自由を知らない王女と、自由を諦めた奴隷少女は、きっと友達にもなれない 〜それでも私たちは、傷つけ合いながら旅をする〜 作:夕目 ぐれ
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私たちの主様《あるじさま》となったアナセン・タンドレス様は、大商人としてはもちろん、植物に精通した人として有名だ。
国内に二つの大きな屋敷を所有し、様々な植物を育て売買を行ってきたそうだ。この国においては、基盤となる大樹の健康管理を任されている。その事実だけでアナセン様の地位の高さが分かってしまう。
私たちがこの国に来てからもう半年が経った。アナセン様は第一印象に違わぬ優しい人だった。誰にでも分け隔てなく、屋敷で働く私たちのような奴隷にも対等だ。労働環境も劣悪ではなくて、衣食住も何不自由ない。それに、初めて労働の対価の一つとして、金銭すら与えてくれた。
そんなまるで普通の人のような暮らしが続いて、忙しい日々だけど、どこか穏やかで充実感のような感情さえ抱きそうな日々を、私はまだ馴染めていなかった。
仕事にも慣れたし、屋敷の人とも上手く過ごせている。でも、ずっと落ち着かなくて、心と身体が上手く噛み合ってない感じというか、何とも上手く言語化出来ない。
「ルル、そっちはどう?」
「大丈夫です」
同行中の仕事仲間に返事を返して、私は息抜きに周りを見渡す。
この国はどこを見ても青い色が目に入る。
今の季節は初夏。私の目線と同じ高さに見える積乱雲が、夏霞《なつかすみ》のように海原を遮っている。時折見える太陽光を反射した海のギラギラとした輝きが、私の目を瞬《しばた》かせる。
(大丈夫かな、コール。マゼルがいるから、そんな大事になったりはしないとは思うけど……)
私の近くに二人はいない。それは二つの屋敷、上層十一
だから、寂しいとか不安もない。今のところ、コールもこの環境に不満はないようだし、忙しそうだけど楽しそうだから。
(でも、今回のコールはどちらかというと……)
「──ルル、こっちはもう終わりそうよ」
「あ、はい! こっちももう終わります」
その声でふと我に帰る。最近、こうやって考え事が多くなった気がする。こんなことでは、私が二人に迷惑をかけてしまうと気を取り直す。
「……集中しないと」
私の今の仕事は大樹の観察と記録。枝や幹などに生えてくる小さな枝、胴吹きというものの数を数えては記録していく。胴吹きは栄養が足りていないことの証で、最悪の場合はそこが枯れてしまうことにもなる。
それはこの大樹の国では、人の住む土地がなくなることを意味しているから大切な仕事だ。
「ルル、終わった? 屋敷に戻るよ」
「はい」
その呼び掛けに応じて私は大樹の幹まで向かう。そこには"8"と数字が彫られていて、その数字は上から消すように横線が被せられていた。
私はふと後ろを振り向く。
そこには私の背丈の三倍はある胴吹きが森のように生い茂っていて、どれも枯れていた。もう人が住んでいた跡は何もなく、ただ寂しい景色が青空に浮かぶ中、ざわざわと葉擦れの音が悲しげに聞こえた。
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「すまないね、ルル。仕事中に呼び出してしまって」
「いえ、大丈夫です。それで、私に何か……?」
忙しい日々の中ある日、私はアナセン様に呼ばれ、このアナセン様の私室兼応接室になっている部屋に訪れていた。
部屋は煌《きら》びやかな紋様が所々にあしらわれていて、机や椅子などどれも上等そうなものばかりだ。どれも目は惹《ひ》かれるけれど、あまり触りたくはないから身が縮む。ただでさえ要件不明で呼び出されているから尚更だ。
「もうじき、この国で"タヴァリャーシャ"という祭事が開かれるのは知っているかな?」
「はい。女王様の即位を祝う祭事ですよね。最近は大樹を着飾る草花の採取で忙しいですから、もちろん知っています」
アナセン様の鷹揚《おうよう》とした問い掛けに、私は緊張した面持ちで答えた。
"タヴァリャーシャ"は世界的に有名な三つのお祭りの一つ。この大樹の国の新たな女王の誕生を祝うお祭り。世界一幻想的な景色が見られると有名だ。
「ルル、君は"祈り子"に選ばれた」
アナセン様は穏やかな目線を私に向けつつ、反応を窺うようにゆっくりと告げた。
私は初めて聞く言葉に首を傾げる。
「すみません、その祈り子というのは……」
「祭事の際、一
「……国民の代表? 私なんかが……」
意味が分からなかった。何も内容も分からないけれど、一番意味が不明なのはそれに奴隷の私が選ばれた理由。
「君の不安になる気持ちは理解出来るよ。けれど、安心していい。これは国の正式な要請だよ。祈り子の人選に何かの意思も意味もない。ここの国民ならば誰でも選ばれる可能性があるもので、運良く君が選ばれただけの話さ。過去に何か祈り子たちに大事があった記録もないよ」
アナセン様の心配そうに寄り添うような声色が届く。アナセン様の表情にも何か悪意のようなものを感じなくて、だから自然と思ってしまう。
大丈夫なんじゃないかと。それが私の心の中の琴線《きんせん》に触れて、反発するかのように感情が動いた。
嫌だ。こんな訳のわからないことに関わりたくない。それ以上に、この人の穏やかで優しい感じを嫌だと感じる。この半年間の嘘みたいな穏やかな日常も何もかも。
「ルル、君が選ばれたことは偶然だとしても、これはきっと何かの運命だと思うよ。これは誇るべきことだ。君のこれまでの行いがそうさせたんだと、そう少しは胸を張っていいんだよ」
アナセン様が力強くも温かみを感じさせる目で私を見つめる。これはきっと優しい目とでも言うのだろう。
「中々経験出来ないことだ。私は受けることを薦《すす》めたいけれど、判断は君の自由だよ」
(……自由なんて、そんなもの私たちにないでしょ?)
