神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

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第73話 復帰祝いと新しい部屋

押村奏斗が捜査一課に戻って、三日が経った。

 

戻った、と言っても、すべてが元通りになったわけではない。

 

死亡扱いの取消。

警察庁主導の保護下にあったという説明。

一定期間の監察。

公安とゼロに関わる記録の大部分は非開示。

 

書類上は整えられても、人の感情までは整えられない。

 

捜査一課の空気も、最初はぎこちなかった。

 

「押村警部補」と呼んでいいのか。

「おかえり」と言っていいのか。

何を聞いていいのか。

何を聞いてはいけないのか。

 

刑事たちは、それぞれ戸惑っていた。

 

だが、横溝重悟だけは初日から容赦がなかった。

 

「押村、これ片付けろ」

 

「押村、報告書を見直せ」

 

「押村、三森の資料確認しろ」

 

「押村、死んでた分の遅れを取り戻せ」

 

そして極めつけに、三森沙月が泣きながら怒った翌日。

 

横溝は突然、刑事部屋の真ん中で言った。

 

「よし。押村の復帰祝いをやる」

 

奏斗は書類から顔を上げた。

 

「必要ありません」

 

横溝は即座に睨んだ。

 

「お前に決定権はねぇ」

 

「しかし」

 

「死んだと思われた部下が生きて戻ったんだ。飲む理由としては十分だろ」

 

三森が少し赤い目で頷く。

 

「私も賛成です」

 

奏斗は困ったように三森を見る。

 

「三森さんまで」

 

「押村警部補には怒っています。でも、復帰祝いはします」

 

「怒っているのに?」

 

「怒っているからです」

 

奏斗は理解できず、少し黙った。

 

横溝が鼻で笑う。

 

「諦めろ。今夜だ」

 

「今夜ですか」

 

「ああ。千速にも声をかけてある」

 

奏斗の手が止まった。

 

「千速にも?」

 

「当然だろ。あいつが来なきゃ始まらねぇ」

 

三森が横から小さく言う。

 

「萩原警部補、すごく怖い顔で『行く』って言ってました」

 

奏斗は静かに息を吐いた。

 

復帰祝い。

 

その言葉の響きは温かい。

 

だが、今の自分にはまだ、祝いを受け取る資格があるのか分からなかった。

 

それでも、横溝も三森も、千速も。

 

怒りながら、受け入れようとしてくれている。

 

奏斗は小さく頷いた。

 

「分かりました」

 

横溝は満足げに言う。

 

「よし。じゃあ今日は定時で切り上げろ」

 

「それは難しいのでは」

 

「俺がいいって言ってんだ」

 

「はい」

 

「敬語が硬ぇ」

 

「……分かった」

 

三森が少しだけ笑った。

 

その笑顔を見て、奏斗は胸の奥が痛んだ。

 

泣かせた。

 

怒らせた。

 

傷つけた。

 

それでも、こうして笑ってくれる。

 

だからこそ、戻ってきたからには逃げられないと思った。

 

 

夜。

 

復帰祝いの店は、以前から捜査一課がよく使っていた居酒屋だった。

 

ただし、今回は小さめの個室が取られていた。

 

騒ぎすぎないように。

 

それでも、扉を開けた瞬間、奏斗は少し圧倒された。

 

横溝。

三森。

捜査一課の面々。

数人の交通部の隊員。

そして、萩原千速。

 

千速は奥の席に座っていた。

 

仕事帰りなのか、白バイ隊員の制服ではなく、淡い色のニットに長めのスカート、上から黒のジャケットを羽織っている。

 

以前より少し柔らかい服装。

 

だが、目だけは鋭い。

 

奏斗が入ると、千速は静かに言った。

 

「遅い」

 

奏斗は時計を見る。

 

「集合時刻の三分前だ」

 

「私より遅い」

 

「そういう基準か」

 

「そういう基準だ」

 

横溝が大きな声で割って入った。

 

「始めるぞ。主役が来た」

 

奏斗はすぐに言った。

 

「主役ではありません」

 

「今日は主役だ。黙って座れ」

 

「はい」

 

「だから硬ぇ」

 

千速が呆れたように笑った。

 

