神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

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第50話 刑事、教習所へ行く

押村奏斗が二輪免許に興味を持ち始めたのは、突然のことだった。

 

きっかけは、萩原千速だった。

 

休日の午後。

 

千速は白バイ隊員としての訓練映像を確認していた。

リビングのテーブルには、交通機動隊の資料と、温くなったコーヒーが置かれている。

 

押村はその隣で、静かに画面を見ていた。

 

映像の中の千速は、白バイを滑らかに倒し、狭いコースを迷いなく抜けていく。

無駄のない動き。

速度よりも、制御の美しさがあった。

 

「すごいな」

 

押村が呟いた。

 

千速は画面から目を離さずに答える。

 

「白バイ隊員なら普通だ」

 

「普通ではないと思う」

 

「褒めても何も出ねぇぞ」

 

「事実を言っただけだ」

 

千速は少しだけ口元を緩めた。

 

押村は画面を見つめたまま言った。

 

「二輪に乗る感覚を、少し知ってみたい」

 

千速の手が止まる。

 

「は?」

 

押村は真面目な顔で続けた。

 

「車とは違う。身体で曲がる。倒す。止める。現場で二輪が関わる事件を見ることは多いが、乗る側の感覚は分かっていない」

 

千速は押村を見る。

 

「それ、興味っていうより捜査目線じゃねぇか」

 

「それもある」

 

「それも?」

 

押村は少しだけ間を置いた。

 

「君が見ている道を、少し知りたいとも思った」

 

千速は一瞬、何も言えなかった。

 

それから顔を逸らす。

 

「……そういうこと急に言うな」

 

「急だったか」

 

「急だよ」

 

押村は真剣に頷いた。

 

「すまない」

 

千速はため息をついた。

 

「で、二輪免許を取る気か?」

 

「はい」

 

「普通二輪?」

 

「まずは普通二輪で考えている」

 

「まずは、って何だよ。大型まで行く気か」

 

「必要なら」

 

「必要ない」

 

千速は即答した。

 

押村は少し首を傾げる。

 

「そうか」

 

「そうだ」

 

千速は腕を組み、押村をじっと見た。

 

「言っとくけど、バイクは甘くねぇぞ」

 

「分かっている」

 

「転ぶ時は転ぶ。車と違って身体がむき出しだ。判断を間違えれば、怪我じゃ済まない」

 

「分かっている」

 

「それでも取るのか」

 

押村は静かに頷いた。

 

「ああ」

 

千速はしばらく押村を見ていた。

 

やがて、少しだけ笑う。

 

「なら、ちゃんと学べ」

 

「はい」

 

「私が教えるわけじゃねぇからな。教習所では教官の言うことを聞け」

 

「分かった」

 

「変に理屈で考えすぎるなよ。身体で覚える部分もある」

 

「努力する」

 

千速は不安そうに押村を見る。

 

「……転ぶなよ」

 

押村は少し柔らかい声で答えた。

 

「気をつける」

 

その数日後。

 

押村は横浜市内にある教習所に入校した。

 

教習所の名前は、港南中央モータースクール。

 

仕事の合間を縫って通うには、職場からも自宅からも比較的行きやすい場所だった。

 

初日。

 

押村は受付で手続きを済ませ、二輪教習の待合室に向かった。

 

そこには、数人の教習生がいた。

 

大学生らしき青年。

会社帰りの男性。

主婦と思われる女性。

そして、押村より少し年上に見える男。

 

男は、やけに落ち着かない様子でスマホを見ていた。

 

押村はその様子を何となく記憶に留めた。

 

刑事としての癖だった。

 

しばらくすると、教官が入ってきた。

 

「本日から二輪教習を担当する、瀬戸です」

 

瀬戸誠司。

 

四十代半ば。

日焼けした肌に、よく通る声。

元白バイ隊員だという噂があるらしく、待合室の教習生たちが少しざわついた。

 

瀬戸は教習生を見渡し、押村の前で一瞬だけ止まった。

 

「押村奏斗さん」

 

「はい」

 

「神奈川県警の方ですね」

 

