魔法科世界の術式蒐集者   作:パラレル・ゲーマー

1 / 4
第1話 チートはある。素材がない。

 魔法科高校の劣等生。

 

 前世の記憶というものが確かな輪郭を持って脳裏に定着した時、僕が真っ先に抱いた感想は「嘘だろ」と「やったぜ」の半々だった。

 

 現代とは似て非なる歴史を辿り、魔法という超常の力が技術として体系化された世界。

 

 血と硝煙の匂いが常に世界のどこかで漂い、才能ある若者が国家の兵器として組み込まれていくハードな世界線。

 

 普通なら絶望するところかもしれない。

 

 平和な日本でぬるま湯に浸かっていた精神性からすれば、この世界はあまりにも自己責任と才能主義が過ぎる。

 

 だが、それでも。

 

 いやー、生お兄様に会えるとなるとテンションが上がるなぁ……! 

 

 不謹慎を承知で言えば、僕の心を満たしたのは未知への圧倒的な好奇心だった。

 

 架空の存在だった魔法が、物理法則を書き換える技術として実在するのだ。

 

 ただし、僕はすぐに一つの後悔に苛まれることになった。

 

 原作の知識は、一通り持っている。

 

 物語の大筋、誰が味方で誰が敵か、どんな事件が起きるか。

 

 そこそこ読み込んでいた自負はあった。

 

 けれど、「転生する」とあらかじめ分かっていたなら、もっと真面目に、文字通り舐めるように読み込んでいたはずだ。

 

 年表の細かな日付、事件の正確な発生時刻、登場人物たちの裏の所属、魔法式の緻密な構造式まで、脳のシワに刻み込む勢いで暗記していたのに。

 

 未来の僕の、痛恨のミスである。

 

 曖昧な記憶では、この殺伐とした世界を生き抜くための完全なライフハックにはなり得ない。

 

 さて、そんな僕だが、どうやら異世界転生におけるお約束の「特典」らしきものを所持していた。

 

 この世界における先天的な特殊能力、固有魔法と呼ばれる類のものだ。

 

 しかも、自分で言うのも何だが、たぶんかなりヤバいやつである。

 

 名付けて──《万象術式目録(アカシック・ライブラリ)》! 

 

 自室のベッドの上で一人、虚空に向かってその名を宣言した時の高揚感たるや、筆舌に尽くしがたい。

 

 能力の概要は至ってシンプル、ゆえに凶悪だ。

 

『一度でも発動を直接観測した魔法式を完全複写し、精神領域内の「目録」に永久保存する』

 

 これだけである。

 

 だが、魔法科世界の理論に照らし合わせれば、これがどれほどのバグか分かるはずだ。

 

 保存された魔法式は、僕の精神領域の深淵で決して劣化せず、忘却されることもない。

 

 さらに、本来なら適性や系統による制限があるはずの魔法が、系統を問わず使用可能になる。

 

 血統によって縛られた魔法だろうが、国家が隠匿する秘匿魔法だろうが、軍用魔法だろうが関係ない。

 

 その気になれば、地形を吹き飛ばす戦略級魔法でさえ、ただ「観測」できれば僕の目録に登録される。

 

 魔法師としての限界を、完全に無視している。

 

 おまけに、ただ集めるだけではない。

 

 魔法式を一つ登録するたびに、僕の魔法師としての基礎性能そのものが底上げされるのだ。

 

 内包するサイオン(想子)の最大量が増加し、事象を書き換える干渉力が強まり、魔法式を構築する演算速度が向上する。

 

 魔法式を展開する領域が拡張され、複数の魔法式を同時に処理する並列処理能力まで伸び、さらには魔法式自体の最適化精度すら上がる。

 

 強い。

 

 どう考えても強い。

 

 たぶん、あの規格外の司波達也──お兄様と同じ盤面に立っても、「君、面白い手品を使うね」くらいで許してもらえる、つまり殺されない程度にはチートだ。

 

