砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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12話:揺らぐ銀河、縋りつく指先

 ◆◆◇◇◆◆

 1.琥珀色の静寂

 

 スバル・ステーションから数光年離れた、名もなき小惑星帯。

 

 そこには、静謐な宇宙の闇を背景に、無数の岩塊が緩やかな河のように流れていた。

 

「……スキャン終了。前方、直径五十メートルの小惑星にB級鉱石の反応。含有率は良好です。作業を開始しましょう、シュティア」

 

 旧式作業船「シルバーアンカー」のブリッジで、レデア・メイスは淡々と、けれど正確に状況を告げた。

 

 銀髪がコンソールの光を反射し、華奢な指先がホログラムをなぞる。

 その姿を隣の副座から見つめるシュティアにとって、それはどんな高価な宝石よりも価値のある光景だった。

 

「了解、お姉ちゃん。位置取りは任せて。今日も最高に可愛いね、お姉ちゃん。その横顔、今の角度で録画しておいてもいいかな?」

 

「……仕事に集中してください。アンカー、射出準備」

 

「はーい、お姉ちゃん。愛のアンカー、いっきまーす!」

 

 シュティアの操る牽引アンカーが、獲物を狙う猛禽のように小惑星へと突き刺さる。

 

 レデアの精密な船体制御によって、シルバーアンカーは岩塊の不規則な回転を完璧に相殺し、採掘用レーザーが静かに、けれど力強く岩肌を焼き切っていった。

 シュティアは、姉の指示通りにアンカーのテンションを調整しながら、内心で快哉を叫んでいた。

 

 先日のカトリーヌとの共同作業による「お姉ちゃん成分の流出」という大惨事を経て、ようやく訪れた二人きりの職場。

 

 三日間の完全密着宣言はレデアの「生活に支障が出る」というもっともな反論で骨抜きにされたが、こうして宇宙の片隅で二人だけの時間を過ごせるなら、それ以上の贅沢は望まない。

 

(ああ、お姉ちゃんの声が私だけのレシーバーに響く。この振動、この空気、全部私が独占してる。最高。お姉ちゃん、今日も世界で一番愛してるよ……!)

 

 作業は極めて順調だった。

 B級鉱石の塊が次々と船内のコンテナへと運び込まれていく。このままいけば、予定よりも早くスバル・ステーションへ帰還できるはずだった。

 

 だが、宇宙という魔物は、最も平穏な瞬間にその牙を剥く。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 2.予期せぬ衝撃

 

「……コンテナ、八割。あと一つ回収したら――」

 

 レデアが言葉を切りかけた、その瞬間だった。

 

 船体の後方、センサーの死角から高速で飛来した未観測のデブリが、シルバーアンカーのエンジン付近を直撃した。

 

「ッ!?」

 

 凄まじい衝撃音が船内に響き渡り、シルバーアンカーが激しくのたうつ。

 

 警報アラームが狂ったように鳴り響き、ブリッジの照明が赤く明滅した。

 

「衝撃、来ます! シュティア、耐えて!」

 

 レデアは瞬時に安全シートの固定を確認した。

 

 自動で展開された拘束ベルトが、彼女の華奢な体を座席に叩きつけるように固定する。

 

「う、あ……ッ!」

 

 激しいGの圧迫に、レデアは肺の空気を絞り出されるような悲鳴を漏らした。

 

 目の前が白く明滅し、船内の重力制御が不安定になる。

 拘束具が食い込む痛みと、三半規管をかき乱される感覚。

 

 それでもレデアは、操縦桿を離さなかった。

 

「……シュティア! 損傷報告を! シュティア!?」

 

 応答がない。

 

 

 いつもなら、どんな些細な揺れでも「お姉ちゃん、大丈夫!?」と飛んでくるはずの、あの騒がしいほどの声が聞こえない。

 

 レデアは痛む体に鞭打ち、霞む視界で隣の副座を見た。

 

 そこには、誰もいなかった。

 

「……え?」視線を下に向けると、ブリッジの壁際、計器の角に体を打ち付けた状態で、シュティアが力なく横たわっていた。

 

 彼女は作業に没頭するあまり、あるいは姉を眺めることに夢中になるあまり、自身の安全シートを解除したままにしていたのだ。

 

「シュティア……? 嘘、でしょ……?」

 

 レデアの心臓が、今まで経験したことのない速度で跳ねた。

 

 感情を排し、常に冷静であることを自分に課してきた15歳の操舵士から、色が消えていく。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 3.剥がれ落ちる冷静

 

「シュティア! 返事をして! シュティア!!」

 レデアは震える手で安全シートを解除し、まだ揺れ続ける船内を這うようにして妹の元へ駆け寄った。

 シュティアは壁に背を預けたまま、ぐったりと項垂れている。額からは薄く血が滲み、荒い呼吸を繰り返していた。

 

「あ……お、ねぇ……ちゃ……」

 

「シュティア! しっかりして、今、すぐに応急処置を……!」

 

