魔法科世界の術式蒐集者   作:パラレル・ゲーマー

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幕間 目録の夜と、兄妹の確認

(水瀬悠 視点)

 

 夜。自室のベッドに仰向けに転がり、僕は暗い天井を見つめていた。

 

 昼間の第3演習室での出来事が、まだ心臓の奥で重い鼓動を打っている。

 

 達也からの逃げ場のない尋問。

 

 僕の能力(万象術式目録)の全容の告白。

 

 そして、彼から突きつけられた現実的な警告と、運用ルールの策定。

 

『君は、歩く魔法機密漏洩装置だ』

 

『神にでもなるつもりか?』

 

 お兄様の冷徹な言葉は、僕の楽観的なコレクター気質を根本から粉砕するには十分すぎる威力を誇っていた。

 

 その直後に妹様によって演習室が文字通り氷河期と化し、僕の体感寿命がごっそり削られたのはまた別の話だが。

 

 僕は真面目に反省していた。

 

 自分の能力の社会的・軍事的な危険性を甘く見すぎていた。

 

 これからは本当に、ただの一般魔法の学習が早いだけの無害な二科生として、息を潜めて生きなければならない。

 

 誓いは固い。

 

 絶対に自重する。

 

 ……はずだった。

 

「…………ふふっ」

 

 誰もいない自室で、僕は無意識のうちに口角が吊り上がるのを止められなかった。

 

 精神領域にアクセスし、ライブラリの最奥に鎮座する、今日新しく追加されたインデックスを眺める。

 

 そこには、神話級の輝きを放つ魔法式群があった。

 

 まずは、十文字克人の『ファランクス』。

 

「……美しい。多層防御の設計思想が美しすぎる」

 

 僕は暗闇の中で一人、恍惚と呟いた。

 

 一番外側の層で衝撃を受け、次の層へと力を逃がし、分散させ、破壊された層を絶妙なタイミングで再構築する。

 

 防ぐ、逸らす、分散する、再構築する。

 

 魔法式というより、これはもう堅牢な城塞の建築設計図だ。

 

 いや、十文字先輩そのものが移動する城塞だったけれど。

 

 その設計図のマスターコピーが、今、僕の中にある。

 

 そして、深雪さんの冷却魔法。

 

「綺麗。怖い。冷たい宝石みたいだ……」

 

 分子運動制御の精度が異常すぎる。

 

 対象の熱量をピンポイントで静止させる、無駄を極限まで削ぎ落とした氷の芸術。

 

 妹様、容姿が規格外なだけじゃなく、構築する魔法式まで圧倒的に美人なんだよなぁ……。

 

 最後に、司波達也の《分解》と《再成》。

 

「……これ、完全に破壊神シヴァの権能じゃん」

 

 対象が物体であるための構造情報そのものをほどき、無に還す。

 

 そして、過去の情報体を参照し、完全に元の状態へと巻き戻す。

 

「いや、破壊だけじゃなく創造神も兼任してるじゃん。破壊と再生を一人でやっちゃ駄目だよ。神話の体系がバグる」

 

 自分自身でツッコミを入れてから、僕は急に恐ろしくなった。

 

「……いや本当に、僕、なんでこんなもの持ってるの?」

 

 神話級の魔法式が、一介の高校生の脳内にポンと置かれている事実。

 

 冷静になればなるほど、事の重大さに震えが来る。

 

 達也の警告が正しかったと、改めて実感する。

 

 これは能力ではない。

 

 暴発すれば世界を巻き込む爆弾だ。

 

 僕は、ライブラリの目録の中で、秘匿系魔法式に自分で厳重な『ロック』をかけるイメージを構築した。

 

 ・通常使用可:生活魔法、授業で見た魔法、部活の公開デモ等で観測した一般魔法。

 

 ・要注意:使用はできるが、応用すると出自が怪しまれる軍用寄りの魔法(ブランシュからドロップした制圧術式など)

 

 ・封印:十師族系、血統魔法、国家の秘匿魔法。

 

 ・絶対封印:ファランクス、分解、再成。

 

「よし。見るのは自由。鑑賞するのは自由だが、使うのは絶対に禁止。これらは、僕の精神を豊かにするための『鑑賞用魔法式』ということで」

 

