砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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34話:虹色の残響、あるいは二人の秘密基地

◆◆◇◇◆◆

1. 聖域の侵食、あるいは深夜のコーディネーター

 

 シルバーアンカーの寝室に、柔らかな人工日光が差し込む。

 レデア・メイスがゆっくりと目を覚ましたとき、最初に感じたのは、肌を撫でる「見慣れない感触」だった。

 

「……? これは……」

 

 シーツから体を起こしたレデアは、自分の姿を見て凍りついた。

 寝る前、彼女は間違いなく、着心地を最優先した綿100パーセントの簡素なパジャマを着ていたはずだ。しかし今、彼女の身を包んでいるのは、光沢のあるシルクのフリルが幾重にも重なった、まるでおとぎ話の姫君が着るようなネグリジェだった。

 胸元には大きなリボン、袖口には繊細なレース。寝返りを打つたびにカサカサと上品な音が鳴る。

 

 レデアには、犯人を推測するための時間は一秒も必要なかった。

 隣のスペースに、昨晩までいたはずの「自称・妹」の姿はない。レデアは深い、深いため息をつくと、その「衣装」を脱ぎ捨て、いつもの落ち着いた部屋着に着替えてリビングへと向かった。

 

 リビングでは、既にシュティアがコーヒーを淹れていた。

 

「おはよう、お姉ちゃん。……って、ええええっ!? お姉ちゃん、どうして着替えちゃったの!?」

 

 シュティアは持っていたマグカップを落としそうになりながら、絶望的な声を上げた。

 

「……おはようございます、シュティア。むしろ、どうして私が寝ている間にあんな重装備に着替えさせられているのか、そちらから説明して頂けますか?」

 

「重装備だなんて人聞きが悪いよ! あれは、最新の睡眠科学と私の美的センスが融合した、最高級の安眠用ドレスなんだから。寝顔のお姉ちゃんがあまりにも神々しくて、つい……」

 

「どこから突っ込んでよいか、私にはわかりません」

 

 呆れ果ててソファに座るレデア。

 

「いいですか、シュティア。私の体はあなたの着せ替え人形ではありません。……ですが、まあ、その、肌触りだけは悪くありませんでした」

 

「本当!? じゃあ、今夜は色違いのラベンダーを……」

 

「着ません。……さあ、朝ごはんを食べたら出発ですよ。今日は楽しみな仕事があるのですから」

 

◆◆◇◇◆◆

2. 黄金の夢、あるいは年相応の輝き

 

 今日の目的地は、ギルドからの依頼ではない。

 先日、レデアがステーションの酒場で小耳に挟んだ、「デブリ帯の奥深くに未発見の金鉱がある」という噂を元にした自主調査である。

 

「お姉ちゃん、あんまり期待しすぎない方がいいと思うよ」

 

 シルバーアンカーが赤茶けた岩礁宙域に差し掛かる頃、操舵席の隣でシュティアが釘を刺した。

 

「前にも同じようなことがあったじゃない。結局、お宝じゃなくて、あの成金おばさん……カトリーヌが、金ピカの船で来ただけだったし。今回も絶対ガセだよ」

 

「いいえ、シュティア。今回はきっとあります! 私にはわかるのです!」

 

 レデアは珍しく、幼い子供が冒険譚を語る時のような目をしていた。いつも冷静沈着で、実年齢より遥かに大人びている彼女が見せる、年相応のワクワクとした反応。

 

「金鉱が見つかれば、シルバーアンカーの予備パーツも、あなたの好きな高級オイルも、たくさん買えますからね!」

 

 意気込む姉の姿に、シュティアの「反対派」としての決意は一瞬で霧散した。

 

(……うわ、お姉ちゃん可愛い。なに今のガッツポーズ、すりすりしたい)

 

 鼻の下を伸ばしそうになるのを必死で耐え、シュティアは「そうだね、お姉ちゃんが言うならきっとあるよ!」と手のひらを返した。

 

 しかし、シュティアの脳裏には、ふと先日のカトリーヌの顔が浮かんでいた。

 船外活動で助け出した時、彼女はどうしてあんなに顔を真っ赤にしていたのだろう。普段の彼女なら、もっと執拗に罵ってくるはずなのに、最後は逃げるように去っていった。

 

