OVER REAL DOWNLOAD!! 人類最後の格闘ゲーマー 作:Monjiroh
「こりゃ、えらいことになってるな……」
厚い雲に覆われた特区の夕方。高速道路を遮る、車の山。
事故現場、その惨状に近付いた父さんが、唖然とした声を漏らした。
道の先では、横転した大型トラックに十台以上の乗用車が塞き止められていて、潰れたり他の車に乗り上げてたりと、もう散々だ。
けど、これだけの大事故にも関わらず、重傷者はいないようだった。運転手や同乗者の安全を考慮した、技術力の成果だ。
振り向けば、後続車両の人達は既に避難を終えたらしい。大事故だけど、大惨事にはならなさそうだ。
「まずはこの車だ。シン、中の人を運び出すぞ」
「あ、うん」
言われ、僕は一番手前でひしゃげている赤い乗用車に駆け寄った。車内には、エアバックに顔を突っ込み、運転席で気を失っている女性が一人。後部座席、チャイルドシートに座った赤ちゃんが一人。
「運転席は俺が行く。お前は後部座席を、子供を頼む」
「分かった」
僕は運転席の斜向かいである、後部左ドアに手を伸ばす。衝撃感知のドアロック解除システムが働いたのか、ドアは簡単に開いた。
こんな事故があったというのに赤ちゃんは完全熟睡中で、短い金髪にふくふくしたほっぺが、とてもかわいらしい。
もう大丈夫だよ。
そう声を掛けようとして、
「っ……!?」
突然背筋を走った悪寒に、僕は顔を上げた。
シートの隙間から覗くフロントガラス越し、その向こう。横転したトラックのドアをこじ開け現れる、一人の男。無造作に伸ばした白髪に痩せこけた風貌の、白衣を着た壮年男性。
その人がコンテナの上に登り、両手を広げ空を仰ぎ、
「ダ、ウ、ロアアアアアアアッッ!!」
爆ぜた、ように見えた。
正確には、変身した。
全身に黒い革のベルトとスタボロの布を巻き付け、右腕が大振りのチェーンソーそのものになった、化け物の姿に。
「ばイィイイイッ!! おアァアアアッ!!」
その化け物が奇怪な叫び声を上げると、今度は周囲の景色までもが変わっていった。高速道路の路面が、事故を起こした車が次々と赤錆色に染まっていく。
VR? 何かのイベント?
変質した事故現場の風景も相まって、僕の現実感がどんどん薄れていく。
「っっ……!?」
直後、車外から聞こえた音に、僕は反射的に頭を下げた。それはゲームでよく聞く、だけど現実では聞いたこともない、破裂音。
銃声だ。
事故車から這い出てきた人達が何処からか銃を持ち出し、撃ち合いを始めている。
「くリッ、すウッ!」
「じ、ジジジジジルゥ!」
事故によるパニック? 何故みんな銃を? これは現実? それともゲーム?
「何だありゃ!? ただの事故じゃないってのか!? シン、急ぐぞ!」
「あ、うん!」
父さんの声で我に返り、僕は作業に取り掛かった。そうだ、今は赤ちゃんを運び出さないといけないんだ。
だけど……、
「あ、あれ? あれ……?」
ボタンを押して、チャイルドシートのベルトを外すだけ。それなのに、何故かベルトが外れない。指が震えて、体が震えて、上手くいかない。
「れオォオオオンッ!」
「くレッ、れアァッ!」
「あルバァアアアアッ!! うウェウェ、スカアアアアアッ!!」
車外で飛び交う、弾丸と銃声。あちらこちらから聞こえる、悲鳴と奇声。そして何より耳障りなチェーンソーの回転音。ここは危険だ、だから急がなきゃならない。なのに、体が動いてくれないんだ。
「落ち着け、シン」
……っ!!
