自由を知らない王女と、自由を諦めた奴隷少女は、きっと友達にもなれない 〜それでも私たちは、傷つけ合いながら旅をする〜 作:夕目 ぐれ
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「 ……え、ここは?」
気がつくと、私は薄暗い廊下に突っ立っていた。壁が蔦《つた》に侵食され淡い緑の葉が折り重なり、まるで静かな森の奥へと続く道のように、ひんやりとした空気を生み出している。
(……私、ここで何をやって……?)
ここがどこで何をやっていたのか、思い出そうにも頭がぼんやりとしている。
「どうされましたか、アナセン邸のルル殿。帰り道が分からないのでしたら、私が城外までご案内致しましょう」
不意に届いた声に、私は驚いて少し肩が跳ねてしまう。振り返るといつの間にか、白い甲冑《かっちゅう》を身に纏《まと》った恰幅《かっぷく》の良い男性が、こちらに愛想の良い笑みを見せて立っていた。
「アナセン様のお遣いも無事に終わられたみたいだ。さぁ、こちらまで。ここは複雑ですから、出口までお連れしますよ」
そう言うと、その兵士の方は私の返答などお構いなくという様子で早々に進み出してしまう。私は置いていかれないように慌ててその後を追い掛けた。
(アナセン様のお遣い……?)
ぼんやりとアナセン様と話した記憶はあった。何か大事なことを話した気がする。でも思い出せない。何かを受け取った気もするのに。心臓の音だけが何かを訴え掛けるようにバクバクとうるさい。
「どうでしたか、我が城は? 巨大な大樹の樹冠に埋もれる城なんて、世界中探したってここだけでしょう。夢みたいな光景だって、皆さん仰《おっしゃ》りますよ」
「……夢」
兵士の何気なく振られた会話に、"夢"という単語に反応するように手がぴくりと震えた。
そういえば、前もアナセン様のお遣いを頼まれて三人で出掛けた。その時に感じていた手の軽さ。今、何かの手持ち無沙汰に大きな違和感を感じて……。
「……本。本を知りませんか?」
ぼんやりとしていた記憶がちょっとずつ形を整えられていき、思い出したのはアナセン様から頂いた"本"だった。
「…………あぁ。もしかして、これですか?」
前を歩く兵士が立ち止まり、私に一冊の古びた本を手渡す。それは『ガーナの冒険記』と書かれたタイトルのとても古びた本。
「それです! ありがとうございます」
私はそれを両手で受け取ると、自然と胸に抱えた。なんでだろう。胸のドキドキが収まらない。
「申し訳ございません。とても古びた本でしたので、誰かが捨てたものだと……」
「……いえ。これは主様《あるじさま》から頂いた大事な本なので、見つかって良かった……」
そうだった。これはアナセン様の"夢"が詰まった本。そして昔の私もこの本に、この本の中に描かれた花に、大事な──
その時だった。思い起こした本に描かれていた花々の中に知らない花があった。"それ"はこの本の中に描かれてない。そして、今までに見たこともなかった花。
真っ白で細い線状の花弁が広がる不思議な花。その花の向こうに青髪の少女が踊る姿も見えた。
「どうされました? ルル殿」
彼女の透き通るような青い髪が舞い踊る度に、白い不思議な花も揺れた。まるで一緒に踊るように、花弁が光の粒になって宙を舞っている。
不意に目が合った少女は、私に微笑みこう言う。
──大丈夫。怖くないよ。
その時、頭も中で何かが弾けて吹き飛んだように、私は思い出した。あのお伽話のようなあり得ない景色。不思議な白い花と綺麗な女の子を。
「……あの、儀式の際に頂いた白い花はどこですか?」
あの見たこともない不思議な花を、コールとマゼルの二人とアナセン様に、見せたいと思ったから。
「……なぜ、
兵士は大きく目を見開いてそう答えた。その大きな身体から溢れ出る圧迫感のようなものに気圧されて、私は思わず後ずさる。
「……だから、反対だったんだ。誰でも良かったとはいえ、こんな薄汚い子供を選ぶのなんて……」
ゆっくりとこちらに歩み寄る兵士は、私を強く睨《にら》み付ける。腰にある剣の柄《つか》に手を伸ばし刀身を少しずつ晒し出しながら、一歩ずつ私の元へ近づく。
その明確な殺意に当てられて、私の身体は強張って上手く動かない。なんでこんなことになったのか、この突然の状況に頭も真っ白だった。
「排除しないと。この国の、いや、世界の秩序のために」
兵士は左手で私の胸ぐらを掴み、剣を持つ右手を大きく掲げる。
そして、私の首元へと一直線に、その剣を振り下ろ——————
「コード・スフォルド! 何をしている?」
私の身に届いたのは、刀身ではなく男性の厳《おごそ》かでしゃがれた声だった。
手を止めた兵士はその声に振り返らない。ただ真っ直ぐに、その目は怯えた私の顔を捉え続けながらに言う。
「フーマー様、この子供はなぜか覚えています。理由は知り得ませんが、やるべきことはただ一つ。そうですよね?」
兵士の後ろからご老体の男性が私の視界に入る。
髪は白髪で皺《しわ》の入った顔は、弱々しさよりも大木の年輪のような尊厳さを感じられる。かなり高齢のように見えるが背筋はしっかりと伸びていて、立ち居振る舞いには堂々とした品格に満ちていた。
「その剣を納めよ、コード」
フーマー様と呼ばれた御老人は悠々《ゆうゆう》とした口調で静止を呼び掛ける。その声色は怒りも動揺も感じられず、ただ平坦なものだった。
「……貴方様は随分と変わられた。"あれ"も、今までのとはまるで別人だ」
兵士は私を手離して身体を翻《ひるがえ》す。その剣先は私ではなく、御老人へと向ける。
