更新止まっても安心してください。そこそこ構築しました。
深夜、ロアナプラのとある小さなテナント。店主の朝は最早、深夜から始まる。焙煎機にかけた豆から、割れや欠けのある豆を弾く作業が深夜のローテーションだ。弾いた豆は集めて水に浸して、水出しコーヒーにする。
インドネシアから取り寄せているトラジャの豆で淹れるコーヒーは、柑橘に似た酸味がクセになる。毎日、翌日の営業分を焙煎する。つまり、この選別中の豆は昨日の焙煎ロットで、今焙煎機にあるのは明日の分となる。試しに、昨日の豆でコーヒーを一杯味わう。焙煎が終わる頃には、朝日が店の看板を照らしている心地いい時間になる。
「この爽やかさよ。いい物だ。」
選別した豆を保存瓶に移し、次の作業にかかる。娘に教わった焼き菓子の生地を型に流し込んで、オーブンへと放り込みタイマーを仕掛ける。
この間にシルバーナイフフォークを磨く。磨き終わったところで、各テーブルのグラニュー糖を補充し、紙ナプキンを専用の容器に差し込む。テーブルの用意が整ったところで、オーブンの菓子を風通しのいいところで熱を飛ばしてやる。
ある程度の準備が整うと次は揚げ菓子の仕込みに入る。用意していた生地を細く10cm程に切ってから丸めて、熱した油へと投入し上げていく。揚げた物を揚げ缶に並べて冷ましている間に、サンカンパレスから届いたバウムクーヘンを切り分けていく。綺麗にショーケースに並べて、熱の取れた焼き菓子たちも同様に並べる。熱の取れた揚げ物に粉砂糖をふりかけて仕上げた。
日本から仕入れているアンコと呼ばれる小豆を甘くしたものを取り出し、ディッシャーで半円状に抜いた物をバットに並べてラップをかけておく。これで用意は整った。
ネクタイを締めてベストを着たら、店先の看板を出して一日が始まる。時計は朝の7時を指している。
「ねー…疲れた〜。今日の甘いのなに〜?」
と言いながら店のドアを開けてきたのは、イエローフラッグの上にある売春宿の女の子だった。
「シュネーバルですね。私の故郷の揚げ菓子ですよ。昔、母がよく作ってくれた物で。」
「ふーん…あ、この白いの?」
「そう。英語だと雪玉、ですかね。」
「雪かぁ〜…写真でしか見た事ないや。」
そう言いながらショーケースを眺めつつ、席に座る。
「じゃあそれと、トースト、コーヒー。」
「コーヒーは?水出しがありますよ。」
「あ!水出し!」
「承知しました。」
トーストを焼いて四等分にし、2枚にはアンコ。もう2枚にはホイップクリームを乗せる。本来の皿より大きめの皿にシュネーバルを二つ並べる。一つにはココアパウダーを振りかける。水出しコーヒーは丸氷を入れた切子と呼ばれるグラスに注いでサービスする。
「どうぞ。シュネーバルの一つにはココアをふりました。甘さが立ちますよ。」
「ありがと〜。疲れた時は甘い物だよね〜。」
そう言いながら唇の粉糖を舐めつつ菓子を食べる姿は年相応に見えて、微笑ましくなる。噂ではあの店を利用すると、その姿が翌日には25ドルで売られているらしい。そんな事を考えていると両脇に拳銃を下げた目付きの悪い来客があった。
「あ〜…旦那〜飲みすぎた…。キツいコーヒーと味の濃い物くれ〜…」
そんな事を言いながら席にひっくり返るように座った。
「よくもそんなに飲みますね。エスプレッソとホットサンドでいいですか?」
「そうしてくれると。」
ほのかに酒臭いレヴィに冷たいレモン水を出して調理に取り掛かる。先ほど出したトーストより薄めのパンに切ったヴルスト、玉ねぎ、チーズ、カレー粉、ケチャップを塗って挟み、専用の器具で焼いてやる。
「あ、そうだ。ダッチが事務所の豆が切れそうだから買ってこいって言ってたんだ。旦那、いつもの豆も帰りに頼むよ。」
「わかりました。包んでおきましょう。」
「旦那が喫茶店ってのは意外だよな〜。やってみたら更に似合っててまた意外だよ。」
「こう言う隠居生活も面白いですよ。はい。どうぞ。」
テーブルにホットサンドとコーヒーを置いて、陳列してある豆からいつもの豆を手に取る。柔らかい苦味と爽やかさが特徴のハワイヒロ。ハワイコナよりも後味が軽く飲みやすので、個人的にはおすすめの産地だ。小分けにしているとさっきの女の子が会計して「また来るねぇ〜」と帰ってゆく。入れ違いで人が入ってくる。
「なんだ。レヴィもいたのか。マスター、朝食お願いしたい。」
「バオは営業終わりですか?」
「なんだってなんだよ。朝からやってるまともな店はここしかねぇだろ?」
「あぁ。さっき片付けが終わったところで。店でも顔を見て、ここでも見るとなんかな…滅入る。」
「はぁ〜い。マスター、朝飯くれよ〜。」
「エダまで来やがった。こいつら客にしてて言うのもアレだが、マスター、客選んだ方がいいんじゃないか?」
「バオ、その言い方はねぇんじゃねぇの?」
「そう朝から騒がないでください。ここは喫茶店です。」
「そうだぞ?万年生理不順だからって文明人の時間を邪魔しない。」
「あぁ?喧嘩売ってんのか?」
