神奈川県警の女神様   作:かなっち館長

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第86話 白バイ隊長、恋愛偏差値を測られる

第三交通機動隊の詰所には、妙な空気が流れていた。

 

朝の点検。

出動前の確認。

各隊員への指示。

 

そこまではいつも通りだった。

 

問題は、その後だった。

 

昼休憩に入り、詰所の一角で若い隊員たちがスマートフォンを囲んで何やら盛り上がっている。

 

千速は書類に目を通しながら、その様子を横目で見ていた。

 

「おい」

 

その一言で、隊員たちの肩が跳ねた。

 

新井が一番先に顔を上げる。

 

「はい!」

 

「何を騒いでる」

 

「いえ、その……」

 

新井が珍しく言葉を濁した。

 

千速はペンを置き、椅子にもたれた。

 

「言え」

 

「恋愛診断です」

 

千速の眉が動いた。

 

「……何だそれ」

 

女性隊員の一人、坂下がスマートフォンを持ったまま少し笑った。

 

「質問に答えると、恋愛傾向が分かるっていうやつです」

 

「くだらん」

 

千速は即答した。

 

新井が小さく呟く。

 

「小隊長、絶対そう言うと思いました」

 

「聞こえてるぞ」

 

「すみません!」

 

千速は書類に目を戻す。

 

「昼休憩中に何をしようが勝手だが、午後の走行に支障を出すなよ」

 

「はい」

 

そこで終わるはずだった。

 

だが、坂下がぽつりと言った。

 

「小隊長って、恋愛診断やったらどうなるんでしょうね」

 

詰所が静かになった。

 

新井が恐る恐る横を見る。

 

別の隊員も、箸を持ったまま動きを止める。

 

千速は書類から顔を上げた。

 

「坂下」

 

「はい」

 

「今、何て言った」

 

坂下は一瞬怯んだが、笑顔で押し切った。

 

「小隊長の恋愛傾向、気になりませんか?」

 

「ならん」

 

新井が小さく手を上げる。

 

「自分は少し気になります」

 

「新井」

 

「はい!」

 

「午後、追加訓練」

 

「まだ何もしてません!」

 

「今した」

 

「発言だけで!?」

 

坂下がくすくす笑う。

 

千速はため息をついた。

 

「お前ら、暇なのか」

 

「休憩中です」

 

「そういう問題じゃない」

 

坂下はスマートフォンを手に、千速の机の前まで来た。

 

「じゃあ、小隊長に恋愛相談です」

 

「何でそうなる」

 

「診断が嫌なら、相談ならいいですか?」

 

「業務に関係あるのか」

 

「隊員の精神面の安定に関係します」

 

千速は眉間に皺を寄せた。

 

「言い方だけは立派だな」

 

坂下は真面目な顔を作った。

 

「好きな人に連絡したい時、最初に何て送ればいいと思いますか?」

 

千速は一秒も迷わず答えた。

 

「用件を簡潔に送れ」

 

詰所が静まり返った。

 

新井が口元を押さえる。

 

坂下が目を瞬く。

 

「……小隊長」

 

「何だ」

 

「恋愛相談です」

 

「分かってる」

 

「業務連絡じゃないです」

 

「だから何だ」

 

坂下はスマートフォンを置き、両手で説明する。

 

「例えば、会いたいな、とか、今何してるかな、とか、そういう気持ちを含めた連絡です」

 

千速は少し考えた。

 

「なら、会いたいなら会いたいと送ればいい」

 

新井が天井を見上げた。

 

「直球……」

 

「悪いか」

 

「いえ、悪くはないですけど、威力が強すぎます」

 

坂下がさらに聞く。

 

「じゃあ、相手に気があるって悟られたくない時は?」

 

千速は腕を組む。

 

「なぜ悟られたくない」

 

「恥ずかしいからです」

 

「面倒だな」

 

「恋愛ってだいたい面倒です」

 

