魔法科世界の術式蒐集者   作:パラレル・ゲーマー

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第8話 放送室の声と、観測者の沈黙

 生徒会室には、数日前にここで行われた服部副会長との模擬戦の余韻が、未だに微かな熱として漂っていた。

 その熱の正体は、興奮ではなく、底知れない未知に対する警戒だ。

 

 淹れたての紅茶の香りが満ちる中、生徒会長・七草真由美はティーカップを優雅に傾けながら、ふと口を開いた。

 

「ねえ、摩利。あの時の司波くんの処理、あなたの目にはどう見えた?」

 

 対面に座る風紀委員長・渡辺摩利は、腕を組んだまま真面目な顔で答えた。

 

「対抗魔法、というには妙だったな。服部の魔法を防いだというより、魔法式そのものがほどけたように見えた。事象への干渉ではなく、構造そのものへの直接干渉……考えづらいが、そうとしか表現できない」

 

 横で端末のデータを整理していた中条あずさも、技術者寄りの視点から言葉を添える。

 

「CADの起動反応も、普通の魔法式展開とは少し違っていました。少なくとも、一般的な干渉魔法のプロセスではありません。あんな処理、理論上は可能だとしても、人間の演算領域でリアルタイムに実行できるものなんでしょうか……」

 

 真由美は微笑みながらも、その奥の瞳は全く笑っていなかった。

 

「やっぱり、彼は面白いわね。ただの優秀な実技苦手組(二科生)では済まないわ」

 

「面白いで済ませるな、真由美。危険でもある。あれほどの技術を持ちながら、なぜ彼が二科生として埋もれているのか、あるいは埋もれようとしているのか。風紀委員に引き入れたのは私だが、手綱を握りきれる保証はないぞ」

 

 摩利の釘を刺すような言葉に、真由美は「ふふっ」と笑い声を漏らす。

 そして、紅茶のカップをソーサーに戻し、少しだけ首を傾げた。

 

「それと、もう一人。……水瀬悠さん。あの子も、あの瞬間に反応していたわ」

 

「ああ。魔法式を見るのが好き、などと奇妙なことを言っていた一年生だな」

 

「司波くんが服部副会長の魔法式を崩した瞬間、彼女だけ、視線の焦点が完全に変わっていました。ただの観戦者の反応ではありません。明らかに、見えないはずの構造の変化を『追って』いました」

 

 あずさの指摘に、真由美が同意するように頷く。

 

「司波くんだけじゃなく、水瀬さんも何か隠していそうね。一年E組、ずいぶんと面白い子が集まっているみたい」

 

 生徒会のトップ層の会話の中で、僕──水瀬悠の名前が、司波達也と並んで『要注意人物』のリストに明確に書き加えられつつあることなど、この時の僕は知る由もなかった。

 

 ◆

 

(水瀬悠 視点)

 

 昨日の放課後、壬生先輩からの呼び出しに同席して以来、校内の空気はさらにざらついたものに変わっていた。

 

 僕の耳に入る噂は、大きく分けて二つのベクトルを持っていた。

 

 一つは、達也に関するもの。

 

「服部副会長に勝った二科生」

 

「風紀委員の腕章をつけた一年」

 

「桐原先輩の魔法も止めたらしい」

 

「実は二科生ではなく、特別な枠なんじゃないか」

 

 尾ひれがつき、誇張され、あるいは真実の一端を突きながら、お兄様の知名度は順調にインフレを起こしている。

 

 そしてもう一つは、有志同盟に関するもの。

 

「二科生差別撤廃を訴える集まりがあるらしい」

 

「上級生も関わっている」

 

「剣道部の壬生先輩が参加しているって本当?」

 

「生徒会に何か申し入れるらしい」

 

 二つの噂が交錯し、校内の空気を奇妙に熱している。

 

 僕は自分の席で、その喧騒をBGMのように聞き流しながら、内心で深くため息をついた。

 

 原作イベントの導火線に、間違いなく火がついた。

 しかも、もう僕の目の前でチリチリと音を立てて煙を上げている。

 

 このまま進めば、爆発は避けられない。

 