「愛着でも湧いてしまわれましたか。貴方の役割は管理であって、子育てではない。我々はこの世界の為にあれ。そう仰られたのは、誰でもない貴方だ!」
剣先を突き付けられた御老人は、ただ何もせずに見つめ返すだけだった。恐怖も呆れもなく、ただ視界に入れているだけのようで。
そんな御老人に、兵士は突き付けていた剣先を曲げた。その僅《わず》か数センチだけを直角にするように。
「……なっ!?」
驚愕《きょうがく》の声を上げたのは兵士だった。それはあまりにも不自然な出来事。だが、剣先の変化はそこで止まらず、まるでどくろを巻くかのようにどんどんと丸く折り曲げられていくのだった。
兵士は恐怖に満ちた表情を浮かべ、そのすっかりと刀身だけが丸まった剣を投げ捨てる。
「……姫、ご容赦を」
御老人はその目の前で起きる事態に一切の戸惑いも見えず、そうどこかに呟いた。
その御老人の背後から、青髪の少女が顔を出した。その子は確かに儀式の時に踊っていた少女だった。
「フー爺、怪我してない? なに、こいつ」
少女は御老人に心配の目を向けた後、きっと兵士を睨み付ける。睨まれた兵士は忌々《いまいま》しそうに顔を歪めつつ、片膝をついて敬う態度を示した。
(……もしかして、この人が女王様? でも)
女王様は顔は大人びては見えるけれど、私と同い歳のように思える。こんなまだ子供といえる子が、次の女王様なんだと驚く。
「……女王様、貴方は」
「許さないからね。次、少しでもフー爺に手を出してみろ、貴方もあーなるから」
兵士にそう告げた女王様は、丸まって転がる剣を指差した。
「……大変失礼を致しました、女王様。どうかこの私めにご寛恕《かんじょ》頂きたく存じます」
「よく分からないけど、もういいよ」
女王様は手を払うようにして、兵士に雑に答えた。兵士の男は軽く頭を下げてから歩き去っていく。
「彼には後で私が」
御老人が短くそう告げると、女王様は不満そうな顔を見せた。そしてふと私の方へ顔を向けると、その青い目を大きく見開いて。
「あっ! 君」
女王様は打って変わって明るい表情で私の元へと走り寄って来た。
「良かった! まだいたんだ。……うん、もうこれは運命ってやつだ。きっとそう」
私の手をぎゅっと握って、女王様は独り言のようにそう口を開いた。女王様の綺麗な顔が目と鼻の距離にあって、私は思わず仰《の》け反るけれど、両手を掴まれていたためそこまで逃げられない。
「あ、あの……、何でしょうか?」
「……大丈夫? それ」
何を言っているのか分からなかったけれど、女王様の手が私の左頬を触れるように動いて理解した。
「はい、大丈夫です。もう、ただの火傷痕なので」
私はそう答えながら少し身を引く。私のような奴隷が女王様とこんな近づいている状況に気が気でない。それでも女王様との距離は変わらないどころか、どんどんと近づいてくる。
「かわいそう」
女王様の少しの汚れもないようや真っ白な手が、私の触れていた左頬を撫でる。痕を優しくなぞるように、顔もまた近づいてきて。
「あの……、女王様……」
私の抵抗する声なんて聞こえないようで、もうほぼ数センチの距離にある大きな青い目に吸い込まれそうになる。
「目の隈《くま》もすごいよ。本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫ですから……」
「うん、決めた」
女王様はそう言って頬を緩めて笑った。指の腹で私の下瞼《したまぶた》を突くと、ずっと私の顔を近距離で見つめてくる。
この状況は何だろう。相手が相手なので下手なことも出来ない。私はただ困惑するばかりで、助けを求めるように彷徨《さまよ》った視線は、御老人の元に行き着く。
私たちの様子を無表情で見ていた御老人は、私の視線を受けて口を開いた。
「姫様。彼女は記憶が残っておいでです。やるべきことは分かっておいでで?」
「……うん。でもその前に、もう少しこの子とお話がしたいな」
「姫様」
咎《とが》めるように御老人は女王様に言葉を投げ掛ける。でも、女王様は引かなかった。何かを決意するかのような緊張した面持ちで、後ろに振り向いて答える。
「少しぐらい良いでしょ! それに、今のわたしは何をしでかすか分からないよ」
「……分かりました。ですが、やるべきことはなさって貰わないと困ります。ルル殿の記憶がある原因は、姫様がそう無意識に望んでしまったからでしょう。貴方の持った力とはそういう──」
「分かってるよ。ありがとう、フー爺。わたしを信じてくれて」
「いえ、見張りはつけます」
「えー、酷い! 私の部屋で話すから中には入れないでよ」
女王様はやり取りを終えると私に向き直りまた手を掴まれてしまう。
「君の名前はルルなんだね。よろしくね!」
女王様はそう言って私に明るい笑みを向けるけれど、私は
まだこの状況を飲み込めていない。さっきから皆が話している内容が分からないから。私の記憶がどうこうと、さっきからこの人たちは何を言っているのだろう。
「あの、さっきから皆さんが仰っている私の記憶が──」
不意に声が止まってしまう。それは女王様の私を掴む手が大きく震えていたから。それが真っ先に気になって、女王様の顔を窺った時だった。
「……フー爺は、わたしがずっと想像してた通り、優しい顔をしてた」
女王様は何か懐かしむように優しく目を細めて、後ろを振り向いて続ける。
「ありがとう! ずっと、私といっぱいお話ししてくれて!」
「……姫様?」
行こ、と私に向けて小さく呟くと、私は女王様に引っ張られてこの場を後にする。
その時小さく音にもならないような声で、ごめんね、と女王様が呟いた声が聞こえた気がした。