 自分で自分にルールを課す。

 

 でも、すぐにセルフツッコミを入れた。

 

「……鑑賞用の破壊神権能って何?」

 

 どんな金持ちの道楽だ。

 

 いや、金では買えない。

 

 僕は楽しそうに目録を眺めながらも、最後に少しだけ真面目な顔になった。

 

『俺が助けを求めた時は、君の力を貸せ』

 

 達也との取引。

 

 あのお兄様が、他人に助けを求める時。

 

 それは、彼一人ではどうにもならない、絶望的な状況を意味している。

 

「……来ない方がいいんだろうけど。でも、もしその時が来たら……僕は、この封印を解いて、使うんだろうな」

 

 僕は、静かに目を閉じ、精神領域のアクセスを切った。

 

 ◆

 

(司波兄妹 視点)

 

 同じ頃。司波家のリビング。

 

 夕食を終えた後も、深雪の中には静かな、しかし確かな不満の炎がくすぶり続けていた。

 

 放課後、第3演習室で目撃したあの光景。

 

 水瀬悠という女子生徒が、兄である達也に抱きついていた、あの忌まわしい瞬間の映像が、脳裏にこびりついて離れないのだ。

 

 もちろん、表面上は完璧に淑やかで、美しい妹の顔を保っている。

 

 だが、リビングの室温は設定温度よりも確実に一、二度は低かった。

 

 深雪は、ソファで情報端末を操作している達也に向かって、静かに口を開いた。

 

「……お兄様。先ほどの演習室での件について、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか」

 

 達也は、端末から視線を外さずに淡々と答えた。

 

「水瀬の能力について、確認と取り決めを行っていた」

 

「能力、ですか?」

 

 達也は、深雪に全てを話すつもりはなかった。

 

 自分が《分解》と《再成》をあえて見せたこと、そして水瀬がそれを『質』ごと完全にコピーしてしまったという事実。

 

 さらには、彼女との取引の具体的な内容。

 

 それらは、今の段階では深雪に背負わせるには重すぎ、また不要な情報だと判断した。

 

 しかし、彼女を『味方陣営』として扱う以上、深雪にもある程度の情報は共有しておく必要がある。

 

「水瀬には、他者の発動した魔法式を異常な精度で記憶し、自分の中で再現する能力がある。彼女の魔法学習能力は、一般的な魔法師の枠を大きく超えている」

 

 深雪は、少し驚いたように目を見張った。

 

「……それほどの能力を、お兄様は彼女に明かさせたのですか?」

 

「正確には、以前から疑っていた。彼女が俺たちの周囲で、見たばかりの魔法を即座に応用する場面が何度かあったからな。昨日のブランシュ本部での戦闘時、十文字先輩の魔法を見た時の彼女の反応で、俺の推測はほぼ確信に変わった」

 

 深雪の表情に、警戒の色が浮かぶ。

 

 兄の魔法の秘密を探ろうとする者は、彼女にとって等しく排除すべき対象だ。

 

「……危険ではありませんか? そのような能力を持つ者が、お兄様の近くにいるというのは」

 

「危険だ」

 

 達也は即答した。

 

 深雪の不安がさらに増す。

 

「では、なぜお兄様は彼女を遠ざけたり、学校側や軍、あるいは然るべき機関に報告したりせず、むしろ取引までして……」

 

 ここからが、達也が水瀬を切り捨てず、自陣営に引き込んだ『真意』だった。

 

 彼は端末を置き、深雪の顔を真っ直ぐに見た。

 

「まず第一に。俺は彼女の人格を全面的に信用したわけではない。だが、少なくとも水瀬悠という人間は、自分の能力を権力や地位、あるいは他者を支配するために悪用する人間ではないと判断した」

 

「……どうして、そう言い切れるのですか?」

 

「これまでの行動の蓄積だ」

 

 達也は冷静に根拠を並べる。

 

「彼女は、その気になればもっと自分を有利な立場に置けたはずだ。だが、彼女は講堂のパニックの際、自分の身の安全や魔法式の観測よりも、友人の柴田を守ることを優先した。壬生先輩が利用されていると知った時も、真っ先に彼女の保護に動いた」

 

 さらに、最も重要な要素。

 