「なら最初から言えばいい」

 

「それができないから相談してるんです」

 

千速は納得いかない顔をした。

 

「相手に伝えたいことがあるなら、ちゃんと言え。言わないと分からないだろ」

 

坂下は少し黙った。

 

その言葉だけは、妙に重かった。

 

新井が小さく言う。

 

「小隊長、恋愛偏差値は低そうなのに、たまに核心突きますね」

 

千速はゆっくり新井を見た。

 

「新井」

 

「はい」

 

「午後、さらに追加」

 

「増えた!」

 

「口は災いの元だ」

 

「身をもって学びました!」

 

坂下は笑いながらスマートフォンを差し出した。

 

「やっぱり診断しましょう、小隊長」

 

「やらん」

 

「三分で終わります」

 

「やらん」

 

「押村警部補との相性も分かるかもしれませんよ」

 

千速の動きが止まった。

 

新井がそれを見逃さなかった。

 

「今、一瞬止まりましたね」

 

「止まってない」

 

「止まりました」

 

「新井」

 

「はい」

 

「腕立て追加」

 

「理不尽!」

 

坂下はにこにこしながら言った。

 

「小隊長、押村警部補との相性、気にならないんですか?」

 

千速は顔を逸らした。

 

「そういうのは診断で決めるものじゃない」

 

「おお」

 

「急に正論」

 

「かっこいい」

 

隊員たちが口々に言う。

 

千速は少しだけ満足しかけた。

 

だが、新井が余計な一言を付け加えた。

 

「でも、気にはなってますよね」

 

「新井」

 

「はい!」

 

「お前は午後、走る前から疲れておけ」

 

「そんな命令あります!?」

 

結局、千速は押し切られた。

 

白バイ隊員たちに囲まれ、机の前でスマートフォンを渡される。

 

千速は心底面倒そうな顔をしていた。

 

「くだらんからな」

 

「はい」

 

「本当にくだらんぞ」

 

「分かってます」

 

「仕事には関係ない」

 

「昼休憩中です」

 

「午後に支障を出すなよ」

 

「出しません」

 

千速はしぶしぶ画面を見る。

 

最初の質問。

 

**好きな人から返信が遅い時、あなたはどうする?**

 

選択肢が並んでいる。

 

一、気長に待つ。

二、不安になって何度も確認する。

三、怒る。

四、直接会いに行く。

 

千速は迷わず四を選ぼうとした。

 

坂下が慌てて止める。

 

「小隊長、それ本気ですか?」

 

「何でだ」

 

「返信が遅いだけで会いに行くんですか」

 

「急ぎなら行く」

 

「急ぎじゃない場合です」

 

「なら待つ」

 

「じゃあ一です」

 

千速は不満そうに一を押した。

 

次の質問。

 

**恋人が悩みを隠している時、あなたは?**

 

一、何も聞かずに待つ。

二、優しく聞く。

三、問い詰める。

四、後ろから見張る。

 

千速は四で指を止めた。

 

詰所がどよめいた。

 

新井が小声で言う。

 

「監視同棲……」

 

千速が睨む。

 

「何か言ったか」

 

「何も言ってません」

 

坂下が苦笑いする。

 

「小隊長、ここは二じゃないですか?」

 

「いや、見張るだろ」

 

「恋愛診断です」

 

「恋愛でも見張るだろ」

 

「見張られた側、怖くないですか?」

 

千速は少し考えた。

 

「奏斗なら慣れてる」

 

新井が口を押さえた。

 

坂下が目を輝かせる。

 

「今、自然に名前出ましたね」

 

千速は固まった。

 

「……出てない」

 

「出ました」

 

「出てません」

 

「出ました」

 

「坂下」

 

「はい」

 

「午後、お前も追加訓練」

 

「巻き込まれた!」

 

次の質問。

 

**恋人に褒められた時、あなたは?**

 

一、素直に喜ぶ。

二、照れてごまかす。

三、疑う。

四、殴る。

 

