旧世界より、愛と呪いを込めて   作:にとずみ

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トモリとハクの悪巧み

 リュレと呼ばれる街に着いてすぐ、トモリは適当に街を観光をする事になった。正確には、人混みに呑まれてはぐれてしまったトモリが追い付くのを諦めて観光を始めてしまっただけなのだけれど。

 

「キユさんすごいなあ……わたしがこうなるの、わかってたのかな」

 

 呟きながら溜息をひとつ。これは、己が情けなくなって出てしまったものだ。

 

 はぐれたらここを目指してくださいと地図と宿の特徴が記された紙切れを渡された時は、さすがに子供扱いしすぎなのではと拗ねてやりたくなったけれど、実際にこうなってしまうと感謝しかない。

 

「日本語で書いてくれるともっと嬉しかったんだけど……さすがに我儘かな。えっと……これどう読むんだっけ」

 

 ぶつぶつと呟きながら、トモリは新世界の公用語で書かれているらしい紙切れを睨んで街を歩いてゆく。

 

 擦れ違う人の視線を時々感じるが、舌打ちや悪態は聞こえず害意も感じない。ここの人は王都とはちょっと違う感じがするなあ、声には出さずトモリは考える。

 

 

 興味が無いので、トモリは詳しく聞かなかったことだけれど。王国は、数十年前に旧世界の遺物の暴走事故で滅びかけたことがあるらしい。

 

 その暴走事故は旧世界人が故意に間違った知識を伝えたことで起こったものであり、遺物が暴走し始めたのを確認した後に頭を潰して自害したらしいとジュウゾから聞いてもいないのに聞かされた。

 

 脳を洗われない為だったのだろう。真相はわからないけれど、その旧世界人がどのような境遇にあったのか想像はできてしまう。少し胸が痛んだことをトモリは覚えている。

 

 ……その後、旧文明の知識を持つ者を優遇する法が王国で施行されたことからも。王都近辺で遺跡の調査、遺物の持ち込みが禁止されているというのにリュレのような遺跡の多い辺境には遺物の発掘と復元、管理、献上を命じていることからも。彼らが旧世界の全てを蔑み厭いながらも必要としていることは、簡単に想像できる。

 

 

 まあ、どうでもいいんだけどね。声には出さず、トモリは溜息を吐き出した。

 

 今の世界の人間が何をしようが、トモリにはどうでもよいことだ。トモリを利用したいと考えていても、死んでほしいと考えていても。どちらであれ、トモリにとっては変わらない。

 

 善い人も、悪い人も。いつか、どこかで死んで終わる。一秒でも長くと抗うことはできるだろう。けれど、いつまでも逃れることはできない。生きるとはそういうものだ。トモリノドカはそれを理解している。誰よりも、理解している。

 

 本当に、どうでもいいんだけどさ。心の中で呟いて、もう一度溜息を吐き出した。それよりも、早く宿に行かなければ。

 

 日が暮れる前に合流場所へ向かわなければ、脱走したと判断して見捨てられてしまうかもしれない。そう考え、近道をしようと裏路地に入り――

 

 

「――――あ、あのっ! ああ、あなた、勇者様……ですよね。お願いします、助けてください!」

 

 背後に掛けられた幼い子供の声に、足を止めた。複数人の気配がする。子供を含めて五、六人といったところか。ゆっくりと、足音を立てないようにしながら近付いている。

 

 ……どうしようかな。トモリは振り返るか悩んだ。

 

 どうしてわたしが勇者だと思ったんだろう。これは服装や髪色で判断したのかもしれないとすぐに答えが出た。王国で黒髪は旧世界人かその血を引く新世界人しかいない。服装も新世界人と旧世界人でそう大きな違いは無いけれど、学生服や軍服を着ているのは旧世界の勇者くらいしかいない。

 

