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牙の記憶と、かつての仮面
「……これは、確かに……操縦自体が、極めて難しいです……」
シルバーアンカーのコックピットに併設された高性能シミュレーター。その座席に座り、操縦桿を握り締めていたレデア・メイスは、額に薄っすらと浮かんだ汗を華奢な指先で拭いながら、驚愕を禁じ得ない様子で深くため息をついた。その手元は、未だかすかに震えている。
「あまりにもピーキーすぎます……。反応速度をミリ秒単位で同期させているせいで、スラスターの挙動が常軌を逸しています。仮想空間だからまだ耐えられましたが、実際ならこれに数Gの殺人的な加速度が肉体に掛かるのですよ? ……シュティア、あなた以外には到底、この船の真の性能を引き出せるとは思えません」
そう言ってシミュレーターから降りるレデア。
その横では、黄金色の髪を揺らした妹――シュティア・メイスが、どこか気恥ずかしそうな、それでいて少し困ったような複雑な顔をして「あはは……」と苦笑いを浮かべていた。
レデアが今、シミュレーターに設定して試していたのは、単なる訓練用プログラムではない。シュティアがかつて仮面を被り宇宙を駆けていた頃の愛機であり、現在は修復が進められている高速戦闘艦『ルナ・ガイスト』のデータだった。
現在のルナ・ガイストは、先日のビザルデ正規宇宙艦隊との死闘によって各部が激しく大破し、シルバーアンカーの隣のドックで大規模な修理の最中にある。元々は旧式の突撃艇でもある戦闘艦だったはずなのだが、シュティアの手によって莫大な費用と手間をかけての強化を受け続けた結果、その基本スペックは最新鋭の軍用艦とも真っ向から渡り合えるほどの怪物的性能へと変貌を遂げていた。
しかし、あの戦いで失われた特殊兵装や超高出力のスラスターモジュールは、それ単体だけでもシルバーアンカーを数隻まとめて買い足せるレベルの文字通り桁違いの費用がかかるものばかりだった。そのため、現在の修理工程ではやむを得ず、市場に流通している安価な汎用量産品パーツへと置き換えられており、実質的な性能は以前に比べて大きく低下している。
それにもかかわらず――その「デチューンされた状態」のシミュレーターデータですら、辺境で随一の操舵技術を誇るはずのレデアの手を以てしても高速戦闘モードでの操舵はままならなかった。
「あはは……。そんなに褒められると、なんだかむず痒いな、お姉ちゃん……」
シュティアは後頭部を掻きながら、視線を泳がせた。
かつては、大好きな姉を巻き込むまいと必死にひた隠しにしていた『ルナ・ガイスト』の存在。それを今では、レデアが全てを受け入れ、こうして同じ目線で技術的に分析してくれている。その事実が、シュティアの胸の奥を激しく満たすと同時に、どうにも言葉に表しがたい、甘酸っぱくてむず痒い感覚をもたらしていた。
しかし、レデアの瞳に宿る銀色の光は、決して落胆の色に染まってはいなかった。むしろ、超えるべき巨大な壁を目の当たりにした学究の徒のように、不敵な輝きを放っている。
「ですが、見ていてください。いずれ、私はシュティアの腕を完全に超える操舵技術を身に付けますから。ここからシルバーアンカーを強化、強化、とにかく強化です! もちろん、パイロットである私もそれ以上に強化します!」
小さな拳をギュッと握り締め、140センチの体を精精伸ばして意気込むレデア。その健気な姿に、シュティアは「そうだね! がんばろう!」と満面の笑みで同意した。
「ところで……」
レデアはふと、思い出したように人差し指を顎にあて、銀色の瞳をシュティアへと向けた。
「以前、あなたが扮していた、あの『メイル・ノア』という女性……。銀色の髪に銀色の瞳の、冷徹で美しいエージェント。あれは本当に素敵でしたね」
「――っ」
レデアの無垢な称賛の言葉に、シュティアは一瞬だけ息を詰まらせ、反応に困ったように視線を彷徨わせた。
『メイル・ノア』。それもまた、ルナ・ガイストと同じく、彼女が裏の世界で暗躍するために使っていた偽りの姿であり、自身の暗部そのものだったからだ。
「かつて私が監査局に連行されそうになった時、私を助け出してくれたのも、あの姿のシュティアだったのですね。今なら分かります」
しみじみと語るレデア。しかし、彼女の疑問はそこでは終わらなかった。
「ところで、どうしてあのような外見に変装していたのですか? 正直に言うと、あのメイル・ノアの姿は、どことなく……」
「あ、あれはね……」
シュティアは耳まで真っ赤にしながら、自身の黄金色の長い髪をいじり、消え入りそうな声で白状した。
「あれは……私の中の、将来『成長したお姉ちゃん』のイメージだったから、だよ……。だから、その、お姉ちゃんの姿を模して、理想の姿を作っちゃったっていうか……」
「まあ! そうだったのですか!」
その言葉を聞いた瞬間、レデアの顔がこれ以上ないほどパァッと輝いた。まさか自分への憧れが、あの美しく完璧なエージェントのベースになっていたとは思いもしなかったのだ。
「私があの、美しく頼りがいのある大人のレディに……! ふふん、流石はシュティアです、私の妹だけあって実に見る目がありますね! では、私も数年後には、きっとあのように凛とした素晴らしい姿に成長するということですね!」
胸を張り、嬉しそうに未来の自分へ期待を膨らませるレデア。
しかし、そんな姉の言葉を聞いたシュティアの目線が、すっと下がった。
シュティアは、レデアの140センチの華奢な体躯、幼児体型としか言いようのない平坦な胸元、そして出会った頃から1ミリも変わっていない小柄な全身を一通り、じっくりと、慈しむように見つめ――。
「……ううん。お姉ちゃんは、この先もずうっと、今のままで十分に可愛いから……。うん、今のままで全然大丈夫だよ?」
それは、「この先どれだけ時間が経っても、お姉ちゃんがメイル・ノアのようなボン・キュッ・ボンな超絶美女に物理的に育つ未来は来ないだろう」という確信に満ちた、妹なりの最大限にオブラートに包んだニュアンスの言葉だった。
レデアの機能停止した脳が、数秒の処理時間を経て、その言葉の裏にある「致命的な事実」を正確に理解した。
「……シュティア!!!」
コックピットにレデアの怒声が響き渡る。
たじたじになって「あはは、本当にお仕事に行こうか!」と話を逸らすシュティアと、真っ赤になって怒るレデアのドタバタを経て、シルバーアンカーはいつものように星の海へと出撃するのだった。