 魔法をコピーするたびにハードウェアの性能まで自動更新されるとか、世界の理を司るシステム管理者が寝ぼけて実装したとしか思えない。

 

 ただし。

 

 当然ながら、神様もそこまで甘くはなかった。

 

 こんなインチキ能力にも、一つだけ致命的な欠点が存在した。

 

 発動を、直接観測しないと登録できない。

 

 ……そう。

 

 魔法という事象の発生を、僕自身の知覚を通して直接捉えなければ、何も始まらないのである。

 

 ここで言う観測とは、単に目で見ることではない。

 

 発動中のサイオンの動き、魔法式の展開、事象改変へ至る流れを、僕自身の知覚圏内で捉える必要がある。

 

 魔法科世界に転生したとはいえ、一般市民の平和な日常生活において、魔法を目の当たりにする機会など皆無に等しい。

 

 テレビのニュース映像で魔法師の活躍を見ても駄目だ。

 

 映像というフィルターを通した時点で、サイオンの動きや魔法式の構造といった最も重要な情報が欠落しており、完全な登録には至らない。

 

 ネットの動画も同様で、加工や圧縮、距離の問題でシステムが「観測不十分」と弾いてしまう。

 

 学校の教科書に載っている魔法理論は、あくまで文字と図解による理論であって、生きた魔法の発動ではない。

 

 軍用魔法の演習など一般人が立ち入れるはずもなく、十師族と呼ばれるエリートたちの秘術など、万が一にも覗き見ようものなら、その瞬間に僕の人生は物理的に終了する。

 

 チート能力は、ある。

 

 でも、それを起動させるための素材が、どこにもない。

 

 何このクソゲー。

 

 事前登録キャンペーンで最強のガチャ石だけ大量に配られておいて、肝心のガチャ筐体がいつまで経っても実装されないソーシャルゲームか何かか。

 

 僕の家、水瀬家は十師族でも百家でもない。

 

 ただ、完全な一般家庭というわけでもなく、過去に何人か魔法師を輩出したことのある、いわば準魔法師家系に近い立ち位置だった。

 

 そのおかげで、魔法というものにまったく触れられなかったわけではない。

 

 母も高位の魔法師ではないが、生活補助程度の魔法なら扱える。

 

 家政婦も、魔法師家庭向けに派遣される低適性の魔法技能者だった。

 

 幼少期から入学前までの十数年間、僕は飢えた獣のように魔法を求めて彷徨っていた。

 

 その成果を精神領域の《目録》から引っ張り出してみる。

 

 ・『生活乾燥魔法』

 

 初めて登録された記念すべき一冊目。

 

 我が家にやってきた家政婦が、こっそりと家事の補助で使った微弱な魔法だった。

 

 効果は、濡れた布巾を少しだけ早く乾かす程度。

 

 でも、僕は自室で泣くほど嬉しかった。

 

 だって、苦節数年、初めてのドロップアイテムだったから。

 

 ・『簡易加熱魔法』

 

 母親が冷めたお茶を少し温めるのに使った魔法。

 

 火力は無に等しい。

 

 戦闘で使おうものなら、敵をほんのり温めてリラックスさせるだけだろう。

 

 だが、熱量制御という基礎概念としてはかなり優秀で、低燃費で確実な結果を出す術式は美しいとすら思えた。

 

 ・『清掃用微細振動魔法』

 

 家具の隙間の埃を落とす程度の生活魔法。

 

 しょぼいと思うだろうか? 