 どうしてわたしに助けを求めようと思ったんだろう。これは答えが出るものではない。王都では勇者に話し掛ける新世界人などほとんどいないが、都会から離れた地域では別なのかもしれない。

 

 ちょっとお話聞くだけなら大丈夫かな、時間が無いわけじゃないし。トモリはそう結論付け振り返ることにした。その瞬間、ぶおんっと風を切る音が耳に届く。

 

 あれ、これは選択を間違えたかな。疑問が浮かぶ前にトモリの頭部を強い衝撃が襲う。みしりと嫌な音が聞こえた。

 

「おっと……?」

 

 顔を上げれば目の前には赤黒く、汚れた木の棒。筋骨隆々とした男が棒を構えてトモリの前に立っていた。なるほど、これで殴られたのか。さてどうしようかな。他人事のようにトモリは考える。

 

 とりあえず、人違いをしているか確認を取るべきだろう。もしかすればこのまま面倒事にならずに解放してくれるかもしれないし。大上段に構えられた棒が今まさにもう一度振り下ろそうとされているのを視認しながら、トモリは口を開く。

 

「あの、すみません。誰かと人違いを――」

 

 ごんっ。言い切る前に鈍い音がして、トモリの視界は赤黒く塗り潰された。

 

 

 

 

 

 ――さて。理解と納得のできない暴力を受けた場合の対応について、トモリノドカには三つの考えがある。

 

 

 一つ目は抵抗せず相手が満足するまで待つ。無力で無害だと思わせたい相手にはこれで良い。どうせ痛くもないし傷も付かないのだ、好きにさせてやればよいと考え満足するまで身体を丸めて待ち続ける。

 

 二つ目は適当なところで逃げる。満足してくれなさそう、何処かに連れていきたそうなど面倒な者を相手にしている時にはこうするべきだと考える。

 

 一度最後まで付き合ってみるかと無抵抗のままでいたら知らない山に埋められ、戻るのに時間が掛かってしまったのだ。あんまり付き合うのも面倒だなと反省してこの手を考えるようになった。

 

 

 三つ目。三つ目は、できるだけ取りたくない手段だ。服が汚れるし耳が不快なので、本当にやりたくないのだけれど。

 

 

 ばきんっ。からんっ、ころろっ。何かが落ちて転がる音が裏路地に響いた。木の棒がトモリの額を割れずに折れたのだ。碌に手入れをしていないうえに力任せに振るったからだろう、きっと殴ったのがトモリでなくても折れていた。

 

 にやついた顔のまま呆けた大男をよく見ると、汗をかいているし笑顔が引き攣っている。これは無理して表情を作っているな。ちょっとやりづらくなるから普通に悪意を持っていてほしいんだけど。トモリは溜息を吐きたくなった。

 

 首を折るか顔を砕くか、どちらの方が効果的だろう。折れた棒が派手な音を立てている間に考える。やっぱり顔殴られたんだし顔かな。トモリは答えを出して、顔面に狙いを定めた。

 

「痛くしますね」

「ぇ。はっ……!?」

 

 掴んで、壁に叩き付けて砕く。そう決め勢いよく踏み込み、右手で大男の顔面を掴んだ瞬間――

 

「――――ほんっとに、マジですんませんしたあっ!」

 

 

 幼い子供の叫び声が、再びトモリの動きを止めた。

 

 裏路地に入ってすぐトモリに掛けられた声と同じものだ。この声に何かしらの力を感じるわけでもないが、トモリは妙にこの声が気になった。

 

 何か企んでいるのかな、内容によってはこの子も潰すか。にっこりと笑顔を作って、トモリは声のした方へ振り返る。薄汚れた頭巾を目深に被った子どもが、トモリから数歩離れた位置で膝を突いていた。

 

 降伏を示している……にしては、後ろの仲間は困惑して立ち尽くしているだけだ。トモリはますますわけがわからなくなってしまった。

 

「状況がよくわからないんですけど、この状況を説明してくれるんですか?」

 

