ギルドの換金カウンターに、無造作に置かれた袋が重たい音を立てた。中身は魔鉱石の原石が数個と、ダンジョン産の稀少鉱物のかけら。それなりに重く、それなりの価値がある。
ノイ・ロゴーはカウンターの前に突っ立ったまま、ぼんやりと天井を仰いでいた。
「ノイさん? ノイさんってば」
「……ああ、すまない」
換金担当の若い受付嬢が、怪訝そうにノイの顔を覗き込む。彼は我に返り、さらに別の袋を取り出した。魔法の戦利品鞄──見た目は小さな肩かけ鞄だが、中には倉庫ひとつぶんの容量があるという優れものだ。
その鞄から、ごろりと取り出されたものを見て、受付嬢が「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。
ミミックの残骸である。
宝箱の形をした外殻がぱっくりと開き、中は空っぽ。乾燥した貝柱の一部がへばりついている。すでに死んでから数日が経過しているため、臭いはほとんどない。
「な、なんですかこれ……」
「戦利品だ。換金できるか」
「え、ええと……ミミックの外殻だけだと、加工素材としてはあまり……でもこの貝柱の乾燥部分は薬の材料になるので、銀貨三枚ほどには」
「それでいい」
ノイは残骸をカウンターに預け、ふぅ、と小さく息をついた。
その残骸を見ているうちに、つい先日の出来事が脳裏によみがえる。
嘆きの洞窟──。
---
三日前、ノイは久々のダンジョン探索に臨んでいた。
山岳地帯のクエストが続いたあとだから、暗く湿った洞窟が妙に新鮮に感じられる。滴る地下水の音、足元で砕ける小石の感触、そしてどこからか聞こえる風の唸り。それが「嘆き」の名の由来と言われる所以か。
中層まで潜ったあたりで、ノイは足を止めた。
広めの空洞の隅に、無造作に置かれた宝箱があった。木製の装飾が施され、金具が鈍く光っている。一見すると、ダンジョンのどこにでもある戦利品入れと変わらない。
だがノイは知っていた。
この宝箱が、ほんのわずかに呼吸していることを。
「……ミミックか」
ぽつりとつぶやいて、ノイはあたりを見回した。壁にはヒビが走り、天井からは鍾乳石が無数に垂れ下がっている。他の魔物の気配はない。人の気配もない。完全な貸し切り状態だ。
ノイの口元が、微かにほころんだ。
ミミックという魔物は、この世界では宝箱などに擬態する陸生の貝類である。強靭な貝柱の力で、うっかり手を突っ込んだ冒険者の腕をがっぷりと咥え込み、そのまま引きずり込んで捕食する。初心者がよくやられる危険な魔物だ。
しかし、対処法を知っていれば話は別だ。
そしてノイは──知っている。いや、知っているどころではない。
(久々に……やるか)
彼は大剣を手に取ると、柄を握り直した。
魔物料理を、始めよう。
---
魔物とは何か。
学者に言わせれば、ダンジョンを主な棲家とする生物全般を指すという。その分類は生態や属性によって細かく分けられ、ギルドの公式書類には何百ページもの魔物図鑑が存在する。
だがノイにとって、魔物の分類はもっと単純だ。
食えるか、食えないか。
そして食えるなら──美味いか、そこそこか、不味いか。
たったそれだけの話である。
ミミックは、この分類で言えば「食えて、美味い」に属する、貴重な魔物だった。貝類特有の濃厚な旨味が凝縮されており、部位ごとに異なる食感と味わいを楽しめる。知る人ぞ知る珍味である。
ただし、調理にはコツが要る。
ミミックは陸生の貝であり、体内に砂や不純物を溜め込みやすい。それに、外敵を欺くために宝箱の形に擬態するわけだが、この外殻がまた頑丈で、うかつに開けようとすると逆に貝柱で締め上げられる。
ノイは静かにミミックへと近づいた。
ミミックはまだ動かない。息を殺し、獲物が手を突っ込むのを待っているのだ。その欺瞞に満ちた静けさこそが、ミミック最大の武器である。
ノイは大剣を逆手に持ち替えた。刃ではなく、腹の部分を上にして。
そして──
がぎんっ!
