ベル・クラネルの代わりに世界を救うのは間違っているだろうか 作:ただくも
ダンジョンに潜り始めてから、2週間が経過した。
俺はエイナさんの『冒険者は冒険しちゃいけない』という教えを忠実に守り、一歩一歩、確実にかつ慎重に攻略を進めていた。その甲斐あって、今では、4層までなら比較的楽に、危なげなく攻略できるようになっていた。
「……よし、今日の文の魔石の欠片はこのくらいか」
ふぅ、と息を吐き、俺は昨夜ヘスティア様に更新してもらったステイタスを思い出す。
カナタ・カミシロ
Lv.1
力:I(88)
耐久:I(62)
器用:I(95)
敏捷:H(118)
魔力:I(0)
魔法:
スキル:
「はぁ、やっぱり、あんまり伸びないなぁ」
思わず贅沢なため息が漏れた。毎日あれだけ戦って、2週間でようやく『俊敏』はHに乗った程度。これが『憧憬一途』もチートもない、普通の人間が恩恵を得たリアルな成長速度だろう。
しかし、ステイタスの伸びの遅さ以上に、俺の心をじりじりと焦らせている問題があった。
──ベル・クラネルが、一向にオラリオに現れないのだ。
毎日ギルドに顔を出してそれとなく周囲を確認しているが、あの特徴的な白髪の少年の姿はどこにもない。ファミリアを門前払いされている少年の噂もなかった。
(……あ、そういえば。ロキ・ファミリアは今、大遠征の真っ最中だったっけな)
ふと、原作の時系列を思い出す。
原作第1巻の冒頭、ベル君がミノタウロスに襲われるのは、ロキ・ファミリアが遠征から『帰ってきた』その日のはずだ。
2週間もベル君が来ないということは……もしかして今行われている遠征は、原作のあの遠征ではなく、その1年前とかの、もっと前の別の遠征なのだろうか。
(それなら納得できる。今が原作の前なら、焦る必要もないな)
自分に都合のいい理由を見つけ、俺は1人で納得してホッと胸をなでおろした。
だったら、なおさら今のうちに実力を蓄えておかなくてはならない。
◇
翌日。4層の探索は驚くほど順調だった。
なんだか肉体のキレがいい。戦闘に慣れてきたのか、ゴブリンの動きがいつもより遅く見えるほどに、面白いようにダガー決まる。
(……これだけ調子がいいなら、5層へ少しだけ覗いてみるか?)
5層。『新米殺し』が存在する階層。エイナさんから厳しく止められている場所だ。
だけど、今日の俺は妙に調子がいい。それに、脳内にはまだ「ベル君がいないんだから、5層にミノタウロスが逃げてくるようなイレギュラーは絶対に起きない」という、ぬるい安心感が居座っていた。
少しだけ。本当に、ほんの少し探索するだけだ。
◇
5層に足を踏み入れ、慎重に通路を探索し始めて数分が経った頃だった。
薄青い迷宮の静寂を切り裂き、通路の奥から地響きのような凄まじい音が響いてきた。
「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
鼓膜を破らんばかりの、凶暴な咆哮。
現れたのは巨躯に牛の頭を持つ、上層にいるはずのない怪獣。──ミノタウロスであった。
────は?
それはロキ・ファミリアが遠征を終え、地上へ帰還する途中で遭遇したミノタウロスの集団、そのうちの一体。傷一つないその頑強な巨躯から、Lv.2相当の怪物の純粋な殺気が、剥き出しで放たれている。
(戦う?ありえない。あんな質量、掠っただけで俺の『耐久』じゃ肉片になる!!)
「うわあああああああああああっ!!」
俺はなりふり構わず反転し、猛スピードで逃げ出した。
走る、走る、走る。心臓が痛いほど脈打ち、肺が灼ける。
だが、相手のほうが速い。背後から迫る凄まじい風圧。このまま背中を見せて走り続けてれば、次の瞬間には背骨を叩き折られる。
「くそっ……!せめて……っ!」
俺は歯を食いしばり、一瞬だけ振り返って支給されたダガーを構えた。攻撃を誘発すれば、後隙が生まれるはず。その間に距離を取れば……まともに受けるんじゃない。刃を斜めに滑らせて、攻撃を『受け流す』んだ!!
しかし、その目論見は当然のように一瞬で粉砕された。
──ガキィィィィィンッ!!!
凄まじい質量。受け流すほどの角度など、圧倒的な暴力の前には何の役にも立たなかった。
ミノタウロス攻撃をまともに浴びたダガーは、いなす暇もなく粉々に砕け散った。刃は火花を散らして弾け飛び、俺の手元には無惨にひしゃげた柄だけが残される。
「うそだろ……っ!?」
武器を失った。俺は裸同然で死地に立たされた。
衝撃で吹き飛ばされながらも、なりふり構わず立ち上がり、ただがむしゃらに走り続けた。パニックになりながら角を曲がった──その瞬間、俺の目の前を塞いだのは、冷酷な行き止まりの壁だった。
「な……っ!」
逃げ場はない。振り返ると、狭い通路をミノタウロスの巨体が埋め尽くすようにして迫っていた。
(死ぬ。ここで?まだ英雄譚の一つもみれていないのに?)
──ズバァッ!!!