 右手の方からみしみしという音と苦しそうな悲鳴が聞こえる。掴んだままでいる大男のものだろう。脅しになるし、とりあえずこれだけ終わらせてもいいかなと力を込めたところで何か固いものを地面に叩き付けたような音が路地裏に響く。

 

 視線だけやると、膝を突いていた子供が頭を地面に叩き付けている。トモリはその姿勢に見覚えがあった。旧世界の日本、トモリの故郷に古くからあるものだ。

 

 一瞬、トモリの大男を掴む力が緩んだ。何してるのこの子。理解ができず、言葉も出せない。

 

 

「――マジで! ほんとうに! すんませんしたあ! あとあの、反省してるんでそいつ離してくださいこんなんだけど病気の弟の為に頑張ってるお兄ちゃんなんす!」

 

 

 それは、旧世界では土下座と呼ばれる姿勢だった。この歳頃の子供が、それも新世界人がこんなに綺麗な土下座をできるんだと驚いてしまう程に鮮やかな土下座姿だ。わけがわからない。

 

 たぶんこの子苦手なタイプだな。トモリは目の前の子供を頭の中の苦手な人リストに分類することにした。もうすでに関わりたくない。

 

 驚いたあまりに手を放してしまいそうになったが、小さく咳払いをした後手に力を入れ直す。みしりと音が鳴った。正直なところ、馬鹿らしくなって殺す気が失せてきてはいるのだけれど。いや、もしかしてそれが狙いなのかな? トモリは警戒しながら周囲を見回す。

 

 子供の後方では、数人の男女が今もおろおろと困惑している。皆若い、見た目で判断するならば高くとも二十前半か。

 

 一番幼く見えるが、この子供が集団の長なのだろう。トモリに顔を潰されそうな大男のことを気にしつつも、後ろの男女は子供から前には出ようとしない。

 

「……あの。それ、わたしに関係あります?」

「ありません! 情に訴えましたすんません! ちょっとほら、あんたらも謝って、死にたくないなら謝れ!」

 

 額から血を流した子供――顔が見えて気付いたが、少女のようだ――が唾を飛ばしながら仲間達にトモリへの謝罪を要求した。やはり彼らにとっても今の子供の言動はわけがわからないようで、皆素直に動こうとはしないようだけれど。

 

「いやあの、かしらぁ……あのガキ狙おうぜって言ったのかしらじゃ」

「うっさい頭って呼ぶな! もうやめっから! 解散だ解散! あんたらも足洗って真っ当な暮らししな!」

「いや、なんなんすか……昨日は前のかしらよりかしこくかせいでやるとか言ってたのに……」

「忘れたわ昨日のことなんか! 昨日って何百年前だってんだ!」

「えぇ……昨日は昨日っすよ……」

 

 土下座の姿勢を維持したまま怒鳴る少女と困惑したまま固まる仲間達。ちらりと掴んだ大男の方を見ると、彼にも苦しそうな表情の中に困惑が見えた。

 

 なんだろこれ、仲間割れって感じでもないんだけど。トモリはこういったよくわからない状況が苦手だ。殺してよいのかいけないのかの判断に迷う。

 

 

 なので、どうするかは次に掛ける問いの答えで決めることにした。少し八つ当たりをしたい気分になってきたのだ。

 

 答えによっては手は汚れるが気が晴れる。あるいは、気は晴れないが手が汚れず面倒も減る。どちらかといえば、面倒を減らしてほしいところだけれど。

 

「――ねぇ。あの棒でどれくらいの人を殴ってきたんです?」

 

 トモリの額で折れてしまった木の棒。あれは赤黒く汚れ、よく使い込まれた武器に見えた。片手では足りない数の血を吸っているだろう。

 

 大切な相棒だったのかもしれないと思うと折れてしまったのが少し可哀想で――本音を言えば八つ当たりの理由が欲しくて――トモリは大男に問い掛けた。問いを掛けられた大男は、困惑を深めながら呻き声を漏らす。

