「Wikiもロアナプラもやれよ。もうさ。」
と言われたのでやります。その後の話は小話集に載せます。
小沢夏樹(おざわなつき 1930年12月5日〜1970年2月1日)は日本のヤクザ。
広島県広島市の二代目松永組組長。総合サービス事業を展開する、広島市に本社を置く二代目松永組はこの二代目松永組を継承した三代目の面々によって興された。
広島抗争に関わる人物であるが、後年の取材を経るまでは、特筆する事は特別無いものとされていた。
生涯
ー戦前・戦中・戦後ー
1930年に東京浅草に生まれる。父親は火消しの血筋で元海軍、母親は料理屋を営んでいた。喧嘩っ早い江戸っ子の気質はあったものの、中学校卒業後は予科練に入隊。南方戦線を転戦し、呉にて部隊再編中に終戦を迎える。後年の証言では特攻隊の直掩任務に就いていた事も判明している。
終戦後、上官から物資を譲り受けたとして、それらを闇市で売りながら生計を立てていたと言われる。この頃に賭場に出入りするようになり、後年の広能組初代組長、広能昌三の知遇を得る。
しばらくを遊び人として過ごしていた様で明確な足跡は辿ることが難しいが、後に呉に山守組が結成されると、広能昌三の弟分として山守組の若い衆として盃を受ける。
なお広能昌三は海軍繋がりの後輩としていたが、終戦時、小沢は少尉であるので、厳格には後輩とはならない。
ーヤクザとしてー
その名前が出てくるのは山守組と土居組の抗争からである。神原精一の自白により、不利益の元凶が山守である事を知った土居組の面々は山守を襲撃。若杉寛の造反により事なきを得た。が、この時、小沢は拳銃を持って駆けつけた所だったと言われている。
後に広能昌三によって土居組組長は暗殺されるが、この時、小沢は広能を宥めたとされる。
また、この件で土居組に寝返った神原精一を暗殺した疑惑があるものの、証拠も証言もないため「疑われる」という程度であった。
ー内部抗争ー
呉にて隆盛をみせた山守組は内部に亀裂を生じ、坂井派と山守派による抗争が発生した。この時、小沢は坂井派に属していたと言われるが、上納金削減を主張していたと言われている。
坂井派により新開・有田が粛清されるも、この犯人は今もなお不明である。一説には坂井組の犯行であるとされるが、この直後、旅に出されている事から、小沢が犯行に関わっていたと見る向きもある。
ー大友勝利との出会いー
内部抗争の後に村岡組の客分となっている時期に、後の天政会最高顧問の大友勝利との知遇を得たとされている。また、この時の諍いの仲裁でみせた器量により、松永組組長松永弘と兄弟盃を交わしている。
この大友勝利との出会いの場でロシアンルーレットをしたと言われるが、後年の創作ではないかと言われている。
後述のインタビューによると小沢は大友勝利を“勝利”と呼んでいた言われる。
ー帰参ー
兄貴分の広能昌三の出所と同時期に呉、山守組に帰参した。この時、広能組に籍を移しており、広能組のシノギの多くを起こしたと言われている。また、全国チェーンの飲食店を経営する水上フードサービスの元となった屋台は山守組の頃に始めたと言われている。
ー再びの内部抗争ー
坂井派と山守・矢野派による再びの内部抗争で、小沢は若頭の坂井鉄也に拳銃を向けて制止したという証言がある。小沢はこの頃、明確な旗色を見せていないが、矢野修二殺害未遂に加担したと言われている。これは後年、大友勝利の死後に発表されたインタビューで矢野本人から聞き出したとの事なのでほぼ確実視されている。
ー山守組の隆盛ー
新開・有田派の残党により、若頭の坂井鉄也が暗殺されると、組長の広能昌三が収監されると、小沢は山守組拡大に奔走。広島市の村岡組と山守組の縁組、明石組との縁組など多くの盃外交の橋渡しをしたと、後年の明石辰男や岩井信一などが証言している。また、保守党幹事長であり衆院議員海田昭一はこの頃に取調べで小沢に出会ったと証言している。
ー事業の拡大ー
この頃、小沢は天ぷらバーガーなどのファストフードに近い物を屋台の売りにしており、かなり売り上げを出していたとされている。また、若頭水上もアニキと呼んでいた事から広能組のシノギを仕切っており、収益の多くを上げていたと言われている。
ー舎弟ー
親分の広能昌三を頼ってきた恩師が連れてきた倉元猛もこの頃に出会ったとされ、舎弟として面倒を見ていたと言われている。
また、野崎弘や木村寛明など西日本経済界を代表する経営者も小沢の舎弟と言われ、今で言う経済ヤクザとしての面が強かったと言われている。
ー明石組と神和会ー
広島抗争における本質である両組の代理戦争では、明石組に肩入れしていたものの、抗争終結に尽力していたと多くの関係者が証言している。また、この頃に松永組を松永弘から預かったと言われている。抗争終結に奔走する反面、行動的だったともされ、上田組と松永組との抗争では上田透を殺害したと海田昭一への遺書に書いてあったと海田本人が証言している。
また抗争では山守組系列外の暴力団を糾合しようとしていたとされ、市岡組や義西会などと手を取り合おうとしていたとされる。
兵庫県警の主導により手打ちが実現するとまた、小沢は事業にのめり込んでいたと言われている。
なおこの手打ちの後、小沢は複数の暴行容疑により服役している。
ー投資と土地売買ー
小沢は後年長者番付に記載されるほどの個人資産を持っていたが、この多くを事業、または土地の売買で得ていたとされる。野崎弘の証言では上がる株、土地を事前に購入しており、値上がりしたのを見て売りはらっていたと言われる。この資産の多くは後年の株式会社二代目松永組の運転資金となった。
ー天政会の内部抗争ー
天政会の内部抗争では多くの人物が存命である為に証言が無く、実際は不明な所も多いが、シマ内の不良狩りをしていたと言われている。
小沢は主に自分より格上の組を狙う傾向にあり、実際に武田組や槇原組を狙った行動が目立つ。また、海田昭一により、度々抗争沈静化の依頼を受けており、素直に応えていたという逸話もある。
ー天政会入りとその死ー
内部抗争終結後、広能組の天政会入りに従い、天政会に参加した。後に引退すると周囲に漏らしていたとされ、自首も考えていたと言われている。
上田透の墓参りをしていた所、旧山守組の矢野修二により殺害される。非合法ではあるものの、大友勝利は矢野修二殺害を証言している。
ー逸話ー
多くの証言は先進的かつ合理的であると言う証言が占めているが、本人の口癖は「ヤクザは力、最後は暴力」と言われ、気質もヤクザだったとされている。
現在の広能組や三代目松永組の引退式で読まれた倉元猛や菅原健二の引退表明では両者とも「先代の意思」や「アニキの意向」と発言していることから、ヤクザである事を快く思っていなかったとみられている。
テキーラは二代目松永組が輸入を始めたと言われている。
近畿商事が総会屋に悩まされていた所に口添えをしたと岩井信一が証言しているものの、その後明石組と近畿商事は接触が無いために真偽は不明である。
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