砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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姉妹と愉快な仲間たち
51話:紺碧の騎士、あるいは姉の完全なるプライベート 前編


 ◆◆◇◇◆◆

 1. 鏡の中の騎士

 

 シルバーアンカーのリビングにて、いつになく重苦しい空気が漂っていた。

 

「お姉ちゃん……もうそろそろ、解放してくれないかな……?」

 

 気まずそうな、そしてどこか居心地の悪そうな顔をして、シュティア・メイスは全身鏡(姿見)の前で身をよじった。

 

「いえ、まだです。じっとしていてください。ここのドレープの崩れを整えますから」

 

 背後から響くのは、姉であるレデアの淡々とした、しかし有無を言わせぬ冷徹な声である。

 いつもであれば、シュティアがレデアを「着せ替え人形」にして、フリルのついたドレスや可愛らしい服を嬉々としてあてがっているはずの光景。しかし今日に限っては、その立場が完全に逆転していた。

 自身の衣服には「機能性」と「お姉ちゃんが好きかどうか」しか求めていない、無頓着極まりない妹は、ひたすら困惑していた。

 

 シュティアが身にまとっているのは、いつもの機能的なパイロットスーツや、飾り気のないグレーのシャツではない。濃紺を基調とした、極めて上質な生地で仕立てられた細身のスーツ。そして首元には、銀糸の刺繍が施されたクラヴィットが品良く結ばれている。女性らしいしなやかなボディラインを残しつつも、どこか中性的な「騎士」を思わせる、洗練された大人の装いであった。

 

「よし、服はこれで完璧ですね。次は髪です」

 

 レデアはそう言うと、どこからか取り出した銀細工の美しい髪飾りを手に取った。

 

「えっ、髪はこのままで……」

「黙っていなさい。今日のあなたは、アルニラム重工の令嬢のエスコート役なのです。いつものように無造作に結んだだけのポニーテールなど言語道断です」

 

 レデアの華奢な指先が、シュティアの黄金色の髪を鮮やかに編み込んでいく。高い位置でのポニーテールではなく、低い位置で複雑にまとめ上げ、先ほどの髪飾りでしっかりと固定する。妹の鋭くも美しい美貌と、長身から醸し出される洗練されたオーラが、レデアの手によって最大限に引き出されていく。

 鏡の中に立つのは、間違いなく銀河の社交界に出しても恥ずかしくない、完璧な「護衛騎士」の姿だった。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 2. 超特級の通信と絶対零度の笑顔

 

 事の発端は、数日前にさかのぼる。

 

 その日、シルバーアンカーのリビングは平和そのものだった。シュティアはソファに深く腰掛け、自身の膝の上にすっぽりと収まる愛しの姉を抱きしめながら、にこにことだらしない笑顔を浮かべてその銀髪を撫でていた。レデアもまた、「やれやれ」といった様子でされるがままになっていた。

 至福の時間。宇宙で最も尊いひととき。シュティアの幸福度メーターが限界突破しそうになっていたその時――不意に、コックピットの通信コンソールがけたたましい電子音を鳴らした。

 

『暗号化回線からの着信です』

 

 公共のギルド回線ではない。完全な暗号回線。辺境のスバル・ステーションに停泊するしがない何でも屋の船に、そんな仰々しい回線で通信を送ってくる相手など、宇宙広しといえども限られている。

 

「もう……誰なの、せっかくのお姉ちゃんとの充電タイムなのに」

 

 シュティアが不満げに(しかしレデアを膝から降ろすことはなく)通信を繋ぐと、メインモニターにパッと映像が映し出された。

 そこにいたのは、アルニラム重工の令嬢――ルミエ・アルニラムであった。

 

「ごきげんよう、メイス姉妹のお二人。……あっ」

 

 挨拶もそこそこに、ルミエの言葉がピタリと止まる。彼女の視線は、シュティアの長い足の上にちょこんと座り、シュティアの腕の中にすっぽりと収まっているレデアの姿に釘付けになっていた。

 

「こんばんは、ルミエさん」

 

 レデアが膝の上から淡々と尋ねる。ルミエは今や大企業の令嬢という立場を超え、彼女たちの良き友人、そして大口のスポンサーとして、度々こうして「個人的な」通信を寄こしてくるようになっていた。

 しかし、今日のルミエの様子は少しおかしかった。彼女の頬はみるみるうちに林檎のように真っ赤に染まり、その瞳には明確な「羨望」の光が宿っていた。

 

「あ、あの……。レデアさん……その場所、とても、居心地が良さそうですね……」

「ええ、まあ。我が家の大型犬はクッション性が高いので。少し暑苦しいのが難点ですが」

「う、羨ましいです……!」

 

 ルミエは両手を胸の前でギュッと握り締め、熱っぽい視線をモニター越しのシュティアへと向けた。

 

「わ、私も……シュティアさんの膝に、乗ってみたいです……っ!」

「ぶっ!?」

 

 シュティアは危うく自身の舌を噛みそうになった。

 

「な、なにを言ってるんですかルミエさん!?」

 

 慌てふためくシュティア。しかし、彼女の必死の弁明を遮るように、膝の上のレデアが「ふふっ」と優雅な笑い声をこぼした。

 

「あら。いいですね、ルミエさん」

「えっ?」

「お姉ちゃん!?」

 

 レデアは笑顔でルミエに頷いてみせた。

 

「シュティアも、たまにはそうして年下の子を甘やかしてあげるべきです。ねえ」

 

 ギギギ……と錆びた機械のような音を立てて、シュティアが姉の顔を見下ろす。

 レデアの唇は優しく微笑んでいる。しかし、その心の内が全く分からない。

 (目が! お姉ちゃんの目怖いよぉ!)