千速は迷った。

 

新井がすかさず言う。

 

「小隊長、四は選ばないでください」

 

「選ばない」

 

「本当ですか」

 

「本当だ」

 

「じゃあ二ですね」

 

「何でお前が決める」

 

坂下が笑う。

 

「押村警部補に『似合っている』って言われたらどうします?」

 

千速は昨日のことを思い出した。

 

県警本部前。

柔らかい色のニット。

ロングスカート。

奏斗の真面目すぎる顔。

 

――似合っている。

 

千速は少しだけ耳を赤くした。

 

新井が叫びかける。

 

「今、絶対思い出しましたよね」

 

千速は無言で新井の方を見た。

 

新井は背筋を伸ばした。

 

「すみません」

 

千速は二を押した。

 

坂下が満足げに頷く。

 

「やっぱり照れてごまかすタイプですね」

 

「うるさい」

 

さらに質問は続いた。

 

**喧嘩した時、先に謝る?**

千速は「内容による」と答え、選択肢にないと言われる。

 

**記念日は大事にする?**

千速は「忘れたら問題なのか」と言い、坂下に強く頷かれる。

 

**恋人に甘えるのは得意?**

千速は「甘える必要がある状況とは何だ」と本気で聞く。

 

そのたびに詰所は盛り上がった。

 

千速は不機嫌そうな顔をしていたが、途中から少し諦めたように質問へ答えていた。

 

最後に、診断結果が表示された。

 

坂下が読み上げる。

 

「診断結果。恋愛スタイルは……」

 

隊員たちが身を乗り出す。

 

坂下が少し笑いをこらえながら言った。

 

「**完全現場主義。好意は言葉より行動で示すタイプ**」

 

詰所が一瞬静まり、次の瞬間、全員が納得した。

 

「分かる」

 

「すごく分かる」

 

「小隊長そのものですね」

 

「当たりすぎでは」

 

千速は不満そうに腕を組む。

 

「何だそれ」

 

坂下は続ける。

 

「好きな人のためなら迷わず動きますが、甘い言葉は苦手。照れると怒ったように見えるため、相手には少し誤解されがちです」

 

新井が真顔で頷く。

 

「当たってます」

 

「新井」

 

「はい」

 

「午後の訓練、倍だ」

 

「また増えた!」

 

坂下はさらに読み上げる。

 

「相性のいいタイプは、落ち着いていて、感情を言葉にする努力をしてくれる人。あなたの不器用な優しさを見逃さない相手が向いています」

 

詰所が静かになった。

 

千速も、少しだけ目を伏せた。

 

誰も名前を出さなかった。

 

出さなくても、分かっていた。

 

奏斗だ。

 

坂下がそっとスマートフォンを下げる。

 

「……けっこう、いい診断ですね」

 

千速はしばらく黙っていた。

 

それから、少し照れくさそうに言った。

 

「まあ、全部くだらんとは言わない」

 

新井が口を開きかけた。

 

千速は先に睨んだ。

 

「新井」

 

「まだ何も言ってません!」

 

「言いそうだった」

 

「予防で怒られることあります!?」

 

坂下が笑った。

 

その時、詰所の電話が鳴った。

 

千速はすぐに表情を戻し、受話器を取る。

 

「第三交機、萩原」

 

短いやり取りの後、千速は受話器を置いた。

 

「午後の配置変更だ。休憩終わり次第、出るぞ」

 

隊員たちの顔が切り替わる。

 

「はい!」

 

千速は立ち上がる。

 

「新井」

 

「はい」

 

「追加訓練は今日はなしだ」

 

新井の顔が明るくなる。

 

「本当ですか!」

 

「ああ。午後の業務をきっちりやればな」

 

「全力でやります!」

 

「最初からやれ」

 

詰所に笑いが起きた。

 

坂下がスマートフォンをしまいながら、千速に言う。

 

「小隊長」

 