「重悟、今日はそれ何回言う気だ」

 

「押村が硬い返事するたびに言う」

 

「一晩中になるぞ」

 

三森が小さく吹き出した。

 

場が少し和む。

 

奏斗は千速の隣ではなく、斜め向かいに座らされた。

 

その配置にも横溝の意図を感じた。

 

近すぎず、遠すぎず。

 

千速が怒りすぎたら止められる距離。

 

奏斗が逃げようとしたら捕まえられる距離。

 

乾杯のグラスが配られる。

 

横溝が立ち上がった。

 

「えー、押村」

 

「はい」

 

「お前には言いたいことが山ほどある」

 

「はい」

 

「勝手に死んだことになりやがって、勝手に公安に行って、勝手に戻ってきやがった。正直、腹は立ってる」

 

個室の空気が少し静かになる。

 

横溝は続けた。

 

「だが、生きて戻った。それだけは、まあ……よかった」

 

奏斗は何も言えなかった。

 

横溝は照れ隠しのように咳払いをする。

 

「だから今日は復帰祝いだ。明日からまた死ぬほど働け」

 

三森がすかさず言う。

 

「死ぬほどは駄目です」

 

横溝が顔をしかめる。

 

「言い方だ」

 

千速が低く言う。

 

「冗談でも死ぬって言うな」

 

一瞬、横溝が黙った。

 

「……悪い」

 

千速は頷く。

 

奏斗はそのやり取りを見て、胸が痛くなった。

 

自分のしたことは、こういう何気ない言葉にも影を落としている。

 

乾杯が始まった。

 

「押村の復帰に」

 

横溝がグラスを掲げる。

 

全員が続く。

 

「乾杯」

 

グラスが重なる音がした。

 

奏斗はグラスを持ったまま、小さく頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

三森がすぐ言う。

 

「今日はちゃんと食べてください。押村警部補、放っておくと食べないので」

 

千速が即座に反応した。

 

「やっぱりか」

 

「はい。昼も資料見ながらおにぎり一個でした」

 

千速の目が奏斗へ向く。

 

「奏斗」

 

「何だ」

 

「食え」

 

「食べている」

 

「足りねぇ」

 

「まだ始まったばかりだ」

 

「言い訳するな」

 

横溝が笑う。

 

「いいぞ千速。押村の監視係はお前に任せる」

 

千速は箸を取り、奏斗の取り皿に唐揚げを二つ置いた。

 

「食え」

 

奏斗はそれを見る。

 

「二つも?」

 

「五つ置かれたいか」

 

「二つ食べる」

 

三森がまた笑った。

 

その笑い声が、少しずつ場を温かくしていった。

 

 

飲み会が進むにつれ、刑事たちは少しずついつもの調子を取り戻していった。

 

「押村さん、幽霊扱いされてた時、何してたんですか?」

 

若い刑事の一人が酔いに任せて聞きかけた瞬間、横溝が無言で睨んだ。

 

刑事はすぐに姿勢を正す。

 

「すみません」

 

奏斗は静かに言った。

 

「話せないことが多い」

 

場がまた少し重くなる。

 

だが、奏斗は続けた。

 

「ただ、皆さんを騙していたことは事実です。すみませんでした」

 

誰もすぐには返せなかった。

 

その時、三森がぽつりと言った。

 

「押村警部補」

 

「はい」

 

「また、資料の見方を教えてください」

 

奏斗は三森を見る。

 

三森はまだ少し目を赤くしていたが、まっすぐだった。

 

「私、押村警部補がいなくなってから、教わったことをずっと続けてました。でも、分からないところもたくさんありました」

 

「……はい」

 

「だから、また教えてください」

 

奏斗は深く頷いた。

 

「もちろん」

 

三森は少しだけ笑った。

 

横溝がビールを飲みながら言う。

 

「よかったな、押村。仕事が増えたぞ」

 

「はい」

 

「嬉しそうに返事すんな」

 

千速が斜め向かいから奏斗を見る。

 

その表情は柔らかかった。

 

だが、許した顔ではない。

 

それでも、以前のように完全に距離を置いているわけでもなかった。

 

怒りながら近くにいる。

 

それが、今の二人の距離だった。

 

 

