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1. 密室の修練、あるいは崇拝の視線
スバル・ステーションの喧騒から隔絶された「シルバーアンカー」の予備機室。そこには、旧式ながらもシュティアの手によって魔改造を施された高精度操舵シミュレーターが鎮座している。
「……左舷よりデブリ群、予測進路との交差まで三秒。微速転舵、スラスター全開」
レデア・メイスの呟きは、もはや祈りに近い静謐さを湛えていた。
銀髪をポニーテールにまとめ上げ、ヘッドセットを装着した彼女の横顔は、十五歳の少女とは思えないほど鋭利だ。コンソールを叩く指先は、まるで鍵盤を叩くピアニストのように軽やかで、迷いがない。
シミュレーターのメインモニターに映し出されているのは、地獄のような光景だった。
設定難易度:『超・絶望級(インフェルノ・デブリ・マシマシ)』。
逃げ場のない閉鎖小惑星帯を、秒速数十キロで飛来する岩塊の嵐が埋め尽くしている。通常、熟練のパイロットであっても数秒で「撃沈」判定を食らう、物理的限界を試すための狂気の設定だ。
(……お姉ちゃん。なんて、なんて美しいの……)
その背後、一歩引いた位置でシュティアは身悶えしていた。
彼女の網膜には、レデアの操舵ログがリアルタイムで投影されている。レデアが舵を切るたび、シミュレーター上の宇宙船は針の穴を通すような精度で岩塊の間を抜けていく。
シュティアにとって、レデアの操舵は単なる技術ではない。
それは混沌とした宇宙に秩序をもたらす神託であり、未来を指し示す唯一の航路だ。
(十五歳にしてこの領域……。やっぱりお姉ちゃんは天才だ。ああ、その才能ごと、私の腕の中に閉じ込めてしまいたい……!)
だが、流石のレデアといえども、この設定は過酷すぎた。
画面上の船体に、次々と被弾判定の火花が散る。シールド残量が警告音と共に真っ赤に染まっていく。
(……もし、私が隣にいたら。あそこの岩塊にアンカーを撃ち込んで、船体のスピンを強制的に停止させれば、お姉ちゃんはあの一瞬の隙間を突けたはず)
シュティアの脳内では、レデアの操舵に合わせた「完璧な補佐」が数億通りのパターンでシミュレートされていた。
同時に、もし自分が今この舵を握っていたら、という仮定も浮上する。
今の自分なら、力技でこの嵐をねじ伏せることはできるだろう。だが、それは「正解」ではない。
(私が操舵をするんじゃない。お姉ちゃんが描く「最高に美しい軌跡」を、私が誰にも邪魔させずに実現させる。それが私の、これまでの結論なんだから)
『――SYSTEM FAILURE. SHIP DESTROYED.』
無機質な音声と共に、ブリッジを模した空間が暗転した。
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2. 賢者タイムと悪魔の誘惑
「……っ。やはり、反応速度がコンマ数秒足りません……」
レデアは深く溜息をつき、ヘッドセットを外した。
額には薄っすらと汗が浮かび、集中力の限界を超えた反動で、その華奢な肩が微かに震えている。
「お疲れ様、お姉ちゃん! 凄かったよ、今の第4フェーズの切り返しなんて、銀河中のパイロットに見せつけてやりたいくらい! まあ、見せたら全員私の手で消しちゃうけどね!」
「……シュティア。無意味な過激発言は控えてください。それより、今のログを解析して……。接触判定のあった箇所の修正案を……」
言いかけたレデアの言葉が、ふっと途切れた。
極限まで研ぎ澄まされていた神経が緩んだ瞬間、猛烈な疲労が彼女を襲ったのだ。
レデアはふらふらとした足取りで、部屋の隅にある小さなソファに辿り着くと、そのまま糸が切れた人形のように横たわった。
「お姉ちゃん!?」
「……大丈夫、です……。少し、横になれば……。三十分、寝かせて……ください……」
「了解だよ、お姉ちゃん! 安眠環境の構築は私の専門分野だからね!」
シュティアは瞬時に動いた。
まずは保温性の高い、最高級宇宙シルクのブランケットをどこからともなく取り出し、レデアの体にふわりとかける。さらに、栄養価を完璧に計算した特製ドリンクと、糖分補給用の小ぶりなマカロンをサイドテーブルに並べた。
「……ありがとう、ございます。……でも、そんなに食べられません……」
「いいのいいの。目が覚めた時にそこに『ある』ことが大事なんだから」