「彼女は、俺が能力の危険性を指摘した際、己の能力に浮かれるのではなく、本気で恐怖を見せた。そして、十文字先輩の魔法という絶好の『手札』を手に入れながら、昨日の戦場ではそれを一切使おうとしなかった。収集欲よりも、人命や理性を優先できるだけの判断力がある」

 

「……」

 

「水瀬の欲求は、『見たことのない魔法式を見たい、集めたい、理解したい』という一点に極端に偏っている。異常ではあるが、行動原理は読みやすい」

 

「つまり、お兄様の管理下であれば、制御可能だと?」

 

「少なくとも、現時点ではな」

 

 深雪は少しだけ納得したように頷いた。

 

「二つ目の理由だ」

 

 達也は言葉を継ぐ。

 

「あの能力を持つ人間を、俺の視界の外に野放しにしておく方が、遥かに危険だ」

 

 深雪はハッとした。

 

「……他勢力に、気づかれた場合ですか」

 

「そうだ。十師族、軍、魔法研究機関、あるいはブランシュのような犯罪組織。もし彼女の能力の全容が外部に漏れれば、彼女は確実に奪い合いの対象になる。そして、水瀬には身を守るための後ろ盾がない。最悪の場合、社会のバランスを崩す兵器として使い潰されるか、あるいは処分される」

 

 達也の声は冷徹だったが、事実に即していた。

 

「水瀬には後ろ盾がない。今なら、まだ俺との『約束』という個人的な関係だけで縛り、隠し通すことができる。だが、他勢力が彼女の本当の価値に気づいた後では遅い。敵に回る可能性のある強力な手札は、先に確保しておくべきだ」

 

「……お兄様は、彼女を保護したのですね」

 

「保護であり、同時に監視でもある」

 

 このドライな言い回しが、いかにも兄らしいと深雪は思った。

 

「そして、三つ目。これが最大の理由だ」

 

 達也の声音が、ほんの少しだけ深くなった。

 

 深雪は、無意識のうちに背筋を伸ばし、小さく息を呑んだ。

 

「俺が、二十四時間常に深雪の傍にいられるとは限らない」

 

「お兄様……?」

 

「もし俺が物理的に動けない、あるいは深雪と分断されるような状況で、深雪を守るための『別の手段』が必要になった場合。水瀬の能力は、強力な保険になる」

 

 深雪の胸に、複雑な感情が渦巻いた。

 

 自分のために、あのような特異な能力を持つ少女を手元に置く。

 

 それは純粋に嬉しい。

 

 だが、兄が「自分に何かあった時」を想定している事実が、彼女にはひどく恐ろしく、嫌だった。

 

「お兄様に何かあるなど、私は考えたくもありません」

 

「俺もそうならないようにする。だが、最悪の事態への備えは常に必要だ」

 

 達也は深雪の不安を受け止めつつも、合理的な思考は崩さない。

 

「水瀬は、俺たちでは展開できない他系統の防御魔法を再現できる可能性がある。加えて、彼女の周囲の環境を細かに操作する『場の制御能力』は、戦闘よりも避難や防御、対象の保護に極めて向いている。攻撃役ではなく、深雪を『守る』方向に使わせるなら、彼女ほど有用な手駒はない」

 

「……私のために、彼女を」

 

「そうだ」

 

 さらに達也は続けた。

 

「四つ目の理由。水瀬を敵に回した場合、彼女は最悪の相手になる。戦えば戦うほど、相手の魔法式を学習し、対応策を練ってくる。逃げられれば、その情報は蓄積される。いずれ、防御、移動、支援、解析の全ての面で、手に負えない存在になるだろう」

 

「……戦うこと自体が、相手に武器を与えることになるのですね」

 

「敵にするには不向きすぎる。味方にする方が、圧倒的に合理的だ」

 

 深雪は、深く納得の溜め息をついた。

 

「お兄様の論理は、常に完璧ですね。……味方にする方が合理的、ということですね」

 

「そして最後に。まだ水瀬本人が、自分の能力の本当の危険性を理解しきっていなかった」

 

「危険、ですか」

 

「ああ。彼女は自分の能力を、便利なチートや、趣味の延長として捉えている節があった。だからこそ、今のうちにその認識を叩き壊し、危険性を自覚させる必要があった」

 

