『神様、特典の出力を間違えてます! 〜ブロリーの肉体で始めるビクビク美食屋ライフ〜』 作:トート
切り開かれた更地の中心で、俺は自分の両手がガララワニの脂によってギラギラと濡れていることにも気づかないまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。
数瞬前に放った『ブラスターシェル』の残光はすでに大気圏外へと消え去っていたが、その一撃がもたらしたあまりにも理不尽な破壊の爪痕は、俺の精神を底なしの恐怖へと叩き落としたままだ。
視界の端から端まで、遮るものが何もない剥き出しの土壌が、不自然なほど滑らかなクレーターとなって広がっている。
体内のサイヤ人細胞と、新たに適合したグルメ細胞が、エネルギーの激しい消費を補填しようと「美味い、もっと肉を詰め込め」と脳内で狂ったように大合唱している。
その暴走寸前の食欲のせいで、俺は手元に残ったガララワニの巨大なテールの肉を掴んだまま、彫刻のように身動きが取れなくなっていた。
「おいおい、そんなに警戒すんなって」
「お前、さっきから全身ガタガタ震えてんぞ? その信じられねぇほど鍛え上げられた図体で、俺たちのことがそんなに怖いのか?」
鮮やかな青髪の巨漢――トリコが、トレードマークの白い歯を剥き出しにしてハハハと豪快に笑いながら、完全に両手を下げてこちらへと歩み寄ってきた。
カリスマ美食屋としての余裕なのか、それとも俺から放たれているのが「敵意」ではなく「純粋な恐怖」であることを見抜いたのか、彼の一歩一歩の足取りには微塵の警戒も、淀みもない。
だが、前世がただの一般人である俺にとっては、その圧倒的な存在感が近づいてくること自体が恐怖のどん底だった。
彼が纏う空気の重さは、人間というよりは巨大な肉食獣のそれだ。
「来るな……! 頼むからそこから一歩も近づかないでくれ……ッ!」
俺は悲鳴に近い叫び声を上げ、ワニ肉を持ったままバッと数メートル後ろに飛び退いた。
その瞬間、ドン、という鈍い重低音と共に、俺の足裏がほんの少しだけ強く地面を踏み締めてしまう。
ただそれだけのことだった。
しかし、俺の肉体が放ったわずかな脚力は物理法則を歪め、足元の強固な火山岩の岩盤をパキパキと蜘蛛の巣状に砕き、前方に向けて猛烈な突風を巻き起こした。
凄まじい風圧がトリコと、その後ろの小柄なコック帽の男の前髪を大きく跳ね上げ、更地の土壌をゴソッと削り取る。
「ひ、ヒィィィィッ!? トリコさん、やっぱりあの人、僕たちを一口で食べる気ですよぉ!」
コック帽の男が再びトリコの背中にしがみつき、涙目を限界まで見開いてガタガタと震え出す。
だが、本当に泣き叫びたいのは俺の方だった。
ただのバックステップが、戦車の主砲を発射したかのような質量兵器になってしまうのだ。
出力の調整が完全に狂っている。
この身体は、普通に生きることすら許されない化け物なのだと、改めて自覚させられて背筋が凍る。
もし、この男たちに少しでも触れてしまったら、その瞬間に肉片すら残さず粉砕してしまうのではないかという恐怖が、俺の脳内を埋め尽くしていた。
「違うんだ! 違うんだ、そこのでっかい人と料理人さん!」
「俺は二人を襲うつもりなんて毛頭ない! 本当に、これっぽっちもないんだ!」
「ただ……ただ、自分の力のブレーキの踏み方が分からなくて、お前らが近くにいると、うっかり触れて消し飛ばしちゃいそうで怖いんだよ……ッ!」
危うく前世の知識で「トリコ」「小松くん」と名前を呼びそうになり、慌てて言葉を濁して叫ぶ。
この異常な状況で、初対面の相手の名前を知っているなどと言えば、それこそ余計な混乱を招くだけだ。
頭を両手で抱え、本気で半泣きになりながら絶叫する俺を見て、トリコはさすがに面食らったようにピタリと足を止めた。
