砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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17話:琥珀色の休息、あるいは波紋の正体

 ◆◆◇◇◆◆

 1. 鉄の香りと、少女の熱量

 スバル・ステーションの喧騒は、今日も相変わらずだ。重力制御の微かなうなりと、無数の宇宙船が吐き出すイオンエンジンの残香。その中を、レデア・メイスとシュティア・メイスの姉妹は、いつものように肩を並べて歩いていた。

 

「……やはり、第4出力層の減衰が無視できません。B級鉱石の採掘効率が15パーセント低下しています。シュティア、今日の予算内で、最新型の発生器への換装を検討しましょう」

 

 レデアは、手元の端末で「シルバーアンカー」の診断ログを確認しながら、淡々と告げた。銀色の髪が、ステーションの人工光を受けて静かに光る。

 

「了解だよ、お姉ちゃん! お姉ちゃんの精密な操舵に応えるには、やっぱり最高級のレーザーが必要だもんね。私のアンカーでガッチリ固定して、お姉ちゃんがズバッと焼き切る……ああ、想像しただけで、今日の晩ごはんが美味しくなりそう!」

 

「……仕事の話をしています。行きますよ、ハル・メンテナンスへ」

 

 レデアの塩対応にも慣れっこのシュティアは、鼻歌交じりに姉の半歩後ろをついていく。向かう先は、このステーションで最も信頼を置いている整備店だ。

 

「あ、レデアさんにシュティアさん! こんにちは!」

 

 自動ドアが開くと同時に、弾けるような声が二人を招き入れた。看板娘のサティだ。彼女は作業用エプロンのポケットに手を突っ込み、ポニーテールを揺らしながら駆け寄ってくる。

 

「こんにちは、サティさん。今日はレーザー発生器の相談に来ました」

 

「レーザーですね! お任せください。シルバーアンカー号の今のユニット、確か……」

 

 レデアが専門的な数値を口にすると、サティは即座に自分の端末と同期させ、膨大なカタログデータを空中に投影した。

 

「さすがに型が古いので、もう交換してしまおうかと思って。出力の安定性を最優先したいんです」

 

「なるほど、それならこの『イフリート・コア』の廉価版はどうでしょう? 安定性は抜群ですし、冷却系の負荷も少ないですよ」

 

「ですが、それだと掃射角の追従性が……」

 

 二人の会話は、瞬く間に一般人には理解不能な技術領域へと突入していった。レデアの冷徹なまでの効率重視と、サティの現場主義な情熱。二つの個性が、整備の最適解という一点に向かって火花を散らしている。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 2. 視線の交差、変わる色彩

 

 

 

(……お姉ちゃんと、あんなに楽しそうに。サティさん、本当に整備が好きなんだね)

 

 カウンターの端で、シュティアはその光景を静かに眺めていた。

 かつての自分なら、この状況に耐えられなかったかもしれない。レデアの隣という唯一無二の特等席。そこでの会話、共有される知識、向けられる視線。そのすべてを自分が独占していないという事実に、胸の奥が焼けるような、ドロドロとした黒い感情に支配されていたはずだ。

 

「お姉ちゃんの言葉を聞いていいのは、私の鼓膜だけ。お姉ちゃんの知識に触れていいのは、私の脳細胞だけ……」

 

 そんな呪文を心の中で唱えていた時期もあった。

 だが、今はどうだろう。

 

(……不思議。嫌な感じがしないわけじゃない。でも、前みたいな『壊してしまいたい』っていう焦燥感とは、何かが違う気がする)

 

 シュティアは、自分の胸に手を当てた。そこにあるのは、相変わらずレデアへの狂信的な愛だ。それは変わらない。けれど、サティという少女がレデアに向ける「純粋な尊敬」が、どこか微笑ましくさえ感じられる自分に驚いていた。

 

 その時、不意にサティがこちらに視線を向けてきた。

 ほんのわずかな、瞬きほどの時間。

 

(……え?)