 深雪は、演習室での兄の厳しい顔を思い出した。

 

 あれは、彼女を脅すためではなく、彼女自身が能力に食い殺されないための、兄なりの『警告』だったのだ。

 

「今ならまだ、水瀬は『一般魔法の学習と応用が異常に早い優秀な生徒』という仮面で通せる。だから、秘匿魔法や血統に依存する魔法は使わせないというルールを作った。最悪、能力の一部が疑われても、その範囲で誤魔化し通すためだ」

 

「……もし、彼女がその約束を破り、お兄様や私に牙を剥いたら?」

 

 深雪の問いに、達也は一切の躊躇なく答えた。

 

「その時は、俺が止める」

 

 その短く力強い言葉に、深雪の中の不安は完全に霧散した。

 

 そうだ。

 

 お兄様がそう言うのなら、絶対に大丈夫なのだ。

 

 重い話が一段落し、リビングに少しだけ穏やかな空気が戻った。

 

 だが、深雪の中の『もう一つの不満の炎』は、まだ完全には鎮火していなかった。

 

 彼女は、少しだけ視線を伏せ、嫉妬と不安の入り混じった声で尋ねた。

 

「……お兄様」

 

「なんだ」

 

「お兄様が、そこまで彼女を気にかけて、自分の手元に置こうとするのは……」

 

 深雪は、言葉を探すように少し躊躇ってから、口にした。

 

「……水瀬さんが、女性として魅力的だから、というわけではありませんよね?」

 

 達也は、端末の画面から顔を上げ、深雪を見て、普通に否定した。

 

「違う」

 

 その即答に、深雪はホッと胸を撫で下ろした。

 

 だが、達也の次の言葉が、彼女の顔を急激に熱くさせた。

 

「水瀬の容姿が、他者より遥かに整っていることは客観的な事実だ。……だが、俺にとって、深雪と比較するような対象にはならない」

 

「え……」

 

「深雪の美しさは、俺にとって絶対的なものだからな」

 

 達也は、本当にただの『客観的な事実』を述べるような、平坦なトーンで言い切った。

 

 深雪の顔が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まる。

 

「お、お兄様……」

 

「ん? 事実を述べただけだが、何かおかしかったか?」

 

「そ、そのように……当然のことのように仰るのは……反則です……」

 

 深雪は、両手で顔を覆って俯いてしまった。

 

「反則?」

 

「いえ……何でもありません。何でもありませんわ……」

 

 完全に撃沈した妹を見て、達也は少しだけ不思議そうに首を傾げた。

 

 しばらくして、深雪が顔の熱をなんとか冷まし、姿勢を正した。

 

「……水瀬さんは、お兄様の味方になるのですね」

 

「そうなるように、手を打った」

 

「では、私も彼女を見極めます。お兄様が選んだ方ですから、無下にはいたしません」

 

「頼む」

 

 達也が頷いた後、深雪は最後に、完璧な笑顔でもう一度念を押した。

 

「ただし、お兄様に不適切に抱きつくなどの接触行為については、全くの別問題です。風紀の観点からも、厳しく指導させていただきます」

 

「……ああ。それは、俺からも注意しておく」

 

「必ずお願いいたしますね」

 

 リビングの空気が、ようやく本来の適温に戻った。

 

 ◆

 

(水瀬悠 視点)

 

「……はくしょん!」

 

 ベッドの上で、僕は盛大にくしゃみをした。

 

「……なんか、急に寒気がした。妹様の遠隔殺気かな?」

 

 ブルッと身を震わせ、僕は毛布を頭から被った。

 

「まあいいや。今日はもう寝よう。明日からは、僕はただの『学習の早い一般生徒』だ。一般魔法だけ、一般魔法だけ……」

 

 自分に言い聞かせるように呟きながら、目を閉じる。

 

 しかし、夢に落ちる直前、僕の精神領域のライブラリの奥深くで。

 

《分解》、《再成》、そして《ファランクス》のインデックスが、まるで僕を誘惑するように、仄白く、圧倒的な存在感で光り輝いていた。

 

 使ってはいけない魔法式ほど、美しく、そして魅力的だ。

 

 それは、魔法式コレクターとして生きる僕にとって、この先ずっと抱え続けなければならない、一番つらく、恐ろしい真理だった。




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