 

「ち、ちが……私はお姉ちゃん一筋で、ルミエさんのことは大切なクライアントとしか――!」

「ところでルミエさん。今日はどのようなご用件で?」

 

 シュティアの悲鳴じみた弁解を華麗にスルーし、レデアが本題を促す。ルミエはコホンと一つ咳払いをして、居住まいを正した。

 

「ええと……実は、シュティアさんに折り入ってご相談がありまして。えー……その……、一度、二人きりで……その、お仕事の『打ち合わせ』をさせていただきたいのです」

 

 お仕事の打ち合わせ。言葉だけを聞けばごく真っ当な響きである。

 しかし、その時のルミエの声音の甘さ、上目遣いの潤んだ瞳、そして不自然に強調された「二人きりで」というフレーズ。

 それは宇宙の果てのブラックホールよりも明白な――完全なる『デートの誘い』であった。

 

 通信が切れた後、コックピットには重い沈黙が降りていた。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

 

 妹は、心底不思議そうな顔をして首を傾げた。

 

「お仕事の打ち合わせなのに、なんで私一人をご指名だったんだろう? いつもなら『メイス姉妹へ』って依頼が来るはずなのに。大企業の案件だし、お姉ちゃんが一緒に来てくれた方が絶対に交渉もスムーズに進むと思うんだけど……お姉ちゃんも一緒に行こうよ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、レデアは「はぁぁぁぁ……」と、本日何度目かわからない深いため息をついた。

 相手の明確な好意に一ミリも気づいていない、この無自覚な天然タラシ妹。ルミエがどれほどの勇気を振り絞ってあの「打ち合わせ」をセッティングしたのか、想像もついていないらしい。

 

「シュティア。あなたは本当に……どうしようもないポンコツですね」

「えっ!? なんで怒られてるの私!?」

「いいから、指定された日時は空けておきなさい。当日、あなたをエスコートするに恥ずかしくない姿に仕上げて差し上げますから」

 

 ◆◆◇◇◆◆

 3. 塩対応の強制連行

 

 そして現在に至る。

 

「はい、完成です。回って見せてごらんなさい」

 

 レデアの指示に従い、シュティアが恐る恐るその場で一回転する。

 深い紺色のスーツが彼女の長身に映え、整えられた髪は気品に満ちている。腰には帯剣こそないものの、まさに令嬢を守るにふさわしい、凛々しくも麗しい騎士の姿がそこにあった。

 

「完璧です。アルニラム重工の令嬢の隣を歩くのですから、これくらいでなければ困ります」

「お姉ちゃん……本当に、一緒に行ってくれないの……?」

 

 鏡の中の「完璧な騎士」は、中身のポンコツさを隠しきれず、今にも泣き出しそうな顔でレデアを振り返った。

 

「私、お姉ちゃんを置いて一人で外に出るなんて無理だよ……。もし私がいない間にお姉ちゃんが転んで怪我したらどうするの!? 変な虫が寄ってきたら!? レーザーの暴発事故が起きたら!? あ、そうだ、今のうちに超小型の護衛ドローンをお姉ちゃんの服の裏に三機ほど仕込ませて――」

「却下です」

 

 レデアは冷たく言い放つと、シュティアの背中を物理的にグイグイと押し始めた。140センチの姉に押され、24歳の元プロフェッショナルは情けなくズルズルと後退していく。

 

「ええい、見苦しいですよ! さっさと行って、ルミエさんをエスコートしてきなさい。これは姉からの命令です!」

「うわぁぁぁん! 嫌だぁ! お姉ちゃんから離れたくないぃぃぃ!」

 

 エアロックのハッチに必死にしがみつくシュティアの指を、レデアは容赦なく一つずつ剥がしていく。

 

「はいはい、行ってらっしゃい。せいぜいルミエさんの機嫌を損ねないように。帰りが遅くなっても構いませんからね」

「冷たい! お姉ちゃんの塩対応が北極星より冷たい! 帰る! 三十分で帰ってくるからねええええええ!!」

 

 ガコン、プシューッ!

 シュティアの悲鳴は、無情にも閉ざされたエアロックの向こう側へと消えていった。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 4. 姉の密やかな企み

 

「……ふぅ。やれやれ、ようやく静かになりましたね」

 

 レデアは服の埃を軽く手で払うと、リビングのソファに深く腰を下ろした。

 静寂に包まれたシルバーアンカーの船内。いつもなら、背後から張り付いてくる重苦しい体温と、執拗なまでの甘い匂いがあるはずの空間。それが無いというだけで、レデアの心は驚くほど軽く、晴れやかだった。

 

「ルミエさんには少し悪い気もしますが……まあ、たまにはあの重い愛の矛先を分散させてもらわないと、私の身が持ちませんからね」

 

 くすくすと悪戯っぽく笑いながら、レデアは傍らのタブレット端末を手に取った。

 今日のこの時間は、ただ妹をルミエに押し付けただけではない。シュティアという名の絶対的監視者(ストーカー)が不在となる、極めて貴重な「完全なるプライベートタイム」なのだ。

 レデアは慣れた手つきで回線を開き、ある特定の宛先へとコールを発信した。

 

 数回のコールの後、通信が繋がる。

 

『あら。レデアさん、どうしましたの?』

 カトリーヌが意外そうな顔をする。

「カトリーヌさん、今日はお仕事お休みですか?少し一緒に行きたい場所があるんです」

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