 

 サティの瞳の奥に、シュティアは自分でも予期していなかった色を見つけた。

 それは、レデアに向けている「技術者への敬意」とは明らかに異なるもの。もっと熱く、それでいて控えめな、キラキラとした光。

 

 憧憬。

 

 

「あの、シュティアさん……退屈じゃないですか? つまらない話ばかりで、ごめんなさい……」

 

 サティが申し訳なさそうに眉を下げ、シュティアに謝罪した。レデアとの会話に夢中になりすぎて、客であるシュティアを放置してしまったと思ったのだろう。

 

 シュティアは、わずかに目を細めて微笑んだ。

 その笑みは、いつものレデアに向ける甘ったるいものではなく、年下の少女を慈しむような、穏やかなものだった。

 

「大丈夫ですよ、サティさん。私は、この様子を見るのが好きなので」

 

 その言葉を口にした瞬間、シュティア自身が一番驚いた。

 本来なら、これは「物分かりの良い同行者」を演じるための、表層的な取り繕いだったはずだ。しかし、今の自分の声はそうじゃない気がした。

 

 レデアが輝き、それを支える誰かがいる。その構図自体を肯定できている自分。

 それは、独占欲という檻から、ほんの一歩だけ外へ踏み出した証なのかもしれない。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 3. 琥珀色のお茶と、届かない理想

 

 

 

「そうですか……そうだ、シュティアさん、ここにかけてください!」

 

 サティはパッと顔を輝かせると、シュティアを店内の小さな休憩用テーブルへと促した。そして店の奥へと小走りに消えていき、すぐに湯気の立つ二つのカップを持って戻ってきた。

 

「これ、見てください! 珍しい地球産のお茶が手に入ったんです。商人の知り合いから無理を言って分けてもらったんですよ。ぜひ、飲んでください!」

 

「ええ……そんな、悪いですよ、貴重なものなのに」

 

「いいんです! 私が飲んでほしくて用意したんですから。ね?」

 

 サティの真っ直ぐな瞳に押され、シュティアは戸惑いながらも椅子に腰を下ろした。レデアも、商談の手を止めてこちらを振り返る。

 

「すみません、サティさん。シュティアも待たせてしまって。……シュティア、せっかくですから、お言葉に甘えなさい」

 

「……うん、お姉ちゃん。いただきます」

 

 シュティアは、差し出されたカップを両手で包み込んだ。

 琥珀色のお茶からは、宇宙の人工的な香りとは無縁の、どこか懐かしい土と草の香りが立ち上っている。一口含むと、柔らかな苦味と共にかすかな甘みが喉を通っていった。

 

「……美味しい」

 

「本当ですか!? よかったぁ……」

 

 サティは自分のことのように喜び、またレデアとの商談に戻っていった。

 シュティアは、お茶の温かさを感じながら、再び二人の様子を観察し始めた。

 

 しばらくの間、複雑なスペック表と格闘していたサティだったが、やがて困ったように後頭部をかいた。

 

「……うーん、レデアさん。やっぱり、シルバーアンカー号のレーザーは、特殊すぎます。採掘用なのに溶接や切断まで高精度でこなせる多機能型……正直、今のうちの在庫には、そこまでのスペックを一本でカバーできるものはないかもしれません」

 

「そうですか……。やはり、特注品か、それ相応の高級機でないと」

 

「はい。用途を絞ったものなら安くて良いのがあるんですけど、シルバーアンカーの『万能さ』を維持するなら、中途半端なものは勧められません」

 

 サティはプロとして、正直な結論を出した。レデアは落胆する様子もなく、静かに頷いた。

 

「いえ、正直に言ってもらえて助かります。ありがとうございます、サティさん」

 

「あ! でも、諦めるのはまだ早いです!」

 

 サティは名案を思い出したように、指を立てた。

 

「ここスバル・ステーションでは用意できないですけど、隣の『コメット・ステーション』で、ちょうど今、作業船のパーツ展示兼販売会をやってるんです。大手メーカーの先行販売とか、掘り出し物の一点物も出るらしいですよ。今週末までやってるので、行ってみるのはどうですか?」

 

「展示販売会……。それは興味深いですね。……シュティア、どう思いますか?」

 

