魔法科世界の術式蒐集者   作:パラレル・ゲーマー

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第12話 どこまでコピーできる?

 ブランシュ本部への強襲作戦は、昨日の夜のうちに完全な成功を収めていた。

 

 一高は一応の平穏を取り戻しつつあるように見えた。

 

 とはいえ、完全な日常に戻ったわけではない。

 

 放送室占拠事件の後処理、有志同盟関係者への事情聴取、保護された壬生先輩のケア、司甲をはじめとするブランシュ関係者の警察・軍への引き渡し、破壊された校内設備の修復。

 

 生徒会や風紀委員は、この数日間、文字通り休む間もなく動き回っているはずだ。

 

 それでも、一般生徒の間では、すでに事件は「少し物騒な噂話」として消費され始めていた。

 

 僕は教室の自分の席に座り、窓の外をぼんやりと眺めていた。

 

 ブランシュは潰れた。

 

 少なくとも、第一高校を直接の標的としていた拠点は制圧された。

 

 壬生先輩は無事に保護され、司甲も捕まった。

 

 有志同盟の騒動も、これで一応の区切りがつく。

 

 だが、僕自身の個人的な問題は、何一つ終わっていない。

 

 十文字克人のファランクス。

 

 そして、あの特別閲覧室の前での、司波達也の視線。

 

『後で話がある』

 

 あれは、事件の終わりを告げる言葉ではない。

 

 僕の人生を左右する『尋問開始の予告』だった。

 

 僕はすでに悟っている。

 

 お兄様は絶対に、僕を逃がしてはくれない。

 

 放課後のチャイムが鳴り響いた直後。

 

 僕の手元の情報端末が、短く振動した。

 

 メッセージアプリを開くと、そこには極めて事務的な、しかしまるで死刑宣告のような短い一文が表示されていた。

 

『放課後、第3演習室へ来てくれ。司波達也』

 

 僕は、画面を見つめたまま完全に硬直した。

 

「何? 達也くんから呼び出し?」

 

 背後から、エリカがひょっこりと顔を出して画面を覗き込んだ。

 

「……うん。まあ、そんな感じ」

 

「へえー。こんな人気のない演習室にわざわざ呼び出すなんて、ついに愛の告白?」

 

「たぶん、愛のない尋問」

 

「あー……そっちね」

 

 エリカは納得したように肩をすくめた。

 

 横で帰り支度をしていたレオが、怪訝そうな顔でこちらを見る。

 

「水瀬、お前また何かやったのか?」

 

「やってないと言いたいところだけど、心当たりがありすぎて逆に一つに絞れない状態だよ」

 

 僕の深刻な顔を見て、美月が不安そうに眉を下げる。

 

「水瀬さん……大丈夫ですか?」

 

「大丈夫。命までは取られないと思うよ」

 

「思う、なんですか……?」

 

「……万が一の時は、僕のコレクションは墓場まで持っていくから安心して」

 

「何の話ですか!?」

 

 友人たちとの軽いやり取りで少しだけ緊張をほぐし、僕は重い足取りで第3演習室へと向かった。

 

 第3演習室は、防音設備が整えられた、主に高度な魔法実技の個人訓練に使われる部屋だ。

 

 扉の前に立つと、「使用中」のランプが点灯していた。

 

 意を決して扉を開ける。

 

 室内には、達也が一人で立っていた。

 

 よかった。

 

 妹様はいない。

 

 これなら、少なくとも部屋が物理的に氷河期に沈むことは回避できる。

 

 しかし、お兄様による単独の密室尋問という時点で、精神的にはすでに氷点下だった。

 

 達也は、僕が入ってきたのを確認すると、操作盤のスイッチを入れて扉のロックをかけ、外部との通信と監視カメラの回線を切断した。

 

 完全な密室の完成だ。

 

 彼は前置きなど一切しなかった。

 

 ただ、静かに、しかし逃げ場のない視線で僕を真っ直ぐに射抜いた。

 

「水瀬」

 

「はい」

 

「君は、どこまでコピーできる?」

 

 心臓が、本当に止まったかと思った。

 

 直球すぎる。

 

 オブラートという概念を知らないのか、この人は。

 

