砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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10話:鉄錆のステーション、不意打ちの撫で心地

 ◆◆◇◇◆◆

 1. 聖域の封鎖と、銀河の放浪者

 

 

「お姉ちゃん、一緒に寝れば省エネだよ? 私が人間抱き枕になって、レム睡眠までエスコートするし――」

「電子ロック、かけますね。おやすみなさい」

「……あ、はい。おやすみなさいませ」

 

 シュティアの流れるような提案は、疲労困憊のレデアによって物理的な隔壁(電子ロック)の向こう側へとシャットアウトされた。

 いつもなら「ロックの脆弱性」を突いてでも侵入を試みるシュティアだったが、今日はおとなしく引き下がった。なぜなら、ドアが閉まる直前のレデアの目の下に、うっすらと隈が浮いているのを彼女の「お姉ちゃんお疲れセンサー」が見逃さなかったからだ。

 

「……仕方ない。今日のお姉ちゃんには、本物の安眠が必要だもんね」

 

 シュティアはドックのハッチに、ネズミ一匹、あるいはナノマシン一粒すら通さないほどの厳重な多重ロックを施した。

「お姉ちゃんの睡眠を妨げる者は、この私が宇宙の塵にする」

 そんな物騒な決意を胸に、彼女は独り、拠点であるスバル・ステーションの商業区へと繰り出した。

 

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 2. 無自覚なカリスマと、陽だまりの少女

 

 

 商業区のメインストリートを歩けば、道行く人々が吸い寄せられるように足を止める。

 金色の髪をなびかせ、凛とした足取りで進むシュティアは、このステーションにおいて一際異彩を放つ美貌の持ち主だ。だが、彼女にとってそれらは背景のノイズに過ぎない。

 

 彼女がなんとなく足を向けたのは、ジャンクパーツと最新デバイスが雑多に並ぶ一角。

『ハル・ステーション』。

 レデアが船のメンテナンスで頻繁に利用する店であり、そこにはレデアが信頼を寄せる少女――サティがいた。

 

「あ、シュティアさん! こんにちは!」

 

 店内に一歩足を踏み入れると、カウンターの奥から弾けるような声が飛んできた。

 サティだ。

 屈託のない、裏表のまったくない善意の笑顔。

 

 かつて、姉と親しげに話す彼女を見て、シュティアは胸が焼けるような焦燥感を覚えたこともあった。

「お姉ちゃんの隣を奪う不埒な子猫ちゃん」……そんな認識だったはずなのに。

 

「……こんにちは、サティさん」

 

 不思議だった。こうして一対一で向き合うと、あのドロドロとした独占欲が、凪のように静まっている。サティの持つ純粋な光が、シュティアの毒気を中和しているかのようだった。

 

「今日はレデアさんはご一緒じゃないんですか? 何かご入用ですか?」

 

「姉は少し、休息中でして。……そうですね、少しパーツを見せてもらえますか?」

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 3. 無意識の「なでなで」

 

 

 船の整備は基本的にはレデアの領分だが、シュティアも密かに手を加えている。

 姉には内緒にしている「隠しブースター」や「超広域盗撮……もとい、監視用センサー」など、彼女にしか扱えない機能は多い。そのため、パーツ選びの審美眼は玄人裸足だ。

 

 サティと並んで、最新の減衰プレートや電磁ワイヤーのスペックを確認する。

 サティの解説は丁寧で、一生懸命だ。その小さな手がパーツを指差すたびに、彼女のひたむきさが伝わってくる。

 

「この新型のアンカーヘッド、シュティアさんの操縦に、すごく合うと思うんです!」

 

(……可愛い)

 

 唐突に、シュティアの思考にそんな言葉が浮かんだ。

 お姉ちゃんは宇宙一可愛い。それは真理だ。なでなでしようとして「やめてください」と塩対応してくるお姉ちゃんも、最高に愛おしい。

 

 でも。

 目の前で一生懸命に姉のために語るサティには、それとは違う、守ってあげたくなるような「小動物的な可愛さ」があった。

 

 気づいた時には、シュティアの手は動いていた。

 

「え……?」

 

 サティの動きが止まる。

 シュティアの手が、サティの柔らかい髪に触れ、ゆっくりと、優しく撫で始めた。

「なでなで」という音が聞こえそうなほど、慈しみを込めて。

 

 サティは最初、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で驚いていたが、すぐに頬を朱に染めた。

 拒む様子はない。それどころか、少しだけ恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに目を細めて、シュティアの掌に頭を預けてくる。

 

(ああ、これは……お姉ちゃんとは別の、癒やしの成分が含まれている気がする)

 

 しばらくの間、二人の間には電子部品の匂いと、穏やかな沈黙だけが流れていた。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 4. 芽生える充足感、残る余熱

 

 

「……あ、すみません。つい」

 

 我に返ったシュティアが手を離すと、サティは名残惜しそうにしながらも、深々と頭を下げた。

 

「いえ! その、シュティアさんに撫でてもらえるなんて、なんだか……光栄ですっ」

 

 シュティアは役立ちそうなパーツをいくつか購入し、会計を済ませた。

 いつもなら「仕事」として完璧な、隙のないキャリアウーマンの顔で店を去るはずだった。

 

「あの! シュティアさん!」

 

 店を出ようとした背中に、サティの控えめな声が届く。

 振り返ると、サティはカウンター越しに指をもじもじさせながら、小声で言った。

 

「……あの、また、良かったら……。また、なでなで、してもらえますか……?」

 

 ドクン、と。

 磁気嵐の時とは違う種類の衝撃が、シュティアの胸を叩いた。

 あのお姉ちゃん大好き狂人(シュティア)が、数秒間、呆然と立ち尽くす。

 

「……え、ええ。ええ! もちろんです。だいじょうぶですよ、いつでも!」

 

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 パッと花が咲いたような笑顔を見せるサティ。

 シュティアは自分でも驚くほど、足取りが軽くなっているのを感じながら店を後にした。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 

 5. 高揚の帰路

 

 

 ドックへと戻る道すがら、シュティアの心は不思議な充足感に満たされていた。

 お姉ちゃんへの愛は変わらない。それは不動の太陽だ。

 けれど、サティという少女に触れたことで得た「お姉さん」としての充足感は、彼女の中に新しい風を吹き込んでいた。

 

「……ふふ。お姉ちゃんが起きたら、今日買ったパーツを自慢しつつ、肩揉みのオファーから始めてみようかな」

 

 毒気が抜けたというより、エネルギーが異常な方向にチャージされた彼女は、鼻歌混じりに自分の船へと帰っていく。

 

 一方、静まり返った『ハル・ステーション』の店内。

 サティは自分の頭を両手で押さえ、シュティアが去った自動ドアをじっと見つめていた。

 

「シュティアさん、かっこいいなぁ……。レデアさんも素敵だけど、シュティアさんは、なんだか凄く頼りになる……」

 

 彼女は、シュティアから受けた心地よい感触を反芻するように呟いた。

 

「もっと、シュティアさんの役に立ちたいな……。あ、さっきのパーツ、おまけすれば良かったかな……」

 

 宇宙の片隅、小さなステーション。

 そこには、お姉ちゃんを巡る愛の嵐とは別に、新たな「憧れ」の芽が静かに、けれど確実に根付こうとしていた。

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