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1. 永劫の平穏、あるいは契約の裏面
地鳴りを立てて響く爆発音。小惑星の内部を削り取るような激しい揺れが、拠点を容赦なく襲う。
天井の各所から容赦なく金属片や岩塊が降り注ぎ、暗暗としたドックの非常警報が狂ったように鳴り響き始めた。しかし――メイル・ノアの目が細められる。
これほどの激震が走っているというのに、隻眼の男、テンパランスと、老女エッセル・ボウラーが立つプラットフォームの周囲だけは、不自然なほどに安定していた。天井からの落盤をあらかじめ予測していたかのように、防壁のエネルギーフィールドが彼らの頭上を完璧に保護している。
「……なるほど。外部からの襲撃ではない、というわけですか」
メイルの声が、爆音の隙間を縫って響いた。
テンパランスは終始無表情のまま、懐から電子端末を取り出し、この岩礁基地の自爆シークエンスが最終段階に入ったことを確認していた。彼は感情の失せた目線でメイルを見下ろし、ひび割れた声で紡ぐ。
「我々は去る者を追わない。契約を果たした君には、永劫の平穏を約束しよう」
その言葉の意味を、メイルは即座に理解した。
この組織は、一度だけ汚れ仕事を完遂すれば、足洗うことを確かに「許す」。嘘は言っていない。だが――その抜ける形が「生きて、五体満足であるかどうか」は、彼らにとってどうでもいいのだ。口封じのために拠点ごと爆破し、宇宙の塵にしてしまえば、それは最も確実で永遠の「平穏」となる。
すべては最初から仕組まれていた。
メイルのすぐ傍に、巨大な鉄骨がへし折れて轟音と共に落ちてくる。爆風が彼女の銀のウェーブヘアーを激しく揺らした。
テンパランスの傍らで、豪奢な毛皮に身を包んだ老女エッセルは、満足そうに下卑た笑みを浮かべていた。怯える少女の肩をその細い指で強く抱きかかえ、まるで手に入れた極上の玩具を愛でるかのように。
もし、この組織の、そしてビザルデの目的が、一度目の失敗に対する「当てつけ」や「復讐」なのだとしたら、ここに引き渡された少女の運命がどうなるかなど、想像するまでもなかった。
――その時だった。
これまで鉄の人形のように一切の感情を排していたメイル・ノアが、初めて、その表情を劇的に変化させた。
「ふふふ……」
鈴が転がるような、朗らかな笑い声。
メイルは、驚くエッセルに向かって、まっすぐに微笑みかけた。それはかつて数多の修羅場を潜り抜けてきた暗殺者のものでは断じてない。日溜まりの中で、世界で一番大好きな姉に向けるような――「シュティア・メイス」としての、無邪気で、完璧な愛嬌に満ちた笑顔だった。
「完璧な仕事が、出来ました」
冷徹なメイルの貌(かお)をしたまま、紡がれた言葉のイントネーションは完全にシュティアのものだった。
テンパランスの眉が、一瞬だけ不審そうに跳ね上がる。エッセルはその場違いな笑顔に不快感を露わにし、歪んだ唇を開いた。
「何を頭の狂った笑い方をしているの、この犬が。負け惜しみなら――」
老女の嘲笑は、最後まで続かなかった。
直後、彼女が「最高級の品」として誇らしげに抱え込んでいたルミエ・アルニラムの輪郭が、陽炎のように不自然に歪み始めた。
ピシ、とガラスが割れるような電子音が響く。
エッセルの腕の中にいたはずの可憐な令嬢の姿が、一瞬にして色彩を失い、原型を留めずにどろどろとした半透明のジェル状へと崩れ落ちていく。それは床にへばりつきながら、チカチカと虚しいホログラムのノイズを放つだけの無機質な物体へと変わり果てた。
「なっ……!? これは……!?」
「特注品です。ご堪能いただけましたか、マダム」
『高密度ホログラフィック・ダミージェル』……大企業の光学迷彩や、戦場でのデコイに用いられる特殊な装置。当然値は張る、レデアが頭を抱える以上のもの。
シュティアの口調で言い放つと同時に、メイルは地を蹴っていた。
「おのれ、メイル・ノア……!」
テンパランスの顔に初めて激しい怒りが走り、懐から取り出した高出力のビームピストルを迷わず連射した。
シュティアは背後を振り返ることなく、崩落する天井の隙間を縫うようにジグザグの軌道でドックへと激走する。すんでのところで彼女のいた床を掠めた熱線が、金属の地面をドロドロに融解させていった。何度も響く発砲音と、背後で激化していく爆破の衝撃。だが、今の彼女には、それを気にする余裕など一分も残されていなかった。
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2. 死線の下流、あるいは亡霊の再会
「はぁ、はぁ、っ……!」
押し寄せる熱風を背に浴びながら、シュティアはひたすらドックへと続く薄暗い通路を走っていた。
天井からは数トンはあろうかという岩盤が容赦なく落下し、足元は爆発の余波で不規則に傾斜している。飛んでくる瓦礫を、電磁シールドを瞬間展開して弾き、時には文字通り床を転がりながら、押しつぶされそうになる死線を紙一重で駆け抜ける。
(……この先は敵の本拠地、残された機体なんて、ないかもしれない……実入りのない賭けだけど、廃棄された小型艇の一つでも残っていれば……!)