その声にはっと顔を上げると、運転席は既に空っぽ。気を失っていた女性は、無事車外に運び出された後だった。
歪んだドアのその向こう、父さんは澱みのない、静かな口調で、
「難しいことは何も無い、いつも通りでいいんだ。深く息を吸って、それからゆっくり息を吐け。深呼吸、自然体ってやつだ」
「うん……!」
息を吸い、そして吐く。
それだけで、僕の指は普段の動きを取り戻した。ベルトのボタンはあっさり外れ、赤ちゃんは僕の胸の中に収まった。
「シン、車の背後へ」
「分かった」
父さんの指示通り、変貌した現場を窺いながら、狂乱の車外へ。
「あシュッ、リイイィ!」
「えイ、ダァアアアッ!」
「うウェ、スカアアアアッッ!!」
意味不明な声を発しながら、お互いを撃ち合う被害者達。大型トラックのコンテナをチェーンソーで一心不乱に切り刻む、異形の化け物。
今なら行ける。そう決断した僕は赤ちゃんを抱え、低い姿勢で車の後ろに移動した。
合流を果たした僕に、父さんは道路に寝かせた女性から顔を上げ、いつも通りの笑顔で頷いた。
「な? 出来ただろ?」
「父さん……」
ひと時の安堵。
車の影から頭を出さないよう、父さんと二人、片膝立ちの姿勢で身を潜める。だけど、いつまでもここでこうしている訳にはいかない。
僕が焦り、逡巡していると、
「う……」
よかった、赤ちゃんの母親らしい女性が意識を取り戻したようだ。
父さんは、その人の背を支えて半身を起こし、
「気が付きましたか? あなたは事故に会ったんです」
「事故……? あ、アーちゃんは、娘は何処に? アリスちゃん、アーちゃん!」
「大丈夫です、アリスちゃんは無事ですよ。シン、娘さんをこっちに」
「うん、気を付けて……」
僕が赤ちゃんを慎重に手渡すと、父さんはコートを脱いで赤ちゃんをくるみ、混乱寸前の母親にしっかり抱かせた。
「ああ、アーちゃん、アーちゃん……」
涙を流し、赤ちゃんの額に口付ける金髪の母親。その姿を見て、父さんはにこりと微笑んだ。だけどすぐに、そのふんわり顔を引き締め、
「あの非常階段が見えますね? あそこまで走ってください。出来ますか? 頭を低く、娘さんのことだけを考えて」
「はい、はい……!」
「行きますよ! さあ、走って! 行くぞ、シン!」
「はい!」
「うん!」
父さんの合図で、僕達は走り始めた。事故現場とは逆方向にある、非常階段に向かって。
「走れ! シン、走れ!」
「分かっ、てる!」
必死に走りながら、気付く。
逃げている僕達の中で、一番体が大きいのは父さんだ。飛び交う弾丸からあの母娘と僕を守るため、父さんは一番後ろを走っている。
「父さん!」
「振り返るな! シン、走れ!」
父さんの声を背に、とにかく走る。交互に足を前に出す。
もう少し。
前を行く母娘が避難場所に辿り着き、非常階段を下りていく。
逃げきれた……!
僕等もすぐに、そう思った瞬間、
「うウェス、かアアアアアアッッ!!」
「シン! 危なっ――」
どん、と背中を押され体勢を崩す。
思わず振り向いた視界に映る、その光景。
巨大なチェーンソーを振り下ろす、ボロ布の化け物。父さんの背中から嘘みたいに噴き出し撒き散る、赤い飛沫。
スローモーションのように流れる時間の中、父さんの黒い瞳から、優しい光が消えていく……。
「父さん!!」
即座に踵を返し、僕は倒れ伏した父さんに縋り付いた。
「あ、あ……。父さん……」
父さんの背中に刻まれた、深い傷跡。傷跡から流れ出る血液が、錆色の道路を覆っていく。
ぽつりぽつりと、何かが落ちる。地面を叩き、世界の赤を色濃く染める。
雨だ。
「え、ミリイ! ぐグレェエエエエスッ!」
再び降り始めた雨の中、化け物が僕に向けてチェーンソーを振りかぶった、その時、
『頼む、届いてくれ。こんなことは、あってはならない』
耳に、いや、全身で感じる、誰かの声。
『もし届いていたら、思い描いてくれ。自分の体に刻まれた夢の形、ゲームという祈りの力を……』
ゲーム……。
その声、その言葉に、僕の体と意識が驚くほど自然に同調する。
『理想は仮想に、仮想は現実に……』
「くラ、ウザァアアアアアアッ!!」
「おああっ!!」
叫び、重なる。
全身に電気のような衝撃が走り、視界で弾けた火花が形を作る。僕の体が、構えを取って立ち上がる。
眼前に迫る怪異に向かい、僕は無我夢中で拳を固め、
「はああっ!」
「ぎ、デオォんッ!?」
あり得ない現象。
僕の細腕で、拳撃で、化け物が後方にブッ飛んだ。
視界上部、現実と重なり見える、黄色と青の二本のゲージ。同様に、化け物の頭上に浮かんで見える、黄色いライフバー。そのライフバーが僕の攻撃で、少し減った。
ダメージだ。
こんなの現実じゃない。あり得ない。
全てがそう、
まるで、ゲームだ。
「あァアアアアアンッ!! ぶレラッ!!」
「くっ……!」
派手な音で地面にダウンした化け物はすぐさま立ち上がり、左の怪腕で道路を殴り付けた。
衝撃と振動。大きな破壊音と、巻き起こる噴煙。
その煙がおさまると、化け物の姿は高速道路から消えていた。
「はあっ! はっ! はあっ……!」
ぱちんと電気が弾けるような音と共に全身から力が抜け、僕はどちゃりと膝を突く。
「はあっ、はあっ……、くっ……」
何が起こったのか分からない。自分が何をしたのか、理解できない。事故現場にいた人達は全滅してしまったのか、もう叫び声が聞こえない。
だけど、それより今は……、
「父、さん……」
そのまま、うつ伏せに倒れた父さんの元へ、何とか這い寄る。雨でずぶ濡れになるのも構わず、大きな背中に手を当て、力を込める。
「父さん、返事をして。お願いだから、息をして……」
血が、止まらない。どれだけ強く押さえても、父さんの体から流れ出る血液が、止まってくれない。
「冷たくなんか、ならないで……」
父さんの血で、僕の両手が真っ赤に染まる。流れて混ざる雨と血が、世界を黒く染めていく。
道路を叩く雨の音。空に重く立ち込める、鈍色の雲。
僕は、それでも口を開き、
「父さん……」