 僕は、引きつった笑みを浮かべ、なんとかいつもの軽口で誤魔化そうと試みた。

 

「……コピー、というのは少し誤解を招く表現だと思うんだよね。僕はあくまで魔法式を注意深く観測して、それを参考にして、自分なりの解釈で学習しているだけであって──」

 

「水瀬」

 

「はい」

 

「誤魔化すな」

 

 その低く冷たい声音に、僕の薄っぺらな防壁は粉々に砕け散った。

 

「……だよね。君相手に誤魔化しは無理だよね」

 

 僕は肩を落とし、白旗を揚げた。

 

 達也は表情一つ変えず、これまでの僕の行動の数々を、まるで証拠品を並べるように淡々と列挙し始めた。

 

「剣道部での、壬生先輩の姿勢制御」

 

「……見た」

 

「中庭での、桐原先輩の斬撃補助」

 

「……見た」

 

「服部副会長との模擬戦で見た制圧魔法」

 

「……見た」

 

「昨日の、深雪の冷却魔法」

 

「……見た」

 

「そして、十文字先輩のファランクス」

 

「……見た」

 

 達也は一拍置いて、最も核心を突く質問を放った。

 

「登録したのか」

 

「……した」

 

 沈黙が降りた。

 

 僕はここで初めて、自分の《万象術式目録》という能力の存在を、他人に明言した。

 

 達也は、僕の答えを聞いても全く動揺を見せなかった。

 

 彼はまず、情報漏洩のリスク範囲の確認から入った。

 

「この能力を知っている者は、他にいるか?」

 

「いない」

 

「本当にか」

 

「本当に。君が初めてだよ」

 

「家族にも、教師にも、医療関係の検査機関にもか?」

 

「言ってない。そもそも、魔法科高校に入学するまで、この能力のまともな使い道がなかったからね。家政婦さんの生活魔法や、ちょっとした日常の魔法式を見ても、『便利だなー』くらいで済んでた。大規模な魔法なんて観測する機会自体がなかったんだ」

 

 達也は少しだけ思考を巡らせるように目を細めた。

 

「……なるほど。魔法式を直接視認できない者には、そもそも君の異常性が分からない。そして、君自身が使わなければ、発覚のしようがない」

 

「そう。だから今までは、ただの『ちょっと要領の良い魔法好きの子供』で隠し通せてたんだ。……まあ、一高に入って数日で、君には完全にバレたけど」

 

「君が隠す気のない反応を繰り返し、不用意に実戦で応用したからだ」

 

「耳が痛い」

 

 達也は、この能力がまだ外部に漏れていないという事実を確認し、ひとまず安堵したようだった。

 

 この確認作業が、彼にとってどれほど重要かは僕にも理解できた。

 

「では、説明してもらおう。君のその能力の全容を」

 

 僕は覚悟を決め、包み隠さず話すことにした。

 

「僕の固有魔法……というか、精神領域内に『目録』みたいなシステムが存在しているんだ。僕はそれを《万象術式目録(アカシック・ライブラリ)》って勝手に呼んでるんだけど。一度でも発動のプロセスを直接観測した魔法式を、そのまま保存する能力だ。保存された魔法式は、決して劣化しないし、忘れることもない。系統が違っても使えるし、血統魔法でも、国家の秘匿魔法でも、軍用魔法でも、発動さえ観測できれば、無条件で登録される」

 

「……構造だけか?」

 

 達也が、静かに問う。

 

 僕は一瞬、ここで嘘をつくか迷った。

 

 だが、彼の『精霊の眼』の前で嘘は無意味だと判断し、首を振った。

 

「……構造だけじゃない」

 

「質も、か」

 

「うん。完成度、変数の処理精度、展開の順序、最適化の癖、その魔法式が構築された時に持っている『品質』みたいなものまで、丸ごと保存される。だから、未熟な模倣じゃない。本人が発動した魔法式に、かなり近い形で僕の精神領域に登録されるんだ」

 

 達也は沈黙した。

 

 その沈黙が重すぎて、僕は居心地の悪さに耐えきれなくなり、つい軽口を叩いてしまった。

 

「……便利でしょ?」

 

「便利という言葉で済ませていい次元ではない」

 