押村はわずかに眉を動かした。

 

「職業欄を見ましたか」

 

瀬戸は笑った。

 

「ええ。刑事さんが二輪免許とは珍しい」

 

「必要を感じました」

 

「いいことです。二輪は乗ってみないと分からない」

 

瀬戸はそう言って、次の教習生へ視線を移した。

 

だが押村は、その一瞬の間が気になった。

 

瀬戸は、ただ職業を確認しただけではない。

 

何かを探るような目だった。

 

教習は基本から始まった。

 

取り回し。

スタンドの扱い。

乗車姿勢。

発進と停止。

 

押村は決して運動神経が悪いわけではない。

ただ、勉強や書類のように最初から整理して理解する分野とは違い、身体の感覚で掴む作業には少し時間がかかった。

 

瀬戸が横から声をかける。

 

「押村さん、肩に力が入りすぎです」

 

「はい」

 

「刑事さんだからって、バイクを取り調べる必要はありませんよ」

 

周囲の教習生が笑う。

 

押村は真面目に答えた。

 

「取り調べるつもりはありません」

 

瀬戸は一瞬きょとんとし、それから笑った。

 

「真面目ですね」

 

押村は少し困った顔をした。

 

その日の教習を終えた頃には、押村の腕には軽い疲労が残っていた。

 

慣れない筋肉を使ったせいだ。

 

教習所の駐輪場を出る前、押村はふとコースの奥を見た。

 

整備棟の前で、瀬戸教官と一人の男が話している。

 

男は待合室にいた、落ち着きのない様子の教習生だった。

 

声は聞こえない。

 

だが、瀬戸の表情は明らかに険しかった。

 

男が何かを言う。

瀬戸が首を横に振る。

男は舌打ちするように顔を背けた。

 

押村は足を止めた。

 

その時、背後から声がした。

 

「気になりますか?」

 

振り返ると、受付の女性職員が立っていた。

 

「いえ」

 

押村はそう答えたが、視線は自然に二人へ戻った。

 

女性職員は少し困ったように笑った。

 

「あの人、最近よく瀬戸教官と揉めてるんです」

 

「教習生ですか」

 

「はい。真島亮さん。大型二輪の教習生です」

 

「理由は?」

 

「詳しくは分かりません。ただ、瀬戸教官が補習を出したとか、検定を受けさせないとかで」

 

押村は小さく頷いた。

 

「そうですか」

 

その時、瀬戸と真島の会話が終わった。

 

真島亮は荒い足取りで駐車場へ向かい、瀬戸はしばらくその背中を見ていた。

 

押村はその視線の重さを見逃さなかった。

 

翌日。

 

捜査一課で書類を確認していると、横溝重悟が押村の机に近づいてきた。

 

「押村」

 

「はい」

 

「お前、二輪免許取りに行ってるらしいな」

 

押村は顔を上げた。

 

「はい」

 

「千速に聞いた」

 

「そうですか」

 

横溝は腕を組む。

 

「怪我すんなよ」

 

「気をつけます」

 

「お前が二輪に乗るとか、何か変な感じだな」

 

「そうでしょうか」

 

「刑事がバイクに乗る理由なんざ、だいたい碌でもねぇ事件に巻き込まれる前振りだ」

 

押村は真面目に言った。

 

「そうとは限りません」

 

横溝は鼻で笑った。

 

「どうだかな」

 

その予感は、翌週、現実になった。

 

港南中央モータースクールで、事故が起きた。

 

大型二輪教習中の教習生が、急制動の直後に転倒。

 

教習車はコース脇の鉄柱へ衝突し、教習生は搬送先の病院で死亡した。

 

死亡したのは、真島亮。

 

押村が初日に見た、瀬戸教官と揉めていた男だった。

 

最初の報告は、単純な教習中の事故だった。

 

だが押村は、現場写真を見た瞬間に違和感を覚えた。

 

急制動の転倒にしては、バイクの倒れ方が不自然だった。

 

そして、現場に残っていたブレーキ痕。

 

それは、途中で急に乱れていた。

 

押村は資料を手に、静かに呟いた。

 