顎に手を当て、俺の全身から陽炎のように立ち上る、禍々しくも神々しい黄緑色のオーラをじっと見つめている。
トリコの鋭い五感が、俺の言葉に嘘偽りがないこと、傷つける意志がないことを慎重に見極めていた。
「……なるほどな。お前、そのめちゃくちゃなエネルギーのコントロールができてねぇのか」
「人間界の奴じゃないな。グルメ界から迷い込んできた新種の猛獣が、人間の姿に化けてるのかと思ったぜ」
「生粋の一般人だよ! カロリーとかプロテインとか、せいぜい家賃の更新料とか気にして生きてたただの人間なんだよ!」
俺の必死の抗議を、トリコは「ふーん」と興味深そうに聞き流しながら、今度は俺の足元でじわじわと煙を上げているガララワニのテール肉に視線を移した。
その瞬間、トリコの目が一変する。
鼻がピクピクと大きく動き、その瞳に宿ったのは、あらゆる食材を愛し、渇望する美食屋の純粋な狂気だった。
「まぁ、お前が何者であれ、美味そうな飯を前にして話し合いもねぇな」
「おい小松、あの肉を見てみろ。火山岩の熱だけで完璧な火入れがされてる」
「表面はカリカリのクリスピー、中は肉汁を一切逃がさない究極のレアだ。あいつ、ただもんじゃねぇぞ」
トリコがその名前を口にしたことで、俺は確信した。
やっぱりこの鼻の大きな料理人は小松だ。
トリコに促され、小松が恐る恐るその小さな顔を突き出した。
そして料理人としての目で、溶岩石の上で黄金色の脂を溢れさせているワニ肉を見つめた瞬間、その丸い目が信じられないほど大きく見開かれた。
「ホ、ホントだ……! ガララワニのテール肉は、普通なら強火で一気に焼くとパサパサになって、ゴムみたいに硬くなっちゃうんです」
「それを、外側の分厚い鱗を完璧に剥ぎ取って、火山岩の輻射熱だけで、まるで超高級オーブンで数時間ローストしたみたいに均一に熱が通ってます……」
「いや、それ以前にこれ、断面が信じられないくらい滑らかです! 一体どんな業物の包丁を使ったら、肉の細胞を一つも潰さずにこんなに綺麗に切断できるんですか!?」
小松がゴクリと大きな音を立てて唾を飲み込み、さっきまでの恐怖を完全に忘れたような足取りで、俺の足元へとトコトコと近づいてきた。
料理人の本能が恐怖のブレーキを完全に焼き切ってしまったらしい。
彼はしゃがみ込み、肉の断面を凝視しながら、声を上ずらせた。
その表情は、未知の芸術品に出会った職人のそれだった。
「あの、あのっ! あなた、これどうやって調理したんですか!? 調理器具は?」
「調理用の特殊なナイフか何かをお持ちなんですか!? 塩も振ってないのに、なんでこんなに肉本来の甘みが引き立つ香りがするんですか!?」
鼻をフガフガと鳴らしながら、純粋な好奇心で目を輝かせる小松に、俺は巨大な身体を縮こまらせながら苦笑いするしかなかった。
特殊なナイフなんてない。
俺のこの大きな「素手」が包丁代わりだったなんて言ったら、この料理人はまた腰を抜かして気絶してしまうかもしれない。
自分の手が触れただけで空間の分子を切り裂くほどの出力を放っていたなんて、口が裂けても言えなかった。
俺は慌てて、濡れた両手を背後に隠しながら、適当な嘘をでっち上げた。
「いや……あの、道具はちょっと、さっきの爆発の衝撃で行方不明になっちゃって……」
「ただ、切る時に『一番美味しく切れてくれ』って思っただけだし、焼く時も『焦げないでくれ、均一に熱が通ってくれ』って念じただけなんだ。そしたら、何というか、上手くいって……」
「素晴らしいです! 道具がなくても、食材の『美味しく食べられたい』という声に応えた、愛が生んだ奇跡の調理ですよ!」
「……あ、申し訳ありません、僕、ホテルグルメの料理長を務めております、小松と申します。こっちの凄そうな人は美食屋のトリコさんです!」
「あ、ああ、よろしく……。俺はカナタ、だ」
