自由を知らない王女と、自由を諦めた奴隷少女は、きっと友達にもなれない 〜それでも私たちは、傷つけ合いながら旅をする〜   作:夕目 ぐれ

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第5話 諭芽(ゆめ)

〜*〜*〜*〜*〜*

 

「どうぞ、こちらでお待ち下さい」

 

 大樹の国ルルードゥナの祭事、タヴァリャーシャの当日。

 私は大樹の最上部、一枝区(しく)に建つ王城の中にいた。

 

 兵士の方に通された部屋はとても質素なものだった。家具も木製の物しかなく、壁にある大きな鏡以外に目立つものはない。私のような奴隷用の部屋といえば、おあつらえ向きとも言える。

 

「……酷い顔」

 

 鏡に映った自分の顔に、思わずそんな呟きが出てしまう。

 

 実年齢よりも幼く見える儚げな輪郭。細い顎、控えめな唇が幼さを強調しているのだろうか。桃色の髪はいつの間にか、肩に少し掛かるくらい伸びている。毛先はそれぞれの方向に散っていて、ぼさぼさだ。毛先に行くほど明るい桃色が濃くなっているのは元々で、左頬に残る火傷(あと)は相変わらず目立って見えた。それよりも、目の下の深く青暗い陰が以前よりも酷くなっている気がする。

 

(……こんな、疲れた顔してたかな)

 

 自分の顔なのに、どこか他人事のように思える。もしコールやマゼルがこんな顔してたら、私は心配してしまうと思う。

 

 こんこん、と私のいる部屋の扉を叩く音が聞こえた。ゆっくりと扉を開いて入ってきたのは、私の主様《あるじさま》であるアナセン様だった。

 

「失礼するよ。これから女王様に謁見《えっけん》するからね、身なりは整えないと」

 

 アナセン様はいつもの柔和な笑みを見せて、椅子に座る私の側に立った。その時、いつもとは違う香りがした。それは強い香りだけど、鼻腔《びこう》を強く刺激するほどではなく、どこか優しく身体を包むような印象を与える匂いだった。

 

「今からですか?」

 

「本当はここに来る前に準備したかったんだけどね。手間取ってしまったんだ」

 

 アナセン様はそうどこか恥ずかしげに話しつつ、手に持っていた麻袋の封を開けた。そして、続けて話す。

 

「せっかくの機会なんだ。良いものを使いたくてね」

 

「この匂いは……」

 

「一般的な調合草のツユクサにマンヨウの実というものを調合したのさ」

 

「魔嫌香《まけんか》ですか?」

 

 大陸のどこでも見られるツユクサという雑草は、"魔嫌香《まけんか》と呼ばれる魔物避けの香りを出す調合品の元となることで有名だ。マンヨウの実というのは聞いたことがない。

 

「そうだね。この調合は私しか知らない。誰にも教えていない、私の魔嫌香さ」

 

 そうはにかみながら、アナセン様は木製の小さな箱を取り出した。中の液体はドロっとしていて、それを指ですくい取り私の腕に塗り込んでいく。そのヒヤリとした冷たい感覚に、少し身体を捩《よじ》らせた。

 私の火傷痕の残る腕をアナセン様の大きな手が滑る。そこには悪意のようなものは感じなく、親が子供を慈《いつく》しむような感じを与えた。そう思うのはきっと、この少し甘いような不思議な香りのせいだ。

 

「次は髪を整えようか。失礼するよ」

 

 椅子に座る私の後ろに周ったアナセン様は、髪をすくい上げて液体をふきかける。その流れるような慣れた手つきを鏡越しに眺める。

 甘い香り。その熟れた果実のような濃密な香りの奥に、ほんのわずかに青さを感じる。それが不思議と心地よく、懐かしさを連れてくる。

 

「……私、この香り好きです」

 

 私の無造作に跳ねた髪が綺麗に整えられていく。私の髪が掻《か》き上げられて、ぱらりと肩に落ちる。そんな静寂と優しい香りに包まれた中、私はなぜかコールとマゼルの三人で過ごした日々を思い出していた。

 

「ありがとう。ルル、君たちの知識はとても豊富だけど、変な偏《かたよ》りも感じられた。君たちは誰かに教わった訳でもないのだろう?」

 

「……はい。私たちは色々な場所を転々とした……と言うか、そうせざるを得ないことがほとんどで……」

 

 主にコールがよく主様《あるじさま》と揉め事を起こし、三人で逃げるように街や国を走り回った日々を思い返して思わず苦笑が溢れる。この香りは、なぜかそんな懐かしい気分に浸《ひた》らせる。私は自然と口が動くように続けて話す。

 

「生きていくために自然と野草の知識は身に付きました。よく野宿もしましたし。コールの夢……、のこともあって、拾った本で文字や植物の勉強もしてきました」

 