「何だ」

 

「診断結果、押村警部補に見せます?」

 

千速は即答した。

 

「見せるわけないだろ」

 

---

 

その夜。

 

千速は帰宅してから、しばらく迷っていた。

 

見せるわけがない。

 

昼間はそう言った。

 

そう言ったのに、スマートフォンには診断結果のスクリーンショットが保存されている。

 

保存した覚えはない。

 

いや、ある。

 

坂下に「記録用です」と言われ、勢いで保存してしまった。

 

千速はソファに座り、画面を見つめる。

 

**完全現場主義。好意は言葉より行動で示すタイプ。**

 

「……何だこれ」

 

自分で呟いて、自分で恥ずかしくなる。

 

その時、玄関が開いた。

 

「ただいま」

 

奏斗の声がした。

 

千速は慌ててスマートフォンを伏せた。

 

「お、おかえり」

 

奏斗がリビングへ入ってくる。

 

上着を脱ぎながら、千速を見る。

 

「どうかしたか」

 

「何が」

 

「声が少し変だった」

 

「変じゃない」

 

「そうか」

 

奏斗はそれ以上追及しなかった。

 

だが、視線は伏せられたスマートフォンへ一瞬だけ向いた。

 

千速はそれに気づき、すぐに言った。

 

「見るな」

 

「まだ見ていない」

 

「見ようとしただろ」

 

「気にはなった」

 

「正直だな」

 

「嘘をつく場面ではないと思った」

 

千速は少し黙る。

 

それから、観念したようにスマートフォンを取った。

 

「今日、隊で変なものをやらされた」

 

「変なもの?」

 

「恋愛診断」

 

奏斗の動きが止まった。

 

「恋愛診断」

 

「復唱するな」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

奏斗は少し考えた。

 

「君がそれをやったのか」

 

「やらされたんだ」

 

「誰に」

 

「坂下と新井たち」

 

「楽しそうだな」

 

「楽しくはない」

 

「そうか」

 

「でも……まあ、隊の空気は悪くなかった」

 

奏斗は少しだけ表情を緩めた。

 

「それならよかった」

 

千速は画面を開き、診断結果を奏斗へ見せる。

 

「笑うなよ」

 

「笑わない」

 

奏斗は画面を受け取り、静かに読んだ。

 

千速はその横顔をじっと見る。

 

奏斗は真面目な顔だった。

 

真面目すぎて、逆に嫌な予感がする。

 

やがて奏斗は言った。

 

「当たっていると思う」

 

千速は顔をしかめる。

 

「お前まで言うのか」

 

「完全現場主義」

 

「そこ読むな」

 

「好意は言葉より行動で示すタイプ」

 

「読むなと言った」

 

「照れると怒ったように見える」

 

「奏斗」

 

「はい」

 

「そこまでだ」

 

奏斗はスマートフォンを返した。

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

千速は画面を閉じた。

 

「で、どう思った」

 

「当たっていると思った」

 

「それは聞いた」

 

「君らしいと思った」

 

千速は少しだけ目を逸らす。

 

「褒めてるのか」

 

「褒めている」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

奏斗はキッチンへ向かいながら続けた。

 

「君は言葉が少し不器用な時がある。でも、行動は分かりやすい」

 

千速はソファから奏斗を見る。

 

「分かりやすいか?」

 

「少なくとも、俺には」

 

その言葉に、千速は一瞬黙った。

 

昼間の診断結果が頭をよぎる。

 

**あなたの不器用な優しさを見逃さない相手が向いています。**

 

千速は顔を逸らした。

 

「……そうか」

 

奏斗は冷蔵庫を開けながら言った。

 

「夕食、作る」

 

「今日は私が作るつもりだった」

 

「君は疲れているだろう」

 

「お前もだろ」

 

「俺は平気だ」

 

「そういうところが駄目なんだよ」

 

奏斗が振り返る。

 

「駄目か」

 

「駄目だ」

 