 達也の冷徹な声が、演習室に響く。

 

 だが、僕の告白はまだ終わっていなかった。

 

 ここからが、この能力の本当の恐ろしさだ。

 

「あと、魔法式を一つ登録するたびに、僕自身の基礎性能も少し拡張されるんだ」

 

 達也の目が、わずかに見開かれた。

 

「……基礎性能?」

 

「うん。サイオンの最大保有量、事象への干渉力、魔法式の演算速度、展開領域の広さ、並列処理能力、最適化精度。そういう、魔法師としてのハードウェア的な基礎部分が、登録のたびに底上げされるんだ」

 

 達也は再び深い沈黙に落ちた。

 

「だから、どんなしょぼい生活魔法式でも、僕にとっては能力を上げるためのご褒美なんだよね。コレクションボーナスみたいなものというか、ゲームの経験値みたいな」

 

「……それが、一番危険かもしれないな」

 

 達也の呟きに、僕は首を傾げた。

 

「え、ファランクスを質ごとコピーできることより?」

 

「それらも単体で十分に危険だ。だが、君自身の『器』が拡張され続けるなら話が違う。魔法式を集めれば集めるほど、君はより高度で大規模な魔法を扱えるようになる。それはつまり、強力な観測対象と時間さえあれば、君の能力には『上限が見えない』ということだ」

 

 達也は、僕の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「君は、神にでもなるつもりか?」

 

「えー……僕はただのコレクターだよ。色んな魔法式が見られれば、それで幸せなだけなんだけど……」

 

「その、己の異常性に対する認識の甘さが、一番危険だと言っているんだ」

 

 この会話のズレが、僕と達也の視点の違いを明確に表していた。

 

 僕はあくまで「オタク的なコレクター目線」。

 

 達也は、「社会的・軍事的な危険性を見極める管理者目線」だ。

 

 達也が、一つ息をついてから言った。

 

「十文字先輩の魔法式を再現できるか」

 

「たぶん」

 

「見せろ」

 

「嫌です」

 

 即答した。

 

「なぜだ」

 

「十文字先輩のファランクスを勝手に使うとか、十師族案件どころの騒ぎじゃないから! 見つかったら社会的に消される!」

 

「ここには俺しかいない」

 

「君がいる時点で十分怖いんだよ! もし失敗して暴発でもしたらどうするの!」

 

「俺が確認する必要がある。君が本当に『質』まで模倣できているのかを」

 

 達也の目には、絶対に引かないという意志が宿っていた。

 

 僕は観念し、深くため息をついた。

 

「小さく、本当に小さくだよ。一層……いや、数層だけ。絶対にデータに記録したりしないでよ」

 

「俺の脳内以外には記録しない」

 

「……信用していいの?」

 

「君の秘密を学校や軍に暴くつもりなら、昨日の時点で十分材料は揃っていた。今更だ」

 

「……それもそうか」

 

 僕はCADを取り出し、精神領域のライブラリから昨日登録したばかりの『ファランクス』のインデックスを引き出した。

 

 出力を極限まで絞り、目の前の空間に展開する。

 

 僕の前に、薄く透明なサイオンの障壁が一枚現れた。

 

 そしてその背後に、さらに二枚の障壁が重なるように展開される。

 

 規模は非常に小さい。

 

 手のひらサイズだ。

 

 十文字克人が戦場で展開した、あの移動要塞のような圧倒的な圧力とは比べものにならない。

 

 だが、魔法式の『質』だけは、紛れもなく十文字克人のそれだった。

 

 一番外側の層が衝撃を受けると想定し、そのエネルギーを次の層へ分散させる。

 

 破損した層を再展開で補うための微細なタイムラグの補正。

 

 小さな模型でありながら、そこに組み込まれた設計思想と変数の処理は、本物そのものだった。

 

 達也は表情を変えなかったが、彼の『精霊の眼』がその構造を完璧に読み取ったことは、わずかに細められた瞳から伝わってきた。

 

 ◆

 

 司波達也 視点

 

 俺は、自分自身の異常性を一瞬だけ思考の外へ置いた。

 

 俺は魔法式を視認し、分解し、無効化できる。

 