「レヴィ、マスターのルガーに睨まれたくないなら静かにしろ。アタシも朝飯の時間だ。」
「ケッ。」
バオとエダにトーストと焼いたヴルスト、目玉焼きにポテトサラダを添えてコーヒーと共に出してやる。
「マスターありがとうございます。お前ら。俺の朝の平和な時間を乱すな。」
そう言っている内にレヴィに豆を渡して会計をする。そうしている間にも、入れ替わり立ち替わりに夜の仕事を終えた街の人間で店は満席となる。朝の忙しい時間を終えて、洗い物を片付ける。時計を見ると9時を過ぎた頃、朝の一波が引いて無人になったので一度看板を下げて店を軽く掃除する。
椅子にコーヒーを持って座り、タバコに火をつける。昼の用意もある程度は済んでいるので、この時間が休憩といったところだ。外を見ると観光客や地元の人間、知っていればわかるが通りの向こうに居た欧州人は観光客ではなく、ヴェロッキオファミリーのチンピラだ。今となっては気にする事なく視線をコーヒーに戻す。
歳のせいか休憩中は座っている事が多い。東部戦線では朝から晩まで走っていても、翌日にはまた走れたのに…こうして座って街を眺める老後が来るとは思ってもみなかった。人の人生とはわからない物だ。遅い朝食を摂りながら、昼のスープを何にするか冷蔵庫の材料を思い返す。トマトのアイントププにしよう。そんな事を考えていると、営業時間外だが張が入ってきた。
「旦那、休憩しているところで申し訳ないが、夕方に急遽来客がある。いくらかコーヒーに合わせた菓子を詰めてもらえないだろうか?」
「気にしなくていいですよ。承知しました。何人分あればいいでしょうか?」
「そうだな…四人分用意して貰いたい。」
「いいでしょう。少々お待ちを。」
焼き菓子を持ち帰りの箱に詰めて渡すと、張は少し多めに支払いをしていく。
「旦那、これは時間外分です。受け取って下さいよ。」
「ありがとうございます。であるなら、今日はビールに少しいいつまみを買うとしましょう。」
「俺たちだってお互いの懐具合は知ってるんだ。旦那なら醸造所建てられるくらいの金はあるでしょう。」
「家は地方領主の家系でね。だが、貴族的な家ではなかった。領民と共に収穫し、凶作ともなれば家財を売り、共に食料を分かち合う家だったそうだ。それに若い頃は戦場にいた。慎ましく、時にいい物をいただく。そう教わってきたのだ。」
「なのに国を追われた。旦那の国も見る目がない。」
「時流だ。是非もない。」
「休憩中に失礼した。旦那の菓子は商談に効く。これからも頼みます。」
張が帰って、しばらく休憩したのち。スープの仕込みを終えた頃から昼の営業を始める。うちのバイエルン料理はちょっと高いというのもあって、ここの住民には敷居が高いと思われているが、それでも来てくれる人が多い。その証左に、昼時は二回半ほど店は回転する。
14時を過ぎると客足もまばらになって、手も空く。その間に明日の仕込みを一通り手をつけて片付けていく。見通しが立ったところで看板を下げようと思ったところに、メガネの青年がきた。
「あー今日はもう店仕舞いかい?」
「えぇ。でも、どうぞ。ベーグルはまだありますよ。」
「あぁ助かった。昨日はダッチとレヴィに付き合ってね。起きれなかったんだ。」
「どうぞ。どうしますか?」
「そうだなぁ…ベーグルにクリームチーズを塗って貰えるかな…あとはヴルストとスクランブルエッグで。」
「わかりました。お待ちください。」
ベーグルを軽くトーストしてクリームチーズを塗る、スクランブルエッグを作ったフライパンの脇でヴルストを焼く。皿に乗せてコーヒーと一緒に出した。
「お待たせしました。」
コーヒーを口につけて、ベーグルを齧る青年は満足そうな表情を見せてくれる。
「マスターの店のコーヒーは本当にいい。事務所にもあるけども、マスターに淹れてもらう方が断然美味しい。」
「コーヒーマシーンでしょう?ハンドドリップにすると機械よりは美味しく飲めると思いますよ。」
「そうなのかい?ロアナプラに来てからと言うものの、アジア料理ばかりでね。マスターの店は憩いの場だよ。元ナチって聞いた時には身構えたけれども。」
「ナチではない。私は軍人だ。差別意識はないですよ。」
「そうだと僕も助かる。このベーグルは僕の楽しみでね。」
「長く続けられるように努力しましょう。」
彼が帰ると同時に今日一日が終わる。焙煎済みの豆の残量から、明日は焙煎の必要はないだろう。5時に店に来れば間に合う。厨房を片付けて、帰り支度を済ませ、街に出る。なんだかんだでもう陽が沈みつつある。いつもの道を家へ向かう。すれ違う街の人らに声をかけられ、会話を交わしながら歩く。
引退したとて慕ってくれる街の人たちに誘われて、少し早いがビールを飲む。暑い夕暮れの中で飲むビールは、ここ何年かでの記憶ではもっとも長閑な時間だ。そんな街を実現するために生きられた事を、誇りに思う。
明日のことを考えながら、小瓶のバドワイザーを飲み切った。
ある喫茶店のマスターの一日。