砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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49話:星海の絆、あるいは新たな世界の洗礼

◆◆◇◇◆◆

1. 涙の帰港、あるいは傷痕の輪郭

 

 激動の岩礁宙域を脱出し、幾重もの警戒線を潜り抜けた何でも屋たちの船団は、ようやく見慣れたスバル・ステーションへと寄港した。

 専用ドックには、すでにルミエ・アルニラムからの緊急連絡を受けた『アルニラム重工』の私兵たちが、黒い最新鋭の装甲服に身を包んで整然と待ち構えていた。ルナ・ガイストのコンテナに押し込められていたガードマンやパイロットたちは、シュティアによって事前に拘束を解かれており、すでに自由の身となってタラップを降りていく。

 

 ルナ・ガイストのハッチが開いたその瞬間。

 

「シュティア……っ!!」

 

 シルバーアンカー号から飛び出してきたレデアが、なりふり構わずにシュティアの身体へと激しく抱きついた。普段の冷静な彼女からは想像もつかないほどに必死な、強い力だった。

 

「お、お姉ちゃん……!? わひゃっ、ちょっと苦しいよぉ……!」

「動かないで、この大馬鹿者……! どこへ行って、何をしていたのですか……!」

 

 しかし、感動の再会に浸る時間は、ドックに響いた無機質な金属音によって遮られた。

 アルニラム重工の私兵たちが一斉に銃口を向け、シュティアの身体を取り囲んだのだ。彼らにしてみれば、一度令嬢を誘拐した「犯人」の機体であり、警戒するのは当然だった。

 

「そこまでです! 銃を収めなさい!」

 

 鋭い声で私兵たちを制したのは、後ろから降りてきたルミエだった。彼女はまだ幼さの残る顔を怒らせ、私兵たちの前に立ちはだかる。

「シュティアさんはわたくしの命の恩人です! 彼女がいなければ、わたくしは今頃どうなっていたか分かりません! 無礼を働くことは決して許しませんわ!」

 

 令嬢の絶対的な言葉に、私兵たちは即座に銃口を下げ、一歩退がった。

 解放されたシュティアはへらへらと笑ってみせたが、その身体を再び抱きすくめようとしたレデアの手が、ピきりと止まる。

 

「……シュティア。その、おでこの血は……」

「あはは、ちょっと操縦を頑張りすぎてぶつけちゃっただけだよ」

「嘘をつきなさい! それに……その腕は、何ですか!」

 

 レデアの銀色の瞳が、ホロリと涙を溢れさせた。

 シュティアのジャケットの右袖が大きく裂け、その下の肌に、生々しい肉を抉ったような痛々しい焦げ跡が走っていた。それは「メイル・ノア」としてあの小惑星基地から脱出する際、背後から放たれたテンパランスの銃撃が掠めていった傷。

 

「大したことないよ、お姉ちゃん。ちゃんと避けたから掠っただけだし、これくらいすぐ治るから」

「あなたは、本当にもう……!!」

 

 レデアは溢れる涙を拭おうともせず、シュティアの胸へともう一度、今度は壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという意志を込めて強く抱きしめた。

 

「あなたがいないと……動けないのは、退屈だって……あれほど、言ったでしょう……! 私を、一人にしないでください……!」

「お姉ちゃん……うん、ごめんなさい。もうどこにも行かないよ」

 

 シュティアは、姉の細い背中に手を回し、優しく抱きしめ返した。その金髪の温もりが、過去の闇を完全に溶かしていくようだった。

 

「――ううう、なんという美しい姉妹愛かしら……! 涙で前が見えませんわーっ!」

 

 その傍らで、自分の扇子をハンカチ代わりにしながら、カトリーヌがこれ以上ないほどの大声で号泣していた。

 アクア・イグニッション号のハッチに腰掛けたカノアとアスフィは、そんな騒々しい面々を見つめながら、静かに微笑み合っていた。

 

◆◆◇◇◆◆

2. 陰謀の残骸、あるいは一貫する牙

 

 場面は変わり、アルニラム重工がスバル・ステーション内に構える高層オフィスの一角。

 窓の外にはステーションのきらびやかな夜景が広がる中、応急処置を終えて額に包帯を巻き、右腕を吊ったシュティアを中心に、レデア、カトリーヌ、カノア、アスフィ、そしてルミエがソファを囲んでいた。

 そして部屋の主である、アルニラム重工の最高責任者――ラインハルト・アルニラム社長が、重厚なデスクの後ろで厳しい表情を崩した。

 

「……信じがたい話だが、データはすべて事実を物語っている」

 

 ラインハルト社長は、ホログラムのモニターに映し出された宇宙空間の残骸を指し示した。

「ルミエ、お前たちが乗っていた移動船『アイロンホース』だが……お前たちが離脱した、わずか十数分後に、何者かの奇襲を受けて完全に撃破された。現在調査中だが……放たれた光学兵器の残光パターンから見て、十中八九、連合国家『ビザルデ』の船だろう」

 

 その言葉に、室内の空気が凍りついた。

 

「つまり……結果的に、シュティア嬢がルミエたちをあの船から『連れ去った』ことが、全員の命を救うことになったわけだ。もしあのまま航行を続けていれば、今頃は誰一人として宇宙の塵も残っていなかっただろう」