飲み会の終盤。

 

横溝がふと思い出したように言った。

 

「そういや押村」

 

「はい」

 

「お前、今どこ住んでる」

 

その一言で、奏斗の箸が止まった。

 

千速も目を向ける。

 

「どこって……」

 

奏斗は少し言葉を選んだ。

 

「一時的に警察庁側が用意した宿泊施設にいます」

 

千速の目が細くなる。

 

「家は?」

 

「解約されています」

 

「は?」

 

横溝も顔をしかめた。

 

「そりゃそうか。死んだ扱いだったもんな」

 

「はい」

 

三森が驚く。

 

「じゃあ、荷物は?」

 

「大部分は処分されています。残っているものは一部保管されています」

 

千速の顔から表情が消えた。

 

「大部分、処分?」

 

奏斗は頷く。

 

「必要な措置だった」

 

「誰にとって必要だったんだよ」

 

声が低い。

 

場の空気が一瞬で張り詰めた。

 

奏斗は静かに答える。

 

「任務上、生きている痕跡を残せなかった」

 

千速は箸を置いた。

 

「つまり、お前の家も、服も、生活も、全部消されたってことか」

 

「すべてではない」

 

「似たようなもんだろ」

 

横溝が頭をかく。

 

「宿泊施設って、いつまでいられるんだ」

 

「長くはありません」

 

「新しい部屋は」

 

「これから探します」

 

千速が即座に言った。

 

「うちに来い」

 

奏斗は千速を見る。

 

「……千速?」

 

個室の全員が固まった。

 

三森が目を丸くする。

 

横溝がビールを置く。

 

「千速、お前」

 

千速は周囲を見回しもせず、奏斗だけを見ていた。

 

「家がないんだろ」

 

「一時的な宿泊場所はある」

 

「長くはいられないんだろ」

 

「部屋を探す」

 

「その間どうすんだ」

 

「ホテルでも」

 

「無駄だ」

 

奏斗は困ったように言う。

 

「しかし、君に迷惑がかかる」

 

千速の目が鋭くなる。

 

「またそれか」

 

「いや、今回は現実的に」

 

「現実的に言ってる」

 

千速ははっきりと言った。

 

「私の部屋に来い。空き部屋はないけど、寝る場所くらい何とかなる」

 

横溝が咳き込んだ。

 

三森が小声で「えっ」と言った。

 

奏斗は真面目な顔で返す。

 

「それは同棲ということになるのでは」

 

「なるな」

 

「いいのか」

 

「何が」

 

「君はまだ俺を許していない」

 

「許してない」

 

「なら」

 

「許してない相手を監視するには、同じ家が一番だろ」

 

横溝が思わず笑った。

 

「理由が怖ぇな」

 

千速は横溝を睨む。

 

「何だ」

 

「いや、何でもねぇ」

 

千速は再び奏斗を見る。

 

「奏斗」

 

「何だ」

 

「私はまだ怒ってる。でも、お前がまたどこかに消える方が嫌だ」

 

奏斗は言葉を失った。

 

千速は続ける。

 

「家がないなら来い。部屋を探すなら、そこから探せ。逃げるなって言っただろ」

 

その声は強かった。

 

でも、その奥に不安があった。

 

また消えるかもしれない。

 

また組織に連れて行かれるかもしれない。

 

また何も言わずにいなくなるかもしれない。

 

千速は、それを恐れている。

 

奏斗は静かに言った。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「本当にいいのか」

 

「何回聞くんだ」

 

「迷惑をかける」

 

「もう十分かけてる」

 

「……それはそうだ」

 

「だから今さらだ」

 

横溝が腕を組んで頷いた。

 

「いいんじゃねぇか」

 

奏斗が横溝を見る。

 

「警部」

 

「宿泊施設なんぞに置いとくより、千速の監視下に置いた方が安心だ」

 

「監視前提ですか」

 

「当たり前だ」

 

三森もおずおずと言う。

 

「私も、その方がいいと思います」

 

奏斗は驚く。

 

「三森さんまで」

 

「押村警部補、一人にするとまた何か抱え込みそうなので」

 

奏斗は何も言えなかった。

 

千速が少しだけ得意げに言う。

 