千速は立ち上がり、キッチンへ向かう。

 

「今日は一緒に作る」

 

奏斗は少し驚いた。

 

「一緒に?」

 

「ああ」

 

「珍しいな」

 

「恋愛診断で、好意は行動で示すタイプって出たからな」

 

言ってから、千速は自分で恥ずかしくなった。

 

奏斗は一瞬だけ目を丸くした。

 

そして、ほんの少し笑った。

 

千速はすぐに睨む。

 

「笑うな」

 

「笑っていない」

 

「笑った」

 

「少し」

 

「何で」

 

「嬉しかったから」

 

千速は黙った。

 

まただ。

 

昨日から、奏斗は妙に真っ直ぐ言う。

 

いや、前からそういうところはあった。

 

ただ、最近は隠さなくなっただけかもしれない。

 

千速は腕まくりをした。

 

「何作る」

 

「冷蔵庫に鶏肉がある」

 

「じゃあ照り焼き」

 

「分かった」

 

二人でキッチンに立つ。

 

奏斗が材料を出し、千速が野菜を切る。

 

手際は悪くない。

 

ただ、千速は料理の途中でつい大雑把になる。

 

奏斗がそれを見て、静かに言った。

 

「千速、その切り方だと火の通りが少しばらつく」

 

千速は包丁を止める。

 

「細かい」

 

「味に影響する」

 

「胃に入れば同じだろ」

 

「同じではない」

 

「白バイの整備みたいに言うな」

 

「整備も料理も、細部が大事だ」

 

千速は少し笑った。

 

「お前、本当に真面目だな」

 

「よく言われる」

 

「そこは否定しろ」

 

「否定できない」

 

二人で作った照り焼きは、少し味が濃くなった。

 

千速は一口食べて、満足そうに頷く。

 

「うまい」

 

奏斗も食べる。

 

「少し濃いな」

 

「私好みだ」

 

「ならよかった」

 

千速は味噌汁を飲みながら、ふと思い出したように言った。

 

「そういえば、診断で恋人に褒められた時どうするかって質問があった」

 

奏斗は箸を止める。

 

「君は何を選んだ」

 

「照れてごまかす」

 

「当たっている」

 

「言うと思った」

 

「実際、そうだ」

 

千速は奏斗をじろりと見る。

 

「じゃあ、試しに褒めてみろ」

 

奏斗は一瞬、考え込んだ。

 

千速はすぐに後悔した。

 

「いや、待て。今のなし」

 

「君は今日も綺麗だと思う」

 

千速の動きが止まった。

 

箸を持ったまま、完全に固まる。

 

奏斗は真面目な顔で続ける。

 

「服装は部屋着だが、似合っている。髪を下ろしているのも、君らしくていい」

 

「待て」

 

「それと」

 

「待てと言った」

 

「仕事の時の君も格好いいが、家で少し気を抜いている君を見ると、帰ってきたと感じる」

 

千速は片手で顔を覆った。

 

「……破壊力が高すぎる」

 

奏斗は少し心配そうにする。

 

「大丈夫か」

 

「大丈夫じゃない」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

「褒めろと言ったのは君だ」

 

「そうだけど、加減しろ」

 

「加減が難しい」

 

千速は顔を隠したまま言った。

 

「お前、恋愛偏差値高いのか低いのか分からんな」

 

奏斗は少し考えた。

 

「低いと思う」

 

「その自覚はあるのか」

 

「ああ」

 

「低い奴の攻撃じゃないんだよ」

 

「攻撃ではない」

 

「攻撃だ」

 

「そうか」

 

奏斗は少しだけ困った顔をした。

 

千速はようやく顔を上げた。

 

耳が赤い。

 

「でも」

 

「うん」

 

「嫌ではない」

 

奏斗の表情が柔らかくなる。

 

「そうか」

 

「そうだ」

 

少しの沈黙。

 

二人はまた食事を再開した。

 