 

 いやいや、とんでもない。

 

 これは振動制御という広大な分野への入り口だ。

 

 これを将来的に応用し、出力を上げ、対象を極小化すれば、刃物の切断補助や、装甲を透過しての内部破壊にすら繋がるかもしれない。

 

 つまり、将来性の塊である。

 

 ・『簡易照明魔法』

 

 暗い納戸を探す際に使われた、周囲数メートルを照らすだけの魔法。

 

 光学系の入り口。

 

 光子の操作。

 

 何が何でも登録する価値がある。

 

 魔法式に貴賤など存在しないのだ。

 

 こうして振り返ると、涙ぐましい努力の結晶である。

 

 生活魔法が一つ登録されるたびに、僕のサイオン量がほんの少しだけ増えた。

 

 干渉力も、演算速度も、本当に塵を積もらせるようなレベルで伸びた。

 

 だが、その「ほんの少し」が積み重なることが重要なのだ。

 

 僕はこの世界で、ただ息をして魔法を見るだけで、際限なく強くなれる可能性を秘めている。

 

 とはいえ、現状の僕はまだまだだ。

 

 お兄様級? 

 

 無理無理、冗談じゃない。

 

 現在の僕のスペックは、贔屓目に見ても「魔法科高校の優等生──の、下の下」くらいである。

 

 十数個の生活魔法では、基礎ステータスの上がり幅にも限界があった。

 

 だからこそ、身の程は弁えている。

 

 もし誰かに「原作知識があるなら、かつての沖縄での悲劇に介入できたんじゃないの?」と聞かれたら、僕は全力で、首がもげるほど横に振る。

 

 無理。

 

 死ぬ。

 

 あそこは、ちょっと特殊能力に目覚めた程度の高校生未満の転生者が、ヒロイズムに酔って遊びに行っていいイベントではない。

 

 本物の殺意と軍隊が交錯する地獄だ。

 

 世界を救う? 

 

 原作の悲劇を改変する? 

 

 好きなキャラクターを救済する? 

 

 そういう高尚な目的は、絶対に死なないという圧倒的な自信と実力が身についてからでいい。

 

 まずは、生きる。

 

 次に、魔法式を安全に集める。

 

 そのうえで、もし僕の力で誰も不幸にならない道が作れそうなら、少しだけ未来の分岐に干渉してみる。

 

 それくらいが、最も合理的で健全な転生者の生き方だろう。

 

 そして、僕のささやかな目標の一つ。

 

 生お兄様、司波達也の魔法を見ること。

 

 この世界のバグ。

 

 歩く人型理不尽。

 

 分解と再成という、神の領域に等しい能力を抱えた、戦略級魔法師どころではない何か。

 

 会いたい。

 

 めちゃくちゃ会いたい。

 

 同じ空気を吸ってみたい。

 

 でも、絶対に敵対はしたくない。

 

 彼に敵として認識された瞬間、僕の存在は情報体レベルで消し飛ばされる。

 

 できれば、あの奇跡のような『再成』を観測してみたい。

 

 できれば、あらゆる事象を無に還す『分解』の術式も目録に収めてみたい。

 

 できれば、天才魔工技師トーラス・シルバーとしての洗練された技術も拝みたい。

 

 でも、それを見た瞬間に僕の命が消え去るようなデスゲーム的な状況は御免だ。

 

 つまり、遥か遠くの安全圏から、高みの見物ならぬ「物陰からの観測」をキメたい。

 

《万象術式目録》の存在は、誰にも言えない秘密だ。

 

 しかし、もし僕が十分に強くなり、彼と対等に近い立ち位置を得られたなら。

 

 あの常に冷静沈着な無表情に、ほんの少しでも驚きや焦りを浮かべさせることができたなら、僕のコレクターとしての完全勝利である。

 

 そんな野望と不安を胸に秘め、僕は今日、運命の日を迎えた。

 

 真新しい制服に袖を通し、必要な書類と情報端末が入った鞄を確認して、家を出る。

 

 春の陽気が心地よい。

 

 四月の風が、新しい始まりを祝福しているかのようだ。

 

 向かう先は、国立魔法大学付属第一高校。

 

 全国から選りすぐりの魔法師の卵たちが集まる、最高峰の教育機関。

 

 僕にとっては、学校というより、ようやく解放された「常設ガチャ会場」であった。

 

 電車を乗り継ぎ、駅から歩くこと数分。

 

 目の前に現れた重厚な校門を見て、僕は思わず立ち止まり、深い感嘆の息を漏らした。

 

 右を見ても、魔法師。

 

 左を見ても、魔法師。

 

 前を歩く生徒も、後ろから談笑しながら歩いてくる生徒も、だいたい全員が魔法師。

 

 ここは天国か? 