 

「わ、わかんねぇ……前のかしらが使ってたやつだから……おれ、振ったの初めてで……」

「そっか。そっかあ」

 

 残念、八つ当たりの理由が得られなかった。はあ、と深い溜息を吐いて、トモリは大男の顔面から手を放す。

 

 放して――胸倉に手を伸ばした。

 

「えっ」

 

 間の抜けた声が聞こえた。それは胸倉を掴まれた彼を含め、男女入り混じった複数人の困惑の声だったけれど、少女の声は聞こえなかった。少女は土下座の姿勢のまま微動だにしていない。

 

 ぶおんっ。重たい物が空を舞う音が路地裏に響いた。それから瞬き程の間を置いて、ぐっ、ぎゃあと複数人の悲鳴が響き渡る。骨の折れる音は聞こえなかったので加減は間違えずに済んだのだろう。

 

 今日ちょっとコントロール良いかも、トモリは少し気分を良くした。気分の良い内に視界から消えてもらおう、言葉を探しながら口を開く。

 

「返してあげます。それと、真っ当に生きるなら早くこの街を出て王国からも逃げるのをお勧めしますよ」

 

 この国そろそろ駄目になりそうだから。勘と恨みの混じった個人的見解を述べて、しっしと手を振る。実際のところ人の出入りとかそのあたりの管理どうしてるのかな、ふと疑問に思ったがどうでもいっかと思考を止めた。

 

 トモリはまだ王国から逃げるつもりは無い。誰か逃がしたい人がいるわけでもない。それならば、考える必要は無い。

 

 

 

「……さて、と」

 

 ううん、ううんと呻き声をあげる大男を複数人で支えて逃げる姿を見て、確かにいきなり殴り掛かってきたにしてはなんだか可愛い人達だなと感じながらトモリは少女へと足を向けた。問題はここからだ。

 

 地に額を付けたまま微動だにせず、一言も発さず。恐怖で固まっているわけではない。何か機会を窺っているわけでもない。ただただじっと、額を地に付け黙っている。

 

 なんとなくだけれど、トモリが何か言うのを待っているように感じられた。どういう考えでこうしているのかがわからず、気味が悪い。

 

「お仲間、行っちゃいましたけど。見捨てられてません? 追わなくていいんです?」

「さっき解散っつったんで、もう見限ってると思います。本当は昨日解散したかったはずだから」

「ああ、前のかしらがなんとか言い争ってた……」

「うす。みんなあたいが頭を継ぐのに反対して……というか、もう解散しようってのが総意だったんすけど。先代殺したのはあたいだぞ言うこと聞けって我儘言ったんで。それでこのザマなんで、もうあたいのことは誰も気にしないと思います」

 

 ちらちらと見られていたし、気にはされてるんじゃないかな。言おうか考えて、やめた。

 

 どうにも嫌われようとしているようだし、それは失敗したぞと言うのは少し違う気がしてしまったのだ。トモリはそういう努力が嫌いではない。苦手な人物であったとしても。

 

「……はあ。じゃあ、もう、面倒だし。本題に入りましょうか」

 

 本当に、こういう手合いは苦手だ。何を企んでいるのかわからない。何も考えていない可能性もあるにはあるが、どう動いても掌の上にいる感覚がして気分が悪い。

 

 

 まあいい。面倒事はさっさと済ませてしまう方が良い。溜息を吐き出して、意識を切り替えて。いつでも蹴り殺せるよう、右足を少し後ろに置いて。

 

「名前、目的。簡潔に話してください。嘘っぽいと思ったら蹴ります」

 

 すう、と息を吸う音がトモリの耳に届いた。感じられたのは覚悟。その覚悟の内容によっては、やはり殺すことになってしまうけれど。

 

「名前は、ハクです。あたいのことは、ハクと呼んでください。目的、目的は……そうすね」

 