「満場一致だな」

 

「俺の意思は」

 

「あるのか?」

 

「……」

 

「ないな」

 

横溝が笑う。

 

「決まりだ。押村、今日から千速の家な」

 

奏斗は少しだけ困ったように眉を寄せた。

 

だが、不思議と嫌ではなかった。

 

むしろ、胸の奥が熱くなる。

 

帰る場所。

 

その言葉を、久しぶりに思い出した。

 

奏斗は千速を見た。

 

「世話になる」

 

千速は少しだけ目を逸らした。

 

「おう」

 

そして、すぐに付け加える。

 

「ただし、条件がある」

 

「条件?」

 

「勝手に出ていかない」

 

「分かった」

 

「帰りが遅くなる時は連絡する」

 

「分かった」

 

「公安とかゼロとか、怪しい奴から連絡が来たら隠さず言う」

 

奏斗は少し黙った。

 

千速の目が鋭くなる。

 

「奏斗」

 

奏斗は頷いた。

 

「言う」

 

「よし」

 

「他には」

 

千速は少し考えた。

 

「カレーを作る」

 

横溝が吹き出した。

 

三森も笑った。

 

奏斗は真面目に頷く。

 

「それは約束していた」

 

「そうだ。ようやく回収だ」

 

千速はようやく少し笑った。

 

「復帰祝いの次は、同棲祝いだな」

 

横溝が言うと、千速は睨んだ。

 

「重悟、余計なこと言うな」

 

「事実だろ」

 

「監視だ」

 

「はいはい、監視同棲な」

 

「殴るぞ」

 

「今日は押村の復帰祝いだから勘弁してくれ」

 

奏斗はそのやり取りを見ながら、少しだけ笑った。

 

本当に少しだけ。

 

それを千速が見逃さなかった。

 

「何笑ってんだ」

 

「いや」

 

「何だ」

 

「戻ってきた気がした」

 

千速は一瞬黙った。

 

それから、少しだけ表情を柔らかくした。

 

「まだ途中だ」

 

「ああ」

 

「でも、戻ってきたなら、もう逃がさねぇ」

 

奏斗は静かに頷いた。

 

「逃げない」

 

今度は、ちゃんと言い切った。

 

千速は満足そうにグラスを持ち上げた。

 

「ならよし」

 

 

飲み会が終わる頃には、復帰祝いなのか、説教会なのか、同棲決定会なのか分からなくなっていた。

 

店の外に出ると、夜風が冷たかった。

 

横溝はタクシーを呼びながら言った。

 

「押村、荷物は?」

 

「宿泊施設に少しだけあります」

 

千速が即答する。

 

「取りに行く」

 

「今からか」

 

「今からだ」

 

「明日でも」

 

「逃げ道を残すな」

 

奏斗は苦笑した。

 

「逃げないと言った」

 

「信用回復期間中だ」

 

「それは長いのか」

 

「未定」

 

横溝が笑う。

 

「一生かもな」

 

千速は否定しなかった。

 

「態度次第だ」

 

三森が少し心配そうに近づく。

 

「押村警部補」

 

「はい」

 

「ちゃんと、幸せになってください」

 

奏斗は言葉を失った。

 

三森は慌てる。

 

「あ、すみません。変なことを」

 

「いや」

 

奏斗は静かに首を振る。

 

「ありがとう」

 

三森は小さく頷いた。

 

千速が隣で言う。

 

「まずはカレーからだな」

 

「幸せの第一歩がカレーか」

 

「文句あるか」

 

「ない」

 

横溝がタクシーに乗り込む前に、奏斗の肩を叩いた。

 

「押村」

 

「はい」

 

「今度は、帰る場所を間違えるな」

 

奏斗は横溝を見る。

 

その言葉の重さを、理解していた。

 

「はい」

 

横溝は眉を寄せる。

 

「硬ぇ」

 

奏斗は少しだけ言い直した。

 

「……分かった」

 

「よし」

 

横溝は満足そうにタクシーに乗った。

 

 

その後、奏斗と千速は警察庁側の宿泊施設へ向かった。

 

荷物は本当に少なかった。

 

スーツが数着。

最低限の私物。

ノート。

身分関係の書類。

そして、小さな箱。

 