「事故ではないかもしれません」

 

横溝が目を細める。

 

「何?」

 

押村は顔を上げた。

 

「殺人の可能性があります」

 

港南中央モータースクールの二輪コースは、捜査員と鑑識で封鎖されていた。

 

青いシートの下には、大型二輪の教習車が倒れている。

 

鉄柱には衝突痕。

 

路面には、乱れたブレーキ痕。

 

教習所の職員たちは、不安そうに遠巻きに見ていた。

 

横溝重悟は腕を組み、事故現場を睨んでいる。

 

「教習中の事故に見せかけた殺人、か」

 

押村奏斗はしゃがみ込み、路面を確認していた。

 

「断定はまだです。ただ、不自然です」

 

「どこがだ」

 

押村はブレーキ痕を指した。

 

「急制動の練習なら、前輪と後輪の荷重移動が起きます。多少のふらつきはありますが、ここまで横へ流れるのは不自然です」

 

横溝が眉をひそめる。

 

「お前、もうそんなこと分かるのか」

 

「基礎教習で少し学びました」

 

「教習所通いが役に立つとはな」

 

押村は続ける。

 

「それに、真島さんは大型二輪の教習生です。初心者ではありますが、普通二輪の経験はある。急制動でここまで操作を失うとは考えにくい」

 

鑑識員が報告に来る。

 

「押村警部補。ブレーキ周りに違和感があります」

 

「違和感?」

 

「現場では断定できませんが、前輪ブレーキの油圧系統に何らかの細工があった可能性があります」

 

横溝の目が鋭くなる。

 

「またブレーキかよ」

 

押村も一瞬だけ目を伏せた。

 

前の事件を思い出さずにはいられなかった。

 

倉木怜央のバイク。

黒川直人が仕掛けた制動遅延。

止まろうとして止まれなかった命。

 

だが、今回は違う。

 

同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

押村は鑑識に言った。

 

「ブレーキライン、マスターシリンダー、キャリパー、ブレーキフルードをすべて確認してください。整備記録も押さえます」

 

「了解しました」

 

横溝は周囲を見渡す。

 

「関係者を洗うぞ」

 

押村は頷いた。

 

「はい」

 

死亡した真島亮。

 

三十六歳。

中古車販売会社勤務。

大型二輪免許取得のため、二か月前から教習所に通っていた。

 

教習態度は荒く、教官との衝突が多かった。

 

特に揉めていたのが、瀬戸誠司教官。

 

元白バイ隊員という経歴を持つ、二輪教習の主任教官だった。

 

押村と横溝は、まず瀬戸から事情を聞いた。

 

瀬戸は教官控室で、両手を膝の上に置いて座っていた。

 

顔色は悪い。

 

だが、動揺しすぎている様子はない。

 

横溝が問う。

 

「真島亮さんと揉めていたそうですね」

 

瀬戸は静かに頷いた。

 

「はい」

 

「理由は」

 

「危険運転です」

 

瀬戸の声は低かった。

 

「真島さんは技術に自信がありすぎた。教習中も指示を無視し、無理に車体を倒すことがありました。検定に出せる状態ではないと判断しました」

 

押村が尋ねる。

 

「そのことで口論に?」

 

「何度か」

 

「事故前にも?」

 

瀬戸は一瞬だけ黙った。

 

「はい。昨日、検定を受けさせろと言われました。私は断りました」

 

横溝が鋭く見る。

 

「真島さんは怒った?」

 

「かなり」

 

「あなたを恨んでいた可能性は?」

 

瀬戸は苦い顔をした。

 

「あると思います」

 

押村は静かに問う。

 

「あなたは真島さんを恨んでいましたか」

 

瀬戸は押村を見る。

 

「教官として、危険な教習生を道路へ出したくなかっただけです」

 

「答えになっていません」

 

瀬戸の眉がわずかに動く。

 

押村は続けた。

 

「恨んでいたかどうかを聞いています」

 

瀬戸は少し沈黙した後、答えた。

 

「腹は立っていました」

 

「殺したいほど?」

 

横溝の声が低くなる。

 