 だが、それはあくまで俺の認識能力と演算領域に依存した、破壊と再生に特化した特殊技能だ。

 

 水瀬悠は違う。

 

 彼女は、他者の魔法式を『質』ごと保存する。

 

 十文字先輩の魔法式が、本人の血統や修練の積み重ね、十文字家が代々守り抜いてきた秘匿技術から完全に切り離され、一人の二科生の精神領域にただのデータとして保存されている。

 

 これは、強い弱いの問題ではない。

 

 魔法社会の根幹を成す『秘匿性』や『血統の優位性』そのものを、根底から破壊する能力だ。

 

 俺はここで、水瀬悠という存在を、単なる『監視対象』から、厳重に秘匿すべき『危険物』として認識を更新した。

 

 ◆

 

 水瀬悠 視点

 

「……確認した。しまっていい」

 

 達也の言葉に、僕はホッとして魔法式を解除した。

 

 だが、達也の次の言葉で、僕の安堵は一瞬で吹き飛んだ。

 

「水瀬。君は今後、俺の魔法を見る可能性が高い」

 

 僕は青ざめた。

 

「いやいやいや、それは絶対に見ない方がいいやつでしょ」

 

「だから今、俺の管理下で、あえて見せる」

 

「理屈は分かるけど正気!?」

 

「戦場などの予測不可能な状況で偶然見るより、ここで俺の監視のもとに確認し、制限をかけた方が安全だ」

 

 達也の理屈は完璧だった。

 

 僕がいつか彼の《分解》や《再成》を実戦で観測してしまう可能性は非常に高い。

 

 その時に僕の能力がどう反応し、何が起きるか分からない状態の方が危険だ。

 

 だから、先に確認し、彼が僕の反応を見て、悪用しないかをここで測るのだ。

 

「お兄様の魔法をコピーするとか、僕の胃が情報量で死ぬんだけど」

 

「胃の問題ではない」

 

「分かってるから怖いんだよ!」

 

 達也は僕の抗議を無視し、演習室の隅にあった小さな金属片のジャンクパーツを拾い上げた。

 

「まずは、《分解》だ」

 

 僕は息を呑み、逃げ出したい衝動をこらえて彼の指先を見つめた。

 

 達也が金属片に指を向ける。

 

 次の瞬間、金属片が音もなく『崩れた』。

 

 爆発ではない。

 

 破砕でもない。

 

 燃焼でもない。

 

 物体が物体であるための構造情報が、根本からほどけ、存在のまとまりを失って塵と化したのだ。

 

《既存体系外・情報体分解魔法式を観測》

 

《対象構造情報への直接干渉を確認》

 

《構造式破壊プロセスを解析中》

 

《登録中……》

 

《登録完了》

 

 僕の顔色から、血の気が完全に失せた。

 

 取れた。

 

 本当に、取れてしまった。

 

 物体を壊す魔法じゃない。

 

 物体が物体であるための情報を、ほどく魔法。

 

 これ、人間に向けたら終わるやつじゃないか。

 

 こんなもの、人間の精神領域に入れていいデータじゃない。

 

「……取れちゃった」

 

 僕が震える声で呟くと、達也は短く「そうか」と答えた。

 

「そうか、じゃないよ!? 良いの!? こんなヤバい魔法、僕が持ってて!」

 

「良いかどうかを確認するために、今見せたんだ」

 

 達也は悪びれる様子もなく、次に先ほど崩壊して散らばった塵に視線を向けた。

 

「次に、《再成》だ」

 

「いや、待って。もう十分ヤバい。お腹いっぱい。ここで止めてもいいと思う」

 

「片方だけ知っている状態の方が、バランスが悪く危険だ」

 

「理屈が強すぎる……!」

 

 達也が魔法を発動する。

 

 次の瞬間、崩壊したはずの金属の塵が、まるで巻き戻された映像のように空中で集まり、元の完全な金属片の形へと戻った。

 

《既存体系外・情報体復元魔法式を観測》

 

《過去情報体参照による再構成プロセスを確認》

 

《状態復元処理を解析中》

 

《登録中……》

 

《登録完了》

 

 僕の精神領域の最奥に、《分解》と《再成》という、神の領域に属する二つの魔法式が並んで鎮座した。

 

