砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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31話:紅の休息、あるいは不意打ちの双子星

◆◆◇◇◆◆

1. 鋼鉄の守護者、着せ替えの深淵に沈む

 

「いいですか、シュティア。よく聞きなさい。今日は非番、つまり完全なるプライベートです。ですから、その『とりあえず機能すればいい』という、色気の欠片もないグレーのシャツとスラックスは、この瞬間をもって禁止とします!」

 

 スバル・ステーションの中央商業モール。きらびやかなホログラム広告が宙を舞い、最新の合成繊維の香りが漂う広場の中で、レデア・メイスは仁王立ちで宣言した。

 対する妹(自称)、シュティアは、困ったような、それでいて甘やかすような笑みを浮かべて後頭部を掻いている。

 

「ええ……。でもお姉ちゃん、私はこれで十分だよ。シルバーアンカーの整備だって、いつ緊急で呼び出されるかわからないし、何より動きやすいのが一番だし……。それに、お姉ちゃんが選んでくれたこの服、私はすごく気に入ってるんだよ?」

 

「それはそれ、これはこれです! あなたは背も高く、モデルのように整った容姿をしているんですから。いつも『格好いい』のは認めますが、たまには『可愛い』という属性も摂取すべきです。これは姉としての義務、そして福利厚生の一環です!」

 

 鼻息を荒くするレデア。140センチの小さな体が、決意に満ちて一歩踏み出す。

 

「さあ、行きますよ。今日は私がお姉ちゃんとして、あなたを最高の『妹』にコーディネートしてあげます!」

 

「あはは……。お姉ちゃん、本当にウキウキだね。……あ、お姉ちゃんの服なら私がいくらでも選んであげられるよ? ほら、あっちのフリルがたっぷりついたお店なんて、絶対お姉ちゃんに似合うと思うんだ。私のお給料、全部注ぎ込んでもいいよ!」

 

「私のは後です! 今日の主役は、あなたなんです!」

 

 ぐいぐいと手を引かれ、シュティアは「参ったなあ」と言いながらも、その頬は緩みっぱなしだった。大好きな姉に手を引かれ、自分のために奔走してもらう。独占欲の塊である彼女にとって、これ以上の幸福はない。

 ――しかし、その幸福が「肉体的・精神的耐久テスト」に変貌するのに、そう時間はかからなかった。

 

「次! 次はこれを着てみなさい!」

 

「えっ、あ、これ……? ちょっと、なんていうか……布の面積が心もとなくないかな?」

 

「問答無用です! ほら、試着室へ!」

 

 アパレルショップが連なるエリアに足を踏み入れてから、すでに二時間が経過していた。

 シュティアは、人生で初めて「戦闘以外での敗北感」を味わっていた。

 次から次へと渡される、普段なら絶対に手に取らないようなパステルカラーのブラウス、繊細なレースがあしらわれたフレアスカート、そして極めつけは、肩のラインが大胆に露出するオフショルダーのワンピース。

 

「……お姉ちゃん、やっぱり私、こういうのは柄じゃないと思うんだ。なんだかスースーして落ち着かないし……」

 

「何を言っているんですか! 鏡を見なさい。似合っています。とっても、とっても『可愛い』ですよ、シュティア」

 

 試着室のカーテンを開けるたび、レデアは目をキラキラと輝かせて拍手を送る。その純粋な称賛は、シュティアにとってどんな強力な荷電粒子砲よりも破壊力があった。

 

「お姉ちゃんにここまで可愛いって……」

 

 デレデレと相好を崩し、されるがままに着せ替え人形になるシュティア。しかし、慣れない生地の感触、複雑なリボンの結び目、そして何より普段は周囲を警戒する彼女が、衆人環視の中で「愛でられる」という精神的負荷は、確実に彼女の芯を削っていた。

 

 さらに一時間後。

 モールのテラス付近まで辿り着いた頃、シュティアの足取りは、前日の任務で小惑星をアンカーで粉砕していた時よりも重くなっていた。

 

「つ、疲れたよ、お姉ちゃん……。一回、休憩しよう……? 私の脚部駆動が限界だよ……」

 