瀬戸は強く首を横に振った。

 

「違います」

 

押村は瀬戸を見つめた。

 

その否定は早かった。

 

早すぎた。

 

だが、それだけで犯人とは言えない。

 

押村は話題を変えた。

 

「事故車の整備は誰が担当しましたか」

 

瀬戸は答える。

 

「整備担当の大熊です」

 

「大熊さんは今どこに」

 

「整備棟にいるはずです」

 

押村は横溝と視線を交わした。

 

整備担当の大熊徹は、五十代の無口な男だった。

 

油で汚れた作業着。

太い指。

必要以上のことは話さないタイプに見える。

 

大熊は事故車を見ながら言った。

 

「整備不良じゃない」

 

横溝が眉を上げる。

 

「まだ何も聞いてねぇぞ」

 

大熊は押村を見る。

 

「どうせ整備を疑ってるんだろ」

 

押村は静かに言った。

 

「事故車の整備記録を見せてください」

 

大熊は無言でファイルを出した。

 

記録上、事故車は前日に点検済み。

 

ブレーキフルード交換は一週間前。

 

異常なし。

 

押村は記録を見ながら問う。

 

「事故当日の朝、誰が車両に触れましたか」

 

「俺と瀬戸」

 

「瀬戸教官も?」

 

「二輪教官は始業前に車両確認する」

 

「真島さん自身が触れる機会は?」

 

「教習開始前に跨る程度だ。工具を使える時間はない」

 

横溝が低く言う。

 

「つまり、整備担当か教官なら細工できる」

 

大熊は横溝を睨む。

 

「俺はやってない」

 

押村は大熊の手元を見た。

 

右手の親指に、小さな切り傷がある。

 

「その怪我は?」

 

大熊は手を隠すようにした。

 

「工具で切っただけだ」

 

「いつ」

 

「昨日」

 

「どの作業で」

 

「覚えてない」

 

横溝の目が鋭くなる。

 

「整備士が作業を覚えてないってか」

 

大熊は押し黙った。

 

押村は記録ファイルを閉じた。

 

「大熊さん。真島さんと面識は?」

 

「教習生だからな」

 

「個人的な関係は?」

 

「ない」

 

その答えにも、わずかな硬さがあった。

 

押村はそれを記憶に留めた。

 

次に話を聞いたのは、受付職員の女性だった。

 

名前は江藤由香。

 

押村に初日、真島と瀬戸が揉めていると教えてくれた女性だ。

 

江藤は青ざめた顔で話した。

 

「真島さんは、瀬戸教官だけじゃなく、他の人とも揉めていました」

 

「誰とですか」

 

「大熊さんとも。それから、もう一人の教習生とも」

 

横溝が問う。

 

「教習生?」

 

「はい。桐生圭吾さん。大型二輪の教習生です」

 

押村は名簿を確認する。

 

桐生圭吾。

 

三十四歳。

会社員。

 

真島と同じ時間帯に教習を受けていた。

 

江藤は続けた。

 

「真島さんは、桐生さんに何度も絡んでいました。運転が遅いとか、邪魔だとか」

 

「事故当日、桐生さんは?」

 

「教習所に来ていました。でも、事故後すぐに帰ったみたいです」

 

押村の目がわずかに細くなる。

 

「事故直後に?」

 

「はい。気分が悪くなったと言って」

 

横溝が村上の後任刑事に命じる。

 

「桐生圭吾を呼べ」

 

「はい」

 

押村はもう一つ尋ねた。

 

「江藤さん。事故当日の朝、真島さん宛てに何かありましたか」

 

江藤は少し考えた。

 

「そういえば、封筒が届いていました」

 

「封筒?」

 

「はい。差出人なしで、真島さん宛てに」

 

押村の表情が変わる。

 

「中身は」

 

「分かりません。真島さんがすぐに持っていったので」

 

「封筒の色は?」

 

「白でした」

 

白い封筒。

 

押村は少しだけ違和感を覚えた。

 

前の事件の黒い封筒とは違う。

 

だが、匿名の封筒という手口は妙に引っかかった。

 