大剣の腹で、宝箱の側面を思い切り殴りつけた。金属音にも似た鈍い衝撃音が洞窟に響き渡る。
一瞬、宝箱がばくんと開きかけたが、そのままぴたりと動きを止める。貝類の急所は貝柱──つまり外殻を閉じる筋肉だ。そこに強い衝撃を与えれば、殻を閉じることも開くこともできなくなる。
外殻となった宝箱はだらりと力を失い、半開きになったまま床に横たわった。
「よし」
ノイは大剣を置き、手を合わせた。
本格的な調理は、ここから始まる。
---
まず、ミミックの宝箱状外殻をていねいに開く。
ぱかり。
中には、擬似宝石の欠片やら金色に塗られた石ころやらがぎっしり詰まっていた。これらはミミックが生み出す疑似餌で、宝箱の中身に見せかけて獲物を誘うためのものだ。ノイはこれらを無造作に取り除き、本来の本体にアクセスする。
「……立派なもんだな」
思わず声がもれた。
ミミックの本体は、外殻の奥でうっすらと光沢を放つ乳白色の身だった。サイズも悪くない。ざっと見て、大人二人ぶんはあるだろうか。
ノイは腰の小袋から、小さな刃物を取り出した。調理用に携帯しているもので、刃渡りは指二本分ほど。冒険の相棒たる大剣を調理に使うわけにはいかない──まあ、これから鉄板代わりに使うのだがとにかく当面は、この小刀だけで十分だった。
部位の切り分けに入る。
貝柱。
外殻を閉じるための筋肉で、ミミック最大の部位だ。拳大の塊がふたつ、しっかりと外殻に貼りついている。これを丁寧に剥がしていく。白く輝く身は、見るからに弾力に満ち、密度が高い。間違いなく、このフルコースの主役を張れる素材である。
次に、貝ひも。
外殻の縁に沿ってついている、ひだ状の部位。厚みがあり、ぬめりがある。よく洗わないと砂が残るので要注意だ。
続いて、舌。
ミミックの舌は獲物を引きずり込むための器官で、細長く伸び縮みする。牛や豚の舌とはまた違った、独特の肉質をしている。
最後に肝。
これを傷つけずに取り出すのが、一番の難関だ。ミミックの肝は非常にデリケートで、うっかり破ると苦味が出すぎてしまう。慎重に、慎重に。内臓の膜を小刀で開き、両手でそっと肝をすくい上げる。こぶし大の濃い茶色の塊が、ぷるんと震えた。
各部位を取り出したら、水源へ向かう。
嘆きの洞窟の壁を伝う湧き水は、ミネラルが豊富で驚くほど清らかだ。ノイは革袋に水を汲み、それで各部位を丁寧に洗った。特に肝は念入りに、中に溜まった砂や余分な血を洗い流す。
洗い終わった食材を、平たい岩の上に並べる。
「さて」
ノイは小刀で、各部位を厚めに切り分け始めた。貝柱は横に三枚におろし、貝ひもは一口大に、舌は斜めにそぎ切りにする。肝だけは崩しやすかったので、あえて塊のまま表面に格子状の切れ目を入れた。熱が通りやすくなり、味も染みやすい。
それから、外套の内ポケットから小さな革袋を取り出す。
彼が常に携帯している調味料だ。粗塩、粉末にした山椒、乾燥にんにく、それから黒胡椒。これらを適量、各部位にふりかけていく。
ここでノイは大剣を手に取った。そしてもう一度、湧き水で念入りに刃を清める。
ようやく、火の準備だ。
洞窟の床に焚き火用の薪を組み、火打石で火を起こす。炎が安定したところで、大剣の腹を上にして火にかける。鉄板にするには少し時間がかかるが──悪くない待ち時間だ。
じりじりと大剣が熱せられていく。表面の水滴が蒸発し、微妙に色が変わり始めた頃合いを見て、ノイは最初の一切れを乗せてみた。
じゅうっ。
小気味よい音とともに、白い湯気が立ちのぼる。
そうして焼き上げられたものこそ、『ミミックのフルコース鉄板焼き』の完成である。
---
誰もいない洞窟の中で、ノイは正座していた。
焚き火の揺らめく灯りだけが、彼の顔を照らしている。大剣の上では、まだ焼きたてのミミックがじゅうじゅうと音を立てていた。溶け出した脂が鉄板の上で小さく跳ね、香ばしい匂いがあたりに充満している。
さて、どれからいこうか。
ノイはまず、貝ひもに手を伸ばした。
厚みのあるひだ状の身は、焼かれることで表面にこんがりとした焼き色がつき、縁がかりっと巻き上がっている。ひとくち大にちぎり、口に放り込む。
「……っ」
コリコリだ。
噛めば噛むほど「くにゅ、こりっ」と歯を押し返す独特の弾力。顎が疲れるが、それすらも楽しい。そして噛むたびに滲み出る濃厚な旨味。塩と胡椒だけの味付けなのに、貝そのものの味が豊かすぎて、まるでいくつもの調味料が入っているかのようだ。
貝ひもは酒のつまみにもいいだろうな、と思いながら、ノイは次に舌を手に取った。
そぎ切りにされた舌は、表面がかりっと焼け、中はしっとりとしている。見た目は白身魚のムニエルにも似ているが、これは間違いなく肉だ。口に入れた瞬間、予想を裏切るジューシーさが広がる。
じゅわっ。
牛の舌とも豚の舌とも違う。もっと滋味に溢れ、噛むほどに澄んだ旨味が染み出てくる。噛み切れるほどの柔らかさを保ちながら、しかし芯にはしっかりとした歯ごたえが残っている。この絶妙なバランスは、ミミックの舌ならではだ。