千速はその箱を見る。

 

「何だ、それ」

 

奏斗は少し迷ってから開けた。

 

中には、処分されずに残っていた数少ない私物が入っていた。

 

警察学校時代の写真。

捜査一課で使っていた古いペン。

千速と同期会で撮った写真。

そして、カレーの材料を書いたメモ。

 

千速はメモを見て、目を細めた。

 

「何だこれ」

 

「君に作る約束をした時に、材料を考えていた」

 

千速は一瞬固まった。

 

「……そんなの残してたのか」

 

「処分するつもりだった」

 

「しなかった」

 

「できなかった」

 

千速はメモを手に取り、しばらく見つめた。

 

そして、静かに箱へ戻した。

 

「持ってけ」

 

「いいのか」

 

「当然だろ」

 

千速は少しだけ声を低くする。

 

「そういうのまで消すな」

 

奏斗は頷いた。

 

「ああ」

 

荷物をまとめると、小さなバッグ一つに収まった。

 

それを見て、千速は苦い顔をした。

 

「本当にこれだけか」

 

「ああ」

 

「少なすぎる」

 

「問題ない」

 

「問題ある」

 

千速はバッグを奪うように持った。

 

奏斗が手を伸ばす。

 

「俺が持つ」

 

「いい。私が持つ」

 

「重い」

 

「白バイ隊員なめんな」

 

「そういう問題では」

 

千速は奏斗を睨んだ。

 

「今日は私が持つ」

 

奏斗はその意味を理解した。

 

荷物を持つ。

 

それはただの手伝いではない。

 

消された奏斗の生活を、自分の部屋へ連れて帰るという意思だった。

 

奏斗は小さく頷いた。

 

「頼む」

 

千速はバッグを肩にかけた。

 

「よし。帰るぞ」

 

その言葉に、奏斗は胸を突かれた。

 

帰る。

 

どこへ。

 

千速の家へ。

 

これから、自分の帰る場所になるかもしれない場所へ。

 

 

千速の部屋は、思っていたよりも整っていた。

 

必要なものがきちんと置かれ、余計なものは少ない。

 

白バイ隊員らしく、ヘルメットや手袋の手入れ道具が一角にまとめられている。

 

リビングには小さなソファとテーブル。

 

棚の上には、研二と松田の写真が置かれていた。

 

奏斗はその前で足を止めた。

 

千速が言う。

 

「ただいま」

 

それから奏斗を見る。

 

「言え」

 

奏斗は少し戸惑う。

 

「何を」

 

「ただいま」

 

奏斗は写真を見てから、千速を見る。

 

ゆっくりと言った。

 

「ただいま」

 

千速は小さく頷いた。

 

「おかえり」

 

その言葉は、店の前で聞いた時よりも、深く胸に響いた。

 

部屋の中で聞く「おかえり」は、重さが違った。

 

千速はバッグを置き、手を腰に当てる。

 

「ルールを決める」

 

「はい」

 

「硬い」

 

「……分かった」

 

「まず、勝手にいなくならない」

 

「分かった」

 

「帰宅時間が遅れる時は連絡」

 

「分かった」

 

「食事を抜かない」

 

「努力する」

 

「言い切れ」

 

「抜かない」

 

「よし」

 

千速は少し考える。

 

「寝る場所は、今日はソファでいいか」

 

「もちろん」

 

「布団、明日買いに行く」

 

「俺が買う」

 

「一緒に行く」

 

「分かった」

 

千速はキッチンを見る。

 

「それと、カレー」

 

奏斗は頷く。

 

「今から作るか」

 

千速は目を丸くした。

 

「今から?」

 

「材料を買えば作れる」

 

「復帰祝いで食ったばかりだろ」

 

「約束だから」

 

千速は少し黙った後、ふっと笑った。

 

「真面目か」

 

「真面目だ」

 

「知ってる」

 

千速はジャケットを脱ぎ、袖をまくった。

 

「じゃあ、明日だ。今日は味噌汁くらいでいい」

 

「作る」

 

「一緒に作る」

 

奏斗は少し驚いた。

 

千速は何でもないように言う。

 

「同棲なんだろ」

 

「監視では?」

 