 名前を呼ばれ、シュティアは最後の一口を飲み干して顔を上げた。

 

「お姉ちゃんが行きたいなら、どこへでも! コメット・ステーションならここから二日もあれば着くし、お姉ちゃんとの宇宙旅行だと思えば、私は大歓迎だよ!」

 

「……旅行ではありません。仕事です。サティさん、情報ありがとうございます。行ってみようと思います」

 

 レデアは満足そうに微笑み、他に必要だった消耗品や小物の発注を済ませて、商談を締めくくった。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 4. 触れる指先、波打つ心

 

 

 

 店を出ようとした時、サティがトテトテとシュティアの元へ駆け寄ってきた。

 

「シュティアさん! お茶、本当においしかったですか? お口に合いました?」

 

 不安そうに、けれど期待に満ちた目で問いかけてくるサティ。その姿は、先ほどまでの有能な整備士ではなく、ただの「憧れの人に褒められたい少女」のそれだった。

 

 シュティアは、改めてサティを見つめた。

 レデアのために一生懸命になり、自分を気遣い、最高の休息を提供してくれた小さな整備士。

 

「はい、とても。心が温まりました。……ありがとう、サティさん」

 

 シュティアは、自然と手を伸ばしていた。

 以前のような、感情を測るための「なでなで」ではない。

 サティの柔らかい髪に、そっと、重さを感じさせない程度に指先を乗せる。撫でるというよりは、そこに「ある」ことを肯定するような、触れ方。

 

「え……っ」

 

 サティは驚いたように肩を揺らし、一瞬だけ動きを止めた。

 だが、すぐにその頬は林檎のように赤く染まり、嬉しそうに、恥ずかしそうに、はにかんだ。

 

「……へへ。……ありがとうございます、シュティアさん」

 

 その光景を、レデアは少し離れた場所から、不思議そうな、それでいて少しだけ眩しそうな目で見守っていた。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 5. 銀河の片隅、揺るがない軸

 

 

 

 ドックへと戻る帰り道。

 レデアは、隣を歩くシュティアにふと問いかけた。

 

「……シュティア。あなた、いつの間にサティさんとあんなに仲良くなったんですか? 以前は、あんな風に他人に触れることなんてなかったはずですが」

 

「えっ!? あ、いや……それは、その。この間、ちょっとステーションで会って、お話したことがあって……」

 

 シュティアは急に視線を泳がせ、しどろもどろになった。

 まさか「お姉ちゃんが寝ている間にこっそりサティをなでなですることで癒やしを得ていた」などとは、口が裂けても言えない。

 

「……ふーん。そうですか。まあ、あなたが誰かと仲良くなるのは良いことです。サティさんは優秀な整備士ですし、信頼できる相手がいるのは心強いですからね」

 

 レデアは追求することなく、前を見据えた。

 

「仲良くなること……か。うん、そうだね、お姉ちゃん!」

 

 シュティアは、レデアの腕に抱きつかんばかりの勢いで距離を詰めた。

 

「でもね! 私の宇宙の中心は、いつだってお姉ちゃんだから! お姉ちゃんが必要なら、私は整備士でも、ボディーガードでも、料理人でも、抱き枕でも、なんだって、何度だってなってあげるからね! サティさんもいい子だけど、私の命はお姉ちゃんだけのものなんだよ!」

 

「……極端すぎます。暑苦しいです。離れてください」

 

「えーっ、冷たいよお姉ちゃん! あ、今夜はコメット・ステーションへの航路を引かなきゃいけないから、一緒に寝て作戦会議しようね! ね!」

 

「……電子ロック、今日は三重にかけますからね」

 

「そんなこと言わずにー!」

 

 いつものように騒がしい妹と、それを呆れ顔でいなす姉。

 シュティアの中に、サティの顔が一瞬浮かぶ。

 それでも自身の中心に立つレデアという存在が揺らぐことはない。

 

(お姉ちゃん。それでも私のすべてはお姉ちゃんだからね)

 

 琥珀色のお茶の香りを思い出しながら、シュティアは愛おしそうに姉の横顔を、また録画し始めるのだった。

 

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