砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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20話:胡蝶の残香、逆転の追跡者

◆◆◇◇◆◆

1. 楽園の逆転現象

 

 そこは、柔らかな光に満ちた場所だった。

 シルバーアンカーの狭いリビングではなく、どこか異国の避暑地を思わせる、静かで上品なテラス。テーブルの上には、シュティアが最も好む銘柄の紅茶が、琥珀色の湯気を立てている。

 

「……ふふ」

 シュティアは、ゆったりとした椅子に身を預け、至福のひと時に浸っていた。

 

「お待たせしました、シュティア」

 その声と共に、愛する姉レデアが隣の席に座った。

 今日のレデアは、柔らかい布地のワンピースを身に纏っている。銀色の髪が陽光に透け、まるでお伽話の精霊のような美しさだ。

 

「お姉ちゃん! どうしたの? そんなに急いで隣に来てくれるなんて、もしかして寂しくなっちゃった?」

 シュティアはいつもの調子で、レデアの方へ身を乗り出した。

 しかし、レデアの反応は予想を遥かに超えていた。

 

「……いえ。なんだか、少し」

 レデアが、ふいにと密着するほど距離を詰めてきた。

 肩と肩が触れ合う。ふわっとした甘い香りがした、そんな気がする。

「お、お姉ちゃん……?」

 あまりの積極性に、シュティアの喉がヒュッ、と鳴った。いつもなら自分から仕掛ける接触を、レデアから「施されて」いる。この異常事態に、完璧である妹の脳が処理落ちを起こし始めた。

 

 さらに、追い打ちは続く。

「んん……」

 レデアが、シュティアの首筋に顔を寄せ、小さく鼻を鳴らしたのだ。

 

「えっ……ぁ、あえ!? おね、お姉ちゃん!? 何、何を……!」

「シュティア、いい匂いがします。……落ち着く、匂いです」

 レデアは無防備な瞳でシュティアを見上げると、今度は耳の後ろから肩口にかけて匂いを嗅いでいる。

 

 シュティアの全身に電撃が走った。

 いつもは自分がレデアの髪を、首筋を、その残り香を全神経で享受している側だ。まさか、逆の立場になる日が来るなんて。

 レデアの吐息が首筋を掠めるたび、シュティアの理性が音を立てて崩壊していく。

 

(お、お姉ちゃんが私を嗅いでる! ああっ、幸せ、幸せすぎて心臓が核融合しちゃう……! でも、でもこれ、どうしたらいいの!? 私、今どんな顔してる!? 変な匂いさせてないかな!?)

 

 取り乱し、挙動不審の極みに達したシュティアだったが、ついにその幸福感は限界突破した。

「あああもう! 大好き! 大好きだよお姉ちゃあああああん!!」

 

 叫びながら、全力でレデアを抱きしめようと飛びついた、その瞬間。

 世界が反転した。

 

「ぶべっ!!」

 鈍い衝撃と、床の冷たさ。

 シュティアが目を開けると、そこはいつものシルバーアンカーの自室だった。ベッドから派手にはみ出し、床に顔面を強打している。

 

「……夢、…………。夢だけど、最高だった……」

 鼻血が出ていないか確認しつつ、シュティアは夢の余韻を噛みしめるように、床の上でのた打ち回った。

 

◆◆◇◇◆◆

2. 冷徹な現実と、無謀な提案

 

「……シュティア。顔が緩んでいます。仕事中ですよ」

 シルバーアンカーのコックピット。操舵席のレデアは、コンソールに映る妹のニヤついた顔に、心底呆れたような声を向けた。

 

「えへへ、お姉ちゃん。今日はお姉ちゃんが一段と輝いて見えるよ。……ねえ、ところでさ。相談なんだけど」

「嫌な予感しかしませんが、一応聞ききましょう」

 