 レデアの声は、自分でも驚くほど震えていた。

 彼女の手はシュティアの肩に触れるが、どうすればいいのか分からない。

 

 いつも自分を守り、導き、重すぎるほどの愛で包んでくれていた「24歳の有能な妹」が、今はただの、傷ついた一人の女性としてそこに転がっている。

 

「だい、じょうぶ……だよ……。ちょっと、強く、打っただけ……だから。お姉ちゃん、怪我……ない……?」

 

「そんなこと、どうでもいい! どうして、どうしてシートをしてなかったの!? 馬鹿じゃないの!? ねえ!」

 

 レデアの瞳に、熱いものが込み上げてくる。視界が滲み、シュティアの顔が歪んで見える。

 

「私は……、私は、あなたがいないと、何も……。動けないのは、退屈だって、言ったでしょ……。あなたが、いなくなったら、私、……」

 

 ボロボロと、大粒の涙がレデアの頬を伝い、シュティアのパイロットスーツに落ちた。

 

 かつて磁気嵐で「心細かった」と認めた時とは比較にならないほどの、根源的な恐怖。

 

 絶望的な感覚が、レデアの小さな体を支配していた。

 

「……お姉ちゃん、泣かないで……。ごめんね……。本当に、大丈夫だから……」

 

 シュティアは弱々しく笑い、動かない腕を無理やり持ち上げて、レデアの頬を拭おうとした。

 

 その指先が震えているのを見て、レデアはさらに声を上げて泣いた。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 4.医療室の沈黙

 

 半狂乱になりながらも、レデアは残された知恵を絞り、シュティアを船内の簡易医療施設へと運んだ。

 

 マニピュレーターを遠隔操作し、シュティアを診断用ベッドへ寝かせる動作の間も、彼女の涙は止まることがなかった。

 

 診断AIの無機質な声が流れる。

『生体反応、正常。骨折なし。全身の打撲による一時的な運動機能の低下、および軽度の脳震盪と判断します。24時間の安静を推奨します』

 

「……え?」

 

 レデアは、診断結果を何度も読み返した。

 

 大したことは、なかった。

 ただ、ぶつけた時の衝撃で神経が一時的に驚き、体が強張って動けなくなっていただけだった。

 

「……よかった。……本当によかった……」

 

 レデアは、ベッドの脇に力なく座り込んだ。安堵が波のように押し寄せ、全身から力が抜けていく。

 

「ね? 言ったでしょ、お姉ちゃん。私は頑丈なのが自慢なんだから」

 ベッドの上で、少しだけ顔色の戻ったシュティアが、申し訳なさそうに、けれど愛おしそうに姉を見つめていた。

「……ごめんなさい、シュティア。私、冷静さを欠いて、醜態を……。私が、もっと早くデブリに気づいていれば……」

 レデアは赤くなった目で、深々と頭を下げた。

 

 操舵士として、そして「姉」として、妹を危険に晒した自分を許せなかった。

「いいんだよ、そんなことは。謝らないで、お姉ちゃん」

 

 シュティアは、まだ自由の利かない手でレデアの指先をそっと包み込んだ。

 

「お姉ちゃんさえ無事なら、私はそれだけでいい。私の体なんて、お姉ちゃんを守るための盾に過ぎないんだから」

 

「……そんなこと言わないでください。あなたの体は、あなただけのものです」

 

「うふふ、お姉ちゃんに叱られちゃった。……でも、嬉しいな。あんなに必死に、私のために泣いてくれるなんて」

 

 シュティアは、幸せそうに目を細めた。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 5.独白、あるいは呪い

 

 

 シルバーアンカーは、自動操縦でゆっくりとスバル・ステーションへの帰路についていた。

 

 医療室の照明は落とされ、微かな電子音だけが響いている。

 

 レデアは、シュティアの寝顔を確認し、疲労から自分の部屋へと戻った。

 

 一人残された医療室で、シュティアは静かに目を開けた。

 打撲の痛みなど、もはや感じない。

 

 それよりも、レデアが自分のために流した涙の熱さが、まだ肌に残っている。

 

(お姉ちゃん。私の可愛い、お姉ちゃん)

 

 シュティアは、動くようになった自分の左手を見つめた。

 

 光の中で消えてしまった小さな背中。

 

 もう、あんな思いは……

 

(お姉ちゃんは、私の腕の中にずっといて欲しい。ショーケースに入れて、誰にも触れられないようにして、私がずっと守っていたい)

 

 執着。独占欲。狂気。

 

 シュティアの中に渦巻く感情。

(けれど、……それ以上に。私より先に居なくなっちゃうのは、絶対ダメ。死ぬ時も、消える時も、私の後にして。そうじゃないと、私は……)

 

 シュティアは、レデアに内緒で保存している「お姉ちゃん好き好き心音データ」を再生した。

 トクトクと刻まれる、姉の生きた証。

 

「おやすみなさい、お姉ちゃん。明日は、今日の分までいっぱい、なでなでさせてね」

 

 暗闇の中で、シュティアの瞳が怪しく、けれど深い慈愛を湛えて光った。

 

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