砕氷のアンカー、あるいは熱病の抱擁   作:エスカド

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8話:深淵の密室、饒舌な心音

 ◆◆◇◇◆◆

 1. 蒼い静寂の予兆

「……お姉ちゃん、前方に高エネルギー反応。磁気嵐の初動です。規模は『極大』。あと三分でこの宙域を飲み込みます」

 

 宇宙船のブリッジに、無機質なアラートが鳴り響く。

 

 レデアは即座に計器を睨みつけた。

 

「シュティア、すぐにメイン電源を遮断、外部センサーを格納してください。推進剤への引火を防ぐために、予備回路に切り替えます」

 

「了解、お姉ちゃん! でも、この規模だと……」

 

「ええ。生命維持装置を最小限にしてください」

 

 二人は慣れた手つきでチェックリストを消化していく。しかし、今回の磁気嵐は予想を遥かに超えていた。船体を叩く不可視の波が、装甲をきしませる。

 

「……シールドが持たないわ! お姉ちゃん、一番防護の厚い『緊急避難用シェルター』へ!」

 

 シュティアがレデアの手を掴み、狭い通路を駆ける。

 背後で、重厚な隔壁が次々と閉鎖される「ガコン!」という硬質な音が響いた。

 

 二人がシェルターに滑り込んだ瞬間、船内すべての明かりが消え、完全な暗闇が訪れた。

 

 ◆◆◇◇◆◆

 2. 足が届く宇宙

 

 シェルターとは名ばかりの、わずか数畳ほどの極小空間。

 そこには予備のコックピットと、一人用の簡易的な寝台があるだけだった。

 

 本来は一人が救助を待つための場所だ。そこに成長した二人の女性が収まるのは、あまりに「密」だった。

 

「……シュティア、いますか?」

「はい、お姉ちゃん。ここだよ。お姉ちゃんのすぐ右側、三センチの距離に……ふふ、ふふふ……」

 

 暗闇の中で、シュティアの声だけが妙に艶っぽく響く。

 

 レデアは小さく溜息をついた。

 

「笑い事ではありません。磁気嵐が通り過ぎるまで、あと三時間は出られませんよ。酸素消費を抑えるために、なるべく安静に」

 

「わかってる、わかってるよお姉ちゃん。でも、見て。この非常用ライトの淡い光……二人きりの密室……外は荒れ狂う嵐……。何かが起きるかもしれないね」

 

「起きません。何も」

 

 レデアは冷たくあしらいながらも、手探りで自身の心拍数を測った。

(……落ち着きなさい、レデア。あなたは姉なのよ。妹が不安にならないよう、毅然としていなければ)

 

 だが、暗闇は視覚を奪う代わりに、他の感覚を鋭敏にさせる。

 隣に座るシュティアの体温。衣類が擦れる微かな音。そして――。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

「な、なんですか?」

 

「お姉ちゃんの心臓、さっきから激しいね。私が、落ち着かせてあげるね」

 

 シュティアの顔が近づいた気配がした。吐息が耳元をかすめる。

 

「ち、違います! これは、急に走ったからで……! それよりシュティアこそ、呼吸が荒いのではありませんか?」

 

「私は正常だよ。お姉ちゃんの存在を全身の毛穴で摂取してるだけだから」

 

「それが異常だと言っているんです」

 

 ◆◆◇◇◆◆

 3. 姉としての「職務」

 

 

 一時間後。

 

 シェルター内の温度が少しずつ上がり始めていた。

 磁気嵐の影響で、空調の循環効率も落ちている。

 

 レデアは、自分の膝の上で「お姉ちゃんの膝の感触を確認する作業」に没頭しているシュティアの頭を、そっと押し返した。

 

「シュティア、少し静かに。……怖くないのですか? もしこのまま予備電源が尽きたら、私たちは……」

 

「お姉ちゃんだけは何があっても守るよ、大丈夫」

 

「それは……私も一緒です」

 

 レデアは努めて冷静に言った。しかし、船体が大きく揺れた瞬間、思わずシュティアの肩を強く掴んでしまった。

 

「……っ」

 

「……お姉ちゃん?」

 

 シュティアの声から、いつもの茶化すような響きが消えた。

 レデアは、自分の指先が微かに震えていることに気づく。

 エンジニアとして、船の構造を知っているからこそ、この「闇」の中に放り出される恐怖が、論理的に理解できてしまうのだ。

 

