砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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43話:白昼の境界線、あるいは閉ざされた符号

 

◆◆◇◇◆◆

1. 燐光の回廊、あるいは不自由な指先

 

 そこは、果てしなく続く暗い通路だった。

 金属の床は冷たく、空気は無機質に張り詰めている。レデア・メイスは、自分がなぜここに立っているのかを思い出せなかった。覚えているような、いないような――魂の最も深い場所にこびりついた、ひどく曖昧で、それでいて強烈な既視感だけが胸を支配している。

 

 ヒタ、ヒタ、と、自分の足音だけが静かに響く。

 どれほど歩いたろうか。不意に、昏い世界の視界の先へ、一筋の光が差し込んだ。

 

 それは、人ひとりを取り囲み、すっぽりと覆い隠してしまうほどに濃厚で、強烈な光の塊だった。

 粒子のように揺らめく、真っ白な光。

 レデアはその光を知っていた。いつだったか、あの息もできないほど高密度な小惑星帯の戦場で、自分をデブリの直撃から救い、塵すら残さずすべてを蒸発させた、あの不可解な光と同じ色だ。

 

(……ああ、やはり、私はこれを知っている……)

 

 吸い寄せられるように、レデアは光の中へと足を踏み出した。その指先が、白い輝きの境界線に触れようとした、まさにその時。

 

 ――ぐい、と。

 強い力で、誰かが後ろから彼女の手を引いた。

 

「っ……!」

 

 短い呼気と共に、レデアは目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れたシルバーアンカーの自室の天井だった。冷や汗で肌に張り付いた自身の銀髪。その隙間に、これまた見慣れた、しかし今はひどく乱れた金髪が絡まっている。

 

 視線を落とせば、ベッドの横に、床に膝をついた姿勢で上半身をシーツに預けている妹――シュティアの姿があった。彼女は固く目を閉じ、規則正しい寝息を立てて眠っている。その両手は、レデアの右腕を壊れ物でも扱うかのように、がっしりと掴んで離さなかった。

 

(……また、電子ロックを解除して入ってきていますね)

 

 いつもの朝。いつもの、うんざりするほど独占欲の強い妹の不法侵入。

 夢の残滓であるはずの、手首を引かれた感覚が、なぜかシュティアに掴まれている右手の熱と完全に一致しているような気がして、レデアは小さく息を吐いた。

 

「シュティア。離しなさい、朝ですよ」

 

 掴まれた手を引き抜こうとするが、シュティアの指先は驚くほどの力でレデアの腕をホールドしており、びくともしない。無意識の拒絶、あるいは執着。

 仕方なく、レデアは空いている左手で、妹の柔らかい頬を容赦なくつねることにした。

 

「……う、ん……お姉ちゃん……だめだよ、そっちは……」

「何がだめなのですか。早く起きなさい、不法侵入者」

「わひゃっ!? ――はっ! お、お姉ちゃん! おはよう!」

 

 目を覚ましたシュティアは、つねられた頬を押さえながらも、即座に大好きな姉の姿を網膜に焼き付けるように満面の笑みを浮かべた。

 

◆◆◇◇◆◆

2. 朝のルーティン、あるいは予期せぬ空白

 

 居住区のリビングへと移動した二人は、いつものように朝の時間を過ごしていた。

 レデアが中央モニターの前に座り、ギルドのデータベースから本日の依頼一覧を確認する傍らで、シュティアはにこにこと嬉しそうに、レデアの乱れた銀髪にブラシを当てて整えている。

 

「ふふ、今日もお姉ちゃんの髪はサラサラだね。宇宙で一番綺麗だよ」

「お世辞はいいですから。……うーん、困りましたね。今日は実入りの良い仕事が、あまりなさそうです……。ステーション外殻の定期点検か、下層区のゴミ回収くらいしか残っていません」

 

 レデアがタブレットの画面をスクロールさせながら、小さく眉をひそめた。平穏な一日はありがたいが、何でも屋としての収入という面では少々物足りない。

 