とりあえず偽名を名乗りつつ、お互いの自己紹介を済ませる。
小松は俺の曖昧なごまかしを「謙虚な天才の言葉」として脳内変換してくれたようで、ますます尊敬の目を向けてきた。
「カナタさん、僕、ちょっとだけこのお肉に手を加えてもいいですか!?」
「マイ包丁と、いつも持ち歩いてるバロン諸島のブレンド塩があれば、このお肉のポテンシャルをさらに何倍にも引き出せます!」
小松はリュックから愛用のマイ包丁を素早く取り出すと、嬉々として数十キロはあるワニ肉の塊に向き合い始めた。
その手際の良さは、さすが原作屈指の天才料理人だ。
俺の超常的な手刀によって細胞を傷つけずに切り出された肉に、小松の丁寧な味付けと正確無比なカットが加わっていく。
塩が振られた瞬間、肉の表面がさらにジューシーな黄金色へと変化し、周囲のバロン諸島の湿った空気が、一瞬で最高級ステーキハウスの香りに塗り替えられていった。
「よし、最高の状態だ! 焼けたぜ、いただきます!」
トリコが待ってましたとばかりに、小松が切り分けた大振りのテールステーキを素手で鷲掴みにし、ガブリと豪快にかぶりついた。
噛みちぎられた肉の隙間から、透明な肉汁が滝のように溢れ出し、トリコの顎を伝って地面に滴り落ちる。
その瞬間、世界が静止したかのような錯覚が更地を包んだ。
トリコの顔中が言葉にならないほどの至福の表情に染まり、彼の背後に、不気味で巨大なフォークとナイフを構えた影――「美食細胞の悪魔」が、明確な実体を持ってドロリと揺らめいた。
その影は、俺の放つ黄緑色の気のオーラと共鳴するように激しく震え、トリコの細胞そのものが、インフレ的な進化を遂げるパチパチという音が周囲に響く。
「うっまァァァァァいッッ!!! なんだこれは!」
「噛んだ瞬間に溢れるこの圧倒的なコクと弾力! ガララワニってのは本来、捕獲レベル5にふさわしい凶暴で荒々しい味がするもんだが、この肉は違う!」
「まるで大自然の恵みをすべて優しく凝縮したような、信じられないほど深くて綺麗な味がする!」
「小松の味付けも最高だが、ベースとなるこの肉の『切り方』と『火入れ』が異次元すぎるぜ! 食うだけで、体の中の細胞が新しく生まれ変わっていくのが分かる!」
「本当ですね、トリコさん! 僕もいただきます……うわぁ、本当だ!」
「脂が口の中でサーッと冷たい水みたいに溶けて、全然くどくないです! 甘みだけが口の中にずっと残んでます!」
二人が美味そうにバクバクと山のような肉を平らげていくのを見て、俺の胃袋もついに限界を迎えた。
サイヤ人の本能には抗えない。
俺も大振りの一切れを掴み、口へと放り込む。
小松の絶妙な塩加減が加わったことで、ワニ肉の旨味が何倍にも跳ね上がっていた。
美味い。五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことだ。
前世の安物の肉とは比べ物にならない、生命そのものを食べているという圧倒的な充足感が、俺の五感を満たしていく。
食べ進めるごとに、体内のグルメ細胞がパチパチと弾け、俺自身の輪郭がこの世界に深く馴染んでいくような、不思議な全能感が全身を駆け巡った。
ガツガツ、ムシャムシャと、三人で数百キロはあったはずのガララワニのテール肉を一瞬で完食した頃には、俺の身体を包んでいた禍々しい黄緑色のオーラも、満腹感による精神の安定からか、少しだけ穏やかな輝きへと落ち着いていた。
「ぷはぁ、食った食った! バロン諸島の主をこんな最高の形で味わえるとはな。ごちそうさまでした!」
トリコが満足そうに丸太のような腹をポンポンと叩き、地面にドサリと寝転がる。
小松も「幸せです〜、料理人冥利に尽きます〜」と涙を流しながら地面にとろけていた。
俺もようやく人心地がつき、ふぅと長い息を吐き出す。
