ぴちゃん、ぴちゃんっ。水音の響く地下道を、鼻歌交じりにハクが歩く。その少し後ろを歩きながら、トモリは短く溜息を吐き出した。
旧世界で使われていた地下水道。今はもう使われておらず、知る者もほとんどいない道を使い領主の館に侵入する。ハクからそう切り出された時にトモリがまず考えたのは、これでただ盗みの手伝いさせられているだけだったら殺すのと捕まえるのどっちが良いのかなという疑問だった。
元々この地下道は賊や浮浪者の棲処とならないよう、数十年前に入り口を塞がれたらしい。そう得意気に解説するハクに「じゃあわたし達が入った入口の穴はなんです?」とトモリは問うたが、それにはにっこりと笑うだけで答えてくれなかった。まあ、掘ったのだろうと想像する事はできるけれど。
「ここを道なりに進んでいけば領主の館の下に着くっすよ。まあ出口の穴は掘れてないんで場所がわかってるだけなんすけど」
「……あっちには脱出用の入り口とか無いんです?」
「あたいが聞いた話じゃ本当に全部の穴塞いでたみたいなんで。ま、ごく一部だけが知ってる秘密の抜け道があるって可能性は否定しません。で、入ってこられる方に関しちゃ想定できてても今日はそんな暇無いんじゃないかな」
ハクが言うには、今上では領主に不満を持つ者達が賊を引き入れ街に火を放つなどの騒ぎが起こっているらしい。実際に目にする前に穴へ押し込まれてしまったので、トモリは納得していないけれど。
「どうにもよくわかってないんですけど、そもそもなんで貴女は街のあれこれを知ってるんです?」
「そりゃ調べるでしょ。なんも知らずに入ったら実は手配書出されてましたとか怖いですし、騎士団の遠征とか今年の収穫、税と気にしなきゃいけない事は多いんすよ」
「昨日頭とやらになったばかりなのに? 随分勉強熱心なんですね」
「そりゃ……そりゃね? ついさっきまではもう奪って奪って稼ぎまくり、成り上がってどっかで爵位と領地を買い取ってお貴族様! って夢見てたわけっすよ」
「早めに夢から醒めて良かったですね。それともずっと夢の中が良かったです?」
「……夢見たまま死ぬなんて間抜けは嫌っすねぇ」
「なら、頑張って生きてください」
「うっす……」
ぽつぽつと会話を交わしながら、灯りの無い地下道を二人で歩く。足元さえ覚束ない暗闇であるにも関わらず、ハクはすいすいと足を進めながら石や穴を見付けてはトモリへ注意するよう声を掛ける。それにどうもと適当に返事を返せばへへ、とハクが嬉しそうに笑った。
「何が嬉しいんです?」
「えへへ……いや、そっすね。普通に人と話すの、久々なもんで」
「……わたし、普通に話せてるかな」
「少なくとも、あたいの望む普通ではありますよ」
何を返す気にもなれずにハクの方を見ると、なんか複雑そうな顔っすねえとハクがまた笑う。それにしてもよく見えるな。トモリは少しだけ感心した。夜目が利くのは良いことだ。
「随分とよく見えるんですね。元々です?」
「いえ、未来が視えるようになってからっす。元々夜目は利く方だったんすけどね」
「ちなみに鼻と耳は利く方です?」
「そんなにっすかねぇ……。耳は良い方なんすけど」
なるほど、じゃあ鼻はわたしがやらないとか。トモリがそう考えたところでハクが足を止めた。まだ地下道は続いているが、ここが目的地なのだろう。トモリに離れるよう手振りで示して、小さな声で何かを呟き始める。
「――イリアの鍵束、紅く眩い二十七本目。我らが道を拓き給え」
トモリには理解のできない力の込められた声。じゅう、と何かが焼けて熔ける音と臭い。少しして、トモリの視界に光が差し込む。それは、懐かしい眩しさだった。嬉しくはないけれど。
「……白い。蛍光灯かな。この館、電気を使ってるんですね」
「遺物じゃないっすかねえ。聞いた話じゃリュレの前の領主は遺物の生活利用に積極的だったそうっすから。狂う前っすけど」
発電などはどうしているのだろう。疑問に思ったが、トモリは声に出さなかった。それよりも、気になることが一つある。
「今の、魔法とか魔術ってやつです?」
「うんや、祈術とか奇跡って呼ばれてるやつっす。まあ、あたいが使えるのは解錠とか壁に穴開けたりするやつくらいなんすけど」
「泥棒向きですね」
「いや実際便利なんすけど……あの、ちょっと目怖くなってません? なんかあたいを殺す理由を積んでません?」
やりませんよもう!? 少し顔を青くして叫ぶハクを見て、トモリは言葉に詰まった。別に、まだ殺しませんけどとでも適当に返せば良かっただけなのに。
子供が死ぬところは、あんまり見たくないなあ。一瞬でも考えてしまった、考えるべきではない甘い考えを無視するように。長く息を吐いて無感情な顔を意識して。
「理由を増やさないように、どうにか生きてください」
「そらそうしますけどね……」