「あら。……ふふ、あんなに体力があるシュティアが、これくらいで根を上げるなんて。やはりショッピングには、宇宙空間の機動とは別の特殊な筋肉が必要なようですね」

 

 レデアは勝ち誇ったように笑い、シュティアの肩をぽんぽんと叩いた。

 

「じゃあ、シュティアはそこのベンチで待っていてください。私があなたに似合いそうな服を、あのお店で最後にもう一着だけ探してきますから。座って見ていられる距離ですから、安心してくださいね」

 

「うん……。わかった。すぐそこなら、大丈夫。……行ってらっしゃい、お姉ちゃん。……あ、無理はしないでね?」

 

 シュティアは、備え付けられた柔らかいベンチに崩れ落ちた。宇宙の果てまで全速力で走れるスタミナを誇る彼女だが、今は指一本動かすのも億劫だった。

 

◆◆◇◇◆◆

2. 紅の闖入者、あるいは不意打ちの沈黙

 

 ぼーっと、レデアの入っていった店を見つめ、思考を停止させていた時だ。

 ふいに、視界の端から「強い色彩」が近づいてきた。

 

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。燃えるような長い赤髪が目を引く。アシンメトリーに切り揃えられた前髪の隙間からのぞく瞳は、どこか気だるげで、それでいて全てを見通しているような不思議な静けさを湛えている。

 

 少女は無言でシュティアの隣に腰を下ろすと、じっとこちらを覗き込んできた。

 シュティアは職業病ともいえる警戒心を一瞬だけ持ち上げたが、相手に害意がないことを即座に察し、穏やかに尋ねた。

 

「……どうしました? 私に何か用かな?」

 

「……おねえさん、疲れてる?」

 

 直球すぎる問いかけに、シュティアは少しだけ毒気が抜けたように笑った。

 

「……はは。そうだね、今日はとっても楽しくて、それで少しだけ休憩中なだけですよ」

 

 相手はお姉ちゃんくらいの年頃に見える、警戒心を解き、優しく尋ね返す。

 

「あなたはどうしました? 一人で歩き回るのは危ないですよ? 迷子かな?」

 

 すると、少女は何も答えず、あろうことかシュティアの肩にこてんと頭を預け、そのまま体重をかけてきた。

 

「な、何を……?」

 

 驚くシュティアをよそに、少女は満足げに目を閉じる。

 

「……私の姉さんに似てる、気がする。……あったかくて、落ち着く」

 

 そのまま、少女は規則正しい寝息を立て始めた。シュティアは石像のように固まる。下手に動いて起こすわけにもいかず、かといって、見知らぬ少女に体を預けられている姿を「彼女」に見られたらどうなるか。

 

「シュティア、見てください! この色のブラウスなら、あなたの瞳の色にも……って、あら?」

 

 最悪のタイミングで、店からレデアが顔を出した。

 そこには、見知らぬ美少女を甲斐甲斐しく支え、まんざらでもない(ように見える)顔で固まっている妹の姿。レデアは手に持った服を構えたまま、彫像のように静止した。

 

「ち、違うのお姉ちゃん! これは、その、彼女が急に……!」

 

「…………」

 

 レデアは冷ややかな、それでいてどこか面白がっているような目で、じーっと二人を見つめる。

 

「……ふーん。モテますね、シュティアは。さすが、ステーション中の女性を虜にする自称・私の妹。私のいない隙に、もう新しい『妹』をナンパしたのですか?」

 

「お姉ちゃん、目が笑ってないよ! 誤解だってば! 私はお姉ちゃん一筋だよ!」

 

「いいえ、いいんですよ。私がいなくても、あなたはそうやって勝手に人徳を得られるんですから。では、私はもっとじっくり、あなたに似合う『とびきりカワイイ服』を選んできますから、存分にその子とデレデレしていてください。……じゃあ、一時間後くらいに戻りますね」

 

「お姉ちゃん! 一時間は長すぎるよ! お姉ちゃぁあん……!」

 

 レデアは、シュティアが大人しくしていれば勝手に周囲に人が寄ってくる性質であることを知っている。少し意地悪なからかいを込めて、彼女は再び店の中へと消えていった。

 シュティアは、肩の上で眠る少女を抱えたまま、天を仰いだ。

 