 少し、考えるように黙って。頭を上げて、トモリを見る橙の瞳は。重たい覚悟と、トモリには理解のできない感情が渦巻いているもので。

 

 

「――――トモリノドカさん。あたいには、未来が視えます。この街が滅びる未来が。そこから始まる世界の終末が。あたいの目的は、未来を変えることです」

 

 そんな、嘘のようなことを。嘘とは思えない声で、少女は言う。トモリの頭がずきりと痛んだ。遠く昔、似たような戯言を聞いた気がする。

 

 似たような戯言を口にする、似たような瞳の誰かを。トモリは知っている。思い出したくない。

 

 

「……なんで名前知ってるんですか? それと、嘘っぽいと思ったら蹴るって言いましたよね」

「なので、正直に答えてます。名前は未来で聞いたってことで。……それと、もう二つ。このままだと、明日の夜明けを待たずにあなたは死にます。それから、あなたのお友達二人も」

「……本当だとして、それをわたしに教えて何の得があるんです?」

「あなたが生き続けられます。今あなたに望んでいることは、それだけっす」

 

 こんこん。爪先で地面を叩いてみせたが、ハクと名乗る少女は微塵も怯えを見せなかった。肝の座った詐欺師の可能性はまだある。そうであるならいっそ清々しい。次に顔を見たら殺すとして、一度くらいは見逃してやってもいいかもしれない。

 

 まともに考えれば、この少女を信じる必要も、信じたとて付き合う必要も無い。あまりキユ達との合流が遅れると王都の騎士団から脱走兵と認定されてしまうかもしれない。その方が面倒だ。

 

 

 そう考えている。そう考えているのに、今すぐにそうしようと思えないのは。この少女の言葉に無視のできない重さを感じるのは、何故なのだろう。

 

 

「納得できる説明は、今はできません。一度だけでいいんです。あたいの悪巧みに、付き合ってはくれませんか。あなたは明日を迎えられますし、あなたのお友達二人も上手くやるでしょう。付き合ってほしいのは夜明けまで。あの二人もそれまでリュレを出られないから、捨てられる事はありません。どうでしょう、悪いようにはなりません……悪いようには、しません」

「……口調、崩れてますよ」

「人を説得したい時はきちんと丁寧に話す努力をしろと、教えられたもので。……おまけでもう一つ、あなたを納得させられる情報を。このままいけば、今夜あの二人はあなたのせいで死にます。あなたが殺します。夜明けまで、あなたはあの二人と一緒にいるべきじゃない」

 

 何も真実を語っている保証は無い。嘘を語っている可能性の方がずっと高い。だというのに、少女の言葉には妙な重さがあった。まるで見てきたかのような、嫌な重さを感じてしまう。

 

 頭が痛い。これ以上聞きたくない。だというのに、聞くべきだともトモリは考えてしまう。この手を振り払えば後悔する事になるという、嫌な確信がある。

 

「…………それは、未来を視たんですか」

「はい。どうして殺したのか、どうやって殺したのかも。あたいには視えています。証拠を見せろと言われたら何も見せられませんけど、あたいがこうまでしてあなたを騙す理由があると思いますか? それでも信じられないというのなら――ここであたいを、殺してください」

 

 三人殺す事になりますね。精一杯悪人を演じようとしているような、ぎこちない言葉と笑顔は。下手な演技だとわかっているのに無視できない妙な感覚は。初めて見たはずなのに、ずっと昔から知っているような懐かしさをもっていて。

 

 

 ――ああ、そっか。似てるんだ。トモリは顔も名前も忘れた、今も思い出せない誰か達と目の前の少女を重ねて見てしまっていることを自覚した。

 

 

 それは、滅びの未来を歌う悪魔と同じぎこちない笑顔だった。それは、枝分かれし続ける世界の可能性を観測する少女と同じ橙色の瞳だった。それは、友守平和が思い出してはいけないことを思い出させようとする、星のように眩い光だった。

