砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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25話:深更の影、あるいは執念の光学迷彩

◆◆◇◇◆◆

1. 闇に揺れる青白い影

 

その夜、シルバーアンカーが停泊するドックの居住区画は、いつも以上に静まり返っていた。

 ふと目を覚ましたレデア・メイスは、乾燥した喉を潤そうとベッドを抜け出した。時刻は午前二時。人工太陽はとうに沈み、通路は非常用の淡いブルーライトに照らされている。

 

(……少し、冷えますね)

 薄手のネグリジェの上にカーディガンを羽織り、レデアは静かに廊下へ出た。

 その時だった。

 

視界の端、通路の角を曲がった先に、ゆらゆらと揺れる「何か」が見えた。

 それは青白く、輪郭がぼやけており、重力を無視するように床を滑りながら、ドックの外壁ゲートの方へと向かっていく。

 

「……え?」

 レデアの足が止まった。科学と技術が支配するこの宇宙時代において、非科学的な存在など信じていない。だが、辺境のステーションに伝わる「非業の死を遂げた船乗りの幽霊」という古い言い伝えが、不意に脳裏をよぎった。

 

影は時折、止まっては「クイッ」と不自然な動きを見せ、またゆらりと進む。

「ひ……っ、…………ぁあ、あああああ!!」

 耐えきれず、レデアは喉の奥から悲鳴を絞り出した。

 

◆◆◇◇◆◆

2. 瞬速の騎士と、冷徹な殺意

 

「お姉ちゃん!!」

 悲鳴が止むより早く、背後の扉が爆圧で開いたかのような勢いで弾け飛んだ。

 飛び出してきたのは、パジャマ姿のまま、右手に軍用高出力電磁警棒、左手に暗視バイザーを構えたシュティアだった。

 

「お姉ちゃん、伏せて! 私が来たからにはお姉ちゃんはステーション一、いえ、宇宙一安全だよ!!」

 

「シュ、シュティア……! あそこに、幽霊が……!」

 

 レデアが震える指で通路の先を指差す。シュティアは瞬時にレデアを背中に隠し、獲物を狙う獣の視線で闇を射抜いた。

 

(……幽霊? 違う、熱源反応は微弱だけど……不審者?お姉ちゃんの寝顔を盗み見ようとした不届きなストーカーか? ……だったら、生きてここを出られると思わないことだね)

 

 シュティアの瞳に殺意が宿る。彼女にとって、レデアを怖がらせる存在は、この宇宙から抹消されるべきバグに過ぎない。

 

「お姉ちゃん、ここで待ってて。……お掃除してくるから」

「シュティア! 危ないですよ!」

 止める間もなく、シュティアは音もなく床を蹴り、影の方向へと突進した。

 

◆◆◇◇◆◆

3. 追い詰められた「怪異」の正体

 

ドックの外れ、行き止まりのメンテナンス・ハッチ。

 

 逃げ場を失った影が、壁際で「ガガガ……」と奇妙な振動音を立てている。

 

「追い詰めたよ。……覚悟はいいかな? 私のお姉ちゃんに、夜中にトイレに行くのを躊躇わせるほどのトラウマを与えた罪、万死に値するよ」

 

シュティアが電磁警棒のスイッチを入れる。バチバチと青白い火花が散る。

 そして、一気にタクティカル・ライトを照射した。

 

「……え?」

 光の中に浮かび上がったのは、透き通った幽霊でも、黒ずくめの暴漢でもなかった。

 それは、直径三十センチほどの、どこにでもある円盤型の「自動床掃除ロボット」だった。

 

ただ、一点だけ普通ではないところがあった。

 ロボットの上部には、不格好に後付けされた、いくつものレンズを持つ「高精度見守りカメラ」が、まるでタワーのように積み上げられていたのである。

 

「…………これ、は」

 遅れて駆けつけたレデアが、ライトに照らされたその物体を見て、呆然と呟いた。

 

◆◆◇◇◆◆

4. 愛という名のバグ

 

「……シュティア。説明してください」

 シルバーアンカーのリビング。煌々と明かりがついた中、レデアはソファに座り、床に正座させられたシュティアと、その横に置かれた「お掃除ロボット改」を交互に見た。

 

「え、えーと……。それはですね、お姉ちゃん。最近、ドックの治安が悪いって噂を聞いたから、お姉ちゃんが寝ている間も廊下の安全を確保しようと思って……」

「……このカメラ、シルバーアンカーのメイン回線じゃなくて、あなたの個人端末に直結されていますね? しかも、動体検知モードで『私』の動きを追うように設定されています」

 

シュティアは冷汗を流しながら、視線を泳がせた。

 

「ははは……。バレちゃった? ほら、お姉ちゃんって夜中にふらっと起きて、どこかで転んだり、悪いネズミに捕まったりするかもしれないでしょ? だから、お掃除ロボットに偽装した『24時間レデア様護衛兼観察ドロイド』を自作したんだけど……」

 

「……影がゆらゆら動いていたのは?」

 

「……ワックスがけの動きと、カメラが重すぎてバランスを崩したのと……あとは、お姉ちゃんを驚かせないように『光学迷彩(ステルス)』をかけようとしたんだけど、出力不足で青白く透けちゃったみたいで……」

 

つまり、レデアが見た「幽霊」の正体は、シュティアが夜な夜なレデアの安全(と寝顔の記録)を確認するために走らせていた、愛の努力だったのだ。

 

「シュティア」

 レデアの静かな、けれど有無を言わせぬ声が響く。

 

「幽霊よりも、あなたの執念の方がよほど怖いです。……このロボット、今すぐカメラを撤去しなさい。それから、一週間の間、夜間の個人端末の使用を制限します」

 

「そんなあぁぁ! お姉ちゃんの夜の生態記録は私の生きがいで、酸素で、宇宙の真理なのに! お願いお姉ちゃん、見捨てないで! ロボットの形をポムに変えるから、せめて外観だけでも許して!」

 

「……そういう問題ではありません」

 

 翌朝。

 ドックの廊下を、カメラを外されて「ただの掃除機」に戻ったロボットが、どこか寂しげに走っていた。

 その後ろを、寝不足で目の下に隈を作ったシュティアが、未練たっぷりに見守っている。

 レデアはそんな妹に深いため息をつきつつも、どこか抜けている妹を優しく見つめ、琥珀色の紅茶を飲んでいた。

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