 昼休み前の教室で、エリカが僕の机の前にやってきた。

 

「ねえ、水瀬。昨日の壬生先輩の話、最近噂になってる『有志同盟』ってやつと関係あるんでしょ?」

 

「……たぶんね」

 

 僕は曖昧に頷いた。

 

 レオが不満そうに腕を組む。

 

「二科生の扱いが悪いってのは分かるけどよ。なんか最近、話が妙にデカくなってねえか? ただの不満の集まりにしては、変に組織立ってるっていうか」

 

 僕は内心で感心した。

 

 レオ、意外と本質を突く。

 

 そうなんだ。

 怒りの規模に対して、用意されている言葉や組織の動きが大きすぎる。

 そこが最大の違和感であり、裏に『大人』の意図が介在している証拠なのだ。

 

 美月が不安そうに僕を見つめた。

 

「壬生先輩……大丈夫でしょうか。何か、危ないことに巻き込まれていなければいいんですが」

 

「……大丈夫であってほしいね。僕たちにできることは、あまりないけど」

 

 僕が濁したような言い方をすると、エリカがジッと僕の目を見た。

 

「その言い方、何か知ってるみたいで嫌ね」

 

「知っているわけじゃない。ただ、嫌な予感がするだけだよ。歴史上、純粋な不満が組織化された時、ロクな結果にならないことが多いからね」

 

 僕が一般論に逃げると、エリカは少し怪しむような視線を向けたが、それ以上は踏み込んでこなかった。

 

 そこへ、達也が教室に入ってきた。

 彼が僕の顔を見て、一直線に歩いてくる。

 

 嫌な予感が加速した。

 

「水瀬」

 

「何かな、司波くん」

 

「昨日、壬生先輩に言ったことだが」

 

 達也の声は周囲に聞こえない程度に抑えられていたが、その眼光は鋭かった。

 

「誰かに利用される危険性についての話か?」

 

「ああ。あれは推測か」

 

「推測だよ。かなり嫌な方向のね」

 

「その推測が当たった場合……君はどうする?」

 

 達也の問いは、僕の行動原理を探るものだった。

 

 僕は少しだけ考え、答えた。

 

「僕が動かなくても、司波くんが動くでしょ」

 

「……俺に丸投げか」

 

「適材適所だよ。僕はただの観測者で、君は治安維持を担う風紀委員だからね」

 

「便利な役割分担だな」

 

 達也は短く鼻を鳴らした。

 

 この会話で、僕が「事態には直接介入しない」という姿勢を示したことは伝わったはずだ。

 だが、彼は僕が『逃げた』こと自体も、しっかりと観察データとして記憶したのだろう。

 

 その時だった。

 

 教室のスピーカーから、突如としてノイズ混じりの音声が流れ始めた。

 

 最初は、教師からの事務連絡かと思った。

 だが、スピーカーから響いたのは、聞き覚えのある、凛とした少女の声だった。

 

『全校生徒の皆さんに、訴えたいことがあります』

 

 教室の空気が、一瞬にして凍りついた。

 

 美月が小さく息を呑む。

 エリカが眉をひそめ、レオが椅子から立ち上がりかける。

 

 僕は、ただ静かに目を閉じ、内心で一言だけ呟いた。

 

 来た。

 

 壬生紗耶香の声だ。

 放送室が、有志同盟によって占拠されたのだ。

 

『私たちは、第一高校における、一科生と二科生の不当な差別について、学園全体に問いかけたいと思います』

 

 放送は続く。

 

 エンブレムの有無によって人格まで上下に見られている現状。

 

 学校側と生徒会がこの不平等を放置していることへの抗議。

 

 二科生にも等しい教育機会と尊厳を求める主張。

 

 そして、生徒会に対する公開討論の要求。

 

 壬生先輩の怒りは本物だ。

 声に込められた悔しさも、彼女自身のものだ。

 

 しかし、僕はその声を聞きながら、強烈な違和感を覚えていた。

 

 言葉が、整いすぎている。

 

 構成が良すぎる。

 

 ただの高校生が感情のままに書き殴った声明文ではない。

 

 誰かが意図的に「大義名分として通る言葉」に磨き上げた、政治的なプロパガンダの匂いがする。

 