何も理解出来ない状況でも一つだけ分かっていることはある。この人は色々と言ってたけれど、きっともう決まっているんだ。また、いつもの理不尽だ。
「……分かりました。受けさせていただきます」
「そうか、分かったよ。話は進めておくよ。何か不安や質問があればいつでも訪ねておいで」
アナセン様の優しい声が聞こえる。私はなぜかアナセン様の顔を見たくなくて目を伏せた。
「……なんで」
質問なんて山ほどある。無作為とはいえど、大事な儀式に奴隷を呼ぶことに何かの意味を考えてしまう。それにいまだに見せない、その優しさの裏側にあるはずの黒い感情を、私は警戒している。
「どうかしたかい? 遠慮はいらないよ」
「……いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
私はアナセン様に頭を下げ、退室するため背を向けた。その時にふと見えたアナセン様の表情は、どこか憐れむような幼子を心配するかのように私には見えた。
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「……やっぱり、おかしい」
上層のアナセン邸の庭の外、調査用に切り揃《そろ》えられた枝木に腰を下ろして、私は独り言を溢《こぼ》した。
ここでの生活に身体は慣れても心は落ち着かない。この前の祈り子の件やここでの穏やかな生活。いつまで経っても裏を見せない
今までにない安定して穏やかな日々なのに、私の感情は繽紛《ひんぷん》として荒立っているようだった。それに、ここでの仕事を通して不可解な疑問も増えている。
「……何がだ?」
「っわぁ!」
突然の声に思わず声を上げてしまい振り向く。そこには見知ったマゼルの顔があった。
「マゼル、来てたの?」
「仕事でな。ルルとも話したかったから、結構探したぞ」
マゼルはそう言うと私の隣に腰掛けた。
マゼルはここに来た半年前と比べて随分と顔色が良くなった。相変わらず痩《や》せ細っている身体付きだけど、少し肉が付いてきているのが分かる。
「元気か? ルル」
「……うん、いつも通りだよ」
すっかりと定型になったそのマゼルの挨拶《あいさつ》はなんだか少し他人行儀に思えてしまう。私は軽く頷《うなず》いて答えた。
「それで、おかしいって何かあったのか?」
いつも通り変わらないマゼルの平坦とした声色に、私は隣のマゼルを盗み見るように視線を向ける。以前と比べて血色の良くなった顔付きのマゼルを、じっと瞳の中に捉える。
なんでかまた、心が揺れた。それが怒ってる時の感情の動きに思えて、否定するように頭を横に振った。
「どうした?」
目があったマゼルはどこか心配そうに私を見つめる。
マゼルは私に気を遣っている。私は至って普段通りなのに、変なことだと思う。私が悪いみたいだ。
「……ううん、何でもないよ。ただ、あの八
そう言いながら私は上空を仰ぎ見た。そこにはこの前、私が調査で立ち寄ったあの寂しい場所がある。
「……もう、駄目そうなのか?」
「うん、流石にね。……本当にどうするんだろう」
適当に切り出した話題だけど、ずっと気になっていることだった。あの枝はもう枯れてしまっている。なので処理をしないといけないのだけど、枝と呼ぶには余りにも桁違い大きさの枝を、この上空でどうやって処理しているのだろう。
「そういうこと、何も初めてではないだろ。今まではどうしてたんだ?」
「それが、誰も知らないの」
「……そんなことがあるのか?」
「うん。流石に屋敷外の人にも聞き回ってはいないけど。でも例え管轄外のことだとしても、この仕事柄記録もないのはおかしいと思わない?」
私がそうマゼルに聞くと、口元に手を当てて何やら考え込んだ。
「……俺も、気になることはいくつかある」
マゼルはそう述べた後、再び考え込むように黙ってしまう。私は取り敢えずマゼルの言葉の続きを待ってみた。ずっと難しい顔をしていたマゼルは、ふと顔を上げた。どこか遠くを見つめながらマゼルは口を開く。
「……ルル。今の生活に不満はあるか?」
(…………不満)
