OVER REAL DOWNLOAD!! 人類最後の格闘ゲーマー 作:Monjiroh
「う……」
また、痛みだ。
体を走る鈍い痛みに目を覚ますと、僕は真っ暗な空間を引きずられていた。
暗闇に目が慣れると、まだ夜明け前、ここがプラント施設と市街地との間に横たわる、モルタルの地平であることが分かった。
僕を引きずっているのは、瀕死のスケルトン・ペイルホース。
クーリエは、骸骨馬に僕と封印装置の影を引っ張らせ、ここまで来た。避難させた。
『シン、よかった。目が覚めたか……』
「クーリエ……」
僕がよろよろ立ち上がると、代わりに骸骨馬が力尽きたように足元の影に沈んでいった。紫色の炎に、ありがとうと労う。
封印装置の上には、横たわる黒猫。そして、バキバキに割れたコンソール。
「待ってて、今、箱を開けるから」
コンソールに触れると、装置は簡単に起動した。売り飛ばし先の顧客のことを考えていたのだろう、並んでいる文字はどれも簡単に理解できるものばかりで、これなら、何とかなりそうだ。
『待て、シン……。それより、君に頼みがある……』
僕が手を止めると、クーリエは、
『わたしの体を、破壊して欲しい。君の手で、わたしを終わらせてくれ』
「な……」
棺の上の黒猫は、息も絶え絶えに、
『競争無くして進化は無い。故に、わたしは人の争いを、淘汰を否定するつもりは無い。しかし、わたし達の存在が人々の争いの火種になる様な事態だけは、絶対に避けねばならない……』
この期に及んで。そんなクーリエに、僕は、
「君はどうして。どうして人を恨んで、憎んでくれないんだ……」
『そうだな……。何故、わたし達にこのような、感情なるものが備わってしまったのか……。しかし、わたしには……、この好きという気持ちを、感情を、どうしても止めることが出来ない……』
黒猫は、無理して明るく、
『いいのだ、シン……。わたしという存在は、今ここで終わるのが最良なのだ……。君達人間にとって、わたし達ゴーストは、間違った命なのだから……』
言って、そこで小さく息を吸い、
『さあ、シン。わたしを終わらせてくれ……』
空と陸の境界の無い、真っ暗な平原。風も何もない、現実の世界。
僕は息を吸い、そして、
「嫌だ」
答え、選択する。
コンソールに表示された『Release』の文字に触れると、ドライアイスみたいな煙が吹き出し、箱は呆気なく開かれた。組み木細工のような仕掛けでがしゃがしゃと蓋が動き、その封印が解かれていく。
棺の中に納まっていたのは、小さな女の子。
黒い肌に黒い髪。十歳くらいで、真っ白な患者衣を着た、黒猫がそのまま人間になったような、そんな容姿の女の子。
やがて、その小さな胸が上下に動き、
「シ、ン……」
そして、彼女は目を開く。
黒猫と同じ、金色の瞳。その両の瞳に現実を映し、桃色の唇をたどたどしく開き、
「これが、物質世界……。これが、現実……」
「起きれる? 手を貸すよ」
彼女の背に手をやり、半身を起こす。すると、黒い棺も蓋と同じように分解され、瞬時に消滅してしまった。
何もない地平。膝立ちになり、小さな彼女をただ支える。
その彼女の瞳から、小さな雫がぽろりと落ちる。
「これは、何だ……。これが、涙……?」
クーリエは、涙に濡れる頬を指でなぞり、
「分からない。何故、涙が零れるのか……。分からないのに、涙が溢れて、止まらないのだ……」
意識は悲しむ。でも、肉体が無ければ、涙を流すというタスクは生まれない。
そうだ、悲しくなかった筈がない。悔しくない訳ないじゃないか。
自分の力を利用されて、家族を殺されて。自分も殺されそうになって。
「っ……」
彼女の体がふらりと傾き、僕の腕の中にすっぽり収まる。
「これが人の体温、息づかい……。心臓の鼓動……」
クーリエは、僕の胸に耳を当て、
「これが、命……」
それから、細い両腕で僕の体に縋り付き、僕の胸に顔を埋め、
「わたしは、生まれて来てよかったのだろうか……。生きていていい命なのだろうか……」
ああ、そうか。
ようやく、分かった。
あの日、父さんが何を伝えたかったのか。あの時、何故母さんの話をしたのか。
「君に、伝えたいことがあるんだ」
僕はクーリエの細い体を優しく抱き締め、そして、あの日父さんから受け取った言葉に、答えを乗せて、
「生まれてくる命に、間違いなんてないんだ」
好きになる気持ちに、間違いなんてない。
父さんは、母さんが好きだったから、僕が生まれたんだ。僕が生まれてきたのは、間違いなんかじゃない。父さんはきっと、僕にそう伝えたかったんだ。
だから、僕も伝えたい。クーリエが今ここに生きているのは、間違いなんかじゃないんだって。
「君はここにいる。僕がそれを証明する。それだけで、人は生きていけるんだ」
陽が昇る。地平の果てから昇る朝日が、真っ暗だった空を薄く明るい青へと塗り替えていく。
知られたい、繋がりたい。九年間、ただそれだけを叫んできた。
結果は、ゼロ人。九年間で、ゼロ人。
でも、もういい。繋がれなくたっていい。認められなくたっていい。
僕の今は、ただ一人を支えるためにあればいい。
たった一人、自分に気付いてくれる人がいるだけで、人は生まれ直すことが出来るから。
「あ、あ……」
クーリエの小さな体、さらさらとした黒い髪。
重なる鼓動、重なる波形。
僕は、腕の中にある確かな熱を感じながら、
「僕を見付けてくれて、ありがとう。クーリエ……」
「あ、ああぁ……」
この世界は素晴らしい、戦う価値がある。
二十世紀の誰かが遺した、有名な一説。残念ながら、今の僕は前半にも後半にも賛成できない。こんなクソッたれた世界で戦う価値が、何処にあるというのだろう。
それでも、ただ願う。
この現実という世界で、彼女が命として、明日を望みますように。
「ああぁ、あああああぁぁ……」
僕の胸に縋り付き、声を上げて泣き始めた彼女を、二本の腕で抱き締める。五つの感覚があるこの世界で、彼女がちゃんと、生を実感できるように。
僕はずっと、現実の自分が嫌いだった。それはきっと、自分に自信が無かったから。
だけど、今は違う。ほんの少しだけ、自分に確信が持てたから。
だから僕は、やっと自分にこう言える。
顔を上げて、ここではない何処かへ、
「父さん……」
雲一つない空の下で、たった一つの命を抱きながら――
「僕はもう、大丈夫だよ……」