一閃。
俺の目の前でミノタウロスの巨体が綺麗に真っ二つに両断された。
大量の灰が視界を覆い、カランと大きな魔石が地面に転がる。
「……ぁ」
腰が抜け、地面にへたり込んだ俺の視線の先。
灰の霧の向こうから現れたのは、黄金の髪と、神秘的な一対の金色の瞳。
『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインが、そこに佇んでいた。
「……大丈夫ですか?」
鈴を転がすような、感情の薄い声。
だが、俺の頭の中は、完全にキャパシティを超えて破綻していた。
──なんで。なんでだ。なんで俺が助けられている?お礼を言わないと。おかしいだろ。ここは俺の場所じゃない。ベル君は?ベル君が助けられて、そこからすべてが始まるんじゃなかったのか!?
「な、んで……なんで、俺……?いや、ちがう、そんなことより……!」
脳内がパニックでぐちゃぐちゃになり、呂律の回らない口で、俺は彼女に縋りつくように叫んだ。
「あ、あの!白髪で…!目が赤い少年…!兎みたいな白髪の少年を見ませんでしたか!?どこかで、すれ違いませんでしたか!?」
「……知らない。そんな人、見てない」
アイズは静かに首を振った。
「え、あ……」
「怪我がないなら、上に上がったほうがいい。ここは、危ないから」
それだけを言い残すと、彼女は嵐のように通路の奥へと去っていった。
残された俺は、ガチガチと震える歯を必死に噛みしめ、ふらふらと地上への階段を這い上がる。
◇
気が付くと、俺はギルドの本部に飛び込んでいた。
一刻も早く、この脳内を占める最悪の仮説を否定したかった。
「──カナタ君!?」
カウンターの向こうから、俺の異様な様子に気付いたエイナさんが声をあげた。目は血走り、幽霊のように青ざめた俺の顔を見て、彼女はただ事ではないと察したのだろう。
「ちょっと、こっちに来て!」
エイナさんは窓口を他の職員に任せ、俺の腕を引いてギルドの奥にある個室へと連れ込んだ。ドアが閉まった瞬間、俺はエイナさんの肩を掴んで叫んでいた。
「エイナさん……!お願いだ、調べてくれ……っ!!」
「落ち着いて、カナタ君!いったい何があったの!?」
「ベル・クラネルだ!ベル・クラネルっていう少年が……どこかのファミリアに、オラリオのどこかに登録されていないか、調べてほしいんだ!!」
「ベル・クラネル……?新規の登録者かしら。……ちょっと待ってね、今名簿を確認するから」
エイナさんは困惑しながらも、俺の尋常ではない怯え方に突き動かされるようにして、すぐに手元の資料やギルドの登録台帳の束をめくり始めた。
詳細なステイタスならともかく、オラリオに籍を置く冒険者の名前と所属ファミリアの有無を調べるだけなら、ギルド職員の権限でできることだ。
静まり返った室内で、俺は自分の心臓の音がうるさいほど響くのを聞いていた。
頼む、ただの俺の勘違いであってくれ。どこかのファミリアに、ひっそりと登録されていてくれ。
だが、台帳をめくるエイナさんの指が、徐々に速度を落としていく。
彼女は何度も同じページをめくり直し、やがて、信じられないような目で、酷く沈痛な面持ちのまま俺を見つめた。
「カナタ君。……全ファミリアの現役名簿、それから過去数年の新規登録履歴もすべて照合したけれど……」
「…っ!」
「──オラリオのどこにも、ベル・クラネルという名前の冒険者は存在しないわ。同姓同名の登録すら、一人もいない」
頭の中で、世界がガラガラと音を立てて崩壊していく音がした。
いない。
最初から、この世界には『ベル・クラネル』なんて人間は生まれてすらいなかったんだ。
積みだ。この世界が確定で滅びる。
「カナタ君…?大丈夫?一体その子が何──」
「…調べてくれて、ありがとうございました、エイナさん」
俺は感情の消え失せた、掠れた声でそう言うと、人形のように立ち上がった。
「待って、カナタ君!そんな状態で帰すわけには──カナタ君!!」
背後から響くエイナさんの必死に引き留める声を、俺は完全に無視した。
◇
ギルドを飛び出し、夕暮れのオラリオの街をふらふらと歩く。
大通りから外れ、薄暗い、人気の一切ない路地裏の行き止まりに、背中を預けて座り込んだ。
英雄はいない。
俺が支え見届けるはずだった英雄譚なんて、最初からどこにもなかった。
「あ……あは、あははは……っ」
喉の奥から、ひび割れた笑い声が漏れた。
抑えようとしても、止まらない。笑いが、狂気が、絶望が、腹の底から溢れてくる。
「あはははははははッ!!!何が先輩だ!何が一緒に冒険だ……!!いねぇじゃねえか!!どこにもいねえんだよ、あの英雄はァ!!」
誰もいない路地裏に、俺の狂った嗤い声が響き渡る。
涙が溢れて視界が滲むが、それでも笑いは止まらなかった。
「ひゃははははははは!滅びるじゃん!この世界、何もしなかったら全員死ぬじゃん!!クソゲーかよ、おい……!!」
世界の終わりを確信し、俺はただ、狂ったように嗤い続けるしかなかった。
ここから入れる保険があるってマジ?
ベルがいる世界線
「ヴヴォオオオオオオオッ!」
「ファーーー!!甘い甘い!!」
「お、お願いですから静かに走ってくださいぃぃ!!刺激しちゃいます、後ろのミノタウロスがさらに怒っちゃいますぅぅ!!」
「全速前進DA!」
「ああ、もうすぐそこまで角がぁぁぁ!!冗談言ってる場合じゃないですよぉ!!」
カナタ君、楽しそうだね。かわいいね。