 

 長年、魔法の枯渇に苦しんできた僕にとって、この空間に満ちるサイオンの気配は、砂漠で見つけたオアシスそのものだった。

 

 その時だ。

 

 前方を歩いていた新入生の一人が、手から学生証の入ったケースを滑り落とした。

 

 カチャリ、と小さな音が鳴る。

 

 落とした本人は舌打ちをし、屈むことなく、指先で小さくCAD(演算デバイス)を操作した。

 

 ほんの一瞬。

 

 微弱なサイオンの波動が空間を走り、落ちたケースがふわりと浮き上がり、持ち主の手に吸い込まれるように戻っていった。

 

 魔法としては、本当に、本当にしょぼい。

 

 ただの念動力の劣化版、小規模な移動魔法だ。

 

 だが、僕の精神領域はそれに猛烈に反応した。

 

《新規魔法式を観測しました》

 

《解析を完了。精神領域内『目録』へ登録します》

 

《簡易座標補正系・小規模移動魔法》

 

《サイオン保有量が微増しました》

 

《魔法式展開領域が微拡張されました》

 

 脳内に響くシステムのアナウンス。

 

 僕は、上がってしまいそうになる口角を必死に引き結び、無表情を取り繕った。

 

 きた。

 

 きたきたきた。

 

 入学して、いや、校門をくぐる前のたった三分で、いきなりの新規登録。

 

 しかも野生の魔法師からの生ドロップだ。

 

 一高、神か? 

 

 周囲の生徒から見れば、校門の前で一人立ち止まり、微妙に肩を震わせて笑いをこらえている変な新入生にしか見えないだろう。

 

 だが気にしない。

 

 僕の心は今、かつてないほどの歓喜に満たされている。

 

 高鳴る鼓動を抑えながら校内へ足を踏み入れると、ひときわ目を引く二人の姿があった。

 

 遠目からでも分かる、周囲とは完全に隔絶された空気。

 

 まず、視界に飛び込んできたのは司波深雪。

 

 原作のテキストでも「規格外の美少女」「深雪の美しさは絶対的」などと形容されていたが、生で見るとその説得力が暴力的なまでに違う。

 

 ただ整っているのではない。

 

 彼女が存在するだけで、周囲の空間が凍りつき、ピントが彼女にだけ合っているかのような錯覚に陥る。

 

 画面越しやイラストでは絶対に伝わらない、息を呑むような、そしてどこか恐ろしさすら感じる美貌だった。

 

 そして、その少し後ろ。

 

 一歩引いた位置から、彼女を守るように歩く長身の少年。

 

 司波達也。

 

 生お兄様だ。

 

 心臓が跳ねた。

 

 いや、落ち着け僕。

 

 不審者になるな。

 

 ただの通行人Aを装え。

 

 見るだけ。

 

 観測するだけだ。

 

 彼はまだ魔法式を展開していない。

 

 ただ息をして歩いているだけだ。

 

 ここで舐めるように観察すれば、あの男の異常なまでの知覚能力に引っかかる。

 

 殺気や敵意がなくても、「見られている」という事実だけで警戒対象に分類されかねない。

 

 視線をスッと逸らし、何事もないように歩みを続ける。

 

 その刹那。

 

 ほんの微かに、達也の顔がこちらへ向いたような気がした。

 

 目が、合った? 

