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1. 思考のデッドヒート、あるいは配置転換
三日後に控えた、高難度の小惑星帯突破任務。
シルバーアンカーの整備は最終段階に入っていた。
「……時間がありません。シュティア、手分けをしましょう。私はドックに残って、アンカーの出力系統の最終調整を行います。あなたは、損傷した外装プレートの予備を注文しに、ハル・メンテナンスへ行ってきてください」
レデア・メイスが、診断ログから目を離さずに告げた。
「えっ! 待って、お姉ちゃん! アンカーは私が使う装備だよ? 私が自分で調整したほうが、お姉ちゃんの手を煩わせなくて済むし……」
「ダメです。調整には精密なプログラムの書き換えが含まれます。これは私の担当です」
「じゃ、じゃあ私がお姉ちゃんの横で、お姉ちゃんが喉が渇かないように三秒に一度お茶を差し出す係を……」
「仕事になりません。……いいから、ハル・メンテナンスへ。サティさんも待っているでしょうし」
レデアが何気なく口にしたその名が、シュティアの脳に突き刺さった。
(サティさん……!)
脳裏をよぎるのは、前回の訪問でシュティアの袖を握り、「妹にして」と上目遣いで訴えてきたあの可憐な少女の姿。そして、それを見て「仲が良いですね」と無防備に微笑むレデア。
もし、今ここでレデアが一人でハル・メンテナンスに向かったら?
分からないけれど嫌な予感がする、サティさんが何をするか、お姉ちゃんがどんな反応をするか想像がつかない……!
(……絶対ダメ!それだけは!)
この予感、これは防衛本能だ。サティが可愛いからとか、あの子に触れた時の不思議な心地よさが癖になりそうだとか、そんな不純な理由は一ミリもない(はずだ)。
「……分かったよ、お姉ちゃん! アンカーの調整はお姉ちゃんに任せる! 修理依頼は私が行ってくる! 一刻も早く、光速で行って、すぐ帰ってくるから、お姉ちゃんはここから一歩も動かないでね!!」
「……はいはい。急がなくていいですから」
嵐のように去っていくシュティアを見送り、レデアは静かにアンカーのコンソールに向き直った。
「……全く。相変わらず騒がしい人です」
だが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
レデアは、アンカーの繊細な駆動パーツを一つずつ丁寧にチェックしていく。
「……これは、この船を用意した時に、私が最もこだわって選んだパーツ。シュティアが、一番自由に、一番力強く振るえるように」
ドックに響く、静かな作業音。そこには、言葉にしない姉の深い信頼が込められていた。
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2. 癒やしの天使と、招かれざる「銀河一」
一方、ハル・メンテナンス。
自動ドアが開くと同時に、看板娘のサティが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「あ、シュティアさん! こんにちは! ……あれ、レデアさんは一緒じゃないんですか?」
「……こんにちは、サティさん。お姉ちゃんは、ちょっとお留守番。今日は私が依頼に来たよ」
「えへへ、シュティアさんがお一人で来られるなんて、なんだか緊張しちゃいます。……さ、奥のカウンターへどうぞ! 冷たいお茶を淹れますね!」
サティの純粋な笑顔と、ふりふりと揺れるポニーテール。それを見た瞬間、シュティアの心に渦巻いていた焦燥が、すっと霧散していくのを感じた。
(……ああ、やっぱりサティさんは癒やしだなぁ。お姉ちゃんに会わせるのは怖いけど、こうして私だけに向けてくれる好意は、なんだか悪い気がしないというか……)
シュティアが少しだけ鼻の下を伸ばしかけた、その時だった。
「あら……。なんだか、空気が急に、不衛生な方向に澱(よど)みましたわね?」
店内のドックの奥から、聞き覚えのある、高く、そして傲慢な笑い声が響いてきた。
そこに立っていたのは、縦ロールの髪をこれ見よがしに揺らし、高級な扇子(宇宙用)を手に持った女性――カトリーヌだった。
「げっ。……カトリーヌ」
「『げっ』とはなんですの! わたくしのような高貴な客を、そんな汚物を見るような目で見るのはおやめなさいな、シュティア・メイス!」
カトリーヌは、露骨に嫌そうな顔をするシュティアに歩み寄った。
「あなた、どうしてここに? あなたのようなガサツな何でも屋には、もっと錆臭い、油まみれの修理工場がお似合いですわよ」
「それはこっちのセリフだよ。あんたこそ、お抱えの整備チームはどうしたのさ。……まさか、また私の戦果に嫉妬して、偵察にでも来たわけ?」
「失礼ね! わたくし、こちらのサティさんの整備技術が『銀河一の冒険家』に相応しいと聞き及んで、初めて伺ったのですわ。……確かに、素晴らしいお店ですわね。たった一つ、客層に問題があることを除けば!」
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3. 三すくみの膠着状態、あるいは淑女の限界
火花を散らす二人。だが、そこにサティが小首を傾げて割り込んだ。
「えっと……お二人は、お知り合いなんですか?」
サティの曇りのない瞳。シュティアはハッとした。
(いけない……。サティさんの前で取り乱しちゃだめ。私はサティさんにとって穏やかで瀟洒な女でなきゃいけないんだから!)
