ひひん!
馬の鋭い嘶きが聞こえた。
次の瞬間、鈍い衝突音。
「わあ!」
小さな悲鳴が聞こえた。
それが子供のものだと気づいた時、ディーンは咄嗟に声の方向へと走り寄っていた。
停留所には馬車が二台。
壊れてはいないが、御者らしき男達が慌てている。
彼らの視線の先には、うずくまる子供が一人いた。
どうやら彼が悲鳴の主らしい。
「どうしましたか」
「ああ、司祭様! な、なんでもないんです、この子が転んじまっただけで」
「何言ってんだ馬鹿野郎、お前がぶつけてきたせいだろうが!」
現場の状況と男達の言葉で、ディーンはおおよその事情を察した。
停留所にて客を降ろそうとした乗合馬車に、もう一台の馬車が接触。
降りようとしていた子供がその衝撃で転んでしまった、ということだろう。
「怪我の手当てをしましょう。その子をこちらへ」
「おお、そりゃありがてえ」
「も、もういいだろ? その子も擦り傷程度で大したもんじゃなし、馬車だって無事だったんだ。俺はもう行くぜ」
さっと見た限り、膝から血が出ている程度の外傷だ。
男の言うことに嘘はない。
しかし、あんまりな言い方にディーンは眉間に皺を寄せた。
馬車をぶつけたという男へ向き直る。
御者の頑丈なコートは長く使われたというよりも乱暴に扱われたせいで皺や染みが目立つ。
頬に傷跡のある、全体的にみすぼらしい印象の男であった。
「貴方は御者のこの方とこの子にまず謝りなさい。馬車がぶつかったせいでこうなっているのですよ」
「な、なんだってんだよぉ、俺が悪いってのか? どいつもこいつも学がねえからってバカにしやがって!」
今回に関して言えば明らかに悪いし、学がないことは関係ないのだが。
頬傷男の言い分に指摘を入れる前に、動く者がいた。
「あの、ぼ、ぼく大丈夫ですっ」
へたり込んでいた子供だ。
痛みと衝撃から解放されたのか、ディーンの脇をすり抜けて走り去ろうとした。
「待ちなさい、大丈夫かどうかはまだわからないよ」
「そういやこの子のママやパパさんはどこだ? ……あっ!」
馬車をぶつけられた側の男が声を上げた。
見れば、頬傷男が隙をついて馬車に乗り込み、逃げようとしている最中であった。
加害者が謝罪もなく逃亡しようとしているのは腹立たしいが、ディーンの身体は一つだけだ。
であるなら、優先すべきことは決まっている。
ディーンは薄い肩を優しく抱きとめ、男のしかけた質問を繰り返した。
すなわち、保護者はどこか、と。
「いません。ここへはぼく一人できました」
「それなら尚更だ。傷の手当てをさせておくれ」
痛くなくなる、すぐに終わると説得しても、子供の顔色はどこか青ざめたままだ。
知らない大人の男に引き止められているのが怖いのだろうか、となお抵抗の力がこもる身体を早く解放してあげたい一心で、ディーンは擦りむいた膝に向けて手をかざす。
温かな色の光が生まれる。
使い手の魔力を引き金に生み出される奇跡、大衆向けに言うならば『回復術』。
聖職者として女神に認められた者が使える術が、子供の傷を癒すべく広がっていく。