千速は自分の手を見た。
「ああ、これくらい平気だ」
押村は静かに言った。
「平気でも、後で冷やしてほしい」
千速は少しだけ笑った。
「分かったよ」
横溝が啓吾を連行させながら近づく。
「終わった……と言いたいところだが、まだだな」
押村は頷く。
「はい。佐伯隊員の証言が必要です。三年前の事故、藤崎兄妹の関与、新井襲撃の経緯。すべて整理する必要があります」
千速は展望台の先、暗い山道を見た。
ここで三年前の真実が動き始めた。
だが、終わりではない。
新井は傷ついた。
佐伯は黙っていた。
倉木怜央は死んだ。
藤崎茜は復讐に走った。
藤崎啓吾は罪から逃げ続けた。
千速は小さく息を吐く。
「奏斗」
「何だ」
「佐伯と話す」
押村は少しだけ千速を見る。
「一人で?」
「いや」
千速は押村の目を見た。
「一緒に来てくれ」
押村は静かに頷いた。
「分かった」
千速は白バイへ歩いた。
白い車体に、展望台のライトが反射している。
怒りで走らない。
人を守るために走る。
その言葉を、自分の中でもう一度繰り返した。
黒いバイクは止まった。
だが、この事件が本当に終わるには、まだ語られていない罪を聞かなければならない。
三年前のカーブで何があったのか。
そして、白バイ隊員たちが何を背負うのか。
千速はヘルメットを被り、エンジンをかけた。
夜の山道に、白バイの音が静かに響いた。