「……美味いな」
今度は声に出してつぶやいた。誰も聞いていないから構わない。
続いて、肝に取りかかる。
塊のまま焼かれた肝は、表面がこんがりと焦げ、切れ目から中身がのぞいている。ナイフを入れると、とろりとした半生の内側が現れた。フォーク代わりの小枝で刺し、そっと口に運ぶ。
とろける。
それ以外に表現のしようがない。舌にのせたとたん、とろりとほどけて消えていく。それでいて、濃厚な旨味とほんのりとした苦味が舌の上に長く残る。レバー好きにはたまらない味わいだ。ソースにしてパンに塗ってもいいかもしれない。
ノイはうっとりと目を細めてから、最後の部位に向き合った。
主役。貝柱。
三枚におろした貝柱は、純白のまま美しい焼き色がついている。厚みは指一本分。表面はかりっと香ばしく、しかし内側はまだ半透明の光沢を保っている。貝柱は焼きすぎると固くなる。このくらいがベストだ。
フォークで突き刺し、持ち上げる。ずしりと重い。そのまま大きく口を開けて、がぶり。
「おお…………!」
思わず目を見開いた。
純粋な旨味だ。余計なものが何もない。ただ貝の旨味だけが、ぎゅうぎゅうに凝縮されている。噛むと繊維がほぐれ、ひとすじひとすじから甘みが溢れ出す。歯ごたえも素晴らしい。貝ひものようなコリコリ感ではなく、むしろぎゅっ、むぎゅっ、という密度の高い弾力。噛みしめるほどに味が深くなる。
(これだけでも、十分主役を張れる……)
まさにフルコースの締めにふさわしい逸品だった。
---
焚き火の音だけが洞窟に響く。
ノイは無心で食べ続けた。貝ひも、舌、肝、貝柱。順番に、あるいは気の向くままに、あるいは部位同士を組み合わせて。貝柱と肝を一緒に頬張れば、純粋な旨味と複雑な苦味が舌の上で混ざり合い、とんでもない相乗効果を生んだ。貝ひもと舌を合わせれば、異なる食感のコントラストが楽しい。
足りなければ、残っている部位をまた焼く。大剣の上は常に三種四種がじゅうじゅうと焼かれ、湯気が途切れることはなかった。
気がついたときには、三人前はあろうかというミミックの身は、きれいにノイの胃袋に収まっていた。
「……ごちそうさま」
彼は両手を合わせ、小さく一礼した。
洞窟の中は静かだ。滴る水の音、はぜる薪の音、そしてノイ自身の満ち足りた吐息。
至福だった。
---
「……ノイさん?」
はっと我に返る。
ギルドの換金カウンターの前だった。受付嬢が、心配そうにノイの顔を見上げている。どうやら、回想に浸りすぎて完全に意識が飛んでいたらしい。
「すみません、なんだかぼんやりされてましたけど……どこか具合でも?」
「いや、大丈夫だ」
「それならいいんですけど、なんだかすごく、その……」
受付嬢は言葉を選びながら、そっと言った。
「……いい夢でも見てるみたいな顔をされてましたよ?」
図星だった。ノイは無表情を保とうとしたが、まだ口元には微かな余韻が残っている。
「換金、続けてくれ」
「はい、ええと……魔鉱石が銀貨十二枚、鉱物が五枚、それからミミックの外殻と乾燥貝柱で三枚、合計銀貨二十枚ですね。……あの、ところで」
受付嬢は書類に記入しながら、なにげなく尋ねた。
「何か、いいことでもあったんですか?」
ノイは一瞬、言葉に詰まった。それから、ぽつりと。
「いや……あのダンジョン、美味かったなって……」
しまった、と思ったときにはもう遅い。
カウンター周辺にいた冒険者たちが、いっせいにノイの方を振り返った。換金待ちの列に並んでいた若い剣士が、ぽかんと口を開けている。向かいの依頼掲示板を見ていたベテラン冒険者が、眉をひそめた。
「……美味かった?」
「嘆きの洞窟って、あの嘆きの洞窟だよな」
「中層まで行ったのか……」
「孤影のノイだぞ。それくらい行くだろ」
「にしたって、美味かったってどういう感想だよ」
ひそひそと、ささやきが広がる。
受付嬢は目をぱちぱちさせながら、それでもすぐに笑顔に戻った。さすがはプロだ。
「り、流石は孤影のノイさんですね……嘆きの洞窟は、うちのギルドでも高難易度指定のダンジョンですのに、美味しかったですか」
「いや、違うんだ。今のは、その……洞窟自体が美味いって意味じゃなくて」
ノイは珍しく言い訳を試みたが、余計にややこしくなった。だって実際、美味かったのだから仕方ない。でもその「美味かった」は洞窟の話ではない。否、洞窟の中のミミックの話だ。でもミミックは洞窟に棲んでいるし──。
(いや、いい。考えるな)
ノイは思考を放棄した。
「とにかく、換金はそれで頼む」
「は、はい。こちら銀貨二十枚です。お疲れさまでした!」
硬貨の詰まった革袋を受け取り、ノイはギルドの換金カウンターをあとにした。
背中に、まだ好奇心の視線が突き刺さっている。噂になるのは時間の問題だろう。
「嘆きの洞窟を美味いと評した孤影のノイ」──またひとつ、余計な肩書きが増えそうだ。でも事実だから仕方ない。
なにせ、孤影のノイは今日も、美味いものと共に生きているのだ。