ぶつぶつと文句を言いながら穴から出ようとするハクの首根っこを掴んで引っ張り、トモリが先に穴を出る。一瞬、妙な感覚がした。暗く狭い地下道を抜け息苦しさが無くなるはずなのに、むしろ強まったような不快感。それから、頭の上で何かが風を切りながら迫る音を聞いて。
「――はあ、やっぱり。嫌になっちゃうな」
溜息を吐きながら、剣を抜いた。がきんっ、嫌な音が耳に届く。今のは先に斬れたと思ったのにな、トモリは少し気分を悪くした。
「ぅごっ……と、トモリさん、何の音っすか!?」
こうなる未来は視えていなかったのか、怯えたハクの声が穴の中から聞こえる。引っ張り出すべきかそこにいろと言うべきか一瞬悩んで、どちらも言わないことにした。
正確には、言葉を考える余裕が無さそうで諦めたと言うべきなのだけれど。
トモリは頑丈さと力には自信がある。単純な殴り合いや投げ合いは当然として、武器を使った打ち合いに関してもある程度の自信がある。
本気で打てば、余程の達人か人外の類以外はまともに受けられない。数日は武器を握れないようにできるはず。それは、目の前にある全身鎧の騎士を見ても揺らがない自信だ。
大きく跳び退かせたにもかかわらず腕を痺れさせた様子も無く、両手で剣を握り締め構え直すそれを見てまず感じたのは、己の剣を受け止められた驚きや突然襲われた恐怖ではなく違和感だった。
その違和感の正体も、鼻を鳴らしてすぐに気付く。鎧の中から、新鮮な死体の臭いがした。トモリにも理解のできる力の流れを感じる。あれは死体――動く死体の戦士だ。そういう
「待ち伏せ。罠。逃げます?」
短く告げて、右手の剣をちらりと見た。刃が少し欠けている。そろそろ折れるかな、溜息を吐いて剣を収める。素手でやるのは面倒だが、弁償だなんだと騒がれまた元の所持品の返却を渋られるのはより面倒だ。奪えそうなら奪おう。
ざっと見回した限り、部屋の中には動く死体の騎士が一つ。けれど、部屋の外からは足音が複数。足音も警告も聞こえているはずのハクが穴から出てきたことにトモリは顔を顰めたが、ハクは気にせずトモリに問いを掛ける。
「逃げないっす……けど、けっこう不味い状況っすか?」
「ココノエ式かなあこれ。わたしの知ってるのと同じなら、四肢を捥いでも動きますよ。動力源を突き止めないと」
死体を自由に動かす術。あるいは戦士が肉体の死した後も戦い続ける為の術。それは旧世界からあったものだ。トモリはそれを知っているけれど、ずっと考えないようにしていた。
本当に嫌になるなあ。声には出さずトモリは呟く。嫌なものを見てしまった。そのせいで、嫌な記憶も思い出してしまった。
月から降る怪物に追い詰められた旧世界の戦士達は、心臓が止まった後も戦い続ける術を求めた。あるいはそうあることを強いられた。
旧人類が生き延びる為に編み出された呪術をトモリは知っている。それが真の意味では完成しなかった事も、悲劇しか起こさなかった事も知っている。
「考え直して逃げるなら時間稼ぎくらいはしてあげますけど。どうします?」
「……確認っす。ここの死体は、旧世界の呪術で動いてるんすよね」
小さな声。どこか覚悟を秘めた声で、ハクがトモリに問う。そこまでは言ってないんだけど、どうしてそう思ったのかな。死体の騎士を睨みながら、トモリは答えを考える。
正直に答えるべきか、適当に答えるべきか。少しだけ迷って、馬鹿らしいと溜息を吐いた。この子供に嘘を吐いたところで、たいして得も無ければ楽しくもない。
「だと思いますよ」
「なら、こいつらの止め方とかわかるっすか?」
「わたしが知ってるのと同じなら。たぶん、君の悪巧みに絡んでます」
領主がどういう人間だったのか、何の為にこの悪趣味な術式を使っているのかは、ハクが何の為にこの館に忍び込んだのかも説明されていないのでトモリにはわからない。実際のところどうでもいい。
……けれど、この館に入った瞬間感じた不快感と目の前にある動く死体は別だ。
九を重ねると書いて、九重。その名を背負う者達をトモリは嫌いだった。どうして嫌いだったのかは、まだ忘れたままにしたいけれど。それでも忘れられない顔はある。何度殺しても足りないくらいに嫌いだった女の顔を、憶えている。
「……この術式考えた人、嫌いだったんですよね。壊したくなってきちゃった」
「助けてくれるってことでいいっすか?」
「はい。ちょっとだけやる気が出てきました。だから、そうですね」
言いながら、ぐいと左手でハクを引き寄せ抱き上げる。やっぱり細いな、折っちゃいそう。トモリは力加減に自信が無い。あまり怯えさせてはいけないので、声には出さないけれど。
さて、しばらく振りに全力で動いてみるか。トモリは短く息を吸った。穴を抜けてからの不快感がトモリの気のせいでないのなら、ここからは時間との戦いだ。
「――走るのは任せてください。道案内は任せます」
「任されまし……ちょ、まっ……お、おう、……おぉぉっ!?」
ハクの返事を聞く前に、トモリは全速力で駆け出した。