千速が挙げた旧物流倉庫は、当たりだった。
表向きは廃業済み。
だが夜間になると、数台のバイクが出入りしていた形跡があった。
防犯カメラは壊されていたが、近隣のコンビニのカメラに、襲撃に使われた大型二輪と特徴の一致する車体が映っていた。
合同捜査は一気に進んだ。
公安は内部突入を担当。
神奈川県警捜査一課は外周封鎖。
第三交通機動隊は逃走二輪の追跡と道路封鎖。
奏斗は現場指揮補佐として、榊原の隣にいた。
旧物流倉庫の周囲は、夜の湿気に包まれている。
遠くに千速の白バイが見えた。
奏斗は見ないようにした。
だが、見ないようにするほど、意識が向く。
榊原が低く言った。
「見るな」
奏斗は前を向いた。
「はい」
「今日の君は後方に徹しろ」
「了解」
「萩原警部補が何をしても、勝手に動くな」
奏斗は返事を一瞬遅らせた。
「了解しました」
榊原はその遅れを見逃さなかったが、今は何も言わなかった。
作戦開始。
公安部員が倉庫へ接近する。
同時に、横溝の部隊が裏口を押さえる。
千速の声が無線に入る。
『第三交機、北側道路封鎖完了』
榊原が合図を出す。
突入。
倉庫内から怒号が上がった。
数秒後、エンジン音。
大型バイクが一台、倉庫の側面シャッターを突き破るように飛び出した。
「逃走車両!」
千速の白バイが即座に動いた。
サイレンが夜を裂く。
奏斗はモニターで位置を追う。
逃走バイクは北側道路へ向かう。
そこは千速が封鎖している。
だが、奏斗は違和感を覚えた。
「速すぎる」
榊原が見る。
「何?」
「逃走経路が単純すぎます。囮です」
その直後、倉庫の反対側で爆発音がした。
小規模な爆破。
煙が上がる。
別のバイクが二台、煙に紛れて南側へ飛び出した。
本命はそちらだった。
榊原が無線で指示する。
「南側、二台逃走!」
横溝が怒鳴る。
『こっちで押さえる!』
だが、そのうち一台が横溝の封鎖を抜けた。
速度が異常に速い。
奏斗は地図を見る。
逃走先には、工事中の高架道路がある。
未舗装部分が多く、白バイでも危険だ。
千速の声が入る。
『本命車両を追う。南側へ回る』
奏斗は反射的に無線を取った。
「萩原警部補、南側高架は路面状況が悪い。追跡は控えてください」
千速が返す。
『葛城か』
「はい」
『そいつに端末があるんだろ』
「可能性は高いですが、危険です」
『危険なのは知ってる』
「千速――」
言ってしまった。
無線が一瞬静まり返った。
榊原が奏斗を見る。
横溝の声も止まる。
千速も黙った。
奏斗はすぐに言い直す。
「……萩原警部補。無理な追跡は避けてください」
千速は少し間を置いて答えた。
『了解』
だが、もう遅かった。
今の一言は、通信記録に残った。
葛城怜司が、萩原千速を「千速」と呼んだ。
それは業務上ありえない呼称だった。
榊原の顔は厳しかった。
「葛城」
「申し訳ありません」
「後で話す」
奏斗は黙って頷いた。
しかし、今は作戦中だ。
千速は逃走バイクを追っていた。
奏斗はモニターに目を戻す。
逃走バイクは高架下へ入り、工事用の仮設路へ向かっている。
「まずい」
榊原が問う。
「何だ」
「仮設路の先に行き止まりがあります。犯人は知らない可能性がある」
「なら止まるだけだ」
奏斗は首を横に振る。
「速度を落とせなければ、転落します」
千速の白バイが追っている。
犯人が転落すれば、千速も巻き込まれる可能性がある。
奏斗は車両から飛び出した。
榊原が怒鳴る。
「葛城!」
だが、奏斗は止まらなかった。
近くにあった公安車両に乗り込み、高架下へ向かう。
完全な命令違反だった。
⸻
高架下は暗く、工事灯だけがちらついていた。
逃走バイクは前方で揺れている。
その後ろに千速の白バイ。
奏斗は車を降り、仮設路の合流地点へ走った。
そこには工事用の可動柵があった。
この柵を倒せば、犯人の進路を塞げる。
だが、タイミングを誤れば千速も危ない。
奏斗は無線を取る。
「萩原警部補、十秒後に左へ避けてください」
千速の声。
『お前、現場にいるのか』
「左へ」
『答えろ』
「千速!」
また呼んだ。
今度は、はっきりと。
「左へ避けろ!」
千速は一瞬も迷わなかった。
白バイが左へ滑る。
奏斗は柵を倒した。
逃走バイクは急ブレーキ。
車体が横滑りし、柵に接触して倒れた。
犯人が転がる。
奏斗は走り寄り、男を押さえた。
その直後、千速の白バイが止まる。
千速はヘルメットを脱ぎ、奏斗へ歩いてきた。
「無茶するなって言ったの、どこの誰だったかな」
奏斗は犯人を拘束しながら答えた。
「状況上、必要だった」
「お前、本当に変わらねぇな」
その声は小さかった。
だが、近くの公安部員には聞こえたかもしれない。
奏斗は顔を上げる。
「千速、今は」
「分かってる」
千速はすぐに仕事の顔へ戻った。
「被疑者確保。端末の確認を」
公安部員が駆け寄る。
奪われた暗号化端末は、犯人のバッグから発見された。
事件は解決した。
だが、奏斗の立場は決定的に悪くなった。
⸻
その夜。
公安部。
奏斗は榊原の前に立っていた。
榊原の顔は冷たかった。
「二度、呼んだな」
奏斗は答えない。
「萩原警部補を名前で呼んだ。通信記録にも残った。さらに命令を無視して現場へ出た」
「結果として対象は確保しました」
「公安では、結果だけで正当化できない」
榊原の声は重い。
「この件は上に上がった」
奏斗は静かに息を吐いた。
「公安部長に、ですか」
「そうだ」
榊原はしばらく沈黙した後、低く言った。
「明日、部長が君に直接会う」
奏斗は頷いた。
「承知しました」
榊原は言った。
「覚悟しておけ」
奏斗は何も言わなかった。
千速を守るために動いた。
だが、その結果、自分は公安の規律を破った。
分かっていた。
いずれこうなると。
それでも、あの瞬間、止まれなかった。
千速が危ないと思った瞬間、葛城怜司は消えた。
そこにいたのは、押村奏斗だった。