 

 己がその光を持つ者に手を差し伸べずにはいられないことを、その光を持つ者が誰一人として幸せな最期を迎えられなかったことを。友守平和は思い出した。

 

 ただの一度も彼らが望む結末を見届けられなかった。ただの一人も望まぬ最期から救うことができなかった。友守平和には誰一人救えなかった。これからも救えない。

 

 

 

 ――――トモリはそれを、知っている。

 

 

 

 

 

 

 ハクの人生は、苦痛と死への恐怖に満ちたものだった。

 

 赤子の頃はただの人間だったはずだ。豊かではないが貧しくもない、この新世界においては恵まれた村で生を受け家族にも愛されていたはずだ。三つになった頃、化物と呼ばれるようになってからは変わってしまったけれども。

 

 頭の上に獣のような耳が生えた時、耳が四つもあって気持ち悪いと父親に元々あった方の右耳を強く叩かれた。今でもそこは音が聞こえない。尾が生えた時、魔獣めと斧で切り落された後に鉄ごてで焼かれた。あの熱は今でも時々夢に見る。背に翼が生えた時、羽根を一枚一枚毟り取られた後に翼を千切られた。布団を作るには足りないと、狂ってしまった母に何度も背を蹴られた事を忘れていない。

 

 愛してくれていたはずの大人達から受ける暴力は恐ろしくて悲しくて、逃げ出そうという考えすら浮かばず、ただただどうすれば殴られずに済むかを考える日々を送っていた。

 

 けれど、その日々も突然やってきた賊に村を焼かれることで終わった。そして、次の恐怖が始まった。

 

 どこか遠くの国で兵士をしていたという賊の頭は粗暴で野蛮だが勘が鋭く実力もある男だった。ウサギやクマという凶悪な獣の習性を利用して山に潜んでいるので王国の騎士も中々手を出せなかったのだろう。その所為というべきかお陰というべきか、八つで賊に拾われてからここまで四年程生き延びてしまった。

 

 村を焼いて滅ぼした賊の頭に拾われてからは、頭の機嫌を損ねぬよう必死だった。犬のように扱われれば犬を演じた。娘のように扱われれば娘を演じた。死なない為に必死に演じて、演じて、演じ続けて――

 

 

 ――ある夜、酒に酔った頭に締め殺される夢を見て。それを三度繰り返して、これが夢ではないことを悟った。

 

 

 骨を折られる痛みを覚えていた。殴られた時の鈍い痛みを、首を絞められている間の苦しみを、音と景色が遠退く恐怖を覚えていた。その全てが鮮明で、夢から覚めると同じ景色、同じ出来事が待っている。

 

 逃げなければとこれまでの生で初めての逃亡を企て、背に矢を受けて死んだ。寝込みを襲えばと目を覚ましてすぐ首に手を掛け、逆に首を折られて死んだ。何度も、何度も、何度も何度も何度も失敗を繰り返して。繰り返して。

 

 何度目かの失敗で、ハクは人を呪う事を覚えた。そう強くはない力だけれど、それでも何度も殺される内に酔っ払いを一人呪い殺すには充分な怨みと力を手に入れていた。

 

 

『――お頭、今夜はあたいがお頭にお酒を注ぎたいっす。だから、その……他の子を呼ばないでください』

『お? んだぁポチ、今日は甘えてぇ気分なのかあ?』

『そうっす。最近のお頭、あたいに構ってくれないから。ね、いいでしょ?』

 

 したかねぇなぁとだらしない笑みを浮かべる男を見て、ハクもにこりと微笑みを返してみせた。瞳の奥に、ぐつぐつとした憎悪と呪いを渦巻かせて。

 

『――でも、あたい、あんまりやったことないっすから。下手だったら止めてくださいね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、嫌っすから』

『ははっ! 俺ぁ酒で潰れたことがねぇんだ。下手なお前も楽しんでやるよ』

 