 間違いない。

 

 この放送の裏には、ブランシュの手が確実に伸びている。

 

 教室内が、騒然となり始めた。

 

「放送室を占拠? 校則違反どころじゃないだろ」

 

「ウィードが調子に乗って……」

 

「いや、でも言ってることは一理あるんじゃないか?」

 

「本当に変えられるのか?」

 

 一科生と二科生の反応が交錯し、教室の温度が不快なほどに上がっていく。

 

「あちゃー……やっちゃったわね」

 

 エリカが苦い顔で頭を掻く。

 

「言ってることは分からなくもねえ。でも、放送室占拠はまずいだろ。完全に反逆扱いされるぞ」

 

 レオが拳を握りしめる。

 

「壬生先輩……どうして……」

 

 美月が震える声で呟く。

 

 僕は、静かに言った。

 

「占拠自体は失敗する。でも、声は届いたよ」

 

 エリカがバッとこちらを振り向いた。

 

「え? 水瀬、今なんて?」

 

「いや、こういう強硬手段はすぐに止められるだろうけど、一度放送に乗ってしまった言葉は、もう誰にも消せないって意味だよ」

 

 僕はすぐに誤魔化した。

 

 その時、僕の視界の端で、達也がスッと立ち上がるのが見えた。

 

 深雪も当然のように同行しようとするが、達也は彼女を手で制し、一人で教室を出て行こうとした。

 

 僕は一瞬だけ、彼を追いかけて放送室へ向かうことを考えた。

 

 今なら、まだ壬生先輩に声をかけられるかもしれない。

 

 僕が止められるかもしれない。

 

 原作の被害を、少しでも減らせるかもしれない。

 

 だが、すぐにその考えを打ち消した。

 

 理由はないわけじゃない。

 

 僕が行けば、原作知識がバレる。

 僕は風紀委員でも生徒会でもない。

 壬生先輩はもう引き返せない段階にいる。

 放送室の占拠そのものは、達也と十文字克人が確実に処理する。

 

 ここで僕が動くことは、シナリオのノイズにしかならない。

 

 僕は動かない。

 

 ここは僕の役割ではない。

 

 そう自分に言い聞かせるたび、胸の奥に小さな棘が刺さったような、チクリとした痛みが走った。

 

 読者として文字で読んでいた時は、ただのイベントだった。

 

 だが今は、知っている人間が傷つき、利用されようとしている現実だ。

 

 見ているだけというのは、想像以上に苦い。

 

 達也が教室を出る直前、足を止めて僕を見た。

 

「水瀬」

 

「……何?」

 

「君は、これを予想していたのか?」

 

 僕は少しだけ沈黙し、答えた。

 

「有志同盟の名前を聞いた時点で、何らかの形で全校に訴えかけるパフォーマンスをするとは思っていたよ」

 

「……放送室を占拠してまで、か?」

 

「目立つには最適だからね」

 

 達也の目が、細く鋭くなった。

 

 しまった。

 

 また言いすぎた。

 

「……そうか」

 

 達也はそれ以上言わず、教室を出て行った。

 

 彼の足音は、僕の胸に重く響いた。

 

 窓際から廊下を覗き込むと、校内の動きが慌ただしくなっているのが見えた。

 

 風紀委員や生徒会の腕章をつけた生徒たちが走り、教師たちが動いている。

 

 その中に、一際巨大な存在感を放つ背中があった。

 

 部活連会頭、十文字克人。

 

 遠目に見るだけでも、彼の周囲に漂うサイオンの圧と、その制御の密度が尋常ではないことが分かる。

 

 あれは壁だ。

 

 僕が自称している観葉植物系の壁ではない。

 

 本物の、物理的・魔法的な要塞だ。

 

 十文字先輩の魔法式、見てみたい。

 

 でも、あの人が本気で魔法を使う状況は、たぶん校舎の一部が消し飛ぶ時だ。

 

 それは勘弁願いたい。

 

 今は魔法式の収穫どころではない。

 

 放送室側での処理は、おそらく原作通りに進んでいるのだろう。

 

