早朝に謝罪にだけきたビリーはそう言い残すと、時間が迫っていると慌ただしく去っていってしまった。
残されたのは、子供に気を遣われてなんとも情けない気持ちになっているディーンだけである。
さてどうしようかと、持て余したのは手に収まったままの書籍たちだ。
ビリーが喜ぶかと思い、大聖堂の資料室から勇者に関するものを借りてきたものの、肝心の本人がいなくなってしまった。
他にも連れて行ったら喜ぶだろうか、といくつか調べていた勇者関連の場所が頭の中で宙ぶらりんになっている。
「随分絆されちゃったな」
改めて紙束の重みを感じながら、ディーンは苦笑した。
妻がなくなってから機械的な生活を送っていたというのに、振り回されつつもビリーに勇者のことを教える日々は充実していたのだ。
「失くしても困るし、一旦返してこよう」
書籍を腕に抱えたまま、ディーンは大聖堂へと踵を返す。
向かうのは資料室、そして事務室だ。
ビリーが今日再びやってくるかはわからないが、それまでに雑務を片づけておいた方がよいだろう、と判断してのことだ。
それを止めたのは、一本の細い腕だった。
今日はどうも思った通りにいかない。
ディーンは少しばかり辟易した表情を隠さなかった。
修道女が振り返る直前に慌てて取り繕ったが。
ディーンを引き止め、大聖堂のとある一室に引き込んだのは彼女だ。
孤児院で保母の役割も担う彼女の顔は、ディーンもよく知っている。
控えめで言葉少なながらも、仕事を真面目に取り組む好ましい人物だった。
逆に言えば、それ以外で関わりがない、ともいう。
故に、ディーンは分からなかった。
なぜ急に彼女に引き止められたのか。
「申し訳ございません、乱暴なことをいたしました」
「いえ……」
返事もおざなりに、ディーンは自分の今いる空間を見回す。
初めて足を踏み入れた部屋だった。
内装に窓やタペストリーなどはなく、簡素なベッドと机、そして修道女が掛けた天井のランプのみ。
仄暗い灯りが照らす壁は、妙に頑丈そうな印象だ。
何事か禁を破ってしまった者が入れられる独房と説明されれば、納得してしまいそうな有様に、ディーンの中で不安と緊張が高まっていく。
「安心してください、なにも危害を加えるためにお呼びしたわけではありませんわ」
「ああ、すみません、疑うつもりは。ここに来たのは初めてで、緊張しております」
「まあ」
唇だけで囁いた彼女の言葉の続きを聞き取れず、ディーンはなんの用途の部屋なのかという質問を呑み込んだ。
落ち着かなさがそうさせているのか、こころなしか嫌な臭いすら漂っている気すらしていた。
「最近、ディーン様は元気そうですね」
事前に用意していたのか、差し出されたお茶から湯気は立っていない。
それでも鼻腔に入ってくる香りは本物で、ありがたさすら感じながら受け取った。
椅子がないからと、やたら大きなベッドに腰掛けさせられたディーンからは、作業をしている彼女の顔は伺えない。
陶器の擦れる音だけが、大きく響く。
「あの観光に来たという子のおかげかしら」
「あちこち連れ回されているから、活動時間は前よりも増えましたね」
カップの縁に口をつける。
飲み慣れない味がした。