拠点ごとドックを押しつぶさんとする勢いの連続爆破が、すぐそこまで迫っている。ハッチが無事である保証も、その先に宇宙へ脱出する手段が残されている保証もなかった。
最悪の結末が脳裏を過ぎる中、シュティアはドック手前の最終隔壁の電子ロックを手動レバーで強引に引き剥がし、扉を力任せに押し開けた。
「――え?」
扉の向こうに広がっていた光景に、シュティアは息を呑んだ。
もぬけの殻、あるいは火の海になっていると思われたカタパルトの中央に、堂々とその漆黒の船体を鎮座させている機体があった。
月光の亡霊――『ルナ・ガイスト』。
オートパイロットでスバル・ステーションへ向かうよう設定していたはずの、彼女自身の愛機が、なぜかそこにいた。
「どうして……!? 」
シュティアは叫びながら、ルナ・ガイストの開かれたランプドアへと飛び乗った。
激しい揺れの中でコックピットへと駆け込むと、そこには操縦席に深く腰掛け、小刻みに震えながらも、コンソールを必死に叩いている金髪の少女の姿があった。
「……ルミエさん! どうして出航しなかったの!?」
シュティアの驚愕の声に、ルミエ・アルニラムは涙目のまま、しかし毅然とした気品ある微笑みを浮かべて振り返った。
メインモニターには、既に最大出力までチャージされ、激しく火花を散らすスラスターのエネルギーカーブが映し出されている。
「お待たせいたしました、シュティアさん。……さあ、脱出なさいましょう!」
ルミエがメインスロットルを力強く押し下げると同時に、ルナ・ガイストはチャージされたすべてのエネルギーを爆発的に解放し、崩壊する小惑星のドックを切り裂いて、無限の宇宙へと飛び出した。
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3. 月影の相談、あるいは令嬢の矜持
時計の針は、少しだけ巻き戻る。
この不気味な岩礁基地にたどり着く前、ルナ・ガイストの狭い貨物コンテナの中での出来事である。
内部には、アイロンホースから回収されたルミエの護衛たちやパイロットが押し込められていた。彼らが船内で暴れては操縦に支障が出るため、メイルの手によって念入りな電子拘束が施されていたが、その命を奪うようなことは一切していなかった。
そして、ただ一人――アルニラム重工の令嬢であるルミエだけは、拘束すらされず、助手席のシートに座らされていた。
ルミエは小さな肩を震わせ、おびえた表情で冷徹な銀色の瞳の暗殺者を見つめていた。
「……目的は、わたくしですね。でしたら、後ろの皆様は無事に返してあげてください……。彼らはただ、わたくしを守ろうとしただけなのですから」
その言葉を聞いた瞬間、メイルは無言のまま、自身の耳の後ろにあるスイッチをそっと押した。
ジジ、と微かな電子音が響き、彼女の顔や髪を覆っていた『光屈折型・生体偽装スキン』のナノジェルがサラサラと解けていく。銀のウェーブヘアーはいつもの鮮やかな金髪のロングポニーテールへと戻り、冷酷だった瞳には、見覚えのある優しい光が灯った。
「えっ……? あなたは、先日の……!」
ルミエは驚愕に目を見開いた。自分をあの誘拐犯から救い出してくれた、何でも屋のメイス姉妹の妹、シュティア・メイスその人だったからだ。
シュティアに戻った彼女は、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げ、ルミエの前に屈んだ。
「びっくりさせてごめんなさい、ルミエさん。……でも、少しだけ、私の相談を聞いてくれませんか?」