◆◆◇◇◆◆

3. 紺碧の走者、あるいは双子星の合流

 

「カノアちゃぁあ~~ん!! どこなのぉ~~!!」

 

 絶望に暮れるシュティアの前に、今度は遠くから猛烈な勢いで走ってくる人影が現れた。

 両手いっぱいにパンパンの買い物袋を下げた、青髪サイドテールの女性だ。年齢はシュティアと同じくらいに見える。彼女はシュティアの前で急ブレーキをかけ、派手に靴音を響かせながら、肩で息をして止まった。

 

「はぁ、はぁ……っ! よかった、見つけた……! カノアちゃん!」

 

 女性はシュティアと目が合うと、一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから深く頭を下げた。

 

「すみません! 私の妹がご迷惑を……! カノアちゃん、いきなり居なくなったと思ったら……」

 

 女性がカノアを揺り起こすと、赤い髪の少女――カノアは眠たそうに目をこすりながら立ち上がった。

 

「……ん、終わった? アスフィ……姉さん」

 

「うん、終わったよ~。 ……本当に、すみませんでした、お姉さん。お礼もしたいんですけど、とりあえずこの荷物をロッカーに預けてこなきゃで……」

 

「いいえ、お構いなく……」

 

シュティアはこの地獄(ある意味天国)から抜け出せることをこの女性に感謝するしかなかった。

 

 アスフィと呼ばれた青髪の女性は、申し訳なさそうに、シュティアに会釈した。

 

「……いえ、大丈夫ですよ。私も、少し癒やされましたから」

 

 シュティアが通常モードの、微笑みを向けると、女性は穏やかにほほ笑んだ。

 

「本当にありがとうございます、このお礼はいつかきっと……」

 

 去ろうとするアスフィの横で、カノアが足を止めた。彼女はシュティアを見上げる。

 

「……ありがとう、お姉さん。私、お姉さんのこと気に入ったかも」

 

「えっ、あ、あはは……」

 

 カノアは最後にひらひらと手を振り、アスフィの買い物袋の一つを掴んで、二人で賑やかに去っていった。その背中を見送りながら、シュティアは「嵐が過ぎ去った……」と深いため息をついた。

 

◆◆◇◇◆◆

4. ショッピングの終わり、あるいは終わらない受難

 

「あら。さっきの女の子は、もう行ってしまったのですか?」

 

 タイミングを見計らったように、レデアが店から戻ってきた。その手には、先ほどよりも確実に増えた買い物袋が握られている。

 

「……うん。お姉さんが迎えに来て、二人で帰っていったよ。……もう、本当にお疲れモードだよ、私は……」

 

「そうですか。それは残念でしたね。……ですが、安心してください。私がとびきりの一着を見つけてきましたよ」

 

 レデアは袋の中から、黒のフリフリゴシックロリータドレスとカチューシャを取り出した。

 

「さあ、シュティア。これを試着して、今日の締めくくりとしましょう! これであなたも、完璧な『可愛い妹』です!」

 

「……ねえ、お姉ちゃん。もう帰ろう? 帰って、シルバーアンカーの錆取りでも、エンジンの全分解清掃でも、なんでもするから……!」

 

「ダメです。まだ日没まで時間はあります。それに、あちらの靴屋の新作もチェックしなければなりません。さあ、立って! 胸を張って!」

 

 シュティアは情けない声を出しながら、再びレデアに手を引かれて歩き出した。

 宇宙の「墓場」でデブリを消し飛ばす謎の光よりも、今の彼女にとっては、姉が選ぶ「フリフリのドレス」の方が、はるかに恐ろしく、そして――どうしようもなく愛おしいものだった。

 

「……お姉ちゃん、本当に今日だけだからね?」

 

「ふふ、どうでしょう。明日の気分次第ですね」

 

 夕暮れ時のスバル・ステーション。

 賑やかなモールの喧騒の中に、長身の妹を甲斐甲斐しく(?)引きずる小さな姉の笑い声が、いつまでも響いていた。

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