ハンター試験を数ヶ月後に控えたある日、アベルは修行の総仕上げとして、一つの儀式を行うことにした。
原作知識を持つ彼にとって、それは避けては通れない、そして己の「才能の形」を決定づける重要な儀式だった。
『水見式(みずみずしき)』
コップに並々と水を注ぎ、その水面に一枚の葉っぱを浮かべ、手をかざして『練』を行う。オーラの系統によって水や葉っぱに異なる変化が現れる、心源流に伝わる簡易的な選別法だ。
「……さて、俺は何系に分類されるかな」
アベルは森の中の平らな切り株の上に、澄んだ水を張ったガラスのコップを置いた。その水面には、近くで拾った小さな緑の葉が、静かに浮かんでいる。
アベルはコップの前に立ち、深く息を吸い込んだ。
前世の記憶にある原作の知識では、系統ごとの変化は明確だ。
水が増えれば「強化系」。
水の味が変われば「変化系」。
葉が動けば「操作系」。
水に不純物が現れれば「具現化系」。
水の色が変われば「放出系」。
そして、それ以外の予測不能な現象が起きれば――「特質系」。
アベルは両手をコップの左右にかざし、体内の精孔を一気に開放した。
「――『練』!!」
ドワッ、とアベルの肉体から、この数年間で培ってきた濃密なオーラが噴き出す。
その凄まじいオーラの波動が、かざした両手からガラスのコップへとダイレクトに流れ込んだ。
その瞬間、コップの周囲で起きた現象は、アベルの想像を遥かに絶するものだった。
ピキピキ、とガラスに負荷がかかる音が響いたかと思うと、まずコップから水がブワッと溢れ出た。
それと同時に、溢れた水が瞬時に鮮やかな群青色へと染まり、水面に浮かぶ葉っぱが生き物のように激しく回転を始めた。
さらに、水の中にキラキラと輝く正体不明の結晶が次々と析出し、最後には水から甘い匂いがしてくる。
「……は?」
アベルは思わず『練』を解き、呆然とその場にへたり込んだ。
切り株の上には、底が消え去り、群青色の水がこぼれ落ち、結晶が散らばったガラスの破片だけが残されていた。
すべての系統の現象が、同時に、それも圧倒的な出力で発生したのだ。
「これって……『それ以外の現象』、つまり特質系ってことでいいのか?」
アベルは引きつった笑いを浮かべながら、自分の両手を見つめた。
原作知識があるアベルでも、こんな水見式は見たことがない。全系統の性質が全開で暴れ回るような、規格外の特質系。それが、アベルに与えられた念の器の正体だった。
「驚いたな。……でも、じゃあ一体、俺はどんな『発(能力)』を作ればいいんだ?」
アベルは頭をガリガリと掻いた。
特質系であることは分かった。
しかし、自分のオーラがあまりにも全方向に万能すぎて、逆にどんな能力に特化させるべきか、この時点のアベルには全く思い浮かばなかった。
前世で読んだ漫画の知識を総動員しても、自分のこの異常なオーラをどう定義し、どういう制約をかければ「最強の能力」になるのか、その具体的な発のアイデアは、まだ彼の頭の中に存在していなかったのだ。
「……まあ、いいか。焦って今すぐ変な能力を作る必要もない。これからハンター試験に行って、世界中の色んな奴らと出会うんだ。その中で『これだ!』って思うものを、ゆっくり見つけていけばいい」
アベルは背中の樫の木の棒をポンポンと叩いた。
能力(発)はまだ何もない。真っ白な状態だ。
しかし、この数年間で鍛え上げた肉体と棒術、そして水見式を物理的に破壊するほどの圧倒的なオーラの絶対量(基礎能力)がある。それだけで、今のところは十分に戦える。
「世界を楽しむエンジョイ勢としては、能力選びもじっくり楽しまなきゃ損だしな」
アベルは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべると、粉々になったコップを片付け、ついに住み慣れた修行場を後にした。
十二歳になったアベルの、本当の旅立ちの瞬間だった。
数日後
アベルは、ハンター試験の開催都市である「ザバン市」に到着していた。
原作知識をフル活用し、ナビゲーターの出す一癖も二癖もある意地悪なクイズや試練を、大人の余裕で涼しい顔をしてクリアしたアベルは、ついに一次試験会場へと続く、あの有名な「地下道」の入り口へと辿り着く。
ゴゴゴゴ……と重苦しい音を立てて、巨大なエレベーターが地下深くへと降りていく。
チーン、という電子音と共に扉が開くと、そこには――独特の、肌を刺すような熱気と、張り詰めた殺気が充満する広大な空間が広がっていた。
すでに数百人の受験生たちが、それぞれの武器を手に、互いを牽制し合うように佇んでいる。
