砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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11話:銀河一の看板娘、あるいは涙の完全密着宣言

 ◆◆◇◇◆◆

 1.看板屋稼業

 

 

 銀河の辺境に位置するスバル・ステーション。その巨大な金属の外壁は、今日も無数の宇宙船が行き交う喧騒に包まれていた。

 

「……座標確認。左舷、第4ブロックの外部ハッチ付近です。誤差は許容範囲内。作業を開始しましょう、シュティア」

 

 旧式作業船「シルバーアンカー」のコックピットで、レデア・メイスは淡々とした口調で仕様書をめくった。銀髪を揺らし、まだ華奢な指先でホログラムディスプレイを操作する彼女の姿は、15歳という実年齢よりもさらに幼く、可憐に見える。しかし、その瞳には熟練の操舵士特有の冷静さが宿っていた。

 

 今日の依頼は、ステーション外壁への企業看板設置と周辺安全標識の取り付けだ。大型パネルを牽引アンカーで固定し、採掘用レーザーを溶接モードに切り替えて接合する。地味ではあるが、真空の宇宙空間ではミリ単位の狂いが構造的な歪みを招く、極めて精度の求められる仕事である。

 

「了解です、お姉ちゃん。位置取りは完璧。いつでもいけるよ」

 

 隣で操るシュティアの声は、姉への愛に満ちて甘い。24歳の彼女にとって、この狭い操縦席でレデアと肩を並べて働く時間は、何物にも代えがたい至福のひとときだった。

 

 だが、その平穏は不快なノイズによって破られる。

 

『あら、またあなた達なの!』

 

 通信ウィンドウに割り込んできたのは、悪趣味なほど金ピカの装飾を施した作業船だった。画面に映し出されたのは、高飛車な笑みを浮かべる女性、カトリーヌだ。

 

「またあなたですか、カトリーヌさん」

 

 レデアが静かに問いかけると、カトリーヌは待っていましたとばかりに胸を張った。

 

「お聞きなさい、今の私は、銀河一のスペース・インテリア・プロデューサー、カトリーヌ様よ! このステーションの景観をプロデュースするために、特別に依頼を受けたの!」

 

 カトリーヌはレデアを一瞥し、「まあ、相変わらずお嬢さんは可愛いわね」と、彼女にしては珍しく毒のない反応を見せた。しかし、その視線がシュティアに移った瞬間、火花が散る。

 

「……で、そっちの失礼な妹! 今日こそあのおばさん発言の借りを返してあげるわ!」

 

 シュティアはあからさまに嫌そうな顔をして、姉にだけ聞こえるような小さな声で毒を吐いた。

 

「ちっ、また来た……。お姉ちゃん、無視して排除しましょうか」

 

 しかし、無情にもステーションの管理局から通信が入る。

『あー、シルバーアンカー、及びゴールデン・スター号。納期が迫っている。二組で分担して、効率よく作業を進めてくれ。報酬は等分だ』

 

「……仕方がありませんね。共同作業といきましょう、シュティア」「えぇ……お姉ちゃんがそう言うなら……」

 

 シュティアは不満を隠そうともせず、深いため息をついた。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 2.完璧すぎる妹と、空回りするライバル

 

 

 作業が始まると、シュティアの本領が発揮された。彼女のアンカー捌きは、まさに「神がかり的」の一言に尽きる。

 

「お姉ちゃん、見ててね」

 

 シュティアがレバーを引くと、シルバーアンカーから放たれた複数の牽引アンカーが、まるで生き物のように巨大なパネルを捕らえた。レデアの精密な船体制御と、シュティアの寸分狂わぬアンカー操作。二人の連携は、まるで無重力空間で踊っているかのような滑らかさだった。

 

「……接合ポイント、固定。レーザー、出力30。照射開始」「はい、お姉ちゃん。焼き付け完了まで、あと5秒……3、2、1……終了」

 

 完璧だ。ステーションの作業用デッキから見ていた職員たちが、思わず見惚れて溜息を漏らすほどの鮮やかさである。

 

 対して、カトリーヌは苦戦していた。

 

「ちょっと、このパネルの角度! もう少し右に傾けた方が、ステーションを訪れる観光客の目に映えると思わない!? これぞプロデューサーの直感よ!」

 

 彼女は仕様書を無視し、自分勝手な美的判断を優先させ始める。その結果、気を取られてアンカーの射出タイミングがずれ、大型パネルがわずかに歪んだ状態で外壁に接触した。

 

「ああっ! ちょっと、機体が揺れたせいよ!」

 

 焦るカトリーヌに、シュティアが冷徹な通信を飛ばす。

 

「……おばさん、ミスが多いですね。こちらの報酬にも響くんですけど。何より、お姉ちゃんの完璧な仕事に傷がつくのは困ります。邪魔なら、その金ピカの船ごとデブリ帯に沈んでくれませんか?」

 

「な、ななな……なんですってぇ!? この小娘が!」

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 3.レデアの裁定

 

 

 カトリーヌが真っ赤になって言い返そうとした瞬間、レデアの声が通信回線を制した。

 

「……そこまでです。カトリーヌさん、一旦手を止めてください」

 

「レデアさん……あなたからも、この生意気な妹に何か言ってやって頂戴!」

 