 

 いや、たぶん気のせいだ。

 

 数百人の新入生が入り乱れる中で、僕のような地味な存在に気づくはずがない。

 

 だが、あの人の場合、「気のせい」で片付けられない可能性が普通に存在するから恐ろしい。

 

 怖い。

 

 推しが怖い。

 

 僕は冷や汗をかきながら、そそくさと彼らから距離を取った。

 

 今はまだ接触する時ではない。

 

 式典会場である講堂での入学式は、厳かではあったが、僕にとっては退屈な時間だった。

 

 もちろん、深雪が新入生代表として壇上に立ち、挨拶をする場面は圧巻だった。

 

 声まで綺麗か。

 

 鈴を転がすような、それでいて芯のある透き通った声。

 

 なるほど、これが司波深雪。

 

 誰もが魅了されるのも頷ける。

 

 ただ、惜しむらくは、彼女がこの場では一切魔法を使っていないことだ。

 

 素晴らしいスピーチだが、言葉だけでは僕のライブラリは潤わない。

 

 残念。

 

 式が終わり、クラス分けが発表される。

 

 自分の名前を探し当てた僕は、小さく安堵の息を吐いた。

 

 僕は一科生ではない。

 

 二科生だ。

 

 制服の胸に八枚花のエンブレムがない、いわゆる「ウィード」と呼ばれる側。

 

 だが、僕にとってこれほど都合のいいポジションはない。

 

 原作の主人公であるお兄様と同じ側にいられるというファン的な喜びもあるが、何より実利面だ。

 

 プライドが高く、目立ちたがりの一科生たちの前で優秀な成績を収めて注目されるより、二科生として有象無象の中に埋もれていた方が、遥かに自由に動き回れる。

 

 さらに、掲示された名簿の中に見慣れた名前を見つけて、僕は内心で小さくガッツポーズをした。

 

 司波達也。

 

 同じクラスである。

 

 最高か。

 

 いや、危険度も最高だが。

 

 僕がチート能力を持ちながら二科生になったのには、明確な理由がある。

 

《万象術式目録》は、あくまで「他者の魔法式を登録し、基礎性能を上げる能力」だ。

 

 僕自身が単体で強大な威力を発揮するような、攻撃的な固有魔法ではない。

 

 入学前の実技試験の段階で僕が使えたのは、家政婦や家族からコピーした十数個の「生活魔法」だけだった。

 

 基礎性能は微増していたが、一科生のトップ層と渡り合えるほど圧倒的だったわけではない。

 

 それに、本気を出して試験官を驚かせれば余計な詮索を受ける。

 

 だから僕は、実技試験では「そこそこの演算速度で、極めて無難に低級魔法を処理する」ことに徹したのだ。

 

 二科生でよかった。

 

 目立たない。

 

 達也に近い。

 

 そして、周囲の魔法を心置きなく集められる。

 

 控えめに言って最高ではないか。

 

 割り当てられた教室に入ると、すでに多くの生徒たちが席に着き、ざわめきを生んでいた。

 

 僕は自分の席を見つけ、静かに腰を下ろす。

 

 周囲の生徒たちを観察しながら、これからの学園生活に思いを馳せる。

 

 ホームルームが始まり、担任からの簡単な説明の後、周囲の席の者同士で軽い自己紹介の時間が設けられた。

 

「よろしく。私は……」

 

「僕は……」

 

 次々と名前が交わされる中、僕の順番が回ってくる。

 

「水瀬悠。よろしく」

 

 必要最低限の言葉だけを、少し淡泊なトーンで返す。

 

 愛想を振りまく必要はない。

 

 僕の目的は友人作りではなく、魔法式の収集なのだから。

 

 周囲の生徒たちは、僕の短い挨拶に少し戸惑いを見せつつも、「水瀬さん」「水瀬」と当たり障りのない呼び方で応じてくれた。

 

 その中で、ひときわ明るい声が飛んでくる。

 

「へえ、水瀬悠。悠っていうんだ。私は千葉エリカ。よろしくね、水瀬」

 

 ショートヘアの、勝気そうな生徒だった。

 

 千葉エリカ。

 

 もちろん、知っている名前だ。

 

