普段着ているような安物ではなく、テーラーで仕立てたスーツをビシッと決める。シングルの三つボタンのスーツ…相変わらず、服装に興味のない俺は数物のスーツを着ていた。が、時折見かねた上田が仕立ててくれるのだ。どうして俺の体のサイズが分かるのかと不思議に思っていたが、種明かししてしまうと何の事はない。彫り師を連れて行っていたそうだ。
閑話休題。兵庫に一晩投宿したにも関わらず、昨晩は剣菱は疎か、ビールの一本もナシだった。原因は岩井のオジキだ。わざわざ俺たちに旅館を用意していた理由はここにある。部屋にオヤジ宛の書き置きがあったのだ。
’今晩はゆっくりしてや。くれぐれも小沢には飲ませんで連れて来てもろて。’
という甚だ迷惑千万な書き置きだ。この事から前回の事を詰問され、二日酔いで明石辰男に会ったことがバレて景気良く叱られた。そんなこんなで、明石組本家へまた来た。明石辰男、相原重雄、岩井信一が並んでいた。
「昌ちゃん久しぶりやな。小沢、今日はシラフやろうな?」
「岩井久しぶりじゃのう。大丈夫じゃ。酒は抜いて連れてきようたわい。」
「安心したわい。改めて紹介します。オヤジさん、こちら兄弟の広能昌三です。昌ちゃん、こちら明石組組長、明石辰男と舎弟頭の相原重雄や。」
「よろしゅう…」
「明石辰男や。今日の用向きはなんや?小沢の親分、会うて見たかったんや。ええ子分持ってはるわ。」
「へぇ。恐縮です。これが前回は酒臭いまま来よったとかで。えらい失礼しました。」
「向こう見ずの博徒やな。勝負に勝ち続けたモンの強さがある。ええ子分や。羨ましいで?」
「ほうなら今日の話させてつかあさい。ワシの兄貴分の打本と誰か縁組して貰うことは出来んか言う話をしに来ようたがです。」
オヤジは岩井と五分で兄弟、その上の兄貴分と縁組させろというのは事実上、相原か今日いない若頭、宮地輝男と盃させろと言っているのだ。即答できる案件ではない。
「その盃、ワシらに何の利益があるんや?」
沈黙を破って言葉を発したのは明石辰男だった。
「広島への影響力は魅力ありませんか?」
「小沢、おのれの言う影響力というのは、最低限の影響やないか?」
「相原さん、外の人間を必要以上に広島に入れて内政干渉されるのは本意じゃないんです。」
「よう見とるやないか。それを防ぐ言うて広能の兄貴分と盃せぇ言うんやな。」
「内政干渉の果て、血を流すのは広島のモンです。」
またしても静かな時間が流れる。
「ふぅん…相原、どうや。この小沢連れる広能、その兄貴分、会ってみる気ならんか?」
「兄貴の言うことやったら会おうて見ますかの。広能、ええ子分持っとるの。子分を見れば親分がわかる。会うてスジ通る奴やったら、ワシが盃しようやないか。」
「ありがとうございます。ほうなら広島戻って打本連れて来ますけん。」
この結果、後日、打本は相原の五分の盃を交わす事になる。かなり盛大に盃を交わしたために、事は広島にも知れ渡った。この会には俺は呼ばれなかったので、倉元を連れて、玉ねぎの皮剥きに勤しんでいた。考えることも多かったので、助かったが結構、悩ましい。この頃になるとうっすら気付いていたが、もしかして山守が神和会を引っ張ってくるのか?
