神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

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第70話 旧物流倉庫

千速が挙げた旧物流倉庫は、当たりだった。

 

表向きは廃業済み。

 

だが夜間になると、数台のバイクが出入りしていた形跡があった。

 

防犯カメラは壊されていたが、近隣のコンビニのカメラに、襲撃に使われた大型二輪と特徴の一致する車体が映っていた。

 

合同捜査は一気に進んだ。

 

公安は内部突入を担当。

神奈川県警捜査一課は外周封鎖。

第三交通機動隊は逃走二輪の追跡と道路封鎖。

 

奏斗は現場指揮補佐として、榊原の隣にいた。

 

旧物流倉庫の周囲は、夜の湿気に包まれている。

 

遠くに千速の白バイが見えた。

 

奏斗は見ないようにした。

 

だが、見ないようにするほど、意識が向く。

 

榊原が低く言った。

 

「見るな」

 

奏斗は前を向いた。

 

「はい」

 

「今日の君は後方に徹しろ」

 

「了解」

 

「萩原警部補が何をしても、勝手に動くな」

 

奏斗は返事を一瞬遅らせた。

 

「了解しました」

 

榊原はその遅れを見逃さなかったが、今は何も言わなかった。

 

作戦開始。

 

公安部員が倉庫へ接近する。

 

同時に、横溝の部隊が裏口を押さえる。

 

千速の声が無線に入る。

 

『第三交機、北側道路封鎖完了』

 

榊原が合図を出す。

 

突入。

 

倉庫内から怒号が上がった。

 

数秒後、エンジン音。

 

大型バイクが一台、倉庫の側面シャッターを突き破るように飛び出した。

 

「逃走車両!」

 

千速の白バイが即座に動いた。

 

サイレンが夜を裂く。

 

奏斗はモニターで位置を追う。

 

逃走バイクは北側道路へ向かう。

 

そこは千速が封鎖している。

 

だが、奏斗は違和感を覚えた。

 

「速すぎる」

 

榊原が見る。

 

「何?」

 

「逃走経路が単純すぎます。囮です」

 

その直後、倉庫の反対側で爆発音がした。

 

小規模な爆破。

 

煙が上がる。

 

別のバイクが二台、煙に紛れて南側へ飛び出した。

 

本命はそちらだった。

 

榊原が無線で指示する。

 

「南側、二台逃走!」

 

横溝が怒鳴る。

 

『こっちで押さえる!』

 

だが、そのうち一台が横溝の封鎖を抜けた。

 

速度が異常に速い。

 

奏斗は地図を見る。

 

逃走先には、工事中の高架道路がある。

 

未舗装部分が多く、白バイでも危険だ。

 

千速の声が入る。

 

『本命車両を追う。南側へ回る』

 

奏斗は反射的に無線を取った。

 

「萩原警部補、南側高架は路面状況が悪い。追跡は控えてください」

 

千速が返す。

 

『葛城か』

 

「はい」

 

『そいつに端末があるんだろ』

 

「可能性は高いですが、危険です」

 

『危険なのは知ってる』

 

「千速――」

 

言ってしまった。

 

無線が一瞬静まり返った。

 

榊原が奏斗を見る。

 

横溝の声も止まる。

 

千速も黙った。

 

奏斗はすぐに言い直す。

 

「……萩原警部補。無理な追跡は避けてください」

 

千速は少し間を置いて答えた。

 

『了解』

 

だが、もう遅かった。

 

今の一言は、通信記録に残った。

 

葛城怜司が、萩原千速を「千速」と呼んだ。

 

それは業務上ありえない呼称だった。

 

榊原の顔は厳しかった。

 

「葛城」

 

「申し訳ありません」

 

「後で話す」

 

奏斗は黙って頷いた。

 

しかし、今は作戦中だ。

 

千速は逃走バイクを追っていた。

 

奏斗はモニターに目を戻す。

 

逃走バイクは高架下へ入り、工事用の仮設路へ向かっている。

 

「まずい」

 

榊原が問う。

 

「何だ」

 

「仮設路の先に行き止まりがあります。犯人は知らない可能性がある」

 

「なら止まるだけだ」

 

奏斗は首を横に振る。

 

「速度を落とせなければ、転落します」

 

千速の白バイが追っている。

 

犯人が転落すれば、千速も巻き込まれる可能性がある。

 

奏斗は車両から飛び出した。

 

榊原が怒鳴る。

 

「葛城!」

 

だが、奏斗は止まらなかった。

 

近くにあった公安車両に乗り込み、高架下へ向かう。

 

完全な命令違反だった。

 

 

高架下は暗く、工事灯だけがちらついていた。

 

逃走バイクは前方で揺れている。

 

その後ろに千速の白バイ。

 

奏斗は車を降り、仮設路の合流地点へ走った。

 

そこには工事用の可動柵があった。

 

この柵を倒せば、犯人の進路を塞げる。

 

だが、タイミングを誤れば千速も危ない。

 

奏斗は無線を取る。

 

「萩原警部補、十秒後に左へ避けてください」

 

千速の声。

 

『お前、現場にいるのか』

 

「左へ」

 

『答えろ』

 

「千速!」

 

また呼んだ。

 

今度は、はっきりと。

 

「左へ避けろ!」

 

千速は一瞬も迷わなかった。

 

白バイが左へ滑る。

 

奏斗は柵を倒した。

 

逃走バイクは急ブレーキ。

 

車体が横滑りし、柵に接触して倒れた。

 

犯人が転がる。

 

奏斗は走り寄り、男を押さえた。

 

その直後、千速の白バイが止まる。

 

千速はヘルメットを脱ぎ、奏斗へ歩いてきた。

 

「無茶するなって言ったの、どこの誰だったかな」

 

奏斗は犯人を拘束しながら答えた。

 

「状況上、必要だった」

 

「お前、本当に変わらねぇな」

 

その声は小さかった。

 

だが、近くの公安部員には聞こえたかもしれない。

 

奏斗は顔を上げる。

 

「千速、今は」

 

「分かってる」

 

千速はすぐに仕事の顔へ戻った。

 

「被疑者確保。端末の確認を」

 

公安部員が駆け寄る。

 

奪われた暗号化端末は、犯人のバッグから発見された。

 

事件は解決した。

 

だが、奏斗の立場は決定的に悪くなった。

 

 

その夜。

 

公安部。

 

奏斗は榊原の前に立っていた。

 

榊原の顔は冷たかった。

 

「二度、呼んだな」

 

奏斗は答えない。

 

「萩原警部補を名前で呼んだ。通信記録にも残った。さらに命令を無視して現場へ出た」

 

「結果として対象は確保しました」

 

「公安では、結果だけで正当化できない」

 

榊原の声は重い。

 

「この件は上に上がった」

 

奏斗は静かに息を吐いた。

 

「公安部長に、ですか」

 

「そうだ」

 

榊原はしばらく沈黙した後、低く言った。

 

「明日、部長が君に直接会う」

 

奏斗は頷いた。

 

「承知しました」

 

榊原は言った。

 

「覚悟しておけ」

 

奏斗は何も言わなかった。

 

千速を守るために動いた。

 

だが、その結果、自分は公安の規律を破った。

 

分かっていた。

 

いずれこうなると。

 

それでも、あの瞬間、止まれなかった。

 

千速が危ないと思った瞬間、葛城怜司は消えた。

 

そこにいたのは、押村奏斗だった。

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