「……ええ、まあ、ちょっとした知り合いなんです。サティさん、気にしないで」
シュティアは、淑女の微笑みを張り付けた。
対するカトリーヌも、サティに対しては「良い客」でありたいらしく、扇子で顔を隠しながらサティに囁きかけた。
「サティさん。あまりこの方に心を開いてはいけませんわよ。この方、見た目は整っていますけれど、中身はお姉様のことしか考えていない、救いようのない変質的ストーカーなんですの。いつかあなたも、お姉様の身代わりに誘拐されるかもしれませんわ」
「えっ、シュティアさんが、私を誘拐……!? ……っ、…………。ええ、なんだかちょっと、ドキドキしちゃいます」
「し、しません!サティさんは私がそんなことするように見えないでしょう!?」
カトリーヌの吹き込みが、サティの「憧れ」というフィルターを通して、斜め上の方向に解釈されていく。
シュティアは、カトリーヌに笑顔で言い返した。
「おば、カトリーヌさんこそ、サティさんの時間を無駄に奪わないで頂けますか? 彼女は忙しいです。あなたの様な不躾な輩に時間を割いてよいエンジニアではないのですよ」
「あら、わたくしは正当な対価を払って、技術を正当に評価しているだけですわ。……サティさん、この方の無礼な物言いに、恐怖を感じてはいませんこと? もし怖いのなら、わたくしの船に避難してもよろしいのよ?」
「いえ、シュティアさんはとっても優しいです! 私の頭も撫でてくれたし……ね、シュティアさん!」
サティがシュティアの腕に抱きついてくる。
(あああ、嬉しい! 嬉しいけど、今カトリーヌが、めちゃくちゃ『うわ、この変質者』みたいな目でこっちを見てる!!)
サティの前でカッコつけたいシュティア。
サティを味方につけてシュティアを孤立させたいカトリーヌ。
二人のやり取りを、キラキラした憧れの目で見つめ、火に油を注ぎ続けるサティ。
三すくみの「三者三様」な感情が激突し、ハル・メンテナンスの空気はこれまでにない空気を帯びていた。
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4. 帰還、あるいは生ける屍
数時間後。
シルバーアンカーに帰還したシュティアは、魂が抜けたような顔をしていた。
「……ただいま。お姉ちゃん……」
「おかえりなさい、シュティア。随分と時間がかかりましたね。何かトラブルでもありましたか?」
レデアは、アンカーの調整を完璧に終え、タオルで汗を拭きながら出迎えた。
「……ううん。修理依頼は……ちゃんと、出してきたよ。……サティさんと、カトリーヌと、……銀河一の……三すくみ……」
「カトリーヌさん? 彼女もいたのですか。それは意外です」
「……お姉ちゃん。……世界って、なんでこんなに……複雑なのかな……」
シュティアは、リビングのソファにバタリと倒れ込み、そのまま微動だにしなくなった。
レデアは「生返事ですね」と呆れつつも、そのぐったりとした背中に毛布をかけてあげた。
「お疲れ様です、シュティア。……美味しいお茶を淹れますから、少し休んでいなさい」
「……お姉ちゃん。……お姉ちゃんは、ずっと私の……お姉ちゃんで、いてね……」
ソファのクッションに顔を埋めたまま、掠れた声で呟くシュティア。
レデアは、アンカーを彼女のために磨き上げた自分の手を眺め、それから妹の頭を、先ほどシュティアがサティにやって見せたよりもずっと深く、慈しみを込めて撫でた。
「当たり前です。……あなたは、私の大切な妹で……パートナーですから」
その言葉の半分も届いていないのか、シュティアは小さな寝息を立て始めた。
ハル・メンテナンスでの嵐のような時間は、レデアの淹れるお茶の香りと、静かな船内の平穏によって、ゆっくりと上書きされていくのだった。