長い、長い廊下を二人は歩く。
壁際には華美すぎない絵画や彫刻などの美術品が等間隔に並べられているが、それらを鑑賞する者はいない。
「魔力がないと、どうして回復術によって傷が悪化するか知っているかな?」
「……回復術のトリガーが、対象の持つ魔力だからです。『身体を治せ』という命令はあくまで魔力を通すことで実行される。それがなければ回復術として注がれた魔力はただの異物として対処される。過剰反応により、身体の防御機構は自分自身を傷つける」
「その通り。それでは、そのようになってしまう対象とは、どんなものがいる?」
「我々魔族、回復術と相性の悪い人間、それから……魔力のない人間」
「一つ目は正確ではないね。魔力を持たない魔族、とまで答えられれば完璧だった。まあ、僕らのほとんどは魔力を持たないのだから正解とも言えるかな」
ビリーはガーゼの貼られた足をくるりと回転させ、男の正面へと向き直る。
魔族。
『魔を欲する一族』。
人間とは違い、魔力を持つ個体は一割に満たない。
故にこそ彼らは己にない魔力を欲し、人間を羨んだ。
自前の牙と爪、その肉体で数多の人間たちを屠った。
その頂点に立つ者が、男の目の前で微笑む。
完璧な角度で放たれるそれは、女神のごとき神々しささえ感じられた。
「では、死んだ司教はどれだったのだろうか?」
男は言葉に詰まる。
司教の件について、男は詳細な作戦内容を聞かされていない。
成り代わった魔族だという証拠もない。
つまり、本物だとも偽物だとも男には判別がつかない。
「回復術と相性の悪い人間、ではないと愚考します」
「そうだね、フェリックス司教について調べた時にそんな情報はなかった。では、彼は魔族だった?」
断言はできないね、とビリーは近づくと男の顎を掬い上げる。
「魔力のある人間から魔力をなくす方法なんていくらでも考えつく。魔法の使いすぎ。汚らわしい魔物と戦っている内に力尽きて、なんてまさに敬遠な司教様の末路にふさわしいじゃない。もしくは魔力の抽出。我らが魔国の名産品、魔石の製造法の一部なんかはまさにそれだ」
教師気取りでつらつらと述べるビリーの言葉が、ふと途切れた。
男の顔を強引に寄せ、覗き込んだ瞳は海の色をしている。
「優秀な回復術士であるディーンが、その可能性に気づかないわけはないよね」
転んだ小さな子供にもためらわず回復術を施す優しい人間。
子供が苦しめば、即座にその原因に気づいて対処を行った。
その彼は、司教の体質にのみ言及し、魔力の尽きた司教本人である可能性を指摘しなかった。
男はようやく結論にたどり着き、若干青くなった唇を引き結んで押し黙る。
「彼の中に正義は存在しない」
あるのは、己の中に引いたルールのみ。
それが些細な行き違いであろうと、味方の誰かが違えたならばどうなるか。
想像したくもない、と男は緩やかに首を振った。
「人間の群れの中に爆弾を設置するかのごとき所業、さすがにございます」
「世辞はいいよ、背中がかゆくなる。……爆弾が立ち直って、自力で軌道修正する可能性もなくはないけど」
懸念を小さく口にするが、魔王はそれを男に聞かせるつもりはなかった。
わざわざ解決できない心配事を部下に聞かせる意味もないからだ。
戯れはここまで、とビリーは男から手を離すと、再び足を動かす。
迷いのない歩みがたどり着いたのは、屋敷に存在する大広間だ。