 その時、静かなリビングに、聞き慣れない電子音が鳴り響いた。

 ピピッ、ピピッ、と、低く無機質なアラート。それはレデアのものではなく、シュティアの腰のホルダーに収められた個人用端末から発せられたものだった。

 

「おや。シュティア、あなたに連絡が来るなんて珍しいですね」

 レデアは髪を梳かす手を止めさせ、からかうような視線を妹に向けた。

「サティさんからですか? それとも……ついにカノアさんを私の知らない間に『妹』として登録したのですか?」

 

「してないよぉ! 私の妹(魂の)はお姉ちゃんだけだって昨日も一昨日もその前も言ったでしょ! もー、サティさんでもカノアちゃんでもないよ!」

 

 シュティアは慌てて口を回しながら、腰の端末を引っ掴んだ。

 彼女の交友関係は、その美貌の割にひどく狭い。基本的にはレデアの傍に立ち、彼女のサポートを行う為、外部から直接シュティア個人に連絡が来ることなど、一年のうち数えるほどしかなかった。

 

 だが、端末の画面を表示した瞬間。

 シュティアの指先が、凍りついた。

 

 送り主:【不明(Unknown)】

 本文:【仕事だ、メイル・ノア】

 

 それだけの、極端に短いテキスト。

 瞳が見開かれ、呼吸が一瞬、止まる。彼女は黙ったまま、石像のように立ち尽くしてしまった。

 

◆◆◇◇◆◆

3. 違和感の亀裂、あるいは打ち捨てられた街へ

 

「……シュティア?」

 

 背後の妹から、髪を梳かす気配も、いつもの騒々しいお喋りも完全に消えたことに気づき、レデアは椅子を回転させて振り返った。

 

「どうしました、シュティア? 深刻な顔をして」

 

 レデアの言葉に、シュティアの肩がぴくりと動いた。そして、次の瞬間には、いつもの「お姉ちゃん大好き」な笑顔になっていた。

 

「な、なんでもないよお姉ちゃん! ほら、よくあるじゃん、スパム広告! 『今なら小型船の燃料が半額!』みたいな、ただの怪しい広告の通知だったよー。あはは!」

 

 シュティアは端末を乱暴にポケットに押し込むと、何事もなかったかのようにレデアの髪にブラシを戻した。

 だが、その手つきは、わずかに力が入り、ブラシの先端がレデアの頭皮を硬く叩く。

 

(……シュティア)

 レデアの目が、すっと細められた。

 

 それから、少しの沈黙が流れた後。シュティアはブラシをテーブルに置くと、不意に切り出した。

 

「あのね、お姉ちゃん。私、今日ちょっと……個人的なお買い物があるから、今から外に行ってきてもいいかな?」

 

 いつも自身と行動を共にするシュティアが一人で……?以前一人でドックに残った事もあったが、こんなことは滅多にない。

 仕事のない休日に、シュティアがレデアを置いて一人で出かけるなど……。

 

「買い物、ですか? ……それなら、私も同行しましょう。実入りの良い仕事がない以上、時間はあります」

「ううん! 大丈夫、本当に大した買い物じゃないから! 私一人で行けるからさ。お姉ちゃんは、ここで良い子にして待ってて」

 

 シュティアはレデアの肩を優しく押し、椅子に座らせ直した。レデアの同行を許さない、こんなことは今まで一度もなかった。

 レデアは、シュティアの言葉に従うことにした。

 

「……私はあなたの子供ではありませんよ。一人で留守番くらいできます」

「うん、ありがと。すぐ戻るからね」

 

 シュティアはもう一度だけ笑顔を見せると、背を向けて足早にドックのハッチへと向かい、そのまま出ていってしまった。

 

 残されたレデアは、静まり返ったリビングで、自身の右手をじっと見つめた。

 夢の中で引かれた手の感覚。シュティアの違和感。

 何かが起きる気がした。

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