 数分後、放送は不自然な形でプツリと途切れ、校内には奇妙な静寂が戻った。

 

 達也が向かい、十文字克人が動き、生徒会が対応した。

 

 占拠は長くは続かなかった。

 

 だが、目的は達成されたのだ。

 

 有志同盟は、全校生徒の心に「差別」という言葉を強烈に投げ込んだ。

 

「水瀬さん……」

 

 美月が、不安に押し潰されそうな顔で僕に寄り添ってきた。

 

「壬生先輩は……悪いことをしているんでしょうか」

 

 僕は答えに迷った。

 

「……悪いことをしている、というより、悪い形で怒りを使ってしまっているんだと思う」

 

「怒り……」

 

「正しい怒りでも、使い方や向ける先を間違えると、誰かを傷つける。そして何より、自分自身を傷つけてしまうんだ」

 

 エリカが、珍しく茶化すことなく黙って僕の言葉を聞いていた。

 

「でもよ、何もしなきゃ変わらねえってのも分かるぜ」

 

 レオの言葉も、重かった。

 

「だから、厄介なんだよ。正しさと正しさがぶつかるから、利用する隙が生まれる」

 

 昼休みが終わる頃、校内の端末に公式な通知が出された。

 

 生徒会は有志同盟の主張を一方的に処罰するのではなく、彼らの要求を受け入れ、『公開討論会』という形で議論の場を設けるという発表だった。

 

「公開討論会ねえ。ずいぶん真正面から受けるのね、生徒会も」

 

 エリカが端末を見ながら感心したように言う。

 

「殴り合いになるよりはマシだけどよ」

 

 レオが肩をすくめる。

 

「壬生先輩も、その討論会に出るんでしょうか……」

 

 美月が心配そうに呟いた。

 

 僕は内心で、静かに次のステージの幕上がりを感じていた。

 

 原作は、また一段進んだ。

 

 公開討論会。

 

 そして、ブランシュの襲撃。

 

 放課後近くになり、達也が教室に戻ってきた。

 

「お疲れ様、司波くん」

 

 僕が声をかけると、彼は表情を変えずに答えた。

 

「特に疲れるようなことはしていない」

 

「君の疲労基準は、一般人のそれとは次元が違うから信用できないよ」

 

 達也は僕の顔を真っ直ぐに見た。

 

「放送室の近くには、来なかったな」

 

「僕は風紀委員じゃないからね。それに、野次馬は邪魔になるだけだ」

 

「君にしては、珍しく観測者の役割を守ったな」

 

「……褒めてる?」

 

「半分は」

 

 エリカの十八番のセリフを奪うな、と思いつつ、僕は軽く笑った。

 

 だが、達也の次の言葉で、僕の笑みは凍りついた。

 

「だが、君は放送の内容を聞いた時点で、その後の流れをある程度読んでいた。そして、動かなかった」

 

「……」

 

「後で、少し詳しく話を聞かせてもらうかもしれない」

 

 僕は乾いた唾を飲み込んだ。

 

「……できれば、優しめの尋問でお願いしたいんだけど」

 

「内容次第だ」

 

 怖い。

 

 本当にお兄様は怖い。

 

 夜。

 

 自室のベッドの上で、僕は静かに息を吐いた。

 

 今日、僕は魔法式をほとんど集めていない。

 

 放送設備の制御系や、校内システムの通信遮断など、細かい魔法の波動は感じたが、観測に集中できる精神状態ではなかった。

 

 それなのに、ひどく疲労していた。

 

 有志同盟による放送室占拠は、失敗に終わった。

 

 だが、彼らの声は確かに全校へ届いた。

 

 失敗したのは物理的な占拠であって、主張の拡散ではない。

 

 むしろ、目的の半分は達成されたと言っていい。

 

 そして、生徒会は公開討論会という形で、その言葉を正面から受け止めることを選んだ。

 

 原作は、また一段進んだ。

 

 僕はただの観測者でいるつもりだった。

 

 けれど、壬生先輩の声が放送に乗った瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さった。

 

 これはもう、文字で読んだだけのイベントではない。

 

 僕の知っている人間が、今まさに利用されようとしている現実だった。




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