BIOHAZARD ASHES TO ASHES 作:しお林檎
水の流れる音しか聞こえない静かな水路。そこへ、バシャン、と大きな水音と共に何かが落ちてきた。
落ちてきた何か――水路に着水し腰までずぶ濡れとなったレオンは、何度か浅く呼吸を繰り返しながら視線を上へと向ける。遠く頭上にある穴からは、微かな月明かりのみが水路に光を齎していた。
追っ手の気配がないのを確認すると、ようやくレオンは大きく息を吐き出した。今回もなんとか危機は免れたようだ。
フラッシュライトを取り出しスイッチを押す。しかし電池の接触が悪いのか、明かりは安定せずチカチカと明滅する。はぁ、とため息交じりに何度か軽く叩いてみれば、接触が安定しようやっと真っ暗闇が広がる水路を照らし出した。
「……シェリー、聞こえるか」
『レオン! 良かった、やっと繋がった!』
2時間も繋がらなかったのよ、と心配そうな声を上げるシェリーに対し、レオンは軽く謝罪を述べながら先程まで自分が置かれていた状況を共有していく。
敵のトラップに嵌まり囚われの身となったこと、捕縛された教会にて【灰の揺り籠】の幹部3名及び教祖と接触したこと。
シェリーがキーボードを叩く軽快な音をBGMに、レオンは水路を進みながら必要な情報を端的にかいつまんで話した。
『DSOのデータベースを探してみたけれど、今のところ幹部たちの情報は登録されていないみたい。教祖バルタザールに関しても【灰の揺り籠】の名前と一緒に登録されていた程度で、詳細な情報は不明ね……』
「そうか……」
『でももしかしたら、ハニガンなら何か伝手を持ってるかもしれない。こちらで引き続き探してみるわ』
「あぁ頼んだ。こちらも捜査を続ける」
残念ながらレオンが求めていた情報は得ることができなかった。シェリーは悔しさを滲ませた声でそう告げた後、すぐに切り替えてレオンの先代オペレーターであるハニガンの伝手をあたることにしたようだ。
まだオペレーターとしての場数は少ないながらも、やれるだけのことをやろうという気概を見せるシェリーに、レオンは思わずフッと笑みを溢す。
じゃぶ、じゃぶ、とレオンが歩みを進める度に水路内に水音が反響する。全身の装備が水を吸い込んですっかり重くなってしまったのが鬱陶しい。しかしレオンは絶えず前へと踏み出し、この暗渠から脱出するために進み続ける。
「……にしても、イカれた連中だった。特にあのフードの男……あいつは相当な手練れだろうな」
『レオンが褒めるなんて、相当な腕なのね……』
「他二人はまだ分かりやすいが、あいつだけは何を考えているのか全く読めなかった。考えが読めないって話なら、あの教祖も似たようなものか」
脳裏に思い起こすはフードを被った男と、教祖を名乗るバルタザールという男。
前者は終始一貫して言葉を話すことはなく、腕前が立つという情報しか得ることはできなかった。
後者はレオンがかつて相対したロス・イルミナドス教の教祖サドラーとは異なり、少なくとも理性的で話は通じる様子ではあったものの、例の取引の話を持ち出した瞬間からの人の変わりようを見るに素直にそうとも言い切れない。
両者ともにベクトルの違う薄気味悪さ、不気味さを纏う者たちであった。エージェントとしての長年の勘が彼らの厄介さに警鐘を鳴らしている。頭が痛くなる思いにレオンは再度大きなため息を吐いた。
「シェリー、水路の先はどこに繋がってる?」
『その先は……寺院群よ。最初に調べてもらった寺院跡とは違って、教団の信者たちの生活圏とされている場所。まず間違いなく、戦闘は避けられないでしょうね』
「泣けるぜ。こっちは小型ナイフ一本しか持ち合わせがないってのに」
大げさに肩を竦めてみせるも、この場にはレオン以外誰一人としていないためそこに助け舟を差し出してくれる者はいなかった。
『上に支援要請はしてるけど、どれだけ早くても到着は3時間後になるわ。こちらも可能な限りサポートするから、それまではどうにか現地調達で持ち堪えてちょうだい』
「了解。やれるだけやってみよう」
ピッと軽い電子音を立て一旦通信を切り、レオンは改めて前を見据え、暗闇を一筋の光条で照らし静寂に包まれた水路を道なりに進む。
そうしてどれほど歩いただろうか。やがて進行方向右手前側に、無機質な鉄製のドアが見えた。
水路の出口だ。そう確信したレオンは心なしか早足で進み、ようやくドアの前へと辿り着く。長かった水路の冒険はここまでだ。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりとひねる。キィと錆びついた金属音が甲高い音を立てる。
扉の先に広がっていたのは小さな部屋であった。置かれている計器や制御パネルの類から推測するに、水路の管理室のようなものであろう。部屋の中央に置かれたデスクには薄く埃が降り積もっており、まるで物置部屋のような雑然とした空気が漂っている。
人の気配がないことを察したレオンはこれ幸いと、部屋の中に入るなり遠慮なく部屋の隅々まで探索し始めた。
デスク、制御パネル、棚、ロッカー。一つ一つ順番に調べていった最後のロッカーの戸を開く。
するとそこには、埃を被って薄汚れた9mm口径のハンドガンが一丁と、箱に入れられた予備の弾薬が数発。ヒュウ、と口笛を吹いてそれを手に取り、手早くマガジンを抜き取って弾数を確認した。お世辞にも潤沢とは言い難いが、小型ナイフ1本で敵の巣窟に飛び込むよりは遥かにマシだ。
スライドを引いて初弾を装填。何度かグリップを握り感触を確かめた後、数時間前まで愛銃を納めていたホルダーへと手に入れたばかりのハンドガンを代わりに挿し込んだ。
他に目ぼしいものはないと踏んだレオンは、管理室の奥の扉へと歩みを進める。
内鍵をガチャリと開き鉄扉を押せば、瞬間、もわっとした重苦しい熱気がレオンの頬を撫で全身を包み込んだ。
数時間ぶりに浴びた湿り気を帯びた熱気に、レオンは思わず地下水路の冷涼な空気が恋しくなってしまう。当然、戻るなどという行動は選択肢に存在すらしていないのだが。
遠く東の水平線からは、微かにオレンジ色の光が伸びてきている。その光に照らされ濃紺だった空は鮮やかな群青色へと変化し、水平線に近い部分は薄桃色のグラデーションを描いていた。
しかしそんな爽やかな空の色とは対照的に、地表は薄く立ち込める海霧と潮を多分に含んだ生温かい風が吹き曝しとなり、レオンの露出された肌にどこか粘つくような何とも言い難い不快感を残していく。
地表に流れ込んできた海霧の中、レオンは目を凝らし遠くに見える
視線の先に広がるは、シェリーから事前に説明を受けていた寺院群。石造りの建物が無数に並ぶ、その全景。
最初に辿り着いた寺院跡とは訳が違う。よく見ると既にいくつかは活動を開始し、そこに人が生活しているという事実をありありと見せつけてくる。
襲い来る不快感を拭うように軽く唇を舐めると、霧の中を掻き分けるようにして、レオンは未知の戦場へと足を踏み出した。