「監視同棲だ」

 

奏斗は小さく笑った。

 

千速も少しだけ笑った。

 

まだぎこちない。

 

傷は残っている。

 

信頼も完全には戻っていない。

 

それでも、二人は同じキッチンに立った。

 

奏斗が味噌汁を作り、千速が冷蔵庫から余りものを出す。

 

鍋から湯気が上がる。

 

味噌の香りが部屋に広がる。

 

ただそれだけのことが、奏斗には信じられないほど温かかった。

 

千速が横から言う。

 

「味、薄くないか」

 

「まだ調整中だ」

 

「私、濃いめがいい」

 

「覚えておく」

 

「これから毎回作るならな」

 

奏斗は手を止めた。

 

千速は視線を逸らしながら言う。

 

「何だよ」

 

「いや」

 

「言え」

 

「これから、という言葉が嬉しかった」

 

千速は少し赤くなった。

 

「うるさい」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

二人は顔を見合わせた。

 

また、同じやり取り。

 

でも、今度は少しだけ笑えた。

 

 

その夜。

 

簡単な食事を終えた後、奏斗はソファに座っていた。

 

千速は棚の前に立ち、研二と松田の写真を見ていた。

 

「研二、陣平」

 

千速が小さく言う。

 

「奏斗、帰ってきた」

 

奏斗は顔を上げた。

 

千速は写真に向かって続ける。

 

「まだ許してねぇけどな」

 

奏斗は静かに頭を下げた。

 

「すみません」

 

千速が振り返る。

 

「二人に謝るのはいい。でも私には謝るな」

 

「難しいな」

 

「慣れろ」

 

千速はソファの横に座った。

 

距離は少し空いている。

 

以前ならもっと近かったかもしれない。

 

でも今は、この距離でいい。

 

千速は言った。

 

「奏斗」

 

「何だ」

 

「今日からここが、お前の帰る場所だ」

 

奏斗は言葉を失った。

 

千速は真っ直ぐ前を見たまま続ける。

 

「ただし、仮免だ」

 

「仮免?」

 

「信用の仮免」

 

奏斗は少しだけ笑った。

 

「厳しいな」

 

「当然だろ」

 

千速は横目で見る。

 

「本免になるまで、ちゃんと走れ」

 

奏斗はゆっくり頷いた。

 

「安全運転で」

 

千速は少し笑った。

 

「よし」

 

沈黙が落ちる。

 

だが、苦しい沈黙ではなかった。

 

同じ部屋にいる。

 

同じ湯気の残る食卓がある。

 

明日の朝がある。

 

それだけで十分だった。

 

奏斗は静かに言った。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「ただいま」

 

千速は少しだけ目を伏せた。

 

そして、今度は柔らかく答えた。

 

「おかえり、奏斗」

 

その夜、押村奏斗は久しぶりに、帰る場所で眠った。

 

まだ許されてはいない。

 

まだ償いは始まったばかり。

 

でも、もう一人で消える場所ではない。

 

白バイ隊員の監視付きで。

 

怒りっぽくて、優しくて、絶対に逃がしてくれない恋人のいる部屋で。

 

奏斗の新しい生活が、静かに始まった。

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前世は救命医、現世は無下限呪術持ち。レイリーに拾われた俺の目標はただ一つ——マリンフォード戦争でエースを救うこと。原作改変×俺TUEEE×ハーレムの全部乗せ転生IF。


総合評価:784/評価:6/連載:28話/更新日時:2026年05月02日(土) 15:40 小説情報

なんかバッドエンドしかないキャラに転生したようです。(作者:あぽくりふ)(原作:ソードアート・オンライン)

ひょんなことからソードアート・オンラインの世界に転生した俺。デスゲームにさえ巻き込まれなきゃかなり便利だしなんかよくわかんねえけど金持ちの家だし人生勝ち組だな!フゥーハハハ!そしてそんな俺の名前は「新川恭二」である。▼............あれ?これってシノンさん追い回した挙げ句タイーホされたあの人じゃね?▼これは主人公以外の男キャラが録な目に合わないソー…


総合評価:14792/評価:7.51/連載:33話/更新日時:2018年10月14日(日) 18:18 小説情報


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