砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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32話:橙の残火、あるいは守護者の帰還

◆◆◇◇◆◆

1. 静寂の朝、あるいは狂気の集大成

 

 シルバーアンカーの居住区に、香ばしいトーストと合成コーヒーの香りが漂う。

 キッチンでは、レデア・メイスがエプロンを締め、手際よく朝食を盛り付けていた。普段はシュティアが担当することの多い朝の風景だが、今日は非番明けのルーティンとして、レデアが腕を振るっている。

 

 背後で、自動ドアがシュンと音を立てて開いた。

 現れたのは、いつもなら起きているはずのシュティアだった。しかし今日の彼女は、どこか足取りが重く、眠たげに目をこすっている。

 

「おはようございます、シュティア。珍しいですね、あなたがこの時間に起きてくるなんて」

 

 レデアが疑問を口にすると、シュティアはベンチシートに体を預け、机に突っ伏した。

 

「……おはよう、お姉ちゃん。昨日の夜、お姉ちゃんの着せ替えコーデ案・秋の新作・保存版スライド資料をまとめてたら、つい夜更かししちゃって」

 

「……またこの子は」

 

 レデアは呆れたように溜息をついた。

 シュティアの端末には、これまでまとめたレデアの写真がプロ並みのレタッチと執拗なまでの解説付きでデータベース化されているのだろう。

 その情熱をもっと別の方面に生かしてほしいといつも思っている。

 

「いいですか、仕事に支障をきたしてはいけません。ごはんを食べたら、すぐに出発しますよ。今日はオレンジロックでの外装工事ですから」

「はーい……。大丈夫だよ、お姉ちゃん。仕事モードになれば、脳内細胞のすべてをお姉ちゃんの為に割り振るから」

「……あなたの脳内に、自分自身の管理という項目は存在しないのですか?」

 

 レデアは苦笑しながら、厚切りのトーストをシュティアの前に置いた。

 

 

◆◆◇◇◆◆

2. 赤茶けた記憶、あるいはポムの影

 

 シルバーアンカーがオレンジロック宙域に到達したのは、それから数時間後のことだった。

 オレンジロック。かつて通信中継ステーションの調査で訪れた、酸化鉄を多く含む赤茶けた小惑星を削り取って作られた拠点だ。

 現在、この拠点は近隣の別の小惑星を工事し、通信容量を倍増させる「オレンジロックⅡ」としての拡張運用を控えていた。

 

 姉妹に与えられた任務は、巨大な小惑星の表面に、用意された中継アンテナ用の建材を正確に取り付けていくという、精密さとパワーを同時に要求される作業である。

 

「出力、三〇パーセント増。レーザーカッター、照射開始します」

「了解だよ、お姉ちゃん。建材の保持、磁力アンカー接続完了。……いつでもいけるよ」

 

 レデアの操るシルバーアンカー号が、高出力のレーザーで小惑星の岩肌を焼き付ける。赤茶けた地表が白熱し、建材をはめ込むための溝が刻まれていく。

 そこへ、シュティアが操作する多機能アンカーが、数トンもある建材を寸分違わず叩き込んだ。

 

 作業は、非常にスムーズに進んだ。

 他機が数時間かける工程を、彼女たちは3割増しの速度で進ませていく。その光景を、工事用ヘルメットを被った現場の作業員たちが、モニター越しに感嘆の声を漏らしながら眺めていた。

 

 作業の合間、レデアはふと、赤茶けた地表の影を見つめた。

「……そういえば、以前ここに来た時、あの橙色の原生生物を見つけたのでしたね」

「スペーシア・ポム、のこと?」

 シュティアの声が、少しだけ緊張を帯びた。

「ええ。ふかふかしていて、とても可愛らしかった……。今日、またどこかに紛れ込んでいないでしょうか。もし見つけたら、今度こそ保護……」

 

「お、お姉ちゃん! ダメだよ! ポムは野生で生きるのが一番なんだから!」

 シュティアが慌てて割って入る。

「保護区っていう素晴らしい場所があるんだから、もし見つけても、ちゃんとそっちに逃がしてあげなきゃダメだよ? 私、もう既に最寄りの保護区までの最短ルート、計算し終わってるから!」

 

 シュティアにとって、ポムは「可愛い生き物」ではない。レデアの愛情という限られたリソースを奪い合う、不倶戴天の敵――あるいは、自分のいない間にレデアのベッドを占拠する「最弱のライバル」なのだ。

 今現在姉のベッドの一角を占拠しているあのぬいぐるみですら強敵なのだ。

 