ここで俺は次の手にかなり悩んでいた。色々と原作と違うことがある上に、記憶の曖昧さで少しずつ後手になっていること、自分の改変したことでの差異への対応の甘さなんかが出てくる事になる。
「でぇ?夏樹よぅ。おどれらは山守の下に戻ろう言うんか?」
「勝利よ〜…俺も嫌なんだわ…あのタヌキはよ。バックリ血流れるよわ。」
「分からんのう…確かに今、おどれらを傘下に入れる言うんは山守には美味しいのう。村岡のシマとその子分まで手とどくけんのう。」
「今、オヤジは山守と話してる。大久保親分の言なんだ。十中八九、オヤジは盃戻すよ。なぁ勝利、お前、どっちに着くよ。」
「兄弟見捨てて生き延びようたらワシは外歩けんようになるわのう。そがいな恥晒せるかいや。」
「ありがとう。明石組より強い味方だわ。」
「じゃあの、ワシから言わせて貰おうかのう。まず直れや。人の事務所来よって寝っ転がりよるんはどう言う了見なら。して脇の若いのは誰ぞ。」
ここまでのやり取り、俺はもう気力が尽き果ててゴロ寝している状況だった。そして、倉元は唖然としていた。もう大久保親分の所は安住の地になり得ないので、大友組で羽を伸ばしていた。
「倉元、博徒大友組組長、大友勝利だ。顔覚えてもらえ。俺とたった一人、五分の盃交わしてる。」
「倉元猛です。小沢の兄さんところで見習いさせて貰うてます。」
「おう。おどれも厄介な兄貴持っとるのう。苦労するど。これはとんだ博徒よ。腹括って諦めときや。」
「は、はぁ…」
「やめろい。まだオヤジに盃も貰ってねーんだ。」
「ほうならよ。まずは夏樹に盃貰えるように精進せぇや。のう。にしてもええ時計しとるの。もちっと服にも気使わんとのう。」
「この時計は小沢の兄…」
「小沢の時計じゃろうが、風下に立つような男になるないや。」
勝利の助力を取り付けた俺は呉に戻って来た。正味、兄弟でも寝首を気にせねばならないのが悲しいこの世界だ。今となっては疑った自分を恥じ入るくらいしかできない。
「兄貴寄りたい所ありますけん。ええですかのう?」
「おう。どこだい?」
「駅裏の路地でオカンが道路工事の人夫してますけん。」
「そっか。じゃあ寄ろう。差し入れ買ってやるんだぞ。」
そう言えばオヤジたちが駅の近くの喫茶店で会ってるって話だったな。ちょっと顔出してこよう。
店に入ると、オヤジと松永、江田に武田がいた。
「おう小沢。よう来た。ええ機会じゃけん紹介するわい。江田と、武田じゃ。よう覚えてもらい。」
「お初にお目にかかります。小沢夏樹です。よろしくお願いします。」
「これが昌三の参謀かいの。よう名前は聞くわい。未来が見える言う話じゃのう?」
「松永の舎弟分じゃいう話じゃの。もっとゴツいんが来る思ってたわい。」
「武田さん、未来が見える訳じゃありませんし、江田さんの言うような人間じゃなくて恐縮です。」
武田明と江田省一、後々大きく影響する二人とここで会ったはいいが、全く次の一手が浮かんでこない。
「ならここで、一つ予言を貰おうかのう。昌三、小沢は今後どう言う見立てしとんなら。」
「明の言う見立てはどの見立てじゃ。これもあっちこっち考えとるけん、具体性持たせんとまとまらんで?」
「じゃあ村岡の跡目じゃ。高梨のオジキも、杉原のカシラも居らんようになって組内から跡目が出んのは確実じゃ。打本か、山守のオヤジさんか。どっちとみとんなら。」
「それなら、もうこれは考えとる。聞くともう面白うないで。」
「ほう。ならなおのこと聞いとかんとのう。」
と言うことで俺は今後の見立てを説明した。十中八九、村岡の親分は一度村岡組のシマも子分も山守に預けること、結果、山守組に盃をみんなで直すことになること、そして打本は明石組長との盃を欲しがること、この辺まではまだみんな読めていたようなのでもう一手歌って聞かせる。
「山守組と打本組はぶつかるでしょう。でも、直接では無いです。初手は岩国の浜崎組と小森組の小競り合いです。」
