そして、商売人の目論見通り、観光にやってきた少年こそが、ビリーだ。
伝え聞いている物語をわかりやすく簡単な言葉で語ってやれば、途端に目を輝かせていた。
「勇者は女神エリスに導かれてこのような波乱万丈な人生を送ることになったのですね。興味深いです!」
「うん、……難しい言葉をよく知っているね」
この女神エリスが導いたという下り、実はかなり信憑性に欠ける。
登場があまりにも唐突な上、好き勝手神託を下した後はほとんど出番もない。
教会が勇者の作り出すカリスマ性と金というおこぼれに預かるためにむりやり女神と接点を作った、というのが有力な説の一つである。
しかしそのような現実、勇者に憧れてわざわざこの地にまで足を運んでいた子供に告げる必要もない。
ディーンははしゃぎ倒すビリーの横を歩きながら、生暖かい微笑みを浮かべるのであった。
勇者が生まれ育ったとされている生家。
実際に鍛錬を行ったという広場に、展示されている練習用の木剣。
本来の仕事ではないとは言え、人に話しかけられやすい職業と見た目だ。
何度か行ったことのある場所まで案内し、勇者に関する説明を軽くしてやれば、ビリーは大層お気に召したようだ。
次の日も、その次の日もビリーはやってきた。
ねだられるままに案内を続けていれば、数日はあっという間だった。
さほど離れていない後ろをついてくる従者達からの圧に押されつつ、ディーンはふと、元より垂れた眦を更に緩める。
穏やかな時間だった。
振り回されてはいたが、感情の出し方が分からなくなりつつあったディーンにとって、賢くも無邪気な少年と過ごした日々は良い刺激となっていた。
だからこそ、油断していたのだろうか。
本音は不意にこぼれていく。
「あの倉庫群を抜ければ、埠頭があるのでしたっけ? 僕、海も見てみたいです」
「いけないよ、ビリー」
元より海沿いの町だ。
ここに足を踏み入れた時から漂っている潮の香りに、興味は募っていたのだろう。
しかし、わくわくと踏み出し始めたビリーの足に、待ったを掛けるものがいた。
ディーンだ。
「そちらには悪い人たちも多い、行くのは危険だ」
この数日、ディーンは同じようなことを何度も口にしていた。
その道は街灯が少ないから夜に歩いてはいけない、とか。
最近事故が起こったので別の道を歩こう、とか。
どれもビリーの安全を考えて放たれた発言だ。
従者も含めて誰も反対意見はなかったので、それまでずっと従っていた。
当然、ビリーにも否はなかった。
なので彼が口を開いた理由は、単純な疑問であった。
「ディーンは、悪い人たちが嫌いですか?」
突然の質問に、わずかに皺の刻まれた目尻がぴくりと動く。
しかし、ディーンは小首を傾げながら、なんでもないことのように答えを返した。
「それは、まあ、そうだね。なんの罪もない、善き人々が害されることは悲しいことだから」
「ですが、悪い人たちが悪いことをするのは理由があります。生活が苦しいから、餓え故に仕方なく、ということもあるでしょう? 司祭様達は彼らに施しもしているではないですか」
魔物によって故郷を追われた者達への炊き出し。
親を失った子を育てる孤児院。
善き人々が善きままであれるように。
悪しき道へと落ちないように。
エリス教は、そういった境界にいる者達への救済も行っている。
この数日の間に、ディーンにくっついて孤児院を見学したビリーからは、特に実感のこもった意見が出た。
これに対しても、ディーンは声を荒げることもなく答える。