神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

51 / 52
第51話 封筒の中の過去

押村奏斗は、非通知の電話について横溝重悟に報告した。

 

横溝は顔をしかめた。

 

「警察庁警備局だと?」

 

「はい」

 

「ゼロが、教習所の事故に関心を持ってるってか」

 

「相手が本当に警備局関係者かは不明です」

 

「だが、わざわざその名前を出した」

 

横溝は腕を組む。

 

「厄介だな」

 

押村は頷いた。

 

「はい。ただ、事件から手を引く理由にはなりません」

 

横溝は押村を見る。

 

「当然だ」

 

その時、部屋の外から声がした。

 

「その件、少し扱いに気をつけてもらえますか」

 

入口に立っていたのは、見慣れない男だった。

 

三十代前半。

スーツ姿。

穏やかな顔立ちだが、目だけは読めない。

 

男は警察手帳を見せた。

 

「警察庁警備局警備企画課、古谷です」

 

横溝の表情が硬くなる。

 

「警備局が県警の捜査一課に何の用だ」

 

古谷は微笑む。

 

「用というほどではありません。情報共有です」

 

「情報共有にしては、ずいぶん上から来るな」

 

「そう見えたなら申し訳ありません」

 

押村は古谷を観察した。

 

丁寧な口調。

無駄のない姿勢。

隠していることがある人間の目。

 

「古谷さん」

 

「はい」

 

「真島亮さんと警備局に関係があるのですか」

 

古谷は一瞬だけ沈黙した。

 

「直接の関係はありません」

 

「では、瀬戸誠司さんは?」

 

古谷は答えない。

 

横溝が低く言う。

 

「おい」

 

古谷は小さく息を吐いた。

 

「瀬戸誠司さんは、過去にある捜査協力者と接点がありました」

 

押村が問う。

 

「捜査協力者?」

 

「詳細は言えません」

 

横溝が机を叩いた。

 

「殺人事件だぞ。言えませんで済むと思ってんのか」

 

古谷の表情は崩れない。

 

「だから来ました。事件捜査を妨害するつもりはありません。ただし、過去の一部には機密が絡みます」

 

押村は静かに言った。

 

「なら、事件に必要な範囲だけ話してください」

 

古谷は押村を見た。

 

「十年前、瀬戸誠司さんは警視庁の白バイ隊員でした」

 

「元白バイという噂は本当ですか」

 

「はい」

 

古谷は続ける。

 

「当時、瀬戸さんはある不審車両の追跡中に事故を起こしました。公式には単独の追跡事故として処理されています」

 

横溝が目を細める。

 

「公式には?」

 

古谷は少しだけ声を落とした。

 

「追跡していた相手が、公安案件に関係する人物だった可能性があります」

 

押村は黙って聞いた。

 

「真島亮さんは、その事故現場にいた人物の一人です」

 

「目撃者ですか」

 

「そうです」

 

押村はすぐに繋げた。

 

「封筒の写真は、その十年前の事故に関するもの」

 

古谷は否定しなかった。

 

横溝が言う。

 

「瀬戸は真島に脅されていた。十年前の事故をバラすと」

 

古谷は答える。

 

「その可能性があります」

 

「それで瀬戸が真島を殺した?」

 

「私は断定しません」

 

押村は古谷を見つめた。

 

「あなたは、瀬戸さんを守りたいのですか」

 

古谷の目がわずかに動いた。

 

「違います」

 

「では、何を守りたいのですか」

 

古谷は微笑みを消した。

 

「今は言えません」

 

横溝が舌打ちする。

 

「面倒くせぇな、ゼロってのは」

 

古谷は静かに頭を下げた。

 

「申し訳ありません」

 

押村は言った。

 

「捜査資料の閲覧は認めません」

 

古谷は少しだけ笑う。

 

「もちろんです。県警の事件ですから」

 

言葉だけは丁寧だった。

 

だが、押村には分かる。

 

古谷はすでにかなりの情報を持っている。

 

それでも、こちらへ小出しにしている。

 

利用するつもりだ。

 

押村はそれを不快に思いながらも、表情には出さなかった。

 

瀬戸誠司への再聴取が行われた。

 

押村は机の上に、十年前の事故現場写真を置いた。

 

写真には、若い瀬戸と、若い真島が写っている。

 

瀬戸の表情が変わった。

 

「これをどこで」

 

押村は答えない。

 

「真島さんは、この写真であなたを脅していましたね」

 

瀬戸は黙った。

 

横溝が低く言う。

 

「十年前、何があった」

 

瀬戸は両手を握りしめた。

 

「私は白バイ隊員でした」

 

「知ってる」

 

「不審車両を追跡しました。相手は逃走し、山道へ入った。私は追った。しかし途中で一般車が入り、私は追跡を中止しようとした」

 

押村は静かに聞く。

 

「その後は?」

 

瀬戸は声を震わせた。

 