「山守のところの舎弟と打本の舎弟でやり合う言うのかのう。こんなはどういてそう考えるんなら。」
「それはですね…」
ここで俺は今後のことを予測として聞かせた…ところで勘違い色男こと打本が女連れで入って来た。
「おう…昌三おどれは相原につまらん事言うたげのう。」
「何の話ですかのう。」
「何言うてワシが村岡の舎弟分のなんのの話よ。」
「あぁ…言いましたけ。」
「バカタレこんクソ。知らん言うとけばええやないけ。」
「打本さん、本当のこと言ったら何か不都合でも?」
「小沢、おどれの親分がつまらん事言いよって相原がへそ曲げよったんじゃ。明石さんとの盃は無期延期じゃ。ワシにかかせた恥どうすんなら‼︎」
「兄貴の方こそ考え直したらどうですかのう?安く自分売るんは考えモンですやろ。」
「何言うとんならおどれは。明石さんとの盃なら位も上がろうが。おどれの子分の小沢見てみぃ。方々盃だらけじゃなぁの。高こうつくもんは高こう売る当たり前じゃろうが。ワシが出世し損のうたらどう責任とんなら‼︎」
ここまでは打本のワガママみてぇなもんで黙っていた。親分の兄貴分だし。だが、ど突いたのは見逃せない。
「打本さんよう‼︎親分とその兄貴の話だから黙って聞いてりゃ好き放題言ってくれて。挙句、人の親はど突きやがって。ヤクザが位の話するなら杉原のカシラの仇ってどうなったんでしたっけねぇ?えぇ?打本の親分さんよぉっ‼︎」
「おどれらみとうな百姓ヤクザの話なんざ聞きとうないわっ。ワシの付き合いに口出すないやっ。」
「おう。ウチの小沢はスジ違える盃はしとらんですよ‼︎もう出せ言われても出さんですよ‼︎」
「ケッ」
打本は一頻り喚き散らすと店から出て行った。これは無駄に口を挟んだ分で、怒られるだろうか。松永の兄ぃもこっち見てたしなぁ…。
「おう昌三、打本になんぞ言っとかんでええのか?相変わらず小沢は頭のネジが揃っとらんのう。」
「小沢には呆れるわい。あの人には愛想が尽きたわい。山守のオヤジにはワシから話すけん。知っとる鬼の方がマシじゃ。」
「オヤジ、ありがとうございます。」
「小沢、わしゃ山守のところ行ってくるけん、こんなも少し汗かけや。」
「承知です。松永の兄ぃと村岡の親分に会って来ます。」
日を置かず村岡親分の引退式があり、俺も呼んでもらった。村岡の親分のおかげで俺は、大友という五分の兄弟を得て、松永という兄貴も持った。俺のきっかけは村岡の親分に貰ったものが多かった。
俺は直せないと断ってしまったので呼ばれなかったが、この後、宮地と相原が来て、盃直しの式があった。この後の飲み会が問題だったと。みんなの前で打本は山守に罵倒され、オヤジと言い合いになったと言う事だった。
「でぇ?夏樹よ。おどれはどうすんなら。おどれの兄貴もオヤジも山守の子分よ。」
「どうもこうもない。オヤジの方針に文句はない。」
「そうは言うとるがよ。おどれは山守の指示に従えるんか?」
「オヤジ次第よの。ヤクザなら親に従うのがスジよ。」
「案外おどれ、頭固いとこもあんじゃのう。」
「なぁ勝利。みんな忘れてるがよ、仁義とか侠気っての、俺は大事じゃねぇかなぁって思うんだ。」
「夏樹よう…そがなカビ臭い事言うとるとマトにかけられるど。嫌いじゃないがの。」
「その時はその時で。潔く散るさ。靖国で同期が待ってる。」
「カビどころがも錆びとるわい。」
「失礼な奴だ。」
「知らんかったかのう?わしゃあ博徒大友組、大友勝利じゃ。」
翌日、組事務所で倉元ともみじ饅頭の早食いをしていたらとんでもない話をオヤジが持って来た。
「槙原の仕切りで岩国の喧嘩に応援行くど。浜崎組の応援じゃ。」
「その話、乗るんで?」
「ワシらは打本との盃があるけん。武田は入院しよるし。どういたもよの。」
「現地で一芝居打ちましょう。俺がきっかけ作ります。」
「ほうか。期待させて貰おうかのう。」