ディストピアのネット友達が優秀すぎる 作:名無しのペロリスト
仮想空間に意識を移して目を開けると、動きやすいジャージ姿の自分が実体化する。
ちなみに周囲には何もない。真っ白い空間が広がっているだけだ。
範囲はきっちり百メートル四方で、その向こうは黒く塗り潰されていた。
これが自分に与えられた、自由に使っても良い場所だ。
面積が同じなら、縦と横の長さを再設定することが可能である。
取りあえず高さは半分にして、その分だけ横幅を増やしておいた。
なお現実と同じジャージ姿だが、元々ファッションにはこだわりがない。
スキャンした情報をそのまま使えばお金がかからないし、私はこのままで良いので問題はなかった。
まずは意味はないが大きく深呼吸をして、気合を入れる。
「目的は市民のストレス解消だし、一応それに沿ったことをしないとね」
学校の授業では、最初から色々な物が配置されていた。
それに無料サーバーよりも、ずっと広大な空間だった。
だが小さくても工夫で補えば良いし、前世のようにキーボードを打つ必要がないのは楽でいい。
しばらくすると、白い空間は見渡す限りの平原と青い空に変わっていく。
そして中央には、この世界の自宅が現れた。
マンションではなく205号室だけなので、豆腐ハウスである。
これがもっとも想像しやすいし、雨風の心配もないでこれで良しだ。
「しかし、思考操作は楽でいいね」
仮想空間でやりたいことを思い描くと、大抵の望みは叶う。
だがネットワークの通信速度や処理能力、さらに想像力がなければ駄目だ。
いくらこの部屋の主で権限を持っていても、万能の神になれるというわけではない。
何にせよ便利なことには違いないし、とにかく良しとしておく。
こっちでは体はあっても、暑さ寒さは無視できるし、疲れることもない。
私は椅子を創造して腰かけ、大きな息を吐いた。
そのまましばらく、暖かな風を受けて草の匂いを嗅ぐ。
春の麗らかな日差しを再現し、過ごしやすい気温だ。
気分で満開の桜並木を作り出したが、お花見日和で心が安らぐ。
何となく空を流れる雲をぼんやりと見つめていると、背後から声がかかる。
「何をしていらっしゃいますの?」
「うひゃあっ!?」
あまりにも予想外で突然だった。
私は驚きすぎてビクッと飛び跳ねて、体が椅子からずり落ちしてまう。
もし現実のように怪我をする設定にしていたら、痛みにのたうち回っていただろう。
幸いそんなことはなく、驚きながらも椅子に手をかけて、声の方向に顔を向ける。
「えっ? えっ……誰?」
全然知らない人だった。
青い長髪とエメラルドの瞳が特徴的な二十代の女性で、誰もが見惚れるような美しさを持っていた。
綺羅びやかなドレス姿で、地面に横たわる私を不思議そうな顔で見下ろしている。
正直、どうして彼女がこの場に居るのかわからない。
なので私は慌てて立ち上がり、仮想空間の設定を閲覧する。
「あっ、あれ? 入室を許可した覚えはないんだけど、……おかしいなあ」
入り口に立て看板を仮設置しているが、誰でも入室してOKにした覚えはない。
はてと首を傾げても、入室可になっていたのだ。
しかし、人の記憶はいい加減と聞く。
現実に彼女が来たのだから、きっと私の勘違いだったのだろう。
「でも、こんな場末のサイトに人が来るとは」
中央には、もっと派手で見栄えの良い仮想空間がいくらでもある。
内容は殆どが部屋主の自慢話で、代々伝わる謎の骨董品が、所狭しと飾られていたりするらしい。
由来も逸話の真偽も定かではなく、楽しめるかは微妙である。
ぶっちゃけ知らない人のホームビデオを見るようなものだし、合わない人のほうが多いだろう。
そもそも氷河期以前の情報は、文化大革命でも起きたのか、その殆どが消去されている。
都市の天井に映し出される青い空や夕暮れや星空も、同じ映像の使い回しだ。
市民にとっては、代わり映えしない景色なので、とっくに見飽きている。
多分だが氷河期の初期は、食料だけでなくデータ容量も不足していたので、削らざるをえなかったのだろう。