 僕は完全に固まり、石像と化した。

 

 ゲットした。

 

 十文字克人のファランクス。

 

 司波達也の分解。

 

 司波達也の再成。

 

 今日一日で、僕の精神領域の危険度が、国家の最高機密保管庫を軽くぶっちぎってしまった。

 

「……本当に、取れた」

 

「再現できるか」

 

「たぶん。小さくなら」

 

「今は使うな」

 

「絶対に使わないよ! 怖すぎるよ!」

 

 僕が半泣きで叫ぶと、達也は深く息を吐き、これまでの冷徹な尋問者の顔から、わずかに『管理者』としての顔へと表情を和らげた。

 

「ここからが本題だ。君の能力の運用ルールを定める」

 

 達也は、僕の能力を全否定したり、封印したりするのではなく、現実的なルールで囲い込むことを選んだ。

 

「今後、一般的な魔法や、授業、公開の部活デモなどで見た魔法については、『観察と学習の速度が異常に早い』という理由で通せ。それらを応用して自分の魔法を改善することまでは許容する」

 

「うん」

 

「だが、十師族系、血統魔法、秘匿魔法、軍用魔法は一切使うな。俺の《分解》と《再成》も当然同じだ。これらは、いかなる理由があろうと使用禁止とする」

 

「表向きはどうするの?」

 

「『秘匿魔法や血統に依存する魔法はコピーできない』ということにしろ。最悪、君の能力の一部が誰かに疑われたとしても、その線で誤魔化し通す。一般魔法の学習が異常に早い、という程度なら、天才で済まされる範囲だ」

 

 僕はコクコクと頷いた。

 

「……了解。一般魔法は学習の賜物。秘匿系は使わない」

 

「違う。君は見たものを忘れることができないのだろう。なら、『見なかったこと』にするのではなく、自らの強固な意志で『使わないこと』にしろ。それができなければ、君はいつか自分自身の能力に食われる」

 

 達也のその言葉は厳しかったが、単なる管理や制限ではなく、僕という人間を『保護』しようとする響きが含まれているように感じた。

 

「君のその能力が外部に知られれば、君は明日からただの生徒ではいられなくなる」

 

 達也は警告を続ける。

 

「十師族、軍、魔法研究機関、犯罪組織。どこに知られても、君は確実に奪い合いの対象になる」

 

「……生体解剖とか、人体実験コース?」

 

「笑い事ではない。最悪の場合、社会のバランスを崩す存在として『処分』される可能性もある」

 

 僕は黙り込んだ。

 

 達也の言う通りだ。

 

 僕は自分の能力を、便利なチートや、コレクターとしての楽しみだと思っていた。

 

 だが、外の世界の権力者たちから見れば、僕は『歩く魔法機密漏洩装置』だ。

 

 僕が見た瞬間、血統も、一族の積み重ねも、軍の機密も、全て僕のものになってしまう。

 

 これは能力ではない。

 

 社会を根底から揺るがす爆弾だ。

 

 達也が、少しだけ声音を柔らかくした。

 

「俺は、君の秘密を守る」

 

 僕が顔を上げると、達也の真っ直ぐな瞳があった。

 

「少なくとも、君がその能力を悪用しない限りは。俺は、君を普通の生徒として守るために、必要な範囲で協力する」

 

「……」

 

「その代わり、取引だ。条件がある」

 

「条件?」

 

 達也は、一拍置いてから告げた。

 

「俺が助けを求めた時は、君の力を貸せ」

 

 僕は固まった。

 

 司波達也が、助けを求める。

 

 それは、普通の事態ではない。

 

 彼が自分の力だけではどうにもならない状況。

 

 深雪絡みの危機か、あるいは未来に起こる、僕の原作知識でも測れないような何らかの絶望的な状況か。

 

「……司波くんが、僕に助けを求める日なんて、本当に来るの?」

 

「来ない方がいい」

 

「でも、来たら?」

 

「その時は、俺の力だけでは足りず、君の能力が必要だということだ」

 

 僕は、これまでの数日間を思い返した。

 

 初日から彼に疑われ、観察され、監視されてきた。

 