満腹になったおかげで、自分の力が暴走するという恐怖が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
しかし、このグルメ世界における平穏は、そう長くは続かない。
のっそりと、まるで巨大な熊が起き上がるかのように立ち上がったトリコが、急にその鋭い目をギラリと輝かせ、俺の方を真っ直ぐに見据えたのだ。
その全身から、先ほどまでのリラックスした食後の雰囲気が瞬時に消え失せ、美食屋としての、そして戦闘狂としての血が脈打つ音が、俺の異常に発達した聴覚にはっきりと聞こえてきた。
その筋肉が不気味に膨張し、戦いの火蓋を切る準備が整えられていく。
「さて、腹も膨れたところで……なぁ、お前」
「……何、かな?」
嫌な予感がして、俺の全身の筋肉が自然と硬直する。
「お前が放っているそのエネルギー、さっき上空で大爆発したろ」
「俺の勘が言ってるんだ。お前はとんでもねぇ、世界のどこにもいねぇレベルの強者だってな」
「美食屋として、こんな美味そうな奴を前にして、手ぶらで素通りできるわけがねぇ」
トリコが両手をフォークとナイフの形に構え、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべながら、じりじりと間合いを詰めてくる。
その気迫は、人間界の並の猛獣なら気絶するレベルのものだ。
大気がビリビリと震え、彼の足元の小石がカタカタと音を立てる。
「一発だけでいい。頼む、俺と手合わせしてくれよ、カナタ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏には、前世の記憶にある劇場版ブロリーの悍ましい戦闘描写が鮮烈にフラッシュバックした。
悟空やベジータを岩盤に叩きつけ、惑星を片手で粉砕していたあの暴力の化身。
今の俺は、あの理不尽の塊なのだ。
もしトリコが本気で殴りかかってきて、俺の肉体に刻まれたサイヤ人としての闘争本能がうっかり覚醒してしまったら、目の前のカリスマ美食屋はどうなってしまうのか。
彼をこの世界の歴史から消滅させてしまうのではないか。
「嫌だッッッ!!! 絶対に嫌だ!!! 死んじゃう!!!」
「お前が死んじゃうから絶対やだ!!!」
俺は両手を全力で振り、全力の拒絶の意思を示した。
しかし、俺が恐怖のあまり頭を激しく振り、手をバタつかせただけで、その動作が巻き起こした「気の暴風」が、周囲の更地の土壌をさらに数十センチメートルもゴソッと削り取り、突進しようとしていたトリコを物理的な「気圧の壁」となって数メートル後ろへ強引に押し戻した。
「がはっ……!? クソ、近づくことすらできねぇのかよ!」
トリコが冷や汗を流しながら、その場に踏み止まる。
彼の手足は、俺がただ怯えて拒絶しているだけで放たれた「気の圧力」によって、まるで強力な重力場に囚われたかのようにピキピキと悲鳴を上げていた。
横で見ている小松にいたっては、風圧で飛ばされないように巨大な火山岩にしがみついて「ひ、避難警報ですよこれはぁーっ!」と絶叫している。
その叫び声すら、俺の巻き起こす暴風にかき消されそうになっていた。
「頼むから戦おうとしないでくれ! 燃えるな! 鎮火しろ!」
「俺は自分のパンチの威力が分からないんだ! 触れたら本当にお前が消滅しちゃうんだよぉぉぉ!!」
「おいおい、頭振って拒絶しただけでこの威力かよ……!」
「ますます燃えてきたぜ、お前との手合わせ!」
「話を聞けぇぇぇ!! 命を大事にしてくれぇぇぇ!!」
星を破壊できるレベルの圧倒的な破壊力を持ちながら、世界一必死に戦闘を拒否して涙目になる俺と、その異次元の気配にますます戦闘狂としての目を輝かせるトリコ。
更地になったバロン諸島の中心で、俺の情けない、しかし世界で最も危険な悲鳴が、どこまでも高く響き渡るのだった。