シュティアが語ったのは、あまりにも突飛で、しかし切実な作戦だった。
自分にはどうしても果たさなければならない古い『契約』があること。それを果たさなければ、自分だけでなく、大好きな姉の命まで脅かされること。そして、このままルミエを組織に引き渡せば、彼女の安全は決して保証されないということ。
「この船(ルナ・ガイスト)をスバル・ステーションに自動航行で送り返します。私はこのダミージェルをあなたに擬態させ、あなたとして連れていきます」
シュティアの隣で不定形な物質が徐々に姿を変える、それはルミエ本人と全く区別がつかない形状になっていた。
なんと、体温に至るまで再現された精巧さである。
シュティアの言わんとすることをルミエは瞬時に理解した。
「……事情は分かりませんが、絶対にだれの犠牲も出したくない、そう思うシュティアさんの気持ちは伝わりました」
ルミエは、恐怖を押し殺してまっすぐにシュティアの目を見た。
「これが、わたくしに出来る精いっぱいの恩返しです。これでもアルニラムの娘ですのよ? 船の操縦や機械の扱いも、お父様の英才教育で普段から嗜んでおりますわ」
「ふふ、頼もしいです。……もし私が時間内に戻れなかったら、すぐにこの船を出してください。オートパイロットでスバル・ステーションへ向かうように、設定は既に入っていますから。……いいですね?」
それが、二人が交わした固い約束だった。
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4. 偽りの調和、あるいは迫り来る危機
「――という約束だったはずなのに、どうしてドックで待っていたんですか!」
「私は、シュティアさんが帰ってくると思っていました」
回想から引き戻されたコックピット。生体偽装を完全に解除し、いつもの金髪のシュティアに戻った彼女は、呆れ半分、感謝半分で操縦を引き継いだ。
ルナ・ガイストは小惑星帯の破片を紙一重で回避しながら、急速にオープン宇宙へと脱出していく。背後では、テンパランスたちの潜伏していた岩礁基地が、内部からの大爆発によって完全に崩壊し、美しい光の塵へと還っていくのが見えた。
「ひとまず、これで組織との因縁は完全に切れた……はずです。ルミエさん、本当にありがとうございました。あなたの機転のおかげで、私はこうして生きてお姉ちゃんのところに――」
ピピッ、ピピッ、ピピピピピピピ!!!
突如として、コックピットの全モニターが真っ赤な警告色(アラート)に染まった。
耳を劈くような高音の警報音が鳴り響き、レーダーの画面に、後方から異常なまでの速度で接近する「三つの熱源反応」が激しく明滅する。
「な、何事ですの!? 基地は爆発したはずでは……!?」
「っ……! テンパランスの追撃……!? いいえ、この熱源、さっきの組織の船じゃない!」
シュティアは険しい表情で操縦桿を握り直し、背後の外部カメラの映像をメインスクリーンに投影した。
崩壊する小惑星の煙を突き抜け、猛烈な加速で迫り来る機影。それは、組織の戦闘艇ではなかった。隣接する連合国家『ビザルデ』の最新鋭軍用迎撃機『ヴァルハイト』――エッセル・ボウラーが私的に引き連れてきていた、兵器管理局の直属部隊である。
「どこまでも執念深い……! ルミエさん、しっかり捕まっていてください、迎え撃ちます!」
漆黒の宇宙空間を舞台に、シュティアとルミエを乗せたルナ・ガイストは、迫り来る国家規模の脅威を前に、再び最大戦速の機動へと突入していった。