しかし今は、そんなことはどうでも良い。
私は彼女に顔を向けて、緊張しながら挨拶をする。
「ええと、貴女が一人目にお客さんだね。
アリサの部屋にようこそ。何もないけど、ゆっくりしていってよ」
まさか、こんなに早く人が来るとは思わなかった。
準備不足にも程があるけど、来てしまった以上は、追い返すわけにもいかない。
何より、記念すべき一人目のお客さんだ。
とにかく部屋主として、もてなさないといけない。
だが彼女は、相変わらず不思議そうな顔をして口を開く。
「先程と同じ質問で申し訳ないのですが、何をしていらっしゃいますの?」
「ええと、それは……そのね?」
まさか何もせずに、ぼけーっとしてたとは言えない。
若干視線を彷徨わせたあとに、私はもう一度空を流れる雲を見つめる。
「景色を眺めてた。……かな」
「わかりませんわ。それが市民の精神的ストレスの解消に、どう繋がりますの?」
仮想空間に入る前に、情報を閲覧することができる。
このサイトはどんな内容なのかの説明が記載されているのだが、きっと彼女はそれを読んだのだろう。
そのように判断した私は、コホンと咳払いをして別の景色を強くイメージした。
すると周囲が平原からガラッと変わり、木々が生い茂っていく。
「森ですの?」
かつて見た地球の景色に、私の願望が混じっている。
苔むした森林に清らかな川が流れていて、木漏れ日や水の音が静けさを演出している。
「今は氷河期なので、このような森は存在しません。
ですが、かつては世界の何処かにあった。……そう、私は思っています」
そんな情報は探しても、何処にもなかった。
断片的には残っているけど、流石に引き上げて修復するには、手間と時間とお金がかかりすぎる。
なので私はやっておらず、完全に想像の産物であった。
とにかく今は、彼女に精神的なストレスをどのようにして解消するかを、なるべくわかりやすく伝えていく。
「この景色を見て、何かを感じませんか?」
一応は部屋主なので、丁寧語でお客さんに話しかける。
すると彼女は、何やら思い悩むような顔をした。
しばらくすると困った表情に変わり、こっちを真っ直ぐ見つめてくる。
「仮想空間の景色を見ても、特に何も感じませんわね」
現実ではなく、私のイメージした映像だ。
なので偽物と言われればそれまでだが、個人的には結構良い出来だと思っていたのに、残念である。
しかしリラックス効果が期待できないとなると、この路線は失敗かも知れない。
ガックリと肩を落として溜息を吐くが、ここであることを思い出す。
私は再び顔をあげて、彼女に話しかける。
「もしかしてだけど、五感機能を切ってます?」
私は痛覚以外はオンにしている。
彼女はどうだろうと尋ねてみると、すぐに答えてくれた。
「情報を見て聞く以外は不要なので、視覚と聴覚以外は切っていますわ」
予想通りだったことに納得し、ならばと彼女に勧める。
「ぜひ五感を通して、直接体験してください。でも、痛覚はオフでも良いです」
彼女は良くわかっていないのか、少し戸惑いつつも首を縦に振ってくれた。
創造空間のデフォルト設定で体の損傷をオフにしてあるので、怪我は負わないが痛覚があるとビリっとすることはある。
こんなアングラサイトを覗きに来るぐらいなので、当然知っているはずだ。
でもうっかりもあるし、一応警告しておいた。
とにかく、仮想空間は雑音や不快な表現や感覚もあるので、安全や快適性を高めるために、不要な機能はオフにすることも珍しくない。
五感以外も色々弄れるので、中級や上級市民は自分好みの設定にしていることが良くあった。
どうやら目の前の美女もそうだったらしい。
指示通りに設定を変更した瞬間、驚きの表情に変わる。
「なっ、何ですの!? この感覚は!
それに、変わった匂いがしますわ! でも、不快ではありませんわ!」
「それはきっと、森林の香りですね」
どうやら興味を惹かれたようだ。
そして彼女は興奮しながら、苔むした大樹に近づいていく。
「この緑のモジャモジャ! それに大樹が発しているのかしら!