「相手の車が事故を起こしました。運転手は死亡。助手席にいた男は逃走。その場に、偶然居合わせたのが真島です」

 

横溝が問う。

 

「真島は何を見た」

 

「私が追跡を中止する直前まで、かなり強引に追っていたところです」

 

「違法追跡か」

 

瀬戸は顔を伏せた。

 

「当時の私は、功を焦っていました。結果を出したかった」

 

押村は問う。

 

「その事故は隠蔽されたのですか」

 

瀬戸は首を横に振った。

 

「いえ。処分は受けました。ただ、追跡対象の詳細は伏せられた。警備局の案件だと後で知りました」

 

横溝が目を細める。

 

「それを真島が最近知った?」

 

「はい。どこからか情報を得て、私を脅してきた。大型二輪の検定を通せと」

 

「あなたは断った」

 

「はい」

 

「だから殺した?」

 

瀬戸は強く否定した。

 

「違います!」

 

押村は瀬戸の目を見た。

 

「では、真島さんを殺したのは誰だと思いますか」

 

瀬戸は唇を震わせた。

 

「分かりません。ただ……」

 

「ただ?」

 

「大熊が、真島を憎んでいました」

 

横溝が顔を上げる。

 

「整備担当の大熊か」

 

瀬戸は頷く。

 

「真島は以前、大熊の息子を事故で死なせています」

 

押村の目が鋭くなった。

 

「どういうことですか」

 

瀬戸は苦い顔で言った。

 

「五年前、真島は中古車販売会社で無理な改造バイクを売っていました。そのバイクに乗った若者が事故死した。若者は、大熊の息子でした」

 

横溝が低く唸る。

 

「復讐の動機か」

 

押村は大熊徹の右手の傷を思い出した。

 

整備技術。

真島への恨み。

事故車に触れられる立場。

 

条件は揃っている。

 

だが、揃いすぎている。

 

押村は静かに言った。

 

「大熊さんをもう一度聴取します」

 

大熊徹は、最初から覚悟したような顔で取調室に入ってきた。

 

横溝が資料を置く。

 

「大熊。真島亮は、お前の息子の死に関わっていたな」

 

大熊はゆっくり頷いた。

 

「はい」

 

「なぜ黙っていた」

 

「聞かれなかった」

 

横溝の目が鋭くなる。

 

「ふざけるな」

 

大熊は押村を見る。

 

「真島は、息子に危険な改造バイクを売った。息子は死んだ。でも真島は法の隙間を抜けた」

 

押村は静かに問う。

 

「だから殺したのですか」

 

大熊は答えない。

 

押村は続けた。

 

「あなたならブレーキに細工できる。事故車にも触れられた。動機もある」

 

大熊は低く笑った。

 

「なら、俺で決まりだな」

 

横溝が目を細める。

 

「認めるのか」

 

大熊は押村から視線を逸らさない。

 

「俺がやったと言えば、終わるんだろ」

 

押村はしばらく大熊を見ていた。

 

そして言った。

 

「いいえ」

 

大熊の目が動く。

 

「あなたは犯人ではない」

 

横溝が押村を見る。

 

「押村?」

 

押村は大熊の右手を見た。

 

「あなたの右手の傷は、ブレーキ細工の時についたものではありません。工具の切創にしては浅すぎる。むしろ、紙や薄い金属で切った傷に近い」

 

大熊は黙った。

 

押村は続ける。

 

「あなたは封筒を開けましたね」

 

大熊の表情が変わる。

 

「真島さん宛ての封筒を、事前に見た」

 

大熊は唇を噛んだ。

 

横溝が低く言う。

 

「中身は何だった」

 

大熊は長い沈黙の後、答えた。

 

「写真と、紙が一枚」

 

「紙?」

 

「“真島を裁く機会を与える”と書いてあった」

 

押村の目が鋭くなる。

 

「誰が送った」

 

「分からない」

 

「あなたはそれを見て、真島を殺そうとした?」

 

大熊は拳を握った。

 

「思った。何度も思った。でも、できなかった」

 

「なぜ」

 

大熊の声が震える。

 

「息子が……そんなこと望まないと思ったからだ」

 

取調室が静まった。

 

押村は低く言った。

 

「では、あなたは何をしたのですか」

 

大熊は答えた。

 

「事故車のブレーキに、細工の痕跡を見つけた」

 

横溝が身を乗り出す。

 

「事故前にか?」

 

「はい。教習前の点検で、違和感があった。でも、その時は確証が持てなかった。真島を殺したい気持ちが自分にあったから、見間違いかもしれないと思った」

 

押村は表情を変えずに聞いた。

 

「なぜ報告しなかった」

 

大熊は顔を歪めた。

 

「報告すれば、自分が疑われると思った。息子の件もある。だから、確かめようとして……その間に事故が起きた」

 

横溝が低く吐く。

 

「また黙った結果か」

 

押村は目を閉じた。

 

この事件もまた、沈黙が重なっていた。

 