アナセン様の屋敷では、私たちのような奴隷も多く働いていた。でもきっと、誰も不満なんて持ってないはず。だって恵まれ過ぎた環境を与えてくれているから。ううん、それ以上にみんな楽しそうに働いているからだ。
でも私はその光景や環境に何か気持ち悪さのような感情を覚えてしまう。この感情が不満なのか、嫌悪感なのか分からない。
それでもこの黒い感情が日に日に肥大して、燻《くすぶ》るように今も私の身を焦がしている。
私は何て言おうか言葉に詰まって、ふと前方に目を向けると、遠くにまた見知った顔が見えた。
コールが庭にいる人と楽しそうに話しているのが見える。
「コールも来てたんだ」
「あぁ、二人で探してたんだ」
「……わざわざ探さなくってもいいのに。まだ仕事も残ってるでしょ」
それは、言った後からふと悪態付いたみたいになって、どくんと心臓が大きく鼓動を鳴らした。
「別に急ぎの用件でもないんだ。偶にはいいだろう、前みたいにこうやって仕事の合間に話すのも」
焦る私の心音を宥《なだ》めるような優しい声が横から聞こえた。その声の出元なんて分かり切っているのに、私は一瞬声の主を見失った。聞き慣れているはずの音色は少し弾んで聞こえて、私は疑うように視線を向けてしまう。
そして私は直ぐに視線を戻した。まるで見なかったように、逃げるように、遠くのコールを見つめる。
「……コール、最近すごく生き生きしてるよね」
「そうか? どこでもあんなだっただろ」
そう事もなげに言い放つマゼルの横顔をなぜか恐る恐る見る。
「…………」
いつからマゼルはあんな穏やかな表情をするようになったのだろう。その表情と声色がなぜかアナセン様と重なって、胸の中が騒ついてくる。
ここはどこを見ても、満ち足りた表情が見えてしまう。この澄み渡る青空のような、何の曇りのない、希望に満ち足りた人の顔。まるで、もう救われたとでも告げるような──
「………………マゼルも」
思わず出てしまった消え入るような呟きは、マゼルには届いていなかったようで、マゼルは何てことなく話を続ける。
「ルル。この国に何かおかしな点があるのは確かだ。だけどここでの生活は今までのどこよりも充実しているし安全だ。もし何かが起こった時は、いつも通り三人で逃げればいい。今の俺たちには金もあるんだ」
「……うん」
その言葉に、私に寄り添ってくれる言葉は嬉しいと、私は素直に思いたかった。なのに、なぜだろう。
私の感情は不安定に揺らいでいて、自分でもその意味を理解出来ていなかった。
「それと、ルルを探した理由はある。明日、アナセン様からお遣いを頼まれたんだ。コールと二人だと心許《こころもと》ないし手伝ってくれないか? 確か明日は休みだっただろ」
「……うん、分かった」
私がそう答えた後、しばらくお互いに何も話さない静寂が続いた。いつもは何も思わなかったこの時間や空気を、今はなぜか息苦しく感じてしまう。
「……ルル」
その空気を引き裂くように、マゼルの落ち着いた声が私に届く。それは昔からよくあったマゼルの探るような、人の悩みの核心を突いてくる時の感じで、私の心臓は飛び跳ねるように騒いだ。
「お前は、今の何が不満———」
「久しぶりだね! 三人で過ごすの」
それは私の心や感情が何かを発するよりも早く反射的に飛び出した声だった。思った以上の声量に自分自身でも少し戸惑ってしまう。
「……そうでもないだろう」
一瞬驚いたように目を見開いたマゼルは、取り繕《つくろ》うように微笑を顔に貼り付けて言った。それが分かってしまった。
(……何してるんだろう。私は……)
私は急に自責の念に駆られて、この場から立ち去りたくなって、マゼルに背を向けるように立ち上がった。
「ルル?」
背中越しに心配するようなマゼルの声が聞こえた。
「…………仕事。もうそろそろ戻らないと」
私はマゼルに振り返って精一杯の笑顔で答えた。告げて直ぐに逃げるように歩き去る。
何でだろう。こんなに穏やかで二人が幸せそうなのに、何でこんなに苦しくなるんだろう。
私がちゃんと笑えてなかったのは、マゼルの顔を見れば分かった。