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1. 夜明けの侵入者、あるいはパスワードの賞味期限
人工太陽の光が差し込む前。レデア・メイスは、自身の体に巻き付くような「重み」と、耳元で聞こえる「すぅ、すぅ」という規則正しい寝息で意識を浮上させた。
視界を埋め尽くすのは、艶やかな金髪と、安らかに眠る妹の美貌。
「…………シュティア」
レデアは、低い、地を這うような声で名を呼んだ。
「ん……お姉ちゃん、おはよう。今日も……宇宙で一番、いい匂いだね……」
シュティアは寝ぼけ眼のまま、レデアの首筋に鼻を寄せ、より一層抱きしめる力を強めた。
「おはようではありません。……この部屋のパスワード、昨日更新したばかりですよね? なぜ、また突破されているのですか」
「今回は一時間半かかっちゃった。でも、お姉ちゃんの寝顔というゴールがあるなら私は頑張れるよ」
シュティアは悪びれる様子もなく、ふふ、と笑った。
三十分後。シルバーアンカーの小さなダイニング。
テーブルには、レデアが焼いた厚切りのトーストと、香り高い紅茶が並んでいた。
「……いいですか、シュティア。何度も言いますが、部屋を分けたのはプライバシーと防犯のためです。勝手に侵入するのは規約違反……いえ、不法侵入です」
「不法じゃないよお姉ちゃん。同じ船に住む妹が、姉の体調を24時間体制で、最も至近距離で見守る……これは銀河憲章にも書かれている『妹の義務』だよ」
「書いてありません。……もう、この子は」
レデアは溜息をつき、お茶を啜った。
「いいから、しっかり食べてください。今日はギルドから急ぎの指名依頼が入っています。私たちの評判を聞いて、あえて指名してきたそうですよ」
「お姉ちゃんと私の連携が、ついに宇宙の公的機関を動かしたんだね! よし、お姉ちゃんの隣でお仕事頑張っちゃうよ!」
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2. 指名依頼、あるいは「豪華客船」の牽引
スバル・ステーションの第4ドック。
そこに待機していたのは、窓がいくつも備え付けられた「居住用牽引コンテナ」だった。
ギルドの担当者が、端末を片手に説明する。
「定期旅客便のエンジンが故障してね。近隣のステーション『シューティングロード』へ向かう乗客たちが足止めを食らっているんだ。君たちのシルバーアンカーなら、このコンテナを牽引しても出力に余裕があるだろう?」
「……送迎、ですか。いつもは鉱石やデブリを運んでいますが、今回は『人間』ですね」
レデアが緊張した面持ちで頷くと、担当者は微笑んだ。
「ああ。頼むよ。ただ運ぶだけじゃない。到着までの二時間、乗客たちのケアもお願いしたい。……君たちなら、乗客も安心するだろうからね」
こうして、シルバーアンカーの後ろに「客室」を繋いだ奇妙な航海が始まった。
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3. 完璧な淑女と、あっぷあっぷな子供
牽引自体はオートパイロットで事足りる。問題は、コンテナ内の乗客対応だった。
レデアとシュティアがコンテナに足を踏み入れると、不安そうな表情の乗客たちが一斉に二人を振り返った。
「皆さま、本日はご不便をおかけしております」
その瞬間、シュティアの声色が、凛としていながらも穏やかで落ち着きあるものに変化した。
背筋を伸ばし、指先まで洗練された所作で一礼する。その姿は、辺境の何でも屋ではなく、名門貴族の令嬢か、ベテランの客室乗務員のようだった。
「シルバーアンカーのシュティアです。皆さまの目的地まで、私たちが真心を込めて安全にお送りいたします。……何かご不安なことがあれば、何なりとお申し付けくださいね」
「まあ、なんて綺麗な方……」
「品があって、落ち着くわね……」
乗客たちの間に、安心感が広がっていく。特に若い男性客や、疲れ果てた婦人たちが、シュティアの瀟洒な振る舞いに見惚れていた。