怪しいオーラを放つ釘男(イルミ)や、不気味な笑みを浮かべてトランプを弄ぶ奇術師ヒソカの姿も、遠目に見える。
アベルがエレベーターから一歩踏み出すと、緑色の奇妙な姿をした案内人が、無表情に小さなプレートを差し出してきた。
「受験番号百番です。プレートは常に胸につけておいてください」
「どうも」
アベルは受け取ったプレートを見つめ、フッと口元を綻ばせた。
『100番』。
原作でキルアが受け取ったのは「99番」だ。ということは、受付のタイミングがキルアのすぐ後ろだったということになる。
アベルはプレートを胸に装着すると、賑わう受験生たちの間を、背中の棒を揺らしながらゆっくりと歩き出した。
周囲の受験生たちが、「なんだあのガキは」「また子供か」と侮蔑や警戒の視線を向けてくるが、アベルは完全に無視する。彼のサファイアブルーの瞳が見据えているのは、ただ一つの方向だけだ。
ベル、という無機質な音が地下道に鳴り響き、第1次試験官サトツの先導によって、過酷な長距離マラソンが始まった。
最初はゆっくりとしたペースだったが、サトツの歩調が上がるにつれて、地下道の空気は一気に殺伐としたものへと変わっていく。周囲の大人たちが早くも息を切らし、一人、また一人と脱落していく中、アベルは背中に背負った樫の木の棒をわずかに揺らしながら、涼しい顔で集団のやや前方をキープしていた。
(始まったな……。原作知識があっても、この延々と続く暗い地下道を走るのは普通に精神的にキツい。……お、そろそろか?)
アベルが前方に視線をやると、ちょうど銀髪の少年――キルア(99番)が、愛用のスケートボードに乗ってすいすいと受験生たちの間をすり抜けていくのが見えた。
そのすぐ横では、汗だくになりながら必死に走っているレオリオ(403番)と、クラピカ(404番)の姿がある。
「おいガキ!!」
レオリオが、スケボーで楽をしているキルアに向かって、怒鳴り声をあげた。
「ハンター試験をなめてんのかお前!!」
「なんで?」
キルアはレオリオの怒声などどこ吹く風で、つまらなそうに聞き返す。
「ズルだろズル!これは持久力のテストだぞ!」
「いいや、違うね。試験官は『俺についてこい』と言っただけだ。どんな手段を使うかは自由だよ」
原作通りの、どこか微笑ましいやり取り。そこに、レオリオたちのすぐ後ろを走っていた緑の服の少年――ゴン(405番)が、無邪気な笑顔で追いつき、会話に加わった。
「ねえ、そのスケボー、何キロくらいあるの?」
「……さあ、測ったことないけど。君、いくつ?」
「12歳!」
「……ふーん」
キルアがスケボーを空中に跳ね上げ、鮮やかにキャッチして着地する。ゴンと同じ目線で、自分の足で走り出す瞬間。
まさにその時、キルアの真後ろをぴったりと並走していたアベルが、二人の会話にスッと滑り込んだ。
「あはは、正論だね。……でも、そこのスーツの人の言うことも一理あるよ。まだ先は長いから、まぁあんまり怒ると息が切れてもたないけど」
「あぁ!? お前、100番のガキ……! お前まで俺をオッサン扱いすんじゃねえ! つーか、お前ら子供のくせになんでそんな余裕なんだよ!」
レオリオがさらに顔を真っ赤にして叫ぶのを、アベルは苦笑しながら受け流す。
すると、突如として隣に割り込んできたアベルの気配に、キルアがピクリと反応して視線を向けた。
キルアの鋭い目が、アベルの胸の「100番」のプレート、そして何より、アベルが重そうな樫の木の棒を背負いながら、そこそこ息を荒らしつつも、自分たちと全く同じスピードで、大人の受験生たちを置き去りにして走っている姿を捉える。
(こいつ……受付で俺のすぐ後ろに並んでたやつか。一見、普通に疲れてるように見えるけど、走るフォームに全くブレがない。ただの一般人じゃないな……?)
キルアは、アベルが自分と同じくらいの年齢なのに「なんか気になる、凄いやつ」であることに微かな興味を抱いたようだった。
「お前、名前は?」
キルアが尋ねる。
「俺はアベル。君は?」
「俺はキルア」
すると、二人のやり取りを見ていたゴンが、嬉しそうに並走しながら声を張った。
「俺はゴン! で、あっちで怒ってるのがレオリオで、隣で静かに走ってるのがクラピカ!」
「おいゴン! 勝手に自己紹介すんじゃねえ!」
遠くからレオリオの怒声が飛んでくるのを背景に、アベルは「よろしく、キルア、ゴン」と、今度は完璧に自然な流れで二人に微笑みかけた。
「ふーん、アベルか。……いいじゃん、お前も結構やるね」
キルアが、少しだけ嬉しそうに口元を綻ばせる。
「あはは、ありがと。君たちに置いていかれないように、必死についていくよ」