だが犯人は、大熊ではない。

 

真島を憎む大熊に、封筒を送り、殺意を誘導した人物がいる。

 

そして、ブレーキに細工できる人物。

 

押村はふと気づいた。

 

「瀬戸さんでも、大熊さんでもない」

 

横溝が問う。

 

「誰だ」

 

押村は資料を見た。

 

「桐生圭吾です」

 

桐生圭吾。

 

大型二輪教習生。

真島に絡まれていた被害者のような男。

 

だが、彼には一つ隠していた経歴があった。

 

押村は古谷から得た断片情報と、県警の照会結果を組み合わせた。

 

桐生は会社員ではある。

 

しかし以前、バイク用品メーカーの開発部に勤務していた。

 

油圧ブレーキのパーツ設計に関わっていた技術者だった。

 

横溝が資料を睨む。

 

「整備士じゃなくても、細工は可能か」

 

押村は頷く。

 

「はい。むしろ、事故に見せかけるには十分な知識があります」

 

「動機は?」

 

押村は静かに言った。

 

「十年前の事故で死亡した運転手の弟です」

 

横溝の目が変わった。

 

「何?」

 

「十年前、瀬戸さんが追跡した不審車両。その運転手の弟が、桐生圭吾でした」

 

「つまり、桐生は瀬戸を恨んでいた」

 

「はい。ただし、殺されたのは真島さんです」

 

「なぜ真島を殺した」

 

押村は低く答えた。

 

「瀬戸を壊すためです」

 

桐生は、十年前の事故で兄を失った。

 

兄は公安案件に関係していた可能性がある。

詳細は伏せられ、真相は曖昧なまま終わった。

 

その現場を目撃していた真島は、瀬戸を脅迫していた。

 

桐生はそれを利用した。

 

真島を殺し、瀬戸に疑いを向ける。

同時に、大熊にも封筒を送り、真島への復讐心を煽る。

 

瀬戸にも、大熊にも、動機があるように見せた。

 

「そして警備局の名前を出して、県警の捜査を揺さぶった」

 

横溝が低く言った。

 

「非通知の電話は桐生か」

 

押村は頷いた。

 

「可能性が高いです」

 

「証拠は」

 

押村は静かに言った。

 

「これから取ります」

 

その夜。

 

押村は教習所へ向かった。

 

理由は、桐生が忘れ物を取りに来るという連絡があったからだ。

 

だが押村は、それが逃亡前の証拠回収だと考えていた。

 

教習所の整備棟。

 

薄暗い建物の中で、桐生圭吾が工具箱を開けていた。

 

押村は入口に立った。

 

「何を探していますか」

 

桐生の手が止まる。

 

「押村警部補……」

 

押村は静かに歩み寄る。

 

「事故車に細工した工具ですか。それとも、封筒を作った証拠ですか」

 

桐生は顔を強張らせた。

 

「何の話ですか」

 

「あなたは真島亮さんを殺害した。瀬戸誠司さんと大熊徹さんに罪を向けるために」

 

桐生は後ずさる。

 

「証拠はあるんですか」

 

押村は答えた。

 

「防犯カメラの人物は、左足を庇っていました。あなたは十年前、兄の事故直後に現場で転倒し、左足に後遺症が残っていますね」

 

桐生の顔が変わる。

 

押村は続ける。

 

「ブレーキラインの細工に使われた微細工具。あなたの勤務していたメーカーで扱っていた試作用工具と一致しました」

 

桐生は黙る。

 

「そして、あなたは今日、その工具を回収しに来た」

 

押村が視線を落とす。

 

桐生の手元には、小さな専用工具が握られていた。

 

桐生は笑った。

 

「全部、あいつらのせいですよ」

 

押村は動かない。

 

桐生は続ける。

 

「兄は死んだ。警察は何も話さなかった。瀬戸は処分を受けただけで、また人に運転を教えている。真島はその事故をネタに金を取ろうとしていた。大熊は真島を憎んでいた」

 

「だから、全員を利用した」

 

「全員、裁かれるべきだった」

 

押村の声が低くなる。

 

「あなたが裁く権利はありません」

 

桐生の目が冷たくなる。

 

「警察が裁かなかったからだ」

 

「それでも、人を殺していい理由にはならない」

 

桐生は工具を投げ捨て、出口へ走った。

 

だが外には横溝たちが待っていた。

 

「桐生圭吾」

 

横溝が手錠を構える。

 

「殺人容疑で逮捕する」

 

桐生は抵抗しなかった。

 

ただ、押村を見て言った。

 

「警察庁警備局に聞いてみろ。十年前、兄が何を運んでいたのかを」

 

押村は何も答えなかった。

 

桐生は連行されていく。

 

教習所の夜は静かだった。

 

だが、事件は終わっていない。

 

殺人事件としては解決した。

 

しかし、十年前の事故。

 

そして警察庁警備局が隠している何か。

 

それは、まだ闇の中にあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。