テレビはついていない。

 

部屋には、箸の音と、味噌汁の湯気と、二人の呼吸だけがある。

 

千速はふと呟いた。

 

「言葉って、難しいな」

 

奏斗は彼女を見る。

 

「そうだな」

 

「私は行動の方が楽だ」

 

「知っている」

 

「でも、言わないと分からないこともある」

 

「うん」

 

千速は少し迷ってから、低い声で言った。

 

「昨日の約束、覚えてるか」

 

「黙っていなくならないこと」

 

「そうだ」

 

「覚えている」

 

「私も、言うようにする」

 

奏斗は箸を置いた。

 

千速は視線を落としたまま続けた。

 

「不安な時とか、腹が立った時とか、心配な時とか。怒鳴る前に、なるべく言う」

 

奏斗は静かに頷いた。

 

「ありがとう」

 

「礼はいらない」

 

「分かった」

 

「でも、お前も言えよ」

 

「うん」

 

「抱え込みそうになったら言え」

 

「努力する」

 

千速はじろりと見る。

 

「努力する、は怪しい」

 

奏斗は少し考えた。

 

「言う」

 

「よし」

 

千速は満足したように頷いた。

 

それから、少し照れ隠しのように味噌汁を飲む。

 

奏斗はそんな彼女を見ていた。

 

完全現場主義。

好意は言葉より行動で示すタイプ。

 

たしかに、千速らしい。

 

だが、奏斗は知っている。

 

彼女は言葉が苦手なだけで、言葉を避けているわけではない。

 

必要な時には、ちゃんと言う。

 

怒りも。

不安も。

優しさも。

信じたい気持ちも。

 

不器用でも、真っ直ぐに。

 

奏斗は静かに言った。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「俺には分かりやすい」

 

千速は箸を止めた。

 

「……昼間の診断の話か」

 

「うん」

 

「また急に言う」

 

「言った方がいいと思った」

 

千速はしばらく奏斗を見た。

 

それから、小さく笑った。

 

「まあ、そうだな」

 

「うん」

 

「言わないと分からないこともあるからな」

 

奏斗は頷いた。

 

千速は少しだけ照れたように視線を逸らし、それでも今度はごまかさずに言った。

 

「私も、お前のそういうところ、嫌いじゃない」

 

奏斗の目がわずかに開く。

 

「そうか」

 

「そうだ」

 

「嬉しい」

 

「だから、すぐそういう顔をするな」

 

「どんな顔だ」

 

「嬉しそうな顔」

 

「嬉しいから」

 

千速はまた顔を逸らした。

 

「……だから、ずるいんだよ」

 

奏斗は少しだけ笑った。

 

その日の夜。

 

第三交機の恋愛診断は、結局それなりに役に立った。

 

千速はそう認めるのが少し悔しかったが、奏斗には言わなかった。

 

ただ、食器を片付ける時、奏斗の隣に立って、少しだけ肩を寄せた。

 

言葉より行動。

 

そう診断されたからではない。

 

千速にとって、それが一番自然だったからだ。

 

奏斗は何も言わず、ただその距離を受け入れた。

 

そして、食器を洗いながら小さく言った。

 

「千速」

 

「何だ」

 

「今日は、いい日だった」

 

千速は少しだけ笑う。

 

「恋愛偏差値を測られた日がか?」

 

「君が少し話してくれた日だ」

 

千速は黙った。

 

それから、照れ隠しのように奏斗の腕を軽く小突いた。

 

「そういうことを、洗い物しながら言うな」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

水の音に混じって、二人の声が静かに重なる。

 

白バイ隊長の恋愛偏差値は、たぶん高くない。

 

けれど、奏斗にとっては十分だった。

 

不器用でも、まっすぐで。

 

照れると怒ったように見えて。

 

それでもちゃんと、こちらを向いてくれる。

 

そんな千速だから、奏斗は今日もこの部屋へ帰ってきたのだと思った。

 

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