 シュティアは椅子を回転させ、期待に満ちた目でレデアを見つめた。

「お姉ちゃん、夢でお姉ちゃんが私の匂いを嗅いでくれたから、現実でも嗅いでほしいな……!!」

 

「…………」

 レデアは無言で端末を操作し、コックピットの換気システムを「強」に設定した。

 

「何を言っているんですか、この人は……。少し、空気を換えましょう」

「ひどい! 換気しないで! せっかくの私の愛情が薄まっちゃう!」

「愛情ではなく、ただの不審な発言です。……ほら、ふざけていないで。ターゲットが見えてきました」

 

 前方のメインモニターに、巨大な小惑星の影が映し出された。

 今回の依頼は、資源豊富な「スバル・デルタ」空域での緊急採掘だ。地質調査の結果、内部に高濃度のレアメタル反応があることが判明したが、その周囲には不安定な電磁ガスが漂っている。

 

「ガスが濃いですね。視界もスキャナーも最悪です」

「任せて。私とお姉ちゃんの絆があれば、こんなガス、霧吹きみたいなもん……――ん?」

 

 その時、アラートが鳴り響いた。

 ガスの向こう側から、急速に接近する二つの熱源。

『……見つけたぜ。良さそうな岩じゃねえか』

 通信回線に、下卑た笑い声が混じる。辺境を荒らし回るレイダー、通称「ゲド・ラッツ」の小型艇だ。

 

「……またレイダーですか……戦闘配置。アンカーの準備を」

 

「分かったよお姉ちゃん、本当に無粋な奴らね」

 

◆◆◇◇◆◆

3. 連携の牙、あるいは掃除の時間

 

 レイダーの小型艇が、シルバーアンカーを包囲するように展開する。

 彼らはガスの特性を熟知しているのか、スキャナーの死角から交互にプラズマ弾を放ってきた。

 

「くっ……! 姿勢制御が追いつきません!」

 船体が激しく揺れる。レデアは小柄な体をシートに押し付け、必死に操舵桿を操る。

 

「……逃がしません。シュティア、アンカーをデブリに叩きつけてください。力任せに、ガスを撹拌します!」

 

「了解!」

 

 シュティアが牽引アンカーを射出。巨大なアンカーが周囲の岩塊を捉え、レデアがエンジンをフル稼働させて船体を独楽(こま)のように回転させた。

 物理的な質量がガスを強引に押し流し、一瞬だけ、レイダーたちの姿が露わになる。

 

「今です、シュティア!」

「お姉ちゃんの狙い通りに……それっ!」

 シュティアが引き金を引く。

 アンカーから放たれた岩石がレイダーの一隻に衝突した。

 その勢いのまま彼方にまで吹き飛ばされていく。

 

 「あなたはどうされたい?ブリッジをアンカーで叩き潰されたい?それともエンジンを焼き切ってあげても良いのですが……?」

 シュティアは微笑みながら残ったレイダーの船に話しかけた。

 

 その言葉の直後、レイダーの船はすさまじい勢いでシルバーアンカー号から離れていった。

 

「……深追いはしません。本来の目的を果たしましょう」

 レデアは静かに息を吐き、乱れた銀髪を整えた。

 

◆◆◇◇◆◆

4. 残香と、ささやかな希望

 

 採掘作業を終え、シルバーアンカーは帰路についていた。

 コンテナには、予定以上のレアメタルが積み込まれている。これで当面の装備新調費用は賄えそうだ。

 

「お疲れ様、お姉ちゃん。今日も最高の操舵だったよ」

 シュティアが、温かいお茶を二つ持ってコックピットにやってきた。

 レデアはシートに深く沈み込み、疲れたように目を閉じている。

 

 はい、と言ってシュティアがお茶を出す。

 

 出されたお茶を前にして、レデアがつぶやく。

 

 「良い香りです」

 

 「私もお姉ちゃんには負けるけどいい香りだよ、どうかな?」

 

 妹の戯言を聞き流し、レデアはお茶を飲み始めた。

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