そんな不誠実なことがあるものか、自分の確認不足で怪我を悪化させてしまったのだからせめて正直に話して謝罪をせねば。
と、ディーンは思っていた。
宿に辿り着くまでは。
豪華絢爛な調度品、子供一人だけのために用意された壁いっぱいに並ぶ大勢の使用人。
明らかに庶民とは生活のレベルが違う。
ディーンは真実を伏せることを胸の内で女神エリスに懺悔した。
同時に、聞いていなかったビリーの苗字を追及することも止めた。
ここで五大貴族辺りの名でも出されれば、大聖堂そのものを巻き込んだ大騒動になりかねない。
最終的に自宅まで送ると言い出した従者の申し出をなんとか断って、一人帰路へ着いた頃には夜もとっぷりと更けていた。
大きな町であるとはいえ、暗闇には危険も潜む。
丁度警備隊の巡回と鉢合わせたため、これ幸いと同行させてもらった。
カンテラの光が差し込まない路地の奥。
なにを言っているか聞き取れない下品な笑い声、小さな悲鳴。
かすかに聞こえたかもしれないそれ目掛けて警備隊の数名が駆けていくのを、ディーンは落ち窪んだ目で見つめていた。
こうして、少しばかり非日常を体験したディーンの一日は終わったのであった。
それだけで終われば、少し不思議な出来事だったなあ、で済んだはずだ。
あの子は元気にしているだろうか、などと時折思い返しながら、無味無臭の、砂を噛んだような生活に戻っていたに違いない。
ディーンはそうならなかったことを、目の前の光景で悟った。
「こんにちは、司教様」
ぺか、と輝かんばかりの元気な顔を見せるビリーに、ディーンはワインと間違えて酢を口いっぱいに含んでしまった時のことを思い出していた。
「こんにちは、ビリー。……どうしてここにいるのかな……」
「グロウベルにしばらく滞在するからですね。言ってませんでしたっけ?」
そういえばそうだった、とディーンは昨日見た情報を思い出していた。
大量の従者と高級宿を確保しているならば、日帰りで帰るはずもない。
「教会に来たのは、どうして?」
「道案内をしてもらうために。地元の方に聞いた方が確実でしょう?」
ディーンさんなら、安心できますから!
整った顔立ちの少年が浮かべる笑みはあまりに無垢で、聖堂に飾られている絵の天使に似ていた。
膝からいまだ覗く包帯、そしてビリーの後ろに控える従者を伺い見て、ディーンは結論を出した。
拒否権は、ない、と。
浮かべた笑顔は子供のものとは対照的に、哀愁の漂うものだったという。
勇者とは。
かつて魔物と人間が停戦条約を結ぶ以前に、存在していた人間のことだ。
国の率いる軍隊とは違い、異なる役割を担った専門家達の少数精鋭で魔物の国へ潜り込み、作戦を遂行した。
魔物の王、すなわち『魔王』を倒したのである。
この作戦は魔物側へ少なからず打撃を与え、今日の停戦に至るまでの道筋を作ったと言われている。
それ以降、『勇者』とは勇敢である者、現状を打破する力を持つ力を持つ者。
世界を救う使命を果たす者。
あるいは、魔王を倒す者。
そういった意味を持つ称号となった。
そんな勇者が生まれ育った町。
それが、このグロウベルだ。
本人こそ既にこの世を去っているものの、金の香りが大好きな者達はこういった機会を逃さない。
数十年前には小さな田舎町だったここは一躍立派な観光地と化し、勇者を導いた女神エリスを祀る教会として、大聖堂も昔よりも二倍の大きさになったという。