レデアは小さく頷き、瞳を閉じた。
呼吸が整い、穏やかな寝息が聞こえ始める。
シュティアは、その無防備な姉の姿を、獲物を狙う猛禽のような(あるいは溺愛する親のような)眼差しで見つめた。
「……さて。お姉ちゃんが動けない今のうちに、と」
シュティアの指が、レデアの首元に伸びる。
正確には、彼女が着ている作業服の襟元だ。
「……何をして、いるんですか……シュティア……」
レデアの瞳が薄く開いた。意識はまだ朦朧としているが、体に触れる不穏な気配は察知したらしい。
「あ、気づいちゃった? ふふ、お姉ちゃんがゆっくり休めるように、少しだけ『服装を整えて』あげようと思って。今の服だと、ちょっと血行を阻害する可能性があるからね!」
シュティアの手には、なぜかピンクのレースがあしらわれたフリル付きの「部屋着(?)」が握られていた。どこをどう見ても、血行の改善よりも「シュティアの視覚的満足度」を優先したデザインだ。
「……絶対、嘘でしょう……。それは、昨日あなたが勝手に買った……」
「お姉ちゃん、疲れすぎて幻覚を見てるんだよ。これは医療用の一種だから。さあ、まずはこのリボンを外して……」
「……もう、好きに、してください……。ただし、五分以内に……終わらせて、くださいね……」
レデアは抵抗する気力も残っていないのか、力なく目を閉じて再び眠りに落ちた。
「好きにしてください」という、シュティアにとって銀河で最も甘美な許可を得て、妹の瞳に狂おしいほどの喜びが灯る。
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3. 禁断のコーディネート・タイム
それからの五分間、シルバーアンカー内にはシュティアの鼻歌と、衣擦れの音だけが響いていた。
シュティアの動きは、先ほどのシミュレーター以上の精度だった。
レデアの睡眠を一切妨げることなく、手際よく服を着せ替え、髪を解き、さらには指先に保湿クリームを塗り込む。
「ふふ、ふふふ……。今日のお姉ちゃんは『お菓子の国に迷い込んだ銀の妖精さん』スタイルだよ……。ああ、可愛い。可愛すぎて胸が痛い。3Dスキャンしてご神体にして崇めたい……」
「……何、不穏なことを……」
「あ、起きた? お茶、淹れ直したよ。はい、どうぞ」
シュティアは手際よくレデアの体を起こし、背中にクッションを挟み込んだ。
レデアが自分の格好を見ると、そこにはパステルカラーのフリルとレースに包まれ、頭には巨大なうさ耳のようなリボンを付けられた自分の姿があった。
「…………」
レデアは無言で、差し出されたハーブティーを啜った。
逃れられない運命を悟った者の、悟りを開いたような表情である。
「やっぱりお姉ちゃんはかわいいなぁ。このまま、誰の目にも触れない特別なショーケースに入れて、私のもとにずっといてほしい。朝から晩まで、私が選んだ服を着せて、私が作ったご飯を食べさせて、私だけを見て……。ねえ、お姉ちゃん。いっそのこと、ずっとこのままでいない?」
シュティアの言葉は、半分は冗談のようなトーンだったが、残り半分には、暗い深淵のような本気が混じっていた。
レデアはティーカップを置くと、うさ耳のリボンを揺らしながら、淡々と答えた。
「……はいはい。そうしたいなら、まずは今のシミュレーターのログを完璧に解析して、私の弱点を補うアンカーの射出タイミングを秒単位で算出しなさい。それが終わるまでは、ケースに入る暇なんてありません」
「お姉ちゃん……。相変わらず仕事人間なんだから」
シュティアは少しだけ寂しそうに、けれど誇らしげに笑った。
レデアは、シュティアの狂気を否定しない。ただ、それを「今の自分たち」を維持するためのエネルギーへと変換させてしまう。
「……でも、この服、意外と……着心地は悪くありませんね」
「でしょ!? 私が素材からこだわって特注したんだから! じゃあ、次は『フリルマシマシ・ゴスロリ風・防弾ドレス』の試着に行こうか!」
「それは遠慮します。……もう一回、シミュレーターに戻ります。……今度は、あなたがアンカーの操作を。いいですね?」
「喜んで、お姉ちゃん! 二人なら、どんなデブリの嵐だって、愛の力で蒸発させちゃうからね!」
二人は再びシミュレーターへと向かう。
ひらひらと揺れるレースと、無骨なコンパネ。
その歪な光景こそが、今の彼女たちの、銀河で一番幸福な日常だった。