今までにない造形と触感で不思議ですわね!」
しゃがみ込んで、興味深そうに苔に触れている。
ドレスが汚れてしまうが、設定を変更すればすぐ落とせるので問題はない。
どうやら伝わったようで、私は内心で安堵の息を吐く。
少しすると、彼女は楽しそうに歩き出した。
私もそれを追って移動して、矢継ぎ早の質問に答えていく。
しかしある場所を越えそうになり、これ以上は不味いと慌てて大声を出す。
「ちょっと待って! そこから先に進んじゃ駄目!」
「えっ? 何を言って……きゃっ!?」
彼女は見えない壁に頭をぶつけ、後ろに転んで尻餅をついた。
運悪く川に落ちて水飛沫が舞うが、幸い怪我はなく無傷である。
でもドレスや体が水浸しで、驚いて目を白黒させていた。
「無料プランの仮想空間なので、移動できる距離はそんなに大きくないんです」
なので奥に進めるように見えても、映像を貼り付けているだけに過ぎない。
空の景色も同じで、私なりの工夫であった。
「なるほど、そうでしたのね」
どうやらわかってくれたようだ。
私は彼女に手を差し伸べて、立ち上がってもらう。
とにかく自然豊かな景色が癒しになることは、わかってもらえた。
そう判断して、森林の風景から元の平原に戻す。
「じゃあ、そういうことで」
「……あっ!」
ついでに彼女のドレスや濡れた体も、部屋主権限で水を消しておく。
若干名残惜しそうな声が聞こえたが、スルーだ。
次に私は、自宅の前まで歩いて移動する。
彼女は何故か興味津々という表情で後ろをついてくる。
「今度は何をしますの?」
何をするかと聞かれても、別に面白いことではない。
さっきは景色を変えて癒やし効果を証明したけど、次はそれよりも地味である。
「一言では説明できませんし、見てても退屈だと思いますよ?」
そもそも、人に見せるようなことでもない。
そう思いながら、自宅の前に置いたままだった椅子に座る。
イメージ力を高めていくと、目の前に炊飯器っぽい物体が出現した。
「完全栄養食製造機ですわね。それも、かなり旧型ですわ」
複数の完全栄養食製造機の中には、麦と水が入っている。
さらに、それぞれ分量や設定が少しずつ異なっていた。
「はい、家にあるのがコレなので」
仮想空間だから、動力を供給しなくても動く。
現実もスイッチは遠隔で入れられるが、材料は自分で用意しないといけない。
とにかく部屋主の思考操作で、手も触れずに蓋も閉じられる。
一斉に起動し、面倒なので時間を炊きあがりまで飛ばした。
「さて、結果のほうは」
蓋を開けて中身を確認する。
彼女も一緒に覗き込み、興味津々の表情をしていた。
でも個人的に面白いものではないのだが、こういう実験などが好きなのかも知れない。
とにかく一つずつ確認していくと、焦げたりドロドロだったりと失敗ばかりだ。
しかし、ちゃんと美味しく炊けたものもある。
私は念のためにウィンドウを開いて、映像のほうも確認しておく。
「……良し、記録もしっかり取れてるね。
次回からは、これで炊いてみよう」
前世でもコンピューターやAIに、未来を予測させることがあった。
私の場合は、仮想空間で似たようなことを行っているのだ。
現実と違って、失敗しても失うものはない。
短時間で実験結果がわかるのは、とてもありがたい。
しかし、後ろの美女はよくわかっていないようだ。
またもや、はてと首を傾げている。
「どうして完全栄養食にしないんですの?」
理解できないのか、純粋な疑問が返ってきた。
なので私は、上手に炊けた麦飯をお椀によそう。
さらにお皿と塩を創造して、おにぎりをいくつか握り、順番に並べていく。
少しして、海苔なしの塩おにぎりができた。
試しに一つ手に持って味見をすると、予想通りの味で満足する。
「貴女も食べてみてください。そうすればわかります」
しかし彼女は少し考えて、真面目な表情で口を開く。
「栄養は足りているので、これ以上の摂取は不要ですわ。
そもそも仮想空間では、設定を変更しない限り、空腹も感じませんし」
彼女はそう言っているが、全くの正論である。
ついでに現実では、カエルの卵と味のしないカロリーメイトを、好き好んで食べたいとは思わない。
食事に楽しみが見出だせないのだろう。
しかし私には関係ないので、再び先程の言葉を繰り返す。
「そう言わず、食べてください」
「麦だけでは、栄養バランスの偏りが気になり──」
さっきからごちゃごちゃ煩い。
私は食べろと言っているのに、何で栄養バランスに関してダメ出しされなければいけないのだ。
仮想空間だから関係ないと、さっき言ったばかりである。
こうなったら、有無を言わさずに押し切ってやると考えて、お皿に並べてある塩おにぎりの一つを引っ掴んで、大声で叫んだ。
「いいから食えや!」
「なっ、何を!? ……もがっ!?」
彼女の口に強引に突っ込む。
一瞬体を強張らせたが、結局は渋々ながら咀嚼して飲み込んでくれた。
だがそこで、またもや驚きの表情に変わる。
「あっ、あら? ……甘い? いえ、しょっぱい? 麦が……美味しい!?」
それを見た私は満足そうに頷く。
そして残りの塩おにぎりを乗せたお皿を、彼女の前に静かに置くのだった。