 三人で野宿をしながら魔物に怯《おび》えた日。苦い野草を口にして、珍しく顔を歪ませたマゼル。毒のある野草を持って来てマゼルに怒られるコール。拾ってきた本を三人で顔を見合わせて、あれだこれだと言い合った日々。どれもおかしくて騒がしい、私の大切な思い出。

 

 ふと鏡越しに目が合ったアナセン様の表情は、穏やかに私に向けて投げ掛けられていて、私は現実に戻った。

 

「すみません、私……」

 

「何も謝ることはないよ。ただ君にとって、コールとマゼルはとても大切な存在なのだろう。それこそ、家族のように」

 

「……家族」

 

 そう聞いて、脳がぎしりと悲鳴を上げるみたいに痛みを発した。二人の顔が脳裏に浮かんで見えたけど、あの日の夕陽が沈んで消えていったみたいに、二人の表情が見えなくなった。

 ここに来る時はちゃんと二人を家族のように思っていたのに、なんでだろう。今は二人を思うと苦しくなる。

 

「……液体の魔嫌香なんて、初めて見ました」

 

 私は取り繕うように話題を逸らしてしまった。不自然だったけれど、気になっていたのは嘘じゃない。

 

 そもそも魔嫌香は旅の必需品として一般的なもの。ツユクサとオオバコを一緒に燃やして、その香りをトキワシノブという草に移して使う。どちらも入手は簡単で、でも調合が難しい。ただ燃やせばいい訳ではなくて、材料の質や燃やす温度や気温など、些細《ささい》な要素が大きく影響する。

 たがらこそ、良質なものを安定して作れる人はそれだけで生活に困らないほどには稼げると聞く。

 

「これはね、"金木犀《きんもくせい》"という花を再現してみたんだよ。まぁ、香りだけだがね」

 

「……きんもくせい、ですか?」

 

 初めて聞いた単語に、私は目をぱちくりと瞬《しばた》かせてしまう。草花については昔からよく見てきたり二人と勉強してきた自負が少しはあるので、こういった時は少し悔しいと感じる。

 

「それはどこで──」

 

「なかったよ、どこにもね」

 

 私の疑問を言い終える前に、アナセン様がそんな言葉を発した。いつもの優しさ以外の何か強い感情が乗った声色に、私は緊張するように肩が強張った。

 

「ルル。君は"失われた遺産"というものを知っているかな?」

 

 私は知らない言葉に小首を傾げた。目の前のアナセン様の表情を窺うと、アナセン様はどこか楽しそうだった。その声色は語尾を跳ねるようにして言葉を続ける。

 

「この世界には、不自然に失われたものが数多に存在しているんだよ」

 

 そう話すアナセン様は無邪気な子供みたいで、私に夢を語るコールと重なった。

 

「……夢、とかですか?」

 

「そうだね。これは、私の夢だった。ルル、夢を持つことはとても大事なことだよ。生きる希望にも指標にもなる。君はどうかな?」

 

「私は……、そんなものは持っていません」

 

 私は俯《うつむ》いて絞《しぼ》り出すように言葉を吐き出した。"夢"と聞くと胸が苦しくなる。あの夢の中にいるように、息がし辛くなってしまう。

 そんな私の視界の中に、すっと古びた本が映り込む。それを見て、私は大きく目を見開いた。

 

「この本は……」

 

 それはガーナの冒険記だった。表紙には無骨そうな男性が清々しいほどの笑みを見せている似顔絵が描かれている。

 

「これは昔、私が若い頃に書いたものだ。ガーナというのは私が奴隷だった時の名でね。……君は、この本を知っているみたいだね」

 

 思い掛けない言葉に、私は思わず振り向いてしまう。アナセン様はいたずらに成功した子供みたいな笑みを浮かべていた。

 

「あの、奴隷って……」

 

「君と同じだったのさ。私も、昔は心からの奴隷だった。でも世界を見て回って知ったよ。奴隷を公《おおやけ》に認めている国はあまり見なかった。だから、ある日思い立ったんだ。まるで存在していないような扱いなのだったら、自由に飛び立てばいいってね」

 

 アナセン様は私の手元に置いた古びた本を、そこのままでゆっくりと開ける。まるで小さな赤子を撫でるような所作で。

 

「この本は私の夢が詰まった大事な宝物なんだ。もうだいぶ文字も挿絵も掠《かす》れてしまっているけれど、……あぁ、そこに描かれている綺麗な花の名前は———」

 

「———“紫陽花《あじさい》”ですよね」

 

 アナセン様の言葉を紡ぐように、私は掠れて読めない文字と滲《にじ》んだ花の絵を見つめて言った。きっとこの本を知らない人には何が描いていたのか分からないだろう。でも、私には分かる。この滲んで掠れた花の姿が詳細に目に浮かぶ。

 だって、この花は私の———。

 

「アナセン様、……ありますか?」

 