一方、レデアは。
「あ、あの……お茶のおかわり、いかが、ですか」
顔を真っ赤にし、ガチガチに緊張した動きで、紙コップを持ったトレイを捧げ持っていた。
「あら、可愛い子! 偉いわね、お姉さんのお手伝い?」
初老の婦人が、レデアの頭を撫でようと手を伸ばす。
「い、いえ! 私がこの船の操舵士で……その、一応こちらの方が、妹、でして……」
「あらあら、照れちゃって。可愛いわねぇ」
(……やっぱり、こうなりますよね)
レデアは内側で涙を流した。この小さな体と初々しすぎる顔立ちが、彼女を「妹」あるいは「お手伝いの子供」という枠に押し込めてしまう。
「お姉ちゃん、あそこのお子様が退屈しているみたい。……お姉ちゃんの得意な、星図のパズルでも教えてあげたら?」
シュティアが、優雅な笑みを湛えたまま、レデアに小声で助け舟……もとい、指示を出す。
「わ、わかっています。……そちらの男の子、これを……」
レデアがぎこちなく話しかけると、今度は別の乗客から「すまない、ブランケットを一枚貸してくれないか、お嬢ちゃん」と声がかかる。
「はいっ! ただいま! ……あ、足元、失礼します!」
通路を右往左往し、飲み物をこぼしそうになり、子供に泣かれ、レデアのキャパシティは急速に限界を迎えつつあった。
対照的に、シュティアは。
「皆さま、ご安心を。……そちらの赤ん坊、少し室温が高いようですね。調整いたします」
的確な指示、柔らかな微笑、そして相手を立てる完璧な会話術。
乗客の誰もが、シュティアを「この船の実質的なリーダー」だと信じて疑わず、レデアを「その愛らしい助手」だと思い込んでいた。
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4. シューティングロード、あるいは消耗の果て
「……し、死ぬかと、思いました……」
目的地「シューティングロード」に到着し、乗客たちを見送った後。
ステーション内の開放的なテラス席。レデアはテーブルに突っ伏し、力なく指先を動かしていた。
「お疲れ様、お姉ちゃん。でも、お姉ちゃんの接客、乗客の皆さんには大好評だったよ? 『守ってあげたくなるクルーだ』って、チップまでもらっちゃったし」
シュティアは涼しい顔で、優雅にコーヒーを啜っている。先ほどまでの「完璧な淑女」ではなく、お姉ちゃんを愛でる「いつものシュティア」に戻りつつあった。
「……そういう評価は、求めていないんです。……なぜ、シュティアはあんなにスラスラと言葉が出てくるのですか。まるで、別人のようでした」
「ふふ、お姉ちゃんの為なら私はなんだってやるんだよ」
シュティアは、テーブル越しにレデアの手をそっと握った。
「でもね、お姉ちゃん。……私は知ってるよ。お姉ちゃんが、泣いている子供をあやすために、一生懸命自分の端末で面白いホログラムを見せてあげてたこと。……あれ、本当は自分のお気に入りの解析ソフトだったんでしょ?」
「…………。別に、泣き声がうるさかっただけです」
レデアはぷいと顔を背けた。
「それに、結局私は最後まで『お姉さん』扱いされませんでした。……私の威厳は、どこへ行ったのでしょう」
「威厳なんていらないよ。お姉ちゃんは、そこにいて、私に愛されて、たまにあっぷあっぷしてるのが一番可愛いんだから。……ねぇ、今日のご褒美に、あとで私の膝の上で寝てくれない?」
「……お断りします」
レデアは疲れた体に鞭打ち、ようやく一杯の紅茶を口にした。
窓の外には、シューティングロードの活気ある宇宙の風景が広がっている。
一人前の何でも屋。その道のりは、どうやら技術を磨くことよりも、「大人の余裕」を身につけることの方が、レデアにとっては遥かに困難なミッションのようだった。
「……次は、絶対に『リーダー』として認めさせて見せます」
「はいはい、頑張ってね。……あ、今の表情、最高に可愛いから自撮りドローンで撮っておくね!」
「シュティア!!」
賑やかな姉妹の声は、宇宙の喧騒に溶けて消えていった。