『おかえりなさいませ、魔王様』
大きな両扉を、気遣いの欠片もない手つきで開け放つ。
視界に映るのは、荘厳の一言に尽きた。
ずらりと周りを囲むのは、ディーンが迷子を送り届けた時に目撃したよりも遥かに大勢の召使い達。
まるでそういう玩具のように、ビリーに向けて深々とお辞儀をしていた。
以前と違うのは、数だけではない。
角を生やした者がいる。
肌が緑色の者がいる。
彼らは皆、人間では有り得ない見た目をしていた。
「さて、無駄話をしている暇はない。なにせ勇者パーティーを潰すという、偉業を成し遂げようとしているのだから」
ビリーはぱんぱん、と軽く両手を打ち鳴らす。
すかさず用意されたのは、椅子と机、そして地図だった。
椅子を引く召使いに対し、慣れた動作で腰を落ち着けたビリーは、地図を覗き込む。
人間の国の領土が描かれたその盤面には、数ヶ所にチェックのマークが書き込まれていた。
「僧侶の有力候補は粗方潰せたかな。」
差し出されたペンを使い、グロウベルの位置に同じチェックマークを書き込む。
やれやれ大変だ、とビリーは肩をすくめる。
「具体的にこの人! という確証がないからね。名前くらい教えてくれたっていいのに、融通がきかないんだから」
ビリーが苦言を呈しているのは、事の発端となった予言である。
『魔王が勇者によって倒される』という予言があった。
その他の勇者とその仲間たちという、多少の情報もあった。
だが、予言は万能ではない。
その勇者って誰だ? と問いかけたところで、答えを返してはくれないのだ。
故に、ビリーは予言の内容から勇者とその仲間たちの特徴を持つ者を探し出し、候補とも言うべき彼らを無力化すべく暗躍して回っている、というわけだ。
あまりに遠い道のり。
ついてきてくれる部下も、多くはなかった。
しかしやり遂げなければならないのだ、とビリーは己で決めたのだ。
魔王は、泣き言を吐かない。
「冒険者育成機関は出資者という立場で潜り込んだ。今回のハーライル襲撃事件と偽司教の件で、教会に口出しする口実もできた」
白魚のようにほっそりとした指が、マークから外れ地図の上をうろうろとさまよう。
迷子になっているわけではない。
指す相手が、定位置にいないことを指しているのだ。
「商人、兵站を担う者……常に移動する者」
これが一番厄介だ、と、ビリーは泣き言の代わりに頬を膨らませる。
「でしたら、私にお任せを」
一つ、声が上がる。
従者たちに見守られるビリーの前に、一人の魔族が躍り出た。
涼やかな目元に、シミ一つない肌。
微笑む瞳は宝石のようにきらめいている。
かの有名な冒険者、チャーリーに負けずとも劣らぬ美貌をもった青年である。
「魔王様のご負担をわずかでも軽減できれば、と存じます」
「ケイト」
ビリーは、その者の名を呼ぶ。
彼はビリーの過酷な職務に同行した、数少ない一人だ。
他の魔族に比べて肉体に強靭さはなく、特筆すべきような身体的特徴もないが、雰囲気を読み、どんなところでも周囲に馴染むことができるという特技を持っている。
「ううん、そうだな」
ビリーは小首を傾げ、思案する。
これまで人間を騙すための保護者役や情報収集など、部下には裏方としての仕事を命じてきた。
勇者パーティーのメンバー候補と直接関わりを持たせたことはほとんどない。
頭の中で天秤が揺れる。
メリットとデメリット、どちらの価値が高いかを導き出すまでは数秒もかからなかった。
「それでは、お願いしよう。くれぐれも死なないように」
「はっ」
召使いが並ぶ前で跪き、魔王からの命令をうやうやしく受け取った青年。
その様子を、ビリーの背後に控える男がじっと眺めていた。
僧侶への対応を問い、愚かと言われた男だ。
真っ黒な瞳で、魔王とその魔王に信頼された部下のやり取りを見つめている。
その瞳が閉じ込めた感情を知る者は、今は誰もいない。
《つづく》