「そんなに焦らなくても、わかっていますよ。……ただ、あの時のポムが元気にしていればいいなと、そう思っただけです」

「……なら、いいんだけど。……あ、お姉ちゃん、三時の方向に浮遊デブリの群れを確認。作業員の作業足場に接触するコースだよ」

 

 

◆◆◇◇◆◆

3. 守護者の振る舞い、あるいは鉄錆の恋心

 

 シュティアの指摘通り、工事の影響で発生した岩石の破片が、予期せぬ重力の乱れによって加速し、現場の足場で作業していた作業員たちの背後に迫っていた。

 回避は間に合わない。作業員たちは悲鳴を上げ、身を竦める。

 

「シュティア!」

「わかってる! お姉ちゃん、そのままの姿勢を維持してて!」

 

 シュティアはシルバーアンカーの予備スラスターを瞬間的に吹かし、船体を回転させた。

 射出されたアンカーが、デブリの群れを薙ぎ払う。それだけではない。彼女はアンカーの先端を器用に変形させ、砕けた破片を作業員に当たらないよう、ネットのように磁場を展開して一箇所に集めたのだ。

 

 衝撃は全く無かった。

 作業員たちの目の前には、ただ美しく、夕日のような光を反射する鋼鉄のワイヤーが、守護の壁となって立っていた。

 

「……ふう。怪我はありませんか?」

 シュティアは外部スピーカーを通し、落ち着いた、それでいて凛とした声で問いかけた。

 その声は、驚嘆する作業員たちの心を一瞬で鎮めた。

 

「あ、ああ……。助かった。……ありがとう、嬢ちゃん」

「いえ、これも仕事の内ですから。作業、続けてください。周囲の警戒はこちらで引き受けます」

 

 その佇まいは、非の打ち所のない「淑女」であり、同時に頼もしき「騎士」そのものだった。

 作業後、ステーションのドックに戻った姉妹を、助けられた作業員たちが取り囲んだ。

 

「いやぁ、本当に助かったよ! あのアンカー捌き、惚れ惚れしちまった」

「あ、これ、もしよかったら。ステーションの名物なんだ。食べてくれ」

 一人の若手の作業員が、顔を赤くしながらシュティアにジュースの缶を差し出した。

「あ……お姉さんも、もしよかったら、この後、ステーションのバーにでも……」

 

 ナンパだった。

 シュティアは、相手の差し出したジュースを丁寧に受け取りながらも、ふんわりとした微笑みを浮かべた。

 

「お誘いは嬉しいのですが、残念ながら。私には、この後大切な用事があるのです」

「えっ、あ、そう……。お姉さんと……」

「ええ。また機会がありましたらその時にでも」

 

 シュティアは優雅に会釈し、作業員たちが呆然と立ち尽くす中、スタスタとレデアの元へ歩み寄った。

 

 

◆◆◇◇◆◆

4. 変わらぬ鎖、あるいは至高の帰属

 

 夕暮れのオレンジロック。

 小惑星の影が伸び、ステーションのライトが灯り始める。

 

「シュティアは、いつも人気ですね」

 シルバーアンカーのコックピットに戻り、ハッチを閉めながらレデアが言った。

 少しだけ、声に拗ねたような響きがあることに、レデア自身は気づいているだろうか。

「さっきの方も、あなたのこと、とても良い顔で見ていましたよ。仕事もできて、あれだけ淑女として振る舞われれば、当然かもしれませんが」

 

 シュティアは、脱ぎかけのグローブを置くと、レデアの隣に滑り込んだ。

 そして、いつも通りの、愛に満ちた瞳で姉を見つめる。

 

「……またそんなこと言う。いつも私は言ってるでしょ、お姉ちゃん」

 

 シュティアはレデアの小さな手を、自分の大きな手で包み込んだ。

 

「私はお姉ちゃんのものなんだから。私の心も、体も、全部お姉ちゃんが所有権を持ってるの」

 

「……いつもそうやって極端ですよ」

 

「いいの。それが私の幸せなんだから」

 

 シュティアはレデアの肩に頭を預け、満足そうに目を閉じた。

 今日の仕事の疲労も、こうしてレデアの温度を感じるだけで、全てが至高の報酬へと変わっていく。

 

「……さあ、帰りましょう。帰ってゆっくりしたい気分です」

 

「そうだねお姉ちゃん、せっかくだから私のコーデ案のチェックはどうかな?」

 

「やりません。そうそう、今日も私の寝室の電子ロック更新してますからね」

 

「ええっ!ひどいよお姉ちゃん!」

 

 赤茶けた小惑星の海を、シルバーアンカーが加速していく。

 賑やかな姉妹の声を乗せて、船はいつもの、二人だけの宇宙へと帰っていった。

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