「……ごめんなさい。少し、心細かっただけです」

 

「お姉ちゃん……」

 

 その時、レデアの視界が反転した。

 シュティアが、レデアを包み込むように抱きしめたのだ。

 簡易寝台の狭いスペースで、二人の体は完全に密着した。

 

「シュ、シュティア!? 何を……」

 

「シーッ。酸素を節約するんでしょ? 喋っちゃダメ。……私の心音、聞いて。お姉ちゃんより、ずっと図太く鳴ってるから」

 

 レデアの耳が、シュティアの胸元に押し当てられる。

 ドクン、ドクン、と。

 確かに、それは重機のように力強く、揺るぎないリズムを刻んでいた。

 

「……暖かい」

 

「でしょ? 私はお姉ちゃんの『人間ヒーター』兼『人間精神安定剤』だよ。だから、何も心配いらない。磁気嵐なんて、私の愛のエネルギーに比べれば、そよ風みたいなものだもん」

 

 シュティアの腕に力がこもる。

 いつもは「重すぎる」と感じるその執着が、今は不思議と、絶対的な安全保障のように感じられた。

 レデアは観念したように、シュティアの背中に手を回した。

 

「……今回だけですよ。今回だけ、こうしていてもいいことにします」

 

「……うん。最高。このまま時間が止まればいいのに。そうしたら私がこうやってずっとお姉ちゃんを独り占めできる」

 

「もう……この子は」

 

 ◆◆◇◇◆◆

 4. 暴かれた「聖域」

 

 

 二時間後。

 

 磁気嵐のピークが去り、船内にパッと明かりが戻った。

 

「メインシステム、復旧。各部隔壁、開放します」というAIのアナウンスが流れる。

 

「……あ、戻っちゃった」

 

 シュティアが名残惜しそうに腕を解く。

 レデアは赤くなった顔を隠すように、素早く立ち上がって服の乱れを整えた。

 

「さあ、作業に戻りますよ! 回収物のダメージチェックもしなければなりませんし、ログの確認も……」

 

 レデアはブリッジへ戻り、コンソールを叩いた。

 

「……ん? 予備電源稼働中の……音声ログ……?」

 

 そこには、暗闇の中での二人の会話が、ノイズ一つないクリアな音質で保存されていた。

 しかも。

 

「……シュティア。これ、何ですか?」

 

「え? 何が?」

 

「この、私の心音データだけを抽出して、BPMごとにグラフ化し、『お姉ちゃんの動揺指数:Sランク(最高のご馳走)』というタイトルで保存されているファイルは……!」

 

 シュティアは一瞬で「しまった」という顔をしたが、すぐに開き直って満面の笑みを浮かべた。

 

「うふふ、磁気嵐のノイズを逆利用して、お姉ちゃんの生体反応だけをスキャンしてたんだ。『お姉ちゃん心音ASMR・磁気嵐エディション』として、私のプライベートサーバーに……」

 

「削除。今すぐ削除しなさい!!」

 

「えーっ! お姉ちゃん、あんなに大人しく抱きしめられてたのに! 『暖かい』って言った証拠、バッチリ残ってるんだからね!」

 

「それはそれ、これはこれです!」

 

 静寂が戻ったはずの船内に、再び賑やかな(そしてレデアにとっては屈辱的な)喧騒が響き渡る。

 レデアは真っ赤な顔でコンソールを操作しながら、心の中で密かに思った。

 

(……確かに、暖かかったのは……事実ですけれど)

 

 その本音だけは、どんな高精度なスキャナーにも読み取られないよう、彼女は深く、深く心の奥底に隠すのだった。

 

 

 ◆◆◇◇◆◆

 5. 独白:消えない熱

 

 

 その夜。

 自分の個室に戻ったシュティアは、削除を命じられたはずのファイルを、こっそりと再生していた。

 

『……暖かい』

 

 スピーカーから漏れる、レデアの震えるような、けれど安らぎを含んだ声。

 

「ふふ……ふふふふ……。削除するわけないじゃん。これ、私の魂の栄養源だもん。三重バックアップどころか、外部のコールドストレージにまで飛ばしちゃったもんね」

 

 シュティアは寝台に倒れ込み、暗闇のシェルターで感じたレデアの体温を思い出す。

 彼女にとって、磁気嵐は災厄ではなく、神が与えた「最高のボーナスタイム」だったのだ。

 

 

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