 呪いの込められた言葉に、男はハクの注ぐ酒と己の吐瀉物に溺れて死ぬまで気付く事が無かった。

 

 

 

「…………で! 昨日頭ぶっ殺して、今ここにあたいがいるってわけ!」

 

 どやどやとした顔を浮かべながら再び土下座の構えを取るハクを見て、トモリは何を言えばいいのかわからなくなってしまった。とりあえず、肩を掴んで無理矢理に土下座を止める。

 

 妙に抵抗が強い。なんでこの子そんなに土下座しようとするの。トモリは少しだけ恐怖を覚えた。理解できないものへの恐怖だ。

 

「……それで、わたしを狙った理由はなんなんです? 悪巧みって、何をさせるつもりなんです?」

「あ、誤魔化せませんか。駄目っすか」

「駄目ですね」

 

 立たせて答えを待っていると、ハクは頬を赤らめ俯き、ちらちらとトモリの顔色を窺い始めた。本当になんなのこの子。トモリは顔には出さないよう努めながら恐怖した。

 

「えっとぉ……そのぉ……ですねぇ……。リュレは出稼ぎだなんだっていろいろ人が来るんすけど、カモが多いらしくって。最近減ってたらしいんすけど、あたい知らないで来て……初めての獲物だって待ち伏せてですねぇ……」

「はい。それで?」

「その、あたいですね、ちょっと先の自分が死ぬ未来と、それに関係してる事の未来が視えるんす。んで、まずここで皆殺しにされる未来が視えたわけでして」

 

 なるほど、とトモリは小さく溜息を吐いた。溜息を吐くと怯えさせるかなと一瞬考えたけれど、ハクは怯えもせずへらっとした笑みを浮かべてみせただけだった。それはそれで気に喰わないけれど。

 

 未来視以外にも何か隠しているのは明らかだが、追及する気にもなれなかった。こういう手合いはあまり深く突っ込むと後悔する事になる。記憶は無くとも、こういった嫌な予感は信じるべきだろう。

 

「悪巧みに関しては、あんまり言うと未来視がずれてしんどいんで黙ってたいんすけど……あ、言ってもそんな悪いことじゃないっすよ!? まぁー、その……ちょっと、侵入と盗みはするんすけど……でもでも必要で、相手は悪人ですし!」

「そういう言い訳はいいです。……じゃあ、わたしを狙った理由は?」

「えぇっと……はっきり言った方が怒らないっすか?」

「気にしないのでどうぞ」

「こいつ絶対カモだって待ち伏せして襲ったら命乞いガン無視で皆殺しにされる未来が視えたんで、爆速で土下座して見逃してもらうついでにあいつらに足洗わせることにしました。やっぱあたいらこういうの向いてないわって。そんでなんかその先のとんでもない未来も視えたもんだからちょっと頑張ってみようかなと」

「……なるほど」

 

 さてどうしよう。トモリは少し考えた。気にはしない。なりもしない。が、少し頬を抓るくらいはしてもよい気がしてきた。

 

「……おおっへあふ?」

「怒ってはいません。でもこれくらいはしてもいいかなって」

「いあいっふ……」

 

 カモだと思われるまではいいが、実際に狙われると面倒だ。もう少し上手くやらないといけないな。自省しつつ頬を抓ると、想像していたよりもハクの肌が荒れていることに気付いた。

 

 王都で没収された鞄にはハンドクリームとかも入っていたはずなんだけど、あれは今もまだ使えるのかな。どうせ捨てられているだろうと諦めてはいるものの、今持っていればとトモリは少し惜しい気持ちになった。

 

 

「ちょっと、目を見せてください」

「えっ、なんか恥ずかしいんすけど……」

「黙って」

 

 妙な反応を見せるハクを無視して頭巾を脱がし、前髪をどけて橙の瞳を覗き込む。

 