 驚いた表情で私の顔を見るアナセン様を、私はじっと見据える。アナセン様の大きな手から離れた本を胸に抱き締める。

 さっきから、心臓がうるさい。それを鎮めるように、本をぎゅっと抱き締めた。

 

「ある……、ともないとも言えないね。それも失われた遺産、もう誰も見向きもしていない存在の一つ。この本は、私が世界中で集めた情報を元に想像で補完した私の夢だからね」

 

 アナセン様はどこか憂《うれ》いに満ちた顔で、私と私の胸にある本を見つめていて。

 

「す、すみません! 私、急に……」

 

「いいんだ。今、私は君にすごく感謝しているよ」

 

「感謝なんて……。私は何も」

 

「嬉しいんだよ。この本を、消えていく花が君の中にあるのがとても」

 

 そう言ってアナセン様は微笑んだ。その表情はどこか寂しそうにも見えて、私はどう返したらいいかなんて分からない。感謝なんてむしろ、私の方が言わないといけない。

 

「感謝は私の方です。ありがとうございます。二人をここに呼んでくれて。おかげでコールの夢が叶って、マゼルも生き生きとしていて、私……、私は」

 

 そこで私は言葉に詰まってしまった。喉の奥で何かが蓋《ふた》をしているみたいに。私はそのまま何か言おうとしていたはずの言葉を見失って、何も言えずに黙り込んでしまった。

 そんな私を気遣うように、アナセン様が言葉を紡《つむ》いだ。

 

「私は何もしていないよ。君たちが偶然助けた子が私の顧客の子供だった。ただの偶然だと思うだろうが決してそんなことはない。君たちの日々の努力が身を結んだんだよ。良い行いは必ず報われなければいけない。私はその手伝いをしただけだよ」

 

 アナセン様の穏やかで優しい表情が私の目に映る。目も耳も鼻も、私の五感がその温かみを受けて、なぜだか目頭が熱くなる。でも直ぐに赤い景色が目の前を過《よ》ぎる。身体が強張《こわば》っていくのを感じる。

 

 それじゃあ、あの惨事は何で起こってしまったのだろう。あの燃え尽きた者たちに、報いなどあるのだろうか。

 

 私はいつの間にか強く抱きしめてしまっていた本を、アナセン様の夢が詰まった大事な本を返そうとアナセン様に差し出した。

 

「……私は、旅の途中で守るものが出来てしまってね、諦めてしまったんだ。だから、ルル。君に、頼んでもいいかな?」

 

 私が差し出した本にアナセン様はそっと手を添える。ゆっくりと押し返すような小さな力が、向こうから返ってくる。

 

「この花たちを、いつかこの目で見るという、私の生きる希望だったものを」

 

 穏やかな、でも力強い声色がゆっくりと私の耳に届いて、アナセン様の手は本から離れる。この手の本を、私はどうしたらいいのだろうか。そんなことを言われたって、私は。

 

「……ですけど、私は」

 

 私は奴隷だから、夢なんて見ないとあの日に誓ったから。そんないつもの言葉は、さすがにアナセン様の前では躊躇《ためら》ってしまう。

 

「そんなに気負わなくてもいいさ。仕事の合間に少し周囲を見渡してみる、そんなことでいいんだ」

 

「……はい、分かりました」

 

 返ってきた本を私は大事に胸に抱えた。小さい時、同じように抱えてた気がする。読めない文字でも絵の中の花に心を奪われた。名前だけでも知りたいって、色々な人に聞き回ってたっけ……。

 

 こんこん、と扉が叩かれる音が聞こえてきて、私の意識はそこに向かう。

 

「ルル殿、アナセン様、まもなく儀式の時間になります。ご準備の方は大丈夫でしょうか?」

 

「あぁ、ちょうど終わったところだよ」

 

 アナセン様は扉の先へ声を投げ掛けた後、私に顔を向けて前方を指差す。そちらに目を向けると、鏡の中に小綺麗にまとまった私の姿が映っていた。

 パサついた髪は真っ直ぐに毛先を揃えられ、肩にかかるようにあった髪を銀色に輝く髪留めが一つにまとめていた。私の酷い隈《くま》と火傷痕が不自然に際立ってしまっているけど、こればかりは仕方がない。

 

「随分と話し込んでしまったね」

 

「すみません。私が余計なことをいっぱい話してしまって……」

 

 アナセン様はゆっくりと首を横に振る。どこか嬉しそうに顔を弾ませて、私を見遣って言う。

 

「帰ったらまた話そう。この本に書ききれなかったことがたくさんあるからね」

 

「……はい、聞きたいです」

 

 そうして私はアナセン様に見送られて、この部屋を後にした。

 

 ———この本のこれ。あじさいってお花が見てみたいんだ!

 

 確かに、昔に、私が心に描いた"何か"を思い出す。

 

 高鳴る心臓は、まだ落ち着かない。

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