(……まあ、いいか。あのおばさんの考えなんて、宇宙の謎より解明が難しそうだし)

 

 シュティアは思考を切り替え、レーダーの感度を上げた。

 

◆◆◇◇◆◆

3. 岩礁の迷宮、あるいは虹色の偶然

 

 金鉱があると言われる宙域は、無数の浮遊岩石が入り組んだ巨大な迷路のようだった。

 一歩間違えれば、船体が岩壁に接触して大破しかねない。

 

「慎重に進みます。シュティア、障害物の予測をお願いします」

 

「了解。……右舷前方、十時の方向に大型の岩塊。……左はクリア」

 

 二人は息の合った操作で、暗黒の隙間を縫うように進む。

 だが、一時間、二時間と捜索を続けても、金鉱らしい輝きはどこにも見当たらなかった。岩石の成分をスキャンしても、出てくるのは鉄とニッケルの平凡な数値ばかりだ。

 

「……無いですね。やはり、酒場の噂話でしたか」

 

 レデアの肩が目に見えて落胆に沈んだ。彼女は操舵桿から手を離し、小さく溜息をついた。

 

「ごめんなさい、シュティア。私の我儘に付き合わせてしまいました」

 

「そんなことないよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんと一緒にドライブできただけで、私にとっては大収穫……」

 

 シュティアがレデアの頭をなでて慰めようとした、その時。

 彼女の並外れた動体視力が、画面の端、大きな岩の割れ目から漏れ出る「小さな光」を捉えた。

 

「……お姉ちゃん、待って。今、何か光った」

 

「えっ?」

 

「操舵、お願い。ちょっと近くまで寄ってみて」

 

 慎重に距離を詰める。シュティアは船外カメラの倍率を最大にした。

 そこにあったのは、黄金の輝きではなかった。

 それは、複雑に入り組んだ岩の隙間で、誰に知られることもなく生成されていた結晶「ステライト」だった。

 一見すると透明だが、船のライトが当たった瞬間、見る角度によって虹色に輝き、結晶の奥から深い青や燃えるような赤が溢れ出す。

 

「……綺麗。金鉱ではありませんが、こんなに珍しい鉱物、私、初めて見ました」

 

「採集してみるね。……アンカー、射出!」

 

 シュティアは繊細な操作でアンカーを繰り出し、岩を傷つけないよう、結晶の根元を慎重に削り取った。

 やがて、回収ポッドに収まったその石は、シルバーアンカーの船内で静かな存在感を放っていた。

 

◆◆◇◇◆◆

4. 二人の宝物、あるいは至高の休日

 

「……凄い。ステーションの宝石店にあるどんな石よりも、ずっと不思議な輝きです」

 

 レデアは、テーブルの上に置かれた虹色の水晶に顔を近づけ、うっとりと見惚れていた。

 

「これは売らずに、二人の宝物にしましょう! シルバーアンカーのメインサロンに飾りませんか? 私たちが今日、ここに来た証として」

 

「えっ……。売らないの? お金、いらなかったの?」

 

「お金も大切ですが、この思い出はもっと大切です。シュティアと一緒に見つけたのですから」

 

 レデアは満面の笑みで、シュティアを見上げた。

 

 その笑顔を見た瞬間、シュティアはこの日最高の報酬を得た。

 彼女はそっと、レデアの柔らかな髪をなでた。

 

「……そうだね。二人だけの宝物。それは、どんな宝石よりも価値があるね」

 

 カトリーヌのような派手な黄金はない。

 ポムのような柔らかい温もりとも違う。

 けれど、この暗い宇宙の片隅で、自分たちだけが見つけた光。

 

「こういう日も、良いかもしれませんね」

 

 レデアがシュティアの手に自分の手を重ね、心地よさそうに目を細める。

 シュティアは、その小さな温もりを噛み締めながら、心の中で誓った。

 この虹色の輝きが色褪せないように、そしてこの笑顔が誰にも奪われないように。

 

「……うん。最高の一日だよ、お姉ちゃん」

 

 シルバーアンカーは、虹色の残光を胸に抱き、スバル・ステーションへと帰還の途についた。

 リビングには、しばらくの間、着せ替え案のプレゼンではなく、その石をどこに飾るかという平和な議論が響き渡ることになるだろう。

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