 その瞳は、瘦せ細った身体に荒れた肌と髪からは想像できない美しさだった。いわゆる魔眼というものなのだろう。人の目では視えないはずのものを視てしまう瞳は、それを映しているのか奥で何かが煌めいて見えることがあるという。

 

 宝石のように集めている者もいるのだとトモリは聞いた覚えがある。この少女も、いつかは狩られ宝石となるのかもしれない。

 

 口を閉じたまま舌を打った。この少女がどうなろうとトモリには関係の無い事だ。胸に痛みを感じたのは顔も名前も忘れた誰かと重ねて見てしまったからに過ぎない。

 

「……未来視なんて、いつの時代も嫌われるものなのに。よく目を潰されずに生きてこられましたね」

「視えるようになったの昨日っすから。確かに気持ち悪いって潰される未来も何回か視ましたけど」

「そうですか」

 

 太陽を思わせる色の瞳を見ていると、トモリの胸の奥が一層強くずきりと痛んだ。忘れている何かをまた思い出しそうだ。それが良い事なのか悪い事なのか、今のトモリにはわからない。

 

 けれど、きっと。同じ色の瞳を持った誰かを好きだったのだろう。それだけは、間違い無いと思ってしまう。吐き出したくなる溜息を嚙み殺し、笑顔を浮かべようと意識した。どうして今笑おうと思ったのかも、やはりわからないけれど。

 

 

「まあ、いいです。お望み通りハクさんって呼びますね。少しの間なら悪巧みに付き合ってあげます。上手に騙して利用してください」

 

 騙されてもいい。利用されてもいい。何かあったとして、気に喰わなくなったところで殺せばいい。

 

 さしあたっては、夜明けの後にキユとイザナと合流できそうになければ憂さ晴らしに殺すとしよう。そう結論付けて、トモリは右手をハクへと差し出した。

 

 新世界で目覚めてから、トモリは誰に対してもこの考えで接している。旧世界でどうだったのかは思い出せないけれど、あまり変わっていないだろう。

 

 トモリノドカは、きっとずっとそういう人間だったのだ。友達というものをきちんと作ってこれなかった人間なのだろう。ココネやキユに友と呼ばれて感じる喜びは今まで碌に作ってこなかったからなのだろうとトモリは考える。

 

 できるのなら、大事にしたい。けれどきっと、どこかでトモリは何かを間違えて壊すのだろう。己はそういう人間なのだという自覚だけは、この新世界で目覚めた時からずっとある。最も忘れてはいけないものはきっとこれだったのだろう。

 

 

「あたい、詐欺もやってたんで騙すのは得意っすよ。でも、そうっすね――もしも、あたいを気に喰わないと思ったら。好きなように殺してください。痛くても、苦しくてもいいです。憂さ晴らしをしてください。その代わり、死ぬ前にあたいが何を間違えたのか教えてくださいね」

 

 トモリが何かを返す前に、ハクはトモリの右手に両手を伸ばし包むように握った。少女の手は細く冷たい。先の身の上話が本当であるなら、碌に栄養も摂れていないのだろう。

 

 何故だかまた胸がちくりと痛む。また誰かと重ねているのだろうか。トモリは気分を悪くした。

 

 だけれど、今のトモリのものではないはずの感情について考えるのはこの少女をどうするか決めてからでも遅くはない。だから、今はまだいいのだと手を握り返した。少し痛いくらいに、強く。

 

「覚えてたらそうしてあげます。でも、そうならないように頑張ってくださいね」

「――はい。あなたがそう望むなら」

 

 言って、短く息を吸って、長く吐き出して。切り替えるように、よしと小さく呟いて。ハクはにったりと笑ってみせた。

 

 やはり似合わない意地の悪い笑みには、夜明けを思わせる橙の瞳が煌めいている。

 

 

「始めましょっか、あたいとあなたの悪巧み。大丈夫、後悔はさせませんよ」

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