 期待の目を向けるカトリーヌに対し、レデアは感情の読めない声で告げた。

 

「私が、カトリーヌさんのオペレーターをします」

 

 その場が凍りついた。

 一番に反応したのは、当然シュティアだった。

 

「お、お姉ちゃん……? 今、なんて……?」

 

「仕事を綺麗に終わらせたいんです。カトリーヌさんだって、失敗したくてしているわけではないでしょう。以前の仕事を見ても、腕はある方です。ただ、独断が過ぎるだけ。私の指示さえ噛み合えば、問題ありません」

 

 カトリーヌがポカンとした顔でモニターを見つめる。「……あなた、変わった子ね。私に指示を出そうなんて」

 

 だが、シュティアの衝撃はそんな生易しいものではなかった。彼女は震える声で通信機を掴み、猛抗議を開始する。

 

「お姉ちゃん!? お姉ちゃんの声があの人の耳に入るの? お姉ちゃんの指示があの人の作業に使われるの? それって、それって一種の汚染だよ! お姉ちゃんの成分があのおばさんに流出しちゃう!」

 

「シュティア」

 

 レデアが短く、鋭く名前を呼んだ。

 シュティアの肩がびくりと跳ね、言葉が詰まる。

 

「……仕事です」

 

「…………はい……」

 

 シュティアは、まるで世界が終わったかのような絶望を顔に貼り付け、力なく項垂れた。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 4.号泣しながら完璧な仕事

 

 

「カトリーヌさん、聞こえますか。機体を三度右へ。アンカー第2基、射出準備。……今です」

 

 レデアの指示は、驚くほど正確で具体的だった。カトリーヌが反論する隙さえ与えず、最短ルートで正解を提示していく。

 

「……なるほど。そういう指示の出し方をするのね。タイミングが……分かりやすすぎるわ」

 

 カトリーヌは小声で呟きながら、吸い込まれるように指示に従う。すると、あんなに空回りしていた彼女の作業が、みるみるうちに安定していった。

 

 その一方で。

 シルバーアンカーの副座では、世にも奇妙な光景が繰り広げられていた。

 

「うっ……ううぅ……お姉ちゃんの声が……あの人に……」

 

 シュティアが、ボロボロと大粒の涙を流しながら作業を続けているのだ。

 ヘルメットの内側は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、嗚咽が通信に混じりそうになる。だが、その操縦桿を握る手は一切の震えを見せず、アンカーの命中精度は一ミリたりとも落ちていない。

 

「お姉ちゃんのオペレーターは……私だけのはずなのに……私の脳内に響くはずの声が……あのおばさんのレシーバーに……汚される……私の世界が……」

 

 号泣しながら、機械的な正確さでパネルを次々と固定していくシュティア。その異様な執念と光景に、外壁で作業を見守っていたステーション職員たちは、完全に気圧されていた。

 

「おい……あの姉妹の妹の方、泣いてるぞ……?」

「触れるな。あれは……何か、俺たちの理解を超えた何かだ。……たぶん」

 

 誰も声をかけられないまま、作業は驚異的なスピードで進んでいった。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 5.完工と、三日間の宣言

 

 

 予定時間を大幅に短縮して、全ての看板と標識が完璧な位置に設置された。依頼主からは「これほど美しい仕上がりは初めてだ」と最高評価が下される。

 

 カトリーヌは、シルバーアンカーの横に自船を並べると、珍しく素直な顔で通信を送ってきた。

 

「……今回は、お礼を言ってさしあげますわよ。レデアさん、あなたの指示は的確だったわ。次は私が銀河一のオペレーターになって見返してあげるから、覚悟しておきなさい!」

 

 彼女は新しい目標を見つけたようで、清々しい表情で(そして今回は金ピカ装飾を一つも剥がすことなく)颯爽と去っていった。

 

 船内に静寂が戻る。

 シュティアは、作業終了と同時にレデアの胸に顔を埋めた。

 

「お姉ちゃんが汚されちゃったよぉ……お姉ちゃんの声も、的確な指示も、温かい波動も、全部私だけのものなのにぃ……!」

 

「はいはい、お疲れ様でした。おかげで早く終わりましたよ」

 

 レデアはいつものように、全く動じることなくシュティアの背中をポンポンと叩いて受け流す。

 シュティアはずびーっと派手に鼻をすすり、涙で潤んだ瞳をギラつかせながら、レデアの首筋に鼻を押し付けた。

 

「……クンクン……っ、おばさんの汚れた匂いもない。でも、足りない。お姉ちゃん成分が枯渇してる」

 

「シュティア、離してください。帰還の手続きを——」

 

「決めた」

 

 シュティアが、レデアの肩を掴んで真っ直ぐに見つめる。その瞳の奥には、底なしの執着が渦巻いていた。

 

「これから三日間。おはようからおやすみまで、完全密着だから。トイレもお風呂も、一分一秒たりとも離れないから。いいよね?」

 

「……それは困ります。生活に支障が出ます」

 

「じゃあ、四日間にする?」

 

「……帰りましょう」

 

 それが「分かった」という意味なのか、ただの現実逃避なのか。

 レデアは答えを曖昧にしたまま、船をスバル・ステーションのドックへと向けた。

 

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