 原作組の一人。

 

 剣術方面の戦力としても、人間関係の起爆剤としても、かなり重要な人物である。

 

「よろしく、千葉」

 

「エリカでいいよ。千葉って呼ばれると、なんか家の方っぽくて面倒だし」

 

「……じゃあ、エリカ」

 

「うん。よろしく、水瀬」

 

 距離が近い。

 

 原作でもそうだったが、実際に向けられると圧がある。

 

 だが、悪い感じではなかった。

 

 そして、初日のクライマックスはすぐにやってきた。

 

 教室での自己紹介もそこそこに、教師の引率で実技の基礎確認が行われることになったのだ。

 

 本格的な実技授業ではない。

 

 入学直後のCAD登録状況、魔法発動時の安全性、基礎的な適性を確認するための簡易チェックである。

 

 一人ずつ、自分が最も安定して構築できる基礎魔法を、極低出力で展開して見せる。

 

 生徒たちにとってはただの確認作業だが、僕にとっては違う。

 

 これは、大規模な「小収穫祭」だ。

 

 生徒たちが順番に前に立ち、CADを操作する。

 

 放たれる魔法は、どれも授業の範疇を出ない小規模なものだ。

 

 しかし、一高に入学を許可されるレベルの魔法師たちが構築する術式は、生活魔法とは比べ物にならないほど洗練され、多様性に富んでいた。

 

 僕の精神領域で、歓喜の鐘が鳴り響き続ける。

 

《新規魔法式を観測しました》

 

《小規模加速魔法を登録》

 

《物体移動補助術式を登録》

 

《簡易冷却魔法を登録》

 

《既存魔法式『簡易加熱』との類似性を確認。統合解析を開始》

 

《表面硬化魔法を登録》

 

《空気振動制御術式を登録》

 

《サイオン保有量が増加しました》

 

《干渉力が微増しました》

 

《並列処理能力が微増しました》

 

《魔法式の最適化精度が向上しました》

 

 やばい。

 

 学校、やばい。

 

 生活魔法を何年もかけて、泥水をすするような思いで十数個集めたというのに。

 

 今日だけで、いや、この一時間だけで、その数をあっさりと超えそうだ。

 

 次々と脳内にインデックスされていく新しい魔法式。

 

 それに伴って、自分の内のサイオンが満ちていく感覚、思考がクリアになり、世界への干渉力が強まっていく確かな手応え。

 

 一高、最高。

 

 もうここに住みたい。

 

 外面はどうにか平静を装っているつもりだが、内側から湧き上がる多幸感を抑えきれず、どうしても口元が緩んでしまう。

 

「……水瀬さん、なんだか楽しそうだね」

 

 隣の席になった生徒が、不思議そうな顔で僕を覗き込んできた。

 

「……そう見える?」

 

「うん。かなり。実技確認がそんなに嬉しいの?」

 

「まあね。色んな人の魔法を見るのは、勉強になるから」

 

 嘘は言っていない。

 

 これ以上の勉強、つまりステータスアップの場はない。

 

 やがて、僕の順番が呼ばれた。

 

 教師の前に立ち、端末型CADを構える。

 

 ここで下手に洗練された魔法を見せる必要はない。

 

 僕が選んだのは、これまで集めた生活魔法を組み合わせた、非常に地味なオリジナル複合魔法だ。

 

 ターゲットとして置かれた小さな立方体ブロックに照準を合わせる。

 

 起動式を展開し、魔法式を構築する。

 

 僕が行ったのは、『対象物表面の埃を微細振動で払い落とし、同時に水分を微弱に除去して乾燥させ、表面の摩擦係数を整える』という処理だ。

 

 見た目は、ブロックがほんの少しだけ綺麗になったようにしか見えない。

 

 極めて地味だ。

 

 しかし、その中身は「清掃」「微細振動」「水分除去」「表面制御」「低出力安定化」という複数の事象改変を、一つの魔法式の中で淀みなく並列処理している。

 