 でも、彼は僕を見捨てなかった。

 

 美月を守るために魔法を使った時も、壬生先輩を助けようとした時も、僕を責めることなく、状況の処理を優先してくれた。

 

 そして今も、僕を隔離機関に突き出したり、軍に告発したりするのではなく、『取引』という形で僕の日常を守ることを選んでくれている。

 

 僕は、静かに、だがはっきりと頷いた。

 

「分かった。助けるよ」

 

「……軽く答えるな。命に関わるかもしれないぞ」

 

「軽くないよ。ちゃんと考えた。君が自分のプライドを捨てて『助けてほしい』と言うなら、それは本当に、世界が終わるくらい大変な時だ。なら、僕は全力で助ける」

 

 僕は、彼への敬意と親しみを込めて、自然に呼び方を変えた。

 

「うん。……ありがとう、達也」

 

 達也が、わずかに目を丸くしたのが分かった。

 

 重い秘密の共有と、命を懸けた取引の成立。

 

 張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、僕の中で恐怖、安堵、信頼、そして深い感謝の感情が一気に溢れ出した。

 

「ありがとう、達也!」

 

 僕は勢いに任せて、彼に正面からギュッと抱きついた。

 

 達也は完全に硬直した。

 

「……水瀬、離れろ」

 

「ごめん、今だけ! 数秒だけ! 命の恩人というか、秘密保持のスポンサーというか、もう色々と感謝が止まらないんだ!」

 

「離れろ。不適切な接触だ」

 

「はい、すぐ離れます」

 

 僕が苦笑しながら身を離そうとした、まさにその瞬間だった。

 

「カチャリ」という音と共に、演習室の扉が開いた。

 

「お兄様? このような場所で、お話は終わりまし──」

 

 深雪が、姿を現した。

 

 彼女の視界に飛び込んできたのは、僕が達也に抱きついているように見える光景と、達也が僕を引き剥がそうとしているように見える非常に距離の近いツーショットだった。

 

 一瞬、世界が完全に静止した。

 

 次の瞬間、演習室の温度が、物理的に数度、一気に下がった。

 

 あ。

 

 終わった。

 

 深雪は、完璧な、全く隙のない、だが目が一切笑っていない笑顔を浮かべた。

 

「……水瀬さん?」

 

「違います妹様! いや深雪さん! これは純粋な友情と感謝の物理的表現であって、決してお兄様に対する不埒な接触や恋慕の情に基づくものではなく、いや『不埒』という言葉を自ら出した時点で非常にまずい気はしていますが、つまりその、完全なる誤解です!」

 

 僕は早口でまくし立てた。

 

「水瀬。黙れ。言い訳が余計に状況を悪化させている」

 

 達也が頭を抱えるように言う。

 

「はい。申し訳ありません」

 

「お兄様」

 

 深雪の声音は、鈴を転がすように美しかったが、その背後には猛吹雪の幻影が見えた。

 

「詳しいご説明を、伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「深雪。落ち着け。水瀬は少し感情が高ぶっただけだ」

 

「私は落ち着いております。とても」

 

 床に、ピキピキと音を立てて薄い霜が張り始めた。

 

 氷河期が来た。

 

 ブランシュのテロリストより、百倍怖い。

 

 僕は今日、十文字克人のファランクスと、司波達也の分解・再成という神話級の魔法をコピーした。

 

 だが、この場で最も危険で恐ろしい魔法式は、間違いなく目の前の妹様の『笑顔』だった。

 

 こうして僕は、司波達也と秘密の取引を結んだ。

 

 彼は僕の能力の秘密を守る。

 

 僕は、彼が助けを求めた時に力を貸す。

 

 その約束は、僕の学園生活における最大級の安全装置であり、同時に、いつ爆発するか分からない最大級の時限爆弾でもあった。

 

 なお、その直後に訪れた妹様の氷河期によって、僕の体感寿命は確実に三年ほど縮むこととなった。

 

 僕の《万象術式目録》の最優先事項に、新たな教訓が登録される。

 

 ──司波深雪の視界内で、司波達也に抱きついてはいけない。

 

 これは、どんな戦略級魔法を習得するよりも重要な、この世界における絶対的な生存法則だった。




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