「そんな……お父様、では……」

 ルミエが青ざめる。ビザルデの目的は、最初から「交渉の決裂」に伴う、アルニラム重工への凄惨な報復と口封じだったのだ。

 

「しかし、怪我の功名というやつだな」

 ラインハルト社長は、今度は別のモニターを表示した。そこには、船体の半分以上がドロドロに融解し、辛うじて原型を留めているヴァルハイトの残骸が映し出されていた。

「今回、ビザルデが差し向けた三機のうち、二機は証拠隠滅のために自爆した。だが……この一機だけは、自爆機構そのものが消滅し、こうして物的証拠として回収できた。」

 

残った一機はシルバーアンカー号が『対消滅エネルギーフィールド』を纏って正面から体当たりをかました結果、自爆を司る中央回路ごと一瞬で融解したらしい。

 

 その功労者であるレデアは「当然です」とばかりにふんと胸を張ったが、シュティアは吊った腕を摩りながら、密かに思考の海へと沈んでいた。

 

(……私を遣わしたかつての組織――『タナトス・ネット』。今回の件で、ビザルデとの裏の繋がりが完全に明るみに出た。アルニラム重工の網に掛かった以上、連中もこの星系でこれ以上、大手を振って活動することはできなくなる)

 

 しかし、シュティアの予測は更に深く沈む。

(組織のやり方は一貫している。ビザルデとの関係が切れたところで、連中はすぐに次のクライアントの元へ向かう。……これまでの傾向からして、抜けたものを追わない。だから私に彼らが再び直接接触してくる可能性は極めて低い。けれど……備えは、絶対に必要だ)

 

 シュティアが僅かに険しい表情を浮かべたのを、ラインハルト社長は見逃さなかった。彼は深く椅子に腰掛け、力強く頷いた。

 

「安心するがいい。我がアルニラム重工の全力を以て、スバル・ステーション全体の防衛、および我が国への境界警戒を強めるよう、管理局へ呼びかけよう。……改めて感謝する、メイス姉妹。それにカトリーヌ嬢、リュード姉妹。君たちのような優秀な何でも屋がこのステーションにいてくれて、本当に良かった」

 

 社長は悪戯っぽく笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「どうだ? これからも我が社を贔屓にしてもらいたい。なんなら、我が社の『専属』として高額な月給で雇い入れてもいいぞ?」

 

「あら! アルニラム重工の専属だなんて、ただでさえ銀河一のわたくしの高貴なる格がさらに上がってしまいますわね!」

「……ん。報酬が良いなら、悪くない」

「うふふ、私たちの機体(アクア・イグニッション)の整備費も出していただけるかしら?」

 

 カトリーヌ、カノア、アスフィがそれぞれに喜びの反応を示す中、レデアだけは「我が家は自由な何でも屋ですから」と少し誇らしげに笑っていた。

 

◆◆◇◇◆◆

3. 騎士の洗礼、あるいは凍りついたリビング

 

 ひと通りの説明が終わり、緊張の糸が解けたオフィスの片隅。

 ルミエが、ソファから立ち上がり、静かにシュティアの前へと歩み寄った。彼女の小さな手には、怪我をしたシュティアを労わるような、優しい温もりが宿っている。

 

「本当に、ありがとうございました、シュティアさん。あなたのおかげで、わたくしたちは救われました」

 

 まっすぐに見つめてくるルミエの純粋な瞳に、シュティアは少しだけバツの悪そうな表情を浮かべ、頭を掻いた。

「いえ……私は、自分の都合のために、ルミエさんたちを危険に巻き込んでしまったんです。それは変わりませんから、お礼を言われる筋合いなんて……」

 

 シュティアが言い淀んだ、その瞬間だった。

 

「――いいえ」

 

 ルミエは小さく微笑むと、トトト、と足音を立てて距離を詰め、その華奢な身体で少しだけ背伸びをした。

 そして。

 

 微かなリップ音と共に、シュティアの包帯が巻かれたすぐ下の、柔らかい頬へと彼女の唇をそっと寄せたのだ。

 

「ふぇ……っ!?」

 

 シュティアの思考が、完全に停止した。

 直後、オフィスの中に、かつてないほどの凄まじい「静寂」と「激震」が同時に走り抜ける。

 

「…………え?」

 

 最も近くにいたレデアの表情が、まるで見せられないものを見てしまったかのように、完璧に凝固した。その肩が震え、な、な、な、な……と声を出している。

 ソファーでジュースを飲んでいたカノアは、口を開けたままあんぐりと固まり、手元からコップを落としそうになっていた。

 

「な、な、な、なんですってーーーーーわよーーーーーっ!?!?」

 驚愕のあまり、カトリーヌが裏返った声で叫び声を上げ、扇子を落とす。

 

「あらあら……うふふ、お熱いですわね」

 アスフィだけが、頬に手を当てて穏やかに、しかし楽しそうに目を細めていた。

 

 当のルミエは、顔を真っ赤に染めながらも、アルニラムの令嬢としての最高の気品を保ったまま、悪戯っぽく微笑んでシュティアを見上げた。

 

「わたくしの『騎士』になっていただいてもいいのですよ? ――シュティア・メイス」

 

 それは、過去の亡霊(メイル・ノア)を完全に過去へと葬り去る、新世界からの、最高に騒々しい洗礼だった。

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