 魔法が発動し、ブロックが新品のように艶を取り戻す。

 

 教師はデータ端末の数値を見て、ほんの少しだけ眉を動かした。

 

「……ふむ。出力は低いが、驚くほど無駄がない。安定しているな。ご苦労」

 

 よし、無難に切り抜けた。

 

 席に戻ろうと振り返った時、斜め後ろの離れた席で、司波達也が一瞬だけこちらへ視線を向けたのが見えた。

 

 ……気のせいだ。

 

 そういうことにしよう。

 

 彼の眼、『精霊の(エレメンタル・サイト)』に僕の術式構造がどのように映ったのかは分からない。

 

 ただの地味な魔法としてスルーしてくれたことを祈るばかりだ。

 

 やめて。

 

 まだ見ないで。

 

 僕はただの無害な魔法式コレクターです。

 

 席に戻りながら、僕は改めて固く決意した。

 

《万象術式目録》は、絶対に秘密にする。

 

 この能力の真の恐ろしさが知れ渡れば、どうなるか。

 

 軍が黙っていないだろう。

 

 十師族が囲い込もうとするだろう。

 

 あの冷酷な四葉の当主に目をつけられたら、僕の自由は終わる。

 

 そして何より、達也に「予測不能な危険要素」として敵性判定されたら、僕は文字通り消滅する。

 

 魔法を見れば見るほど、無制限に強くなり続ける存在など、国家レベルの管理案件、あるいは排除対象でしかないのだ。

 

 だから、僕は目立たない。

 

 原作の危険なイベントには、不用意に突っ込まない。

 

 ただひたすらに、息を潜めて魔法式を集める。

 

 強くなる。

 

 そして、死なない。

 

 以上。

 

 とても健全で、堅実な高校生活計画である。

 

 初日からこれだけの収穫があったのだ。

 

 九校戦なんて大規模な魔法の祭典が始まった日には、僕のライブラリは情報量で爆発してしまうかもしれない。

 

 午後になり、新入生たちは校内施設の案内のため、グループごとに移動することになった。

 

「はい、それじゃあ実技棟、更衣室、演習場の順に案内するから、男女別れて列を作ってー」

 

 案内役の先輩の指示に従い、生徒たちが二つの集団に分かれ始める。

 

 僕は、今日の収穫でホクホクになった頭で、ぼんやりと考え事をしていた。

 

 今日だけで登録できた魔法式は、優に二十を超えた。

 

 やはり一高は神。

 

 しかも、これはまだただの基礎確認だ。

 

 達也も深雪も、他のネームドキャラたちも、まだ本気で魔法を使っていない。

 

 彼らの本気の術式を観測できた時、僕の能力はどれほど跳ね上がるのか。

 

 そんな甘美な想像に浸りながら、僕は無意識のうちに、男子生徒たちが形成しつつある列の最後尾に向かって歩きかけていた。

 

 その時、グイッと腕を引かれた。

 

「ちょっと、水瀬。そっち男子の列だけど?」

 

 ハキハキとした、呆れたような声。

 

 振り返ると、ショートヘアの勝気そうな少女──千葉エリカが、腕を組んで僕をジト目で見ていた。

 

「……え?」

 

 僕が間の抜けた声を出すと、エリカはさらに大きくため息をついた。

 

「え、じゃないでしょ。あんた、女の子なんだからこっち」

 

 そう言って、彼女は僕の腕を強引に女子の列の方へと引っ張っていく。

 

 ……そうだった。

 

 転生してからずっと、魔法のことばかり考えていて、自分の容姿や立ち振る舞いなど二の次だった。

 

 一人称もずっと「僕」のままだし、服装にも無頓着。

 

 でも、そういえば。

 

「ほら、女子はこっちだってば」

 

 千葉エリカに腕を引かれながら、僕はようやく思い出した。

 

 そういえば。

 

 今世の僕は、女だった。




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。