「防犯カメラを確認します」

 

「はい」

 

捜査一課に戻った押村は、防犯カメラ映像を確認した。

 

封筒を届けた人物は、帽子とマスクで顔を隠していた。

 

背格好は中肉中背。

 

性別は判然としない。

 

だが歩き方に特徴があった。

 

左足をわずかに引きずっている。

 

横溝が映像を見ながら言った。

 

「大熊か?」

 

押村は首を横に振る。

 

「大熊さんは右足に体重をかける癖があります。この人物は左足を庇っています」

 

「瀬戸は?」

 

「歩行に大きな癖はありません」

 

「桐生はまだ不明か」

 

「はい」

 

その時、鑑識から連絡が入った。

 

事故車の前輪ブレーキに、細工の痕跡が見つかった。

 

ブレーキラインの一部に極細の穴。

 

通常走行ではすぐには異常が出ない。

 

だが急制動で強い圧がかかると、油圧が抜け、制動力が急激に落ちる。

 

横溝は低く言った。

 

「完全に殺しに来てるな」

 

押村は静かに頷いた。

 

「はい」

 

さらに、ブレーキラインに付着していた微量の接着剤成分。

 

応急的に穴を塞ぎ、一定の圧力で剥がれるようにしたものだった。

 

「技術がある人間の犯行です」

 

横溝が言う。

 

「整備士の大熊」

 

押村は答える。

 

「または、二輪構造に詳しい人物」

 

「瀬戸も元白バイなら詳しい」

 

「はい」

 

「桐生は?」

 

「まだ分かりません」

 

そこへ、桐生圭吾が任意同行に応じたという連絡が入った。

 

桐生は痩せた男だった。

 

眼鏡をかけ、終始落ち着かない様子を見せている。

 

取調室で、横溝が問う。

 

「真島亮さんと揉めていたな」

 

桐生はすぐに頷いた。

 

「はい。でも、僕は殺してません」

 

「まだ殺したとは言ってねぇ」

 

桐生は顔を青くする。

 

押村が静かに聞く。

 

「事故直後、なぜ帰ったのですか」

 

「怖くなって……」

 

「真島さんが死ぬ前に?」

 

「事故を見て、無理だと思って。吐き気がして」

 

「封筒について知っていますか」

 

桐生の目が一瞬だけ動いた。

 

押村は見逃さなかった。

 

「知っていますね」

 

桐生は唇を噛んだ。

 

「中身は知らないです」

 

「封筒の存在は知っていた」

 

「はい」

 

「なぜ」

 

桐生は震える声で言った。

 

「真島さんが見せてきたんです」

 

「何を」

 

「写真です」

 

横溝が身を乗り出す。

 

「写真?」

 

桐生は頷いた。

 

「真島さんと、瀬戸教官が一緒に写っている古い写真でした」

 

押村の眉が動く。

 

「古い写真?」

 

「はい。十年以上前のものだと思います。真島さんが言っていました。“瀬戸は俺を落とせない。昔のことをバラされたくなければな”って」

 

横溝が低く言う。

 

「脅迫か」

 

押村は静かに問う。

 

「昔のこととは?」

 

桐生は首を横に振る。

 

「そこまでは知りません」

 

瀬戸誠司と真島亮。

 

二人には、教習所で出会った以上の関係がある。

 

押村はそう確信した。

 

そしてその夜。

 

押村の携帯に、非通知の電話が入った。

 

出ると、相手は名乗らなかった。

 

低く抑えた男の声。

 

『港南中央モータースクールの件から手を引け』

 

押村の目が鋭くなる。

 

「誰ですか」

 

『あの事故は、県警が触るには少し面倒だ』

 

「どういう意味ですか」

 

短い沈黙の後、男は言った。

 

『警察庁警備局が関心を持っている』

 

通話はそこで切れた。

 

押村はスマホを見つめた。

 

警察庁警備局。

 

通称、ゼロ。

 

教習所で起きた殺人事件。

 

その背後に、何があるのか。

 

押村は静かに